踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク(ことば文化特設サイト)
ことば文化に関する気になるトピックを短期連載で紹介していきます。
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- 2024年08月27日 『12. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:カリブ、アフリカ!カリブ、フィールド言語学! 米田信子(大阪大学)』
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これを書いているのはタンザニアのキルワというところである。昨日は世界遺産にもなっているキルワの遺跡を見て回った。キルワはかつてインド洋交易の需要な拠点になっていたところでもあり、今日は目の前に広がるインド洋を見ながらその歴史に思いを馳せつつ仕事をしている。アフリカに通うようになってから30数年経つ。そのあいだにアフリカ諸国はずいぶん変わった。特に21世紀になってからのアフリカの変わりようはものすごい。ケニアでもタンザニアでも都市部では高層ビルが立ち並ぶようになったし、走っている車もずいぶんと新しくなった。割れたフロントガラスをビニール袋とガムテープで修繕している車や前後のタイヤの大きさが違う車はずいぶんと減った(なくなったわけではないのだけれど)。その大きな変化に伴って、私たち研究者を取り巻く環境もいろいろと変化してきた。最終回となる今回は、私のアフリカ・フィールドワークの「今昔」を紹介しよう。
変わったこと
[1] 通信手段
この30年強で最も大きく変わったことは通信手段だ。SNSどころかインターネットもなかった1990年代初頭、日本からの連絡手段は手紙しかなかった。しかもアフリカの郵便は戸別配達ではなく私書箱なので、滞在先のゲストハウスに送ってもらうこともできない。そこで手紙の宛て先は日本大使館。当時、在タンザニアの日本大使館には旅行者用の郵便ボックスが置いてあって、旅行者も調査者も定期的に大使館に手紙を取りに行っていた。もちろん大使館から「お手紙が来てますよ」なんて連絡があるわけではなく、手紙が来ているかどうかもわからないのに「誰かから手紙が来てるといいなぁ」と期待しながら郵便ボックスを見に行くのである。手紙がアフリカに届くのにもずいぶん時間がかかっていた。クリスマスカードがイースターの頃に届いたり、手紙が届いたときにはすでに帰国していたり、なんて話もよくあった。それがいつしかメールでやり取りができるようになった。それでもずいぶんと便利になったと思っていたが、さらに今ではSNSでメッセージのやり取りもできるし、ビデオ通話もできるようになった。連載も第9回以降は原稿や写真をアフリカから送っているのだが、30年前には考えられなかったことである。
コミュニケーション手段の変化は日本との連絡だけでなく、アフリカ内の連絡も同じである。以前なら、用事があれば会いに行くしかなかった。相手が家にいるかどうかわからなくても、とにかく行ってみるしかなかない。私は、マテンゴ語の調査をするときにはいつもリテンボという村に住むとある家族のところにホームステイをさせてもらっていた。リテンボ村はタンザニアの西南端に位置していて、ダルエスサラームから車を乗り継いで2日かけて行くのだけれど、そんなときでも事前に「この日に行くよ」という連絡ができないので、とりあえず行ってみるしかなかった。家族でチヨダ(連載第9回参照)を見に行って留守かもしれないし、ひょっとしたら引っ越しているかもしれないのだけれど、とにかく行くまでわからない。言うなれば毎回「一か八か」である。ところが今では誰もが携帯電話を持っている。電話やSNSで「この日に行くからね」と連絡すればよい。ほんとうに便利になったものだ。
ただし、この変化はよいことばかりではない。かつてはアフリカにいる間は日本の仕事ときっぱりお別れできた。もちろん締切があるものは終わらせてから出発するが、それ以降フィールドにいる間に新たな仕事の依頼は来ない。依頼があったとしても「アフリカに行っていてメールが見られませんでした」と言えばよかった。ところがメールで連絡がつくようになってからは、どこまでも仕事が追いかけてくるようになった。ほんとうに、どこまでもどこまでも。で、アフリカでもメールの返事を書いてばかりになったりする。それどころか最近ではオンラインで会議にまで出席しなければならなくなった。せっかくアフリカに来ているのにやっていることは日本にいるときとほとんど同じで、どこにいるのかわからなくなってしまう。アフリカに来れば連絡がつかなくなっていた頃が時々ちょっと恋しくなる。ちなみに、「一か八か」のリテンボ行きで、行ってみたけれど誰もいなかった、ということはただの一度もなかった。「昨夜ノブコがくる夢を見たんだ」とか「今年もそろそろ来る頃だと思っていた」とか言っていつも待っていてくれた。今思えば、連絡もしていないのに不思議なことだけれど、ほんとうにありがたかった。
[2] 調査道具
フィールドワークに持っていく調査道具もずいぶん変わってきた。大学院生の頃のフィールド調査には、録音用にDAT(Digital Audio Tape)ウォークマンとマイク、および大量の単3電池とテープ、撮影用にカメラとレンズと大量のフィルム、これらをすべて手荷物にして運んでいた。それでも私の指導教員の時代はオープンリールの録音機を担いで行っていたと聞いていたので、それに比べると荷物はずいぶんと軽くなったんだなぁと思っていた。でもしばらくすると、ウォークマンとフィルムカメラはICレコーダーとデジタルカメラに移行し、荷物は劇的に少なくなった。何十本のテープやフィルムの代わりに数枚のSDカードでこと足りる。アフリカの電力も以前に比べるとずっと安定してきたので、アダプターや充電式の電池が使えるようになった。おかげで大量のテープやフィルムや単3電池を持っていく必要がなくなった。これだけでほんとうに楽になったが、なんと今や録音も撮影も、すべてスマホでできる。調査道具がポケットに収まる時代になった。
[3] 調査対象
アフリカの変化とは直接関係ないが、その30数年のあいだに私の調査対象も変わってきた。私は博士課程の学生時代からタンザニアで話されているマテンゴ語の記述研究を行ってきた。なので、タンザニアのなかでも私が知っているのは、マテンゴ語が話されているリテンボ村とその周辺くらいに限られていた。博士課程を終えてからは、ナミビアで話されているヘレロ語の研究も始めた。マテンゴ語とヘレロ語はどちらもバントゥ諸語なので似ているところもたくさんあるけれど、それでもいろんな違いがある。たとえば、マテンゴ語は7母音体系に加えて短母音と長母音の対立があるので14種類の母音が区別されるのに対し、ヘレロ語は5母音体系で長短の対立がないので母音の区別は5つだけである。ヘレロ語には受身構文や場所格倒置構文と呼ばれる構文があるのに対して、マテンゴ語にはそのどちらもない。どちらか1言語に絞ることができず、ずるずると2つの言語の研究を並行してやることになったが、それはそれでとても楽しかった。2つやることでそれぞれの特徴が顕著になることもあったし、タンザニアとナミビアという異なる環境の国に交互に行くのもおもしろかった。タンザニアは東アフリカ、ナミビアは南部アフリカ、同じ「アフリカ」でもずいぶん違っている(ほんとうはこの連載でそういう話もしたかった)。
2言語並行の研究を長年続けてきたが、この10年ほどはさらに多くのバントゥ諸語の比較研究を行うようになった。それまではフィールドワークと言えばタンザニアとナミビアだけだったが、比較研究を行うようになってからは、ボツワナ、ジンバブエ、マラウィ、ザンビア、アンゴラ、ウガンダ、ルワンダなど、いろんな国にフィールド調査に行くようになった。タンザニア国内でも、マテンゴ語が話されているタンザニア内陸部の南西端だけでなく、この10年くらいは、ダルエスサラーム、ザンジバル、イリンガ、キルワ、ヴィクトリア湖畔、キリマンジャロ山麓、いろんな地域で調査を行っている。この「いろんな地域」での調査は、もちろんそこで話されている民族語の調査なのだけれど、同時にスワヒリ語の地域差も見えてくるのがおもしろい。リテンボ村は山の中なので、海岸地域ならではのスワヒリ語表現(ほんとうはそんな話もしたかった)を知ることができたのは、いろんな地域で調査をしたおかげである。
変わらないこと
アフリカ社会も、私の調査対象も、30数年のあいだにずいぶん変わってきたが、もちろん変わらないことも少なくない。
[1] 「教えてもらう」ということ
私の研究についていえば、どんなに調査対象の言語が変わろうとも、母語話者である「彼ら」にその言語を教えてもらう、ということに変わりはない。言うまでもなく研究対象に関する知識は圧倒的に彼らの勝ちである。とは言え、もちろん言語調査と語学学習とはまったくの別物である。「教えてもらう」と言っても、彼らはその言語の母語話者というだけで、その言語の先生ではない(日本語母語話者がみんな国語の先生や日本語教師というわけではないのと同じである)。たとえば、単語の意味を聞いても、昨日と今日では説明が食い違うなんてことも多いし、ある文の文法について昨日はOKだと言ったのに今日はダメだという、なんてことはしょっちゅうである。そんな不確かに思えるような母語話者の説明を頼りに質問を繰り返し、語彙や文法を分析して書き起こしていくという作業は、30年経とうがまったく変わらない。変わったことと言えば、双方の忍耐力が増してきたことくらいだろう。日によって変わる説明を根気よく聞かなければならない私にも忍耐力が求められるが、どうでもよさそうに思える似たような質問を何度も何度も繰り返したずねられる彼らは、それ以上の忍耐力が必要である。
[2] 研究アプローチ
私のバントゥ諸語研究のアプローチのひとつに、日本語の視点を積極的に持ち込む、というのがある。これも変わらないことのひとつである。たとえば日本語には主題を表す「は」というマーカーがある。日本語でこの「は」を使って表される要素はマテンゴ語ではどのように表されるんだろう?とか、「鳥が飛んでいる」と「鳥は飛んでいる」はバントゥ諸語ではどうやって区別するんだろう?といった具合である。連載第6回で紹介した「内の関係」と「外の関係」もまさに日本語の視点からの研究である。
なんでこんなアプローチをするようになったのか。それは、私たちが自分たちの言語に存在しない現象についてはなかなか気づかないからである。バントゥ諸語に限らずアフリカ諸語の研究は長いあいだ欧米の宣教師や言語学者によって行われてきた。したがって、ヨーロッパの言語に存在する現象については、バントゥ諸語でも調査が行われてきた。しかし、自分たちの言語に存在しない現象については、調べようにも思いつかないことが多い。たとえば英語の関係節は「内の関係」しか修飾できないので、「魚を焼く匂い」のような「外の関係」をバントゥ諸語の関係節で表すことができるか?なんて、おそらく考えたこともなかったと思う。その結果、長い研究の歴史を持っているスワヒリ語の関係節についてでさえ「外の関係」の修飾ができるかどうかがわかっていなかった。
このアプローチについては、実は私自身もほんとにこれでいいのか迷っていたことがある。だけど、ある国際学会でひとりのアフリカ人研究者が「僕たちはずっと、言語の研究をするときには英語やフランス語で考えなきゃいけないって思っていたんだ。だけどノブコが日本語の視点を堂々とバントゥ諸語の研究に取り入れてくれたおかげで、僕たちアフリカ人研究者も自信をもって自分たちの母語の視点を研究に持ち込めるよ」と言ってくれた。そう、みんながそれぞれ自分の母語の視点を取り入れたら、もっともっといろんな現象のことがわかってくるはずだ。
[3] にぎやかなアフリカ
上に書いたのはどちらも私の研究についてだけれど、アフリカだってもちろん変わっていないところはいっぱいある。なかでも変わっていないことの筆頭は、そのにぎやかさ。マーケットの喧騒も、空港や港やバス停での客引きも、そこらじゅうで交わされている大きな声のおしゃべりも、まったく変わっていない。配車アプリの普及でタクシーの値段交渉が減ったのは大きな変化だが(減っただけで、なくなったわけではない)、日々の生活の中での人々との接し方は基本的に同じである。人と会えば必ずそこでことばが交わされ、コミュニケーションが生まれ、会話が始まる。何というか、放っておいてくれないとでも言えばいいのか、ほんとうにアフリカはにぎやかだ。『おしゃべりなタンザニア』というタイトルの本があるが、これは言い得たタイトルだと思う。まさに「おしゃべりなアフリカ」、そしてこれは、30数年経ってもまったく変わらない、私にとってアフリカの最大の魅力である。
おわりに
12回もあればアフリカ言語のことについていろんなことが紹介できると思っていたのだけれど、書き始めると言いたいことがどんどん出てきて、最初に予定していた12回分の内容が途中からずいぶんと変更になってしまった。アフリカの食べ物やファッション、ことわざや名づけなんかについても紹介したかったし、何よりも私がやっているフィールド言語学やアフリカ言語学の魅力をもっともっと伝えたかったのだけれど、それらに行き着く前に最終回になってしまった。「行き着く前」どころか、フィールド言語学についてもアフリカ言語学についても、その魅力をほとんど何も語れないままの最終回である。そこで、最後に私の恩師の言葉を紹介して、せめてフィールド言語学がいかに必要とされているかをお伝えして、この稿を閉じることにしたい。
世界には、現在、数千もの言語が話されている。そして、その多くは、学界ではまったく知られていないか、宣教師や植民地時代の行政官などによる断片的報告はあっても、言語学者の記述の対象とはなっていないものである。実際、ニューギニアやアフリカでは、多くの言語が言語学者の記述を今や遅しと待っている。(梶1995: 445)
ここまで読んでくださったみなさんに、Asanteni sana! Karibuni Afrika!
参考文献
梶茂樹 1995.「言語調査法」『言語学大辞典 第6巻(術語篇)』
木村映子 1995.『おしゃべりなタンザニア』中日新聞社(東京新聞)
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- 2024年08月20日 『11. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:アフリカの民話 米田信子(大阪大学)』
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アフリカは「無文字社会」と言われている。これは、アフリカには文字がない、というわけではなく、もちろん学校教育では教科書を使うし、作文だってする。WhatsAppも使うし、Facebookの投稿だってしている。文字文化の歴史がないというだけである。私たちは子どものころから本を読むことを奨励されてきた。でも絵本や児童書が一般的ではないアフリカでは、子どもたちにとってお話は読むものではなく聞くものである。今回はアフリカの民話について紹介しよう。
起源を語る民話
ラジオを聞いていたら、動物の研究者が書いた本の話になった。動物のどんなことがわかっていて、どんなことがわかっていないのか、ということをわかりやすく説明してあるらしい。その中から1つ紹介されていたのが、キリンがなぜ鳴かないのか、ということ。これはまだ理由がわかっていないのだそうだ。それを聞いて思わず私は「え!?」と思ってしまった。なぜならKwa nini twiga hana sauti「キリンはなぜ声がないのか?」というスワヒリ語の民話を思い出したからである。
キリンは自分の足と首が長いことをいつもいつも自慢していました。背が高いと見た目もいいし、木の上のほうの柔らかい葉っぱを食べることもできるし、という同じ自慢話を何度も聞かされて鳥やサルたちはもううんざり。そこで、なんとかあいつを黙らせようと、鳥とサルはある日キリンがいつも食べている木の上のほうの葉っぱに鳥もちをしかけました。それを食べてしまったキリンは鳥もちが舌に絡みついて大慌て。何とか取り除こうとがんばってみるも舌を動かすたびに鳥もちが舌にますます絡みついてしまいます。とうとうキリンはしゃべることができなくなりましたとさ。
そう、キリンが鳴かないのは、鳥とサルに仕掛けられた鳥もちが舌に絡みついたからである。キリンが鳴かない理由はまだわかっていないと聞いて、この話を教えてあげたくなった。
アフリカの民話には、このようなものごとの「起源」を教えてくれる民話がいろいろある。なぜカバには毛皮がないのか?とか、なぜ猫はネズミを追うのか?とか、なぜウオーターバックのお尻には白い輪があるのか?とか、その起源として上記のようなお話が語られる。なかにはぶっ飛んでいるのもある。たとえば「なぜ蚊は耳元でぶーんと音を出しながら飛ぶのか?」を教えてくれる民話は「昔、蚊と耳ちゃんはとても仲良しでした」から始まる。これが、蚊とノミは仲良しでした、とかならわかる。蚊とネコくらいでも、まだわかる。でも仲良しなのは蚊と耳である。この2つを並べるあたりからすでにぶっ飛んでいる。「耳ちゃん」というのはスワヒリ語のbinti Sikioを日本語に訳したものだが、bintiは「娘」、sikioは「耳」である。これは「娘の耳」という意味ではなく、耳お嬢さん、すなわち「耳」が人から離れて単独で女性として擬人化されているのだ。耳の持ち主はほったらかしである。
蚊と耳ちゃんはとっても仲良しでした。蚊は、耳ちゃんが大好きだったので、耳ちゃんに求婚することにしました。蚊は結婚の許しをもらいに婚資をもって耳ちゃんの両親のところに行きました。耳ちゃんの両親は蚊と耳ちゃんが仲良しなのを知っていたので喜んでふたりの結婚を許しました。ところが両親からそれを聞いた耳ちゃんは、「私は蚊とは結婚しないわ。あんなやせっぽちは早く死ぬに決まってる。私は未亡人にはなりたくないの」と言って結婚を断りました。ショックを受けた蚊は、それ以来、自分がまだ死んでいないことを耳ちゃんに伝えるために耳元でブーンというようになりました。
蚊が耳元でブーンと不快な音を出すのは耳ちゃんのせいである。高校時代に英語の授業で、意味が分からない単語が出てきたときは前後の文脈から判断するようにと教わったが、これは文脈から単語の意味を推測するのは無理である。sikio「耳」という単語がわからなかったとしよう。蚊が求婚した相手が「耳」だと誰が推測できるだろうか。アフリカの民話で「文脈から判断・推測」はかなりハードルが高い。実はこれ、私がかつて受験したとある重要な試験問題に出ていた民話である。よく合格したものだ。で、耳の「両親」っていったい誰!?
教訓を語る民話
アフリカの民話に限らないが、民話には教訓が含まれているものが多い。登場するのはたいてい擬人化された動物たちである。ここではタンザニアの西南端で話されているマテンゴ語の民話「ウサギとゾウとワニ」を紹介しよう。
ある日、小さなウサギは、自分よりもはるかに強いゾウのところに行って言いました。「ゾウさん、君よりも僕のほうが力持ちだよ。」別なときに今度はワニのところに行って同じことを言いました。「ワニくん、君より僕のほうが力があるよ。」ゾウもワニも小さいウサギを馬鹿にしていたので最初は相手にしませんでしたが、何度も挑発されてとうとう「じゃあ試しに綱引きをしてみよう」というウサギの提案をそれぞれが受け入れました。綱引きの日、ウサギは長~い綱を用意して、綱の一方をゾウに、もう一方をワニに渡しました。もちろんゾウもワニもそんなことは知りません。彼らは綱引きの相手はウサギだと信じていますが、実際にはワニとゾウの綱引きです。なかなか勝負がつかず、ついに両者とも倒れてしまいました。まさかウサギに負けるとは思っていなかったゾウもワニも、その日からウサギを恐れるようになりました。ウサギは力はありませんでしたが、知恵がありました。
マテンゴ語の民話の多くは「知恵のある者が最後に勝利する」という教訓で結ばれる。ウサギは自分ではまったく綱引きに参加していない。しんどい思いをしたのはゾウとワニだけである。ウサギは「ズル」をしたにもかかわらず、このお話はウサギが勝ったところで終わってしまう。連載4回目で紹介した「ウサギとカメレオン」もそうだった。これはカメレオンがウサギとレースをすることになり、走ることに自信のあるウサギはカメレオンを馬鹿にするが、カメレオンはウサギをうまくだまして結局カメレオンが勝利するという話である(第4回参照)。日本の「ウサギとカメ」に似たような話だけれど、努力をしたほうではなくて努力しなかったほうが最後に勝っているところに決定的な違いがある。日本の民話にもずるいやつがよく出てくる。でもコツコツと地道な努力をすることや正直であることが良しとされる日本の民話なら、この後に必ずしっぺ返しが来るはずである。ところがマテンゴ語の民話では「ズル」をした者が勝者として話が完結する。「ウサギとゾウとワニ」でも「ウサギとカメレオン」でも、ズルをしたウサギやカメレオンが物語のヒーローである。しかも、たとえ小さくても力がなくても知恵があれば負けないのだ、という教訓にまでなっている。
その知恵のある者としてしばしば登場するのがウサギである。「ウサギとカメレオン」ではめずらしくウサギのほうがだまされていたが、タンザニアの民話では、マテンゴ社会に限らず、賢い動物はウサギ、愚かな動物はハイエナ、ということになっている。愚かな人間や動物たちをずる賢いウサギが知恵を使ってうまくだますというのが典型的なマテンゴ語の民話である。一方ハイエナは、だまされたり、ふたつのものがどちらも欲しくて悩んでいるあいだにどちらも逃してしまったり、いつも愚かな残念なやつとして登場する。
民話の役割
アフリカ社会では、民話は民族の伝統や価値観・世界観を教える教材だと言われている。上にも書いたように、マテンゴ社会において「知恵がある」ということは何よりも評価される。これはマテンゴ社会に限らず広く東アフリカに見られる価値観である。この「知恵がある」ことを表すスワヒリ語の単語が「ウジャンジャ(ujanja)」である。この単語を日本語に訳すと「ずる賢さ、狡猾さ」のような意味になってしまい、すでに否定的なイメージを与えてしまうが、ウジャンジャは決して否定的なものではなく、むしろ生きる上で極めて重要なものだと考えられている。このウジャンジャが子どもたちに伝えられていくべき価値として多くの民話に組み込まれている。
アフリカはずるいことが良しとされるのか!と思うなかれ。日本の「一休さん」がやっていることだってたいがい「ズル」っぽい。でもあとからしっぺ返しも起きていないし、「知恵がある」一休さんはヒーローである。大阪大学外国語学部が大阪外国語大学だったころからスワヒリ語専攻で伝統的に用いられている教材のひとつに『アブヌアス』というのがある。これは「アフリカ版一休さん」ともいえるようなお話である。たとえば、美味しいお料理の匂いをかいでいたら「匂いをかいで満たされたんだから匂い代を払え」と請求され、コインをばらまいてチャリンという音をさせて「音で支払った」とやり返すなど、アブヌアス君のウジャンジャぶりが各話で発揮されている。生きていくために知恵が必要なのは、世界共通である。
調査をする者にとっても民話は重要な資料である。言語学の調査では民話の収集が欠かせない。もちろんそれは、民話のなかに出てくる語彙や文法を分析することが目的なのだが、言語調査の目的で集めた民話は、その社会の価値観や習慣を知る手掛かりにもなる。民話がその社会の価値観を表していることは上に述べたとおりだが、たとえば「蚊と耳」の話からは、求婚する際には本人よりもまず親のところに許可をもらいにいく、といったこの社会の婚姻に関わる習慣を知ることができる。
かつてテレビや絵本がなかったアフリカ社会では、夕食の前におじいさんやおばあさんが民話を語ってくれていたそうだ。時代が変わって今ではみんなスマホを持っているし、テレビだってある。現在ではかつてのような「牧歌的風景」は見られなくなっているが、知恵があることが何よりも良しとされる価値観はおそらく今でも変わっていない。かつてどの家でもおじいさんやおばあさんが孫たちに民話を語っていた時代とは違い、誰もが民話を語れるわけではない。民話自体は知っていても、それを語ることができない人が多く、調査をするときには「語れる人」を探さなければならない。うまく語れる人はさらに限られる。うまい語り手は、どんな形で登場人物を表現し(連載第4回参照)、登場人物たちにどんな気持ちをこめるかといったこと駆使して聞いている子どもたちを話の中に引き込み,「知恵」の重みを教えるのである。
参考文献
梶茂樹 2012.「アフリカ人のコミュニケーション -音・人・ビジュアル-」『言語研究』142. 米田信子2007.「マテンゴ語の擬人化とイメージ付与」『スワヒリ&アフリカ研究』18.
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- 2024年08月13日 『10. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:調査結果の「ズレ」からわかること 米田信子(大阪大学)』
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「伝統行事ではマテンゴ語を使う」と言いながら伝統行事のチヨダで歌われた歌の歌詞はほとんどがスワヒリ語だった、というのは前回書いたとおりである。言ってることとやってることが違うなんてことはもちろんよくある。別にアフリカに限ったことではなく、どこでだってよくあることで、目くじらを立てるようなことではない。むしろ調査のなかで出てくるこのような「ズレ」はたくさんのヒントや情報を含んでいて、実は「ズレ」も立派なデータである。
使用言語にみる「ズレ」
タンザニアでスワヒリ語の浸透が進んだのは1970年代のことである。浸透はしたが、1980年代にはまだ「学校や役所など公的な場面ではスワヒリ語、家庭など私的な場面では民族語」という使い分けがなされていると言われていた。ところが1990年代になると、スワヒリ語と民族語の使い分けがだんだん曖昧になって家庭内でもスワヒリ語が使われるようになってきたという調査報告が出てくるようになった。それでも最初のうちは、家庭内でスワヒリ語が使われるのは都市部だけで村落部ではまだまだ民族語が主流と言われていたのだが、次第にその状況は地方や村落部にも広がっていった。
マテンゴの人たちがスワヒリ語とマテンゴ語をどのように使い分けているのかという社会言語学調査を私が行ったのは、ちょうどそんな頃である。家庭内の使用言語の調査では、家族の誰と話すときにどっちの言語を用いるか、たとえば、兄弟と話す場合、親と話す場合、祖父母と話す場合にはそれぞれマテンゴ語とスワヒリ語のどちらを使うか、といったインタビューを行った。被験者は、マテンゴ民族しか住んでいないリテンボという「村」とマテンゴ以外の民族も住んでいるンビンガという「町」で50名ずつ、合計100人のマテンゴ人である。年配層(祖父母世代)、中年層(親世代)、若年層(子ども世代)という3つの世代に分けて、それぞれがほぼ同じ人数になるようにした。言うまでもなくインタビュー調査の回答は、「ほんとうのこと」や「事実」というわけではなく、「『ほんとうのこと』あるいは『事実』だと被験者が思っていること」である。しかもそれは調査に協力的な被験者の場合であって、あまり協力的でない被験者の場合には「答えたいように答えている」だけである。だから回答にズレや矛盾が出てきても当然なのだが、それが一番大きかったのが祖父母と孫の回答である。
[1] 調査結果
「あなたは祖父母と話すときにマテンゴ語とスワヒリ語のどちらを使いますか?」という質問に対して、子ども世代の75%が「マテンゴ語」、15%が「マテンゴ語とスワヒリ語の両方」、残り10%が「スワヒリ語」を使っていると答えた。ところが祖父母のほうは「孫たちがあなたと話すときマテンゴ語とスワヒリ語のどちらを使っていますか?」という質問に対して「マテンゴ語」と答えたのは30%であった。75%の子どもたちが自分は祖父母にマテンゴ語でしゃべっているつもりなのに、そう思っている祖父母はたった30%という大きなズレのある結果となった。
祖父母が孫と話すときに使う言語にも同様のズレが出てきた。「あなたは孫と話すときにマテンゴ語とスワヒリ語のどちらを使いますか?」という質問に「スワヒリ語」と答えた祖父母と「スワヒリ語とマテンゴ語の両方」と答えた祖父母がそれぞれ45%ずつ、「マテンゴ語」と答えたのは10%であった。ところが子どもたちのほうは、「祖父母があなたと話すときマテンゴ語とスワヒリ語のどちらを使っていますか?」という質問に対して80%が「マテンゴ語」、残り20%は「スワヒリ語とマテンゴ語の両方」と答えていて、「スワヒリ語」と答えた子どもは皆無であった。祖父母の90%が孫と話すときにはスワヒリ語を、あるいは少なくともスワヒリ語も使っているつもりなのに、孫のほうはまったくそんなふうには感じていないということである。
さてこの「ズレ」からどんなことがわかるだろうか。
[2] 民族語のスワヒリ語化とスワヒリ語の民族語化
上記の「ズレ」から考えられること、まず1つは、どちらの言語ももう一方の言語からかなり影響を受けているということである。つまり、子どもたちが使っているマテンゴ語はスワヒリ語の影響を受けて「スワヒリ語的」になっていて、年配層にはもはやそれが「マテンゴ語」には聞こえない。同様に、年配層が使っているスワヒリ語はマテンゴ語の影響を受けて「マテンゴ語的」になっていて、子どもたちにとってそれは「スワヒリ語」には聞こえないのである。スワヒリ語の影響を受けたマテンゴ語というのが具体的にどういうものなのかを示すちょうどよい例が見つからなかったので、ここでは代わりにベナ語の例を見てもらうことにしよう。ベナ語はマテンゴ語と同じくタンザニア西南部で話されているベナ人の言語である。ベナ人の女性に朝起きて何をするかをベナ語で語ってもらい、それを書き起こしたものである1)。19語の短いベナ語の発話のなかの11語がスワヒリ語の単語だった。太字のところがスワヒリ語である。
Ndikaláv’ lúleenga, ndifyaagili luváánza, ndifyagili nyumba. Ndichemsh’ lúleenga, nditeng’ isufulia, ndidzemha nditeleh’ ndisang’ ugali, nachukua maji. Nanááwa na kula.
「私は水を汲んできて、庭を掃いて、家を掃く。次はお湯を沸かす。アルミ鍋を(かまどに)かけて、お湯を沸かして(粉を)こねてウガリを作る。それからお水を汲んで手を洗って(ウガリを)食べる」(Kutsukake and Yoneda 2019)
この発話をしたベナ人はひょっとしたら外国人の調査者を前にして緊張していたのかもしれないが、マテンゴ語でもベナ語でも、特に若い人の民族語の発話にこれくらいスワヒリ語の単語が混ざることは決して珍しいことではない。上記の発話は文法的にはベナ語だし、スワヒリ語の単語もベナ語的なアクセントで発音されるため、たとえスワヒリ語の単語が全体の半分以上だったとしても、これはスワヒリ語には聞こえない。でも年配のベナ語話者にとってはベナ語にも聞こえないのだろう。
私が初めてマテンゴ語の調査をしたときに協力してくれたのは20代の女性だった。彼女からマテンゴ語の単語を2,000語くらい集めたのだが、後になってそのうちの1/3以上が実はスワヒリ語の単語だったことがわかった。そのくらい無意識にスワヒリ語の単語がマテンゴ語に入ってしまうのである。マテンゴ語にはスワヒリ語からの借用語がたくさんある。生活の現代化に伴ってその数はますます増えている。ところが、そういう借用語だけでなく、マテンゴ語に同義の単語があったとしてもスワヒリ語の単語が頻繁に用いられる。日本語にやたらと英単語を混ぜてしゃべる人もいるけれど、別にあんなふうにイキってスワヒリ語の単語を使っているわけではない。無意識である(日本語にやたらと英単語を混ぜる人も無意識なのかもしれないが)。そしてそれは「コードミックス」といったことではなく、それこそが今の彼らの「マテンゴ語」なのだ。近年マテンゴの人たちは、スワヒリ語の影響を受けてスワヒリ語の単語をたくさん取り入れたマテンゴ語をSamatengo cha kisasa「今風のマテンゴ語」、年配層が使うような昔ながらのマテンゴ語をSamatengo cha ndani「ディープなマテンゴ語」と呼んで区別している。ちなみにこのkisasa「今風」もndani「奥・中」もスワヒリ語である。
[3] 意識する言語としない言語
このズレから考えられるもう1つのこと、それはどちらの言語を使うことが人々にとって「あたりまえ」なのか、ということである。いつもマテンゴ語を使っている年配層の人たちにとってマテンゴ語を話すことはあたりまえすぎて、おそらくほとんど意識せずに使っていると思う。一方、スワヒリ語は年配者たちにとって母語ではなく学習した言語であり、無意識に使うような言語ではない。ところが若者にとってはまったく逆である。子どものころから家の中でも外でもスワヒリ語を使って育ってきた彼らにとってはスワヒリ語のほうが意識せずに使っている言語である。マテンゴ語は、「さぁマテンゴ語を使うぞっ!」っていうほど力む必要はないかもしれないが、それでも「おじいちゃんたちにはマテンゴ語を使わなきゃ」とおそらく意識しながら使っていると思う。意識せずに使っている言語はそもそも「使っている」ということを意識していないわけだから、「使っている」ことを意識するのは意識して使っているほうの言語だけである。なんだか回りくどい言い方になってしまったが、要するに、子どもたちがマテンゴ語を使うときは「使っている」と意識するために実際以上に使った気になるし、年配者たちはスワヒリ語を使うと実際以上に使った気になる。これも、おそらく祖父母と孫の回答の「ズレ」の一因だろう。
言語意識にみる「ズレ」
もうひとつ調査で出てきた「ズレ」を紹介しよう。調査では「マテンゴ語を話せることはマテンゴ人にとって重要ですか」という質問もしてみた。その結果が表1である。
| 年配層 | 中年層 | 若年層 |
町 | 村 | 町 | 村 | 町 | 村 |
はい | 78 | 100 | 55 | 73 | 92 | 66 |
いいえ | 22 | 0 | 45 | 27 | 8 | 34 |
計 | 100 | 100 | 100 | 100 | 100 | 100 |
表1. 「マテンゴ語を話せることはマテンゴ人にとって重要ですか」に対する回答(%)
「はい」の答えが最も多かったのは村の年配層、つまり一番マテンゴ語を使っている人たちである。村に住む年配層は100%の人が「マテンゴ語を話せることは重要だ」と答えている。この人たちにとってマテンゴ語は生活言語であり、マテンゴ語を話せるというのは生活に欠かせないことである。彼らがマテンゴ語を話せることを重要だと考えていることは十分に理解できる。予想どおりの結果である。ところが、その次に「はい」の答えが多かったのは町の若年層、つまり村の年配層とは対極の最もマテンゴ語を使わない人たちである。先に書いたようにスワヒリ語が家庭内にも浸透してきたのは1990年代である。したがって、それまでに子ども時代を過ごした世代はマテンゴ語を家で習得している。ところが今の子どもたち、特に町で育った子どもたちは家庭内でマテンゴ語を十分に習得していないケースがほとんどである。町に住むマテンゴの若者の半数以上が「マテンゴ語は聞けば理解できるけれどあまり話せない」レベルであるという調査結果も出ている。つまり町の若者たちは、マテンゴ語を使わないだけでなく十分に使いこなせないということである。にもかかわらず90%以上が「マテンゴ語を話せることは重要だ」と答えている。
この「ズレ」からわかるのは、マテンゴの人々にとって「マテンゴ語が話せること」が持つ価値は少なくとも実用性だけではないということである。マテンゴ語が日常語である村の年配層にとってはマテンゴ語に実用的な価値があるかもしれないが、それ以外の人にとっては、マテンゴ語はむしろ「実用的」の真逆である。もちろん町の若者たちもマテンゴ語に実用性なんて求めていない。マテンゴ語が話せることを重要だと思う気持ちは、おそらくマテンゴ人のアイデンティティのような思いから来るのだろう。興味深いことに、彼らは「マテンゴの伝統はマテンゴ語でなければ説明できない」みたいなことも私に語ってくれた。一方、我が子のマテンゴ語のレベルを冷静に把握している親たちは「スワヒリ語を使わないと子どもたちには文化も伝統も伝えられない」と言っているのだけれど。
注1) 録音をしたのも書き起こしたのも私ではなく私が指導教員をしていたかつての大学院生である。
参考文献
Kutsukake, Sayaka and Nobuko Yoneda 2019. ‘Contact-induced language divergence and convergence in Tanzania: Forming new varieties as language maintenance.’ Swahili Forum, 26.
Yoneda, Nobuko 2010. ‘"Swahilization" of ethnic languages in Tanzania: The case of Matengo.’ African Study Monographs, 31(3).
米田信子1997.「民族語に対するタンザニアの言語政策」『スワヒリ&アフリカ研究』7.
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- 2024年08月06日 『9. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:アフリカの「伝統」 米田信子(大阪大学)』
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アフリカの人たちは「伝統」が好きだ。調査のときに「これが私たちの伝統」とか「我々の伝統では」とちょっと自慢気に話してくれることがしょっちゅうある。と言っても、私がフィールド調査のために長く住み込んだことがあるのはタンザニアのマテンゴ社会とナミビアのヘレロ社会くらいなので、もちろん「アフリカの人たちは」なんて大きく語れるほど広く知っているわけではないのだけれど、それでも他のアフリカ研究者たちの話を聞いてみると、マテンゴ人とヘレロ人が特に例外的に伝統好きというわけでもなさそうだ。ただし彼らが言うtraditionとかmila(スワヒリ語で「伝統」の意)というのは、我々が想像する「伝統」とはちょっと異なっていたりもする。今回は言語学からはちょっと離れるけれど、マテンゴ社会とヘレロ社会の「伝統」のなかで一番よく聞かされたものをひとつずつ紹介しよう。
マテンゴの「伝統的」なダンス
タンザニアでは、スワヒリ語普及率ほぼ100%と言われているほど全国的にスワヒリ語が普及している。タンザニアには120以上の民族語があるが、ほとんどのタンザニア人が自分たちの民族語だけでなくスワヒリ語も話せる。若い世代になるとスワヒリ語のほうが第1言語になっている人も少なくない。多言語社会のアフリカ諸国においてひとつの言語がこれだけ広く普及しているのはかなりめずらしいことである。私の研究対象であるマテンゴ語の話者たちも同様で、ごく一部の年配者を除けば、みんなスワヒリ語を話す。
大学院生のとき、マテンゴの人たちがスワヒリ語とマテンゴ語をどのように使い分けているのかという社会言語学調査を行った。その一環として伝統行事での使用言語を調査することになったのだが、そのときにマテンゴの伝統行事として誰もが勧めてくれたのが「チヨダ(Chiyoda)」だった。チヨダは、男性たちが叩く太鼓に合わせて女性たちが歌いながら踊るパフォーマンスである。歌の内容は、農作業を鼓舞する歌、収穫の喜びを表す歌、亡くなった人に捧げる追悼の歌などさまざまだ。各町内(のような単位)にチヨダを踊るチームがある(連載第1回で私がダンスチームに入っていたことがあると書いたが、それはこのチヨダのチームである)。チヨダが女性のダンスであるのに対し、男性にも「ンガンダ(Nganda)」と呼ばれるダンスがある。こちらは太鼓を叩くのも踊るのも男性で、「リグブ(ligubu)」と呼ばれるひょうたんでできたカズーのような楽器を吹きながら踊る。ンガンダには歌らしい歌がないので私の調査対象としては誰も候補にあげなかったが、これもチヨダと並ぶマテンゴ社会の「伝統」の踊りである。雨季が終わった6月からコーヒー豆の収穫で忙しくなる8月中旬までは農閑期で、人々はこの時期を使ってチヨダとンガンダを楽しむ。週末にはいつもどこかでチヨダやンガンダの大会が開かれ、いくつものチームがダンスを披露しあう。まずチヨダのシーズン。週末が近づくと、今週はどこそこの村でチヨダがある、という話題になる。チヨダには観客もたくさん集まるし、遠くの村から参加するチームもある。屋台が出たりしてとても盛り上がるマテンゴ社会の一大イベントである(それが毎週末開催されるというのはなかなかなエネルギーである)。
さて、その「伝統」のチヨダで歌われた歌の歌詞は何語だったか。「スワヒリ語を使うこともあるけれど、でもチヨダはマテンゴの伝統だからみんなマテンゴ語で歌うよ」と事前に村の人たちから聞かされていた。誰に聞いても同様の答えが返ってきていた。ところが実際には、私が録音した25曲のうちマテンゴ語で歌われていたのは1曲だけであった。スワヒリ語の歌にマテンゴ語の掛け声がはいっていたのが5曲、残りの19曲の歌詞はすべてスワヒリ語だった。日常言語にとどまらず、民族語の使用領域の「最後の砦」とも言える「伝統行事」にもスワヒリ語はすっかり浸透していた。
チヨダを踊るときの衣装も興味深い。チームのメンバー全員がおそろいの布で作ったブラウスとスカートを着て、足元はスニーカー、首からホイッスルをぶら下げる。ここまではみんなおそろいだが、それ以外は各自がキャップをかぶったり、刺繍がしてあるテーブルセンターを持ったり、サングラスを掛けたり、できるだけ「現代的」なものを身につけることになっている。これがチヨダの衣装である。観光パンフレットやガイドブックで見かけるような、羽飾りや腰みのをつけて踊るチームはひとつもない。
「伝統行事」と聞いて誰もが最初に思い浮かべるくらいチヨダはマテンゴの人たちにとって重要な伝統行事である。しかしながら、実はチヨダの起源はマラウィ湖沿岸にすむニャサ民族にあると言われており、マテンゴに限らず周辺の民族はみんな踊っている。そもそも「チヨダ(Chiyoda)」という名前からしてマテンゴ語らしくない。「チ(chi)」という音はマテンゴ語にはない。スワヒリ語やニャサ語のchiという音はマテンゴ語では「キ(ki)」となる。またマテンゴ語ではdの音はnの後ろにしか出てこない。それ以外の環境ではlで現れる。したがって「ダ(da)」はマテンゴ語の音韻的には「ンダ(nda)」もしくは「ラ(la)」のはずある。調査協力者の長老は「そういえば昔は『キホラ(Kihola)』と呼んでいる人もいた気がする」と言っていたが、少なくとも私が最初に調査をした30数年前からはみんな「チヨダ」と呼んでいて、「キホラ」と呼んでいるのは聞いたことがない。
チヨダの季節がそろそろ終わりに近づいてきたころにンガンダが始まる。チヨダと同じく週末にはいろんなところで大会が開催される。ンガンダの衣装は、白い長袖カッターシャツと白い短パン、短パンの下には黒色か赤色のタイツという姿である。こちらのほうもチヨダと同じく、サングラスを掛けたり、キャップをかぶったり、ラジカセ(私が調査をしたのは20世紀末)や蛍光灯を担いだり、とにかくできるだけ「現代的」なものを身につけるのが良しとされる。最近はンガンダを見に行けていないのだが、今ならみんなスマホを手に持っているに違いない。ンガンダのほうも、マテンゴ人に限らず周辺の他民族に広く見られるパフォーマンスである。そして、どの民族のンガンダでもチームメンバーには「オフィサー」とか「司令官」のような植民地時代のドイツやイギリスの軍隊を真似た役が振り当てられている。
このように、彼らが「伝統」と呼んでいるチヨダもンガンダも、その起源はマテンゴ民族ではない。でも起源なんて関係ないのだ。たとえ周辺の人たちがみんなやっていようが、独自のものでなかろうが、歌が全部スワヒリ語に取って替わろうが、ヨーロッパの軍隊を真似ていようが、とにかく「自分たちのもの」と思っているものは彼らの「伝統」である。しかも特に古い歴史があるというわけでもない。「伝統」が必ずしも古くから受け継がれたものだとは限らないというのは日本の「伝統」も同じだが、それだけでなくマテンゴの場合はむしろどれだけ新しいものを取り入れるかが重視されている。
ところがそれだけ新しいものを取り入れている一方で、次の世代に継承するためにベテランチームのリーダーたちが子どもたちにチヨダの指導をするChiyoda cha chipukizi「新芽のチヨダ」という活動が行われていたりもする。つまり、どんどん新しいものを取り入れることを良しとしながらも、継承してかなければならない「保持すべきこと」もあるのだ。そしてそれがあるからこそ、チヨダもンガンダも彼らが誇る「伝統」なのだろう。それがどの部分なのかを理解するには、残念ながら私のチヨダのダンスチームでの修行の期間は短すぎた。
ヘレロの「伝統的」な衣装
連載第5回でも紹介したように、ヘレロ語は、ヘレロ人だけでなく、vevarasanaでちょっと有名になったヒンバの人たちの言語でもある。ヘレロ語を話すヘレロ人1)とヒンバ人はどちらも女性の装いが特徴的である。
ヒンバの女性たちは、上半身は裸で、腰には皮でできたエプロンのような腰布を巻き、頭には皮の飾りをつけている。乾燥や虫から肌を守るために頭から足の先まで赤土と油脂の混ぜ物を塗っているので全身が赤茶色一色である。かつてはナミビア北西部に位置する彼らの村でしか見かけなかったが、最近ではウィンドフックのお土産屋さんでもこのスタイルのヒンバ人たちがお土産を売っているのをよく見かけるようになった。ただしあまり熱心に商売をしている様子はないので、おそらく自分たちの写真を撮る観光客に支払ってもらう「モデル料」が主な収益なのだろう。このヒンバ人のスタイルは、ナミビアのガイドブックなどで必ず「伝統的」とか「プリミティブ」といった形容とともに紹介されている。でも、ここで紹介したいのはこのヒンバの装いではなく、ヘレロの衣装のほうである。
ヘレロの女性たちの衣装はヒンバとは対照的に西洋風のドレスである。ドレスは丈が地面まであり、胸元のすぐ下からスカート部分が大きく広がっている。スカートを膨らませるために下には十二単さながらに何枚ものペチコートを重ねている。そして頭には横長帽子をかぶる。ナミビアはナミブ砂漠とカラハリ砂漠に囲まれた乾燥地帯で、舗装されていない道は砂ぼこりだらけだ。そこを、ドレスの裾が汚れてしまうことなどまったおくお構いなしに、ゆっさゆっさとスカートを大きく揺らしながら歩く。このドレス、着るのも歩くのも洗濯するのも大変な重労働であるが、ヘレロ人自慢の「伝統衣装」である。
日常的に着るドレスにはいろんな色や柄のものがあるが、正装は赤いドレス2)に黒い上着と決まっていている。対する男性の正装はドイツ軍の軍服を真似たものである。毎年8月末にはナミビア中央に位置するオカハンジャという町でヘレロの一大イベントがある。これはドイツ植民地軍に反乱を起こしたヘレロの英雄サミュエル・マハレロを記念する式典で、このイベントにはナミビアだけでなく隣国ボツワナからもヘレロ人がオカハンジャに集まってくる。「伝統衣装」をまとったヘレロ人が一堂に会し、マハレロの墓地まで行進する光景は壮観である。
ヘレロのドレスは19世紀のドイツ人宣教師の妻たちの服を真似たものだと言われている。男性の「伝統衣装」に至ってはそのままドイツ軍の軍服風である。いずれも我々が想像するアフリカの「伝統的な衣装」とはほど遠い。だけど、やっぱりここでも起源なんてどうでもいいのだ。「自分たちのもの」であれば、それは彼らの「伝統」なのである。特に女性のドレスは、たとえドイツ女性の服がヒントになっていても、スカートを大きく膨らませることも横に突き出した帽子をかぶることもヘレロのオリジナルである。ドイツ軍に反乱を起こしたマヘレロの記念日にドイツのドレスと軍服を真似た衣装を着てマヘレロの墓参りをするってどうなん?と思わなくもないが、それさえも自分たちの「伝統」に取り込んでしまえる度量の大きいヘレロ人である。
ところで、ヘレロのドレスはかなり特徴的であるが、ヘレロ語にはこのドレスを表す固有の単語はない。特別な名前がつけられているのは横に突き出た帽子のほうである。これは牛の角を模したもので、ドレスを着るときには、たとえ家の中にいるときでも必ずこの帽子をかぶる。ヘレロ語でこの帽子は「オシカイヴァ(otjikaiva)」と呼ばれ、伝統衣装を身に付けることは「オシカイヴァを運ぶ(okuzara otjikaiva)」と表現される。牧畜民であるヘレロ人にとって牛はとても大切で特別な存在である。女性たちは牛の角を模した横長帽子をかぶり、牛のようにゆったり優雅にスカートを揺らしながら歩いて「オシカイヴァを運ぶ」のである。ヘレロ語の調査協力者のお母さんが私のためにオシカイヴァとドレスのセットを作ってくれた。これは大変に名誉なことで大感激だった。しかしながら日本ではまだ一度も着る機会がない。
注1) 「ヘレロ」と呼ばれる人たちの中には自分たちを「ンバンデル人」と呼ぶ人たちがいる。主にボツワナに住む人たちである。ただしヘレロ人とンバンデル人の「伝統衣装」は同じドレスなので、ここでは区別せず「ヘレロ人」とする。
注2) ンバンデルとヘレロは言語も普段の服装も生活スタイルも同じだが、唯一異なるのが女性の正装である。正装の際のヘレロ人のドレスは赤色、ンバンデル人のドレスは緑色である。
参考文献
米田信子2012.「ヘレロ語を話す人びと -ヘレロ人とンバンデル人―」『ボツワナを知るための52章』明石書店
米田信子2016.「ヘレロ語を話す人々」『ナミビアを知るための53章』明石書店
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- 2024年07月30日 『休載のお知らせ』
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今期の連載は期間中に13回火曜日があるため、今週は中休みをいただきます。暑い日が続きますが、来週以降の連載の更新にもご期待ください。(野口)
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- 2024年07月23日 『8. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:バントゥ諸語の時空間と親族名称 米田信子(大阪大学)』
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文法や語彙の調査をすると、その言語(あるいはその話者たち)がものごとをどのように捉えているのか、連続するものをどのようにグルーピングしているのか、ということが見えてくる。ここではその代表格とも言える「時空間」と「親族」について紹介する。
時空間
[1] 「前」と「後ろ」
バントゥの世界では、未来が「前」、過去が「後ろ」である。こう書くと、そりゃそうでしょ、と思うかもしれない。では、「火曜日は月曜日の『前』である」というのはどうだろう。すぐに納得できるだろうか。バントゥ諸語では「前」は未来なので、「前の日」というのはこれからやってくる未来の日、つまり日本語の「後日」のことである。スワヒリ語のmbele「前」とnyuma「後ろ」は、空間的な前後だけでなく、時間的な前後にも用いることができる。このこと自体は日本語でも同じだが、時間的な前後に用いる場合にはスワヒリ語と日本語では逆になってしまう。
(1) | a. | mbele | ya | nyumba |
| | 9.前 | 9.の | 9.家 |
| | 「家の前」 |
| b. | siku | za | mbele |
| | 10.日々 | 10.の | 9.前 |
| | 「前の日々=これからの日々」 |
火曜日は月曜日のmbele「前」、月曜日は火曜日のnyuma「後ろ」というのは、カレンダーを双六のように見立てればまだなんとか理解できるかもしれない。だが「ピリオドの位置は文のmbele『前』」になると、スワヒリ語の授業で学生たちがもう完全に混乱してしまう。スワヒリ語では、未来、すなわち時間的に新しいことのほうがmbele「前」である。いちばん最後に書くピリオドは時間的にいちばん新しく書くものであり、文のmbele「前」ということになるのだ。このような捉え方はスワヒリ語に限らずバントゥ諸語に共通して見られる。
[2] 過去
未来や時間的に新しいほうが「前」、過去や時間的に古いほうが「後ろ」というのはバントゥ諸語で共通しているが、「未来」や「過去」をどのように区切っているか、ということについてはバントゥ諸語のなかにもバリエーションがある。たとえばスワヒリ語には過去形が1つしかない。昨日のことでも先週のことでも去年のことでも過去は過去で、同じ過去形で表される。ところがヘレロ語では、発話時からどのくらい時間が遡るかによって「過去」は4つに区切られている。
(2) | a. | omutí | wáwiré | péhi. |
| | 3.木 | 倒れた | 下 |
| | 「木が(今日)倒れた。」 |
| b. | omutí | wáwíríré | péhi. |
| | 「木が(昨日以前に)倒れた。」 |
| c. | omutí | wawíra | péhi. |
| | 「木が(ずっと前に)倒れた。」 |
| d. | omutí | wawiríre | péhi. |
| | 「木が(ずっとずっと前に)倒れた。」 |
(2)はヘレロ語の4種類の過去形である。(2a)は発話当日に起きたできごとを表す場合に用いられる当日過去形である。それ以外は厳密に何週間前とか何か月前とか決まっているわけではなく、どのくらい古いできごととして話者が捉えているかによって使い分けられる。(2b)は昨日以前だが、それほど古くない「最近の過去」、(2c)はかなり古いできごと、(2d)はさらにそれよりも古いできごととして捉えている場合である。このような「過去」の時間的区分は多くのバントゥ諸語に見られる。2~4つの区分であることが多い。
[3] 未来
「未来」についても、スワヒリ語には未来形が1つしかない。したがって、明日のことでも1年先のことでも、同じ未来形が用いられる。ところが、バントゥ諸語のなかには「近未来」と「遠未来」のような区分をする言語がたくさんある。たとえば、マテンゴ語では「近未来」と「遠未来」の2つ、ケニアで話されているギクユ語では「近未来」、「中未来」、「遠未来」の3つに「未来」が区切られる。これらは単に発話時からの時間的距離が近いか遠いかというだけでなく、実現の見通し、シーズン、イベントの規模などさまざまな要素が関係してくる。
マテンゴ社会の主な換金作物はコーヒーで、8月の後半は子どもも大人も家族総出でコーヒーの実を収穫する。8月はたいていマテンゴ語の調査でリテンボ村に行っていたので、私も毎年コーヒー収穫に駆り出されていた。コーヒーの収穫が終われば次のシーズンが始まるわけだが、今シーズンのことであれば、何か月も先のことであっても「近未来」が用いられる。反対に、次のシーズンのことであれば、来月のことでも「遠未来」になる。
(3) | a. | nkɔngu | agôː | gu-í-pambika | matúnda | gíngi. |
| | 3.木 | この3 | SM3-未来-実る | 6.実 | 6.多い |
| | 「(来シーズン)この木はたくさんの実をつけるだろう。」 |
| b. | nkɔngu | agôː | ngití | gu-pambika | matúnda | gíngi. |
| | 3.木 | この3 | 未来 | SM3-実る | 6.実 | 6.多い |
| | 「(今シーズン)この木はたくさんの実をつけるだろう。」 |
(3)は、どちらの文も「この木はたくさんの実をつけるだろう」という意味だが、遠未来形が用いられている(3a)のほうは来シーズンの話、近未来形が用いられている(3b)は今シーズンの話である。ギクユ語の「近未来」もこれに似ている。ギクユ語の近未来形は発話直後のことにも用いられるが、それだけでなく、発話時と同じシーズンのことであれば発話時からの時間的距離がかなり遠いことを表す場合にも用いられる。たとえば、その年のクリスマスのことを話す場合には、それを話しているのがたとえ2月や3月だったとしても、「今年のクリスマス」は今シーズンなので「近未来」である。
親族名称
話はガラッと変わって、次は親族名称の話。これもグルーピングの話では触れずにはいられないトピックである。
バントゥ諸語の世界に入ると、私には父や母がたくさんいることになる。日本では、私の父の兄弟は「おじさん」である。ところがバントゥ諸語の世界ではこれらはみんな「お父さん」になる。同様にお母さんの姉妹もみんな「お母さん」である。要するに、お父さんとお母さんの同性のきょうだいは、それぞれすべて「お父さん」と「お母さん」である。じゃあ「おじさん」と「おばさん」は?ということになるが、「お父さんの姉妹」が「おばさん」、「お母さんの兄弟」が「おじさん」、つまり両親の異性きょうだいのことを指す。この仕組みをよくわかっていなかった頃、「え、ノブコはお父さんがひとりしかいないの!?」と驚かれ、こっちのほうが驚いたことがある。
「お父さん、お母さん、おじさん、おばさん」の区分についてはバントゥ諸語で共通しているのだが、「きょうだい」の分類は、バントゥ諸語のなかにもいくつかのバリエーションが見られる。表1はスワヒリ語とヘレロ語とマテンゴ語の「きょうだい」の呼び方を示したものである。
表1: スワヒリ語・ヘレロ語・マテンゴ語の「きょうだい」
| スワヒリ語 | ヘレロ語 | マテンゴ語 |
自分の性別 | 男 | 女 | 男 | 女 | 男 | 女 |
年上 | 兄 | kaka | erumbi | omutena | mbeli | nhasa |
姉 | dada | omutena | erumbi | ndombu | mbeli |
年下 | 弟 | mdogo | omuangu | omutena | nnuŋuna | nhasa |
妹 | omutena | omuangu | ndombu | nnuŋuna |
スワヒリ語では、自分よりも年上なのか年下なのか、ということに加えて、年上の場合には性別が区別されている。「お兄さん」はkaka、「お姉さん」はdada。ここでは自分の性別は関係ない。ところがヘレロ語やマテンゴ語では自分の性別が関係してくる。ヘレロ語では、自分と同性のきょうだいについては自分よりも年上か年下かの区別がある。erumbiというヘレロ語の単語の日本語訳は、男性にとっては「お兄さん」になるし、女性にとっては「お姉さん」になる。omuanguは男性にとっては「弟」、女性にとっては「妹」である。異性のきょうだいについては、年の上下は関係なくひとまとめにomutenaなる。したがって区別は、「同性の年上のきょうだい」、「同性の年下のきょうだい」、「異性のきょうだい」の3つである。マテンゴ語も自分と同性のきょうだいについてだけ年上と年下を区別する。男性にとっての「お兄さん」と女性にとっての「お姉さん」はmbeli、男性にとっての「弟」と女性にとっての「妹」はnnuŋunaある。ここまではヘレロ語と同じ区別である。しかしながら、マテンゴ語では異性のきょうだいの呼び方が男性と女性で異なっている。男性にとって姉妹はndombu、女性にとっての兄弟はnhasaとなる。したがって区別は、「同性の年上のきょうだい」、「同性の年下のきょうだい」、「異性の兄弟」、「異性の姉妹」の4つに区別されている。呼び名に区別がない場合でも、修飾語をつけることで、もちろん区別することはできる。英語でelder sisterとかyounger brotherとかいうのと同じである。
親族名称には村で生活するなかでいつも苦労させられた。マテンゴ語の調査地であるリテンボ村にはゲストハウスのようなものはないので、マテンゴ語の調査をするときはリテンボの村人の家に住まわせてもらっていた。ホストファミリーの家族構成は、(日本語で言うところの)お父さんとお母さん、子どもが5人、それから長女の息子1人、8人家族である。だが、常にいろんな人が出入りしているし、食事のときにはいつも誰かしら知らない人がいる。私の知らない人が家に来るたびにその人がどういう人なのかをお母さんが説明してくれるのだが、これがまた難しい。「隣に住んでる○○さん」のようなわかりやすい説明であることは、まずない。たいてい「誰々のお兄さんの奥さんのいとこが彼女の夫の弟で」みたいな、まるで私の語彙力が試されているかのような説明をしてくれる。これは何度聞いても覚えられない、というか、そもそも正確な関係がぜんぜん理解できない。各タームがどういう関係を指すのか、表1のようなものを頭で描いているうちにまったくついていけなくなる。「で、名前は?」とたずねると、「ママ・ジータ(Mama Jita)」とか「ババ・ジータ(Baba Jita)」といった呼び名が返ってくる。これは「○○(という子どもの)お母さん」とか「〇〇(という子どもの)お父さん」という意味で、「ママ・ジータ」なら「ジータのお母さん」ということになる。こちらとしては最初からその情報だけで十分なのだが....。
さて、「ママ(Mama)」というのは女性に対する敬称でもある。現在タンザニアの大統領はSamia Suluhu Hassanという女性だが、彼女はみんなに「ママ・サミア(Mama Samia)」と呼ばれている。私は大学院生のときは村で「ダダ・ノブコ(Dada Nobuko)」と呼ばれていた。「ダダ(Dada)」とは「お姉さん」(表1参照)の意味なので「ノブコ姉さん」みたいな感じである(表1参照)。ところがあるときから「ママ・ノブコ(Mama Nobuko)」と呼ばれるようになった。ちょうど博士号を取ったころである。博士号を取ったことなんて村の人たちは知らないだろうから単に老けてきたということだったのかもしれないが、私も敬称をつけてもらえるようになった。
参考文献
Leakey, L. S. B. 1978 First Lessons in Kikuyu. Nairobi: Kenya Literature Bureau.
米田信子2006「マテンゴ語における『現在』と『未来』―2種類の時間境界」『言語に現れる「世間」と「世界」』くろしお出版.
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- 2024年07月16日 『7. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:バントゥ諸語の情報構造 米田信子(大阪大学)』
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今週も、先週に引き続き私がこれまで取り組んできた個別テーマのひとつを紹介する。今回はバントゥ諸語の情報構造について。「わかりやすく」というのを念頭に置いて書いているつもりなのだけれど、つい論文のようになってしまったり、説明がくどくなってしまったりしてしまう。特に先週や今週のように自分の専門ど真ん中のことになると、どうしても深入りして、わかりにくい(要するにおもしろくない)話になってしまいがちである。できるだけそうならないようにがんばってみるので、今週もお付き合いいただきたい。
情報構造とは?
「情報」というとなんだか理系のお話のような印象だが、言語学の話である。私たちは、メッセージを効果的に伝達するために、相手がすでにどんな情報を持っているのか、自分と相手とのあいだでどんな情報が共有されているのか、といったことを考慮する。いわゆる旧情報・新情報というやつである。難しく聞こえるかもしれないが、たとえばあなたが本を読んでいるときに誰かが隣りにやって、「おもしろそうな本だね」と声を掛けたとしよう。それに対するあなたの応答としてどちらが自然だろうか。あるいは「ねえねえ、昨日何買ったの?」と声をかけてきたのであれば、どうだろうか。
(1) | a. | この本ね、昨日買ったの。 |
| b. | 昨日ね、この本を買ったの。 |
日本語母語話者ならおそらく、前者の場合は(1a)、後者の場合なら(1b)と答えるだろう。(1)の2つの文は、「今読んでいる本を(声を掛けられた)前日に買った」という同じ情報を含んでいるが、どの情報を新情報(あるいは旧情報)として扱うか、という情報構造は異なっている。あまり意識していないかもしれないけれど、私たちは(1a)や(1b)のような文を普段から使い分けている。そうでなければ、ちょっとへんなヤツ、ということになってしまうかもしれない。まぁそれも悪くないかもしれないが。
情報構造でよく取り上げられるのが「主題」と「焦点」である。すごくざっくりとした説明だが、主題というのは、何かについて述べる場合の「何」にあたるもの、つまりコメントの対象であり、会話の前提でもある。たとえば、みんなでマリアについて話しているときの「マリアは来たよ」という発話のなかの「マリア」は旧情報であり、主題である。一方、「誰が来たの?」に対する応答であれば、「マリアが来たよ」となる。この場合の「マリア」は新情報であり、焦点である。こんな具合に、同じ「主語」という文法役割の要素でも、それが主題の場合もあるし、焦点の場合もある。ただし主題や焦点は、必ず文中にあるというわけではなくて、主題も焦点も持たない“平らな”文というのもある。空を見上げて、ただ漠然と「あ、鳥が飛んでる」と声にしてみる場合とかである。それを中立叙述文という。日本語の場合、焦点は形態的に特にはマークされないが、主題のほうは「は」でマークされる。そこで、主題とか焦点とか言われてもよくわからないという人は、例文の日本語訳に注目してほしい。少なくとも次にあげる例に関しては、日本語訳が「~は」となっていれば、それは主題である。日本語訳が「~が」となっている場合は、必ずしも焦点というわけではないが(中立叙述文の場合もある)、少なくとも主題ではない。ということで、以下のマテンゴ語の主題の話やバントゥ諸語の焦点の話では、日本語訳を見れば、主題かそうでないかという区別がつく。
マテンゴ語の主題
マテンゴ語の主題というのは、私がこれまで最も長いあいだ取り組んできたテーマである。なので、この連載でもいちばん取り上げたいテーマなのだけれど、いちばん深入りしてしまいそうなテーマでもあるので、特徴的なところだけ紹介する。
マテンゴ語では、主題は動詞の前に置くのが決まりである。マテンゴ語も含めてバントゥ諸語の基本語順はSVOなのだが、マテンゴ語ではその基本語順よりも「主題は動詞の前」という決まりのほうが優先される。
(2) | a. | Amábu | dʒu-kádʒwi | kibéga |
| | 1.母 | SM1-割った | 7.土鍋 |
| | 「母が土鍋を割った。」 |
| b. | Kibéga | dʒu-kádʒwi | amábu |
| | 7.土鍋 | SM1-割った | 1.母 |
| | 「土鍋は母が割った。」 |
(2a)は基本語順のSVO、(2b)は目的語の「土鍋」を文頭に置いてOVSの語順になっている。動詞はどちらも語頭に1クラスに呼応する主語接辞(SM)が付いているので、主語はどちらも1クラスのamábu「母」である(「主語接辞って?」と思った人は第5回の動詞の回を参照のこと)。「昨日さあ、ママが大事な土鍋割っちゃったんだよね~」みたいな場合には(2a)の基本語順が使われるが、誰かに土鍋のことを尋ねられた場合、たとえば友だちと鍋パーティーをすることになったから土鍋を買いに行く、というあなたに対して友だちが「え?土鍋持ってなかったっけ?」と言ったような場合である。その場合、目的語の「土鍋」は共有されている旧情報なので、主題として文頭に置かれ、もともとそこに置かれていた主語はその場を締め出されて動詞の後ろに移動する。それが(2b)である。
このような主題化はマテンゴ語ではよく耳にする。マテンゴ語にはいわゆる受動態の形態がない。「トムは犬に噛まれた」のような受動態を用いて表現される状況には、マテンゴ語では「トム」を文頭に置いて主題化し、「トムは犬が噛んだ」のような表現が用いられる。(3b)がそれである。
(3) | a. | Jímbwa | dʒi-a-mu-lum-iti | Tóm. |
| | 9.犬 | SM9-過去-OM1-噛む-完了 | 1.トム |
| | 「犬がトムを噛んだ」 |
| b. | Tóm | dʒi-a-lum-iti | Jímbwa. |
| | 1.トム | SM9-過去-噛む-完了 | 9.犬 |
| | 「トムは犬が噛んだ(=トムは犬に噛まれた)」 |
スワヒリ語や英語の受動態の文をマテンゴ語に訳してもらうと、必ず(3b)のような形が返ってくる。噛まれた「トム」は文頭に置かれるが、動詞の主語接辞は9クラスなので、主語は変わらず「犬」である。したがって、(3b)は受動態になっているわけではなく、目的語のトムが主題化されているだけである。
目的語以外の要素も、文頭に移動させれば主題になる。
(4) | a. | Máhimba | ga-a-támíti | mu-kítengu |
| | 6.ライオン | SM6-過去-住む | LOC18-森 |
| | 「ライオンが/は森のなかに住んでいる。」 |
| b. | Mu-kítengu | ga-a-támíti | máhimba |
| | LOC18-森 | SM6-過去-住む | 6.ライオン |
| | 「森の中にはライオンが住んでいる。」 |
| | |
(5) | a. | ligáli | láka | Kinunda | li-hálabwikí. |
| | 5.車 | 5.の | 1.キヌンダ | SM5-故障している |
| | 「キヌンダ氏の車は故障している。」 |
| b. | Kinunda | li-hálabwikí | ligáli | láke. |
| | 1.キヌンダ | SM5-故障した | 5.車 | 彼の |
| | 「キヌンダ氏は(彼の)車が故障している。」 |
(4a)は通常の語順、(4b)は「森の中」という場所を文頭に移動して主題化している。(5)は、通常の語順が(5a)、そこから車の所有者である「キヌンダ氏」を取り出して主題にしたのが(5b)である。(5b)が使えるのは、たとえば「キヌンダさん、今日は来ないらしいね。どうしたんだろう」とみんなが心配しているところに、「あ、言い忘れてたけど、キヌンダさんは今車が故障してるんだって」といったキヌンダさんの説明をするような場合である。バントゥ諸語の基本語順はSVOなので、動詞の前は基本的に主語の位置なのだが、マテンゴ語では「動詞の前」というのは主題の位置でもあり、そちらのほうが優先される。つまり文中に主題化された要素があれば、それが動詞の前に置かれ、もともとそこにあったはずの主語は、動詞の後ろにおいやられてしまう。主題を文頭に置くというのはマテンゴ語以外のバントゥ諸語でもよく見られるが、そのなかでも特にマテンゴ語は主題にこだわるようである。このように、マテンゴ語の語順は情報報構造によって決まっている。
バントゥ諸語の焦点
マテンゴ語は主題にこだわる言語だが、バントゥ諸語のなかには焦点にこだわる言語もある。また、主題にも焦点にもあまりこだわらない言語もある。その違いがはっきりわかるのが主語の現れ方である。主語が主題になる場合と焦点になる場合の現れ方を、マテンゴ語、スワヒリ語、チガ語という3言語で見てみよう。「トムはもう来た?」に対する返事のなかでは「トム」は旧情報なので主題、「誰が来たの?」に対する返事のなかの「トム」は新情報なので、これは焦点である。
まずマテンゴ語。先にも述べたように、マテンゴ語の語順は情報構造によって決まるので、「カピンガはもう来た?」に対する返事(つまり主題)と「誰が来たの?」に対する返事(つまり焦点)も、語順で区別される。
(6) | a. | Kapenga | dʒu-hik-iti. |
| | 1.カピンガ | SM1-着く-完了 |
| | 「(カピンガ氏はもう来た?と聞かれて)カピンガ氏は来たよ。」 |
| b. | dʒu-hik-iti | Kapenga |
| | SM1-着く-完了 | 1.カピンガ |
| | 「(誰が来たの?と聞かれて)カピンガ氏が来たよ。」 |
(6a)のほうは「カピンガ氏」について聞かれているので、「カピンガ氏」はこの会話の前提であり、主題である。この場合は「カピンガ氏」は動詞の前に現れる。それに対して(6b)のほうは、「誰が?」と聞かれているので「カピンガ氏」は新情報であり、焦点である。この場合は「カピンガ氏」は動詞の後ろに現れる。
スワヒリ語の場合は、「もうジュマは来た?」に対しても「誰が来たの?」に対しても、答え方に特段の違いはない。つまりスワヒリ語ではこのような場合には主題と焦点を区別しない(スワヒリ語に主題と焦点の区別がないというわけではなく、あくまでも「このような場合」の話である)。どちらの場合も基本語順どおり、主語は動詞の前に現れる。
(7) | Juma | a-me-kuja. |
| 1.ジュマ | SM1-完了-来る |
| 「(ジュマはもう来た?と聞かれて)ジュマは来たよ。」 |
| 「(誰が来たの?と聞かれて)ジュマが来たよ。」 |
ところが、ウガンダで話されているチガ語では、主語が焦点になる場合は、語順どころか構文自体が変わってしまう。
(8) | a. | Mukasa | ya-yíja |
| | 1.ムカサ氏 | SM1.完了-来る |
| | 「(ムカサ氏はもう来た?と聞かれて)ムカサは来たよ。」 |
| b. | Mukasa | ni | we | wáá-yija. |
| | 1.ムカサ氏 | COP | 彼 | RM.SM1.完了-来る |
| | 「(誰が来たの?と聞かれて)来たのはムカサだ。」 |
| | *Mukasa | ya-yíja |
| | *Ya-yíja | Mukasa |
チガ語の基本語順も、マテンゴ語やスワヒリ語と同じくSVOなのだが、「誰が来たの?」という質問に対する答えのように主語に焦点があたる場合には、普通のSV語順の単文が使えない。この場合は関係節を使って「来た人はトムだ」という分裂文にしなければならない。マテンゴ語やスワヒリ語でも、同じような分裂文で焦点を明確にすることはできるし、実際に焦点を表すために分裂文もよく用いられるが、チガ語はそれが必須であるという点で大きな違いがある。
このように、「誰が来たの?」というWH疑問文に対する答え方は3言語とも異なっているのだけれど、そもそも主語を尋ねるWH疑問文自体も異なっている。
(9) | 「誰が来たの?」 | | | |
| a. | マテンゴ語 | | | | |
| | dʒuhikiti | ɲáne? | | | |
| | SM1.来た | 誰 | | | |
| b. | スワヒリ語 | | | | |
| | Nani | amekuja? | | | |
| | 誰 | SM1.来た | | | |
| c. | チガ語 | | | | |
| | Ní | óhe | owááyija? | | |
| | COP | 誰 | RM.SM1.来た(人) | | |
マテンゴ語では疑問詞ɲáne「誰」が動詞の後ろ、スワヒリ語ではnani「誰」が動詞の前に置かれる。ところがチガ語では、動詞の前にも後ろにも疑問詞óhe「誰」をそのまま置くことができず、答えの場合と同じく関係節を用いて「来たのは誰?」という分裂文にしなければならない。つまり、単文では主語を焦点化できないということである。チガ語のような言語はバントゥ諸語のなかに結構たくさんある。それらの言語でも、目的語や時・場所をたずねるWH疑問文は、語順も構文も変えることなく、尋ねたいところにそのまま疑問詞を置くだけでよい。主語の焦点化だけは特別扱いである。
さて、いろんな言語の調査をしていると、言語によって異なる固有名詞が出てくるのがおもしろい。マテンゴ語の例文であれば、マテンゴ民族によくある「カピンガ」や「キヌンダ」である。私がタンザニアでいつもお世話になっているホストファミリーの名前も「キヌンダ」である。ところが、私の論文の例文には「トム」がよく出てくる。「カピンガ」や「キヌンダ」よりも多い。これには理由がある。今からちょうど30年前、初めてタンザニアのリテンボという村にフィールドワークに行ったときのことである。偶然、同じ時期に隣り村で、ドイツ人の言語学者がマテンゴ語と隣接するンデンデウレ語という言語の調査をしていた。「トム」というのは、そのドイツ人言語学者の名前である。村でいろんな人が私に「トムというMzunguが隣りの村にいるけれど、会ったか?」と言いにきた。Mzunguというのはスワヒリ語で「ヨーロッパ人」の意味である。きっとトムのほうも「ノブコというMjapaniが隣り村にいるけれど、会ったか?」と何度も言われていたに違いない。「隣り村」といっても結構遠いのでなかなか会う機会もなかったのだが、ようやく会うことができた日の夜、トムと一緒に歩いていたときに数匹の犬が私に飛び掛かってきた。ぎゃー!と私が叫び声をあげるよりも先に、トムが私の上に覆いかぶさってくれた。おかげで私は無傷だったが、彼は何か所も噛まれ、そのまま病院に連れていかれた(実は私たちに襲い掛かったのはこの病院のお医者さんの自宅の番犬だったことが後からわかった)。幸い狂犬病の心配はなかったものの、手足に巻かれた包帯が痛々しかった。
もちろんこの事件は翌朝には村中が知るところとなり(そういうウワサは信じられないスピードで広がる)、トムは一躍ヒーローとなった。それ以来、私の調査協力者は例文に「トム」という名前を使いたがるようになった。特に上にあげた「トムは犬が噛んだ」は、私の調査協力者のお気に入りの例文である。そしてトム自身も気に入ってくれている。
参考文献
Hyman, Larry and J. van der Wal. (eds.)2017. The conjoint/disjoint alternation in Bantu. Berlin: De Gruyter Mouton.
Lambrecht, K., 1994. Information Structure and Sentence Form. Cambridge University Press, Cambridge.
Li, C. N. (Ed.) 1976. Subject and Topic. New York: Academic Press.
Yoneda, Nobuko 2011. ‘Word order in Matengo (N13): Topicality and informational roles.’ Lingua, 121(5).
米田信子 2008.「マテンゴ語の情報構造と語順」『言語研究』133.
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- 2024年07月09日 『6. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:バントゥ諸語の関係節 米田信子(大阪大学)』
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バントゥ諸語文法の2大特徴を説明したところで、今度は私がこれまで取り組んできた個別テーマのなかからいくつか紹介しよう。今回はバントゥ諸語の関係節について。
「内の関係」と「外の関係」
バントゥ諸語の関係節と言いながら、いきなり日本語の話をしてしまうが、以下の日本語を見てほしい。
(1) 車を売った友だち
(2) 車を売った知らせ
(3) 車を売ったお金
いずれも「車を売った」の部分が後ろにある名詞を修飾している。この修飾されている被修飾名詞を「主名詞」という。(1)-(3)の修飾部分は共通しているけれど、それと主名詞との関係は3つとも異なっているのがわかるだろうか?
まず(1)は、主名詞「友だち」を修飾節「車を売った」の中に入れ込んで「友だちが車を売った」という文を作ることができる。こんなふうに主名詞を修飾節の一部として入れ込んで文を作ることができるような関係を「内の関係」という。同じ「友だちが車を売った」という文から目的語「車」を主名詞として取り出して「友だちが売った車」なんてのを作ることもできる。これも「内の関係」である。一方、(2)の「知らせ」や(3)の「お金」は、「車を売った」のなかにそのまま取り込むことができない。たとえば「お金」と「車を売った」で文を作ろうとすれば、「車を売ったことよって手に入れたお金」のように別の要素を付け加える必要がある。このように主名詞をそのまま修飾節に入れ込むことができない関係を「外の関係」という。この「内の関係」と「外の関係」という考え方は、寺村(1975, 1977)によって日本語研究のなかで提案されたものである。
「外の関係」にもいろいろある。たとえば(2)の場合には、「車を売った」というのは、「知らせ」の具体的な中身・内容である。この関係の特徴は「車を売ったという知らせ」のように修飾節と主名詞のあいだに「という」を入れられることである。では(3)の場合はどうだろうか。「お金」をそのまま「車を売った」のなかに入れ込むこともできないし、修飾節と主名詞とのあいだに「という」を入れることもできない。(3)が意味するところは、「車を売ったことによって手に入れたお金」ということで、主名詞「お金」は「車を売った」ことの結果である。つまり、修飾節と主名詞のあいだには因果関係があるということになる。
主名詞が修飾節の主語だったり、修飾節が主名詞の具体的な内容だったり、はたまた主名詞が修飾節の結果だったり、主名詞と修飾節の関係はいろいろだが、(1)-(3)が示しているように日本語の場合は、「内の関係」でも「外の関係」でも、主名詞と修飾節の関係にかかわらず、同じ形式の名詞修飾節を用いることができる。ところが、主名詞と修飾節の関係によって異なる形式の名詞修飾節が用いられる言語も少なくない。身近なところでは、英語もその1例である。名詞修飾節の代表格は関係節だが、英語の関係節は「外の関係」には使えない。そもそも「関係節」というのは、典型的には「内の関係」の名詞を修飾する節のことであり、英語の関係節で「外の関係」の名詞が修飾できないというのは特に不思議なことではないのだが、どんな関係でも同じ形式で修飾できる日本語の話者としては、ちょっと不便な気もする。
さて、バントゥ諸語はどうだろうか?(ようやくバントゥ諸語に行き着いた!)バントゥ諸語にもそれぞれ「関係節」と呼ばれる節がある。「関係節」と呼ばれるからには、やはりそれらは英語の関係節のように「内の関係」専用なのだろうか? それともバントゥ諸語の関係節は「外の関係」の名詞も修飾することができるのだろうか?これを明かにすべく、「サンマを焼く匂い」という日本語の「外の関係」の有名な例(のアレンジ)を使って、いくつかのバントゥ諸語で調べてみた。
ヘレロ語の関係節
1つ目の例は、先週も紹介した、日本でもちょっと有名になりかけているvevarasanaのヘレロ語である。ヘレロ語の関係節は、修飾節の動詞の語頭に「関係接辞(RM)」と呼ばれる接頭辞を付けることでマークされる。この関係接辞は、もちろん(!)主名詞の名詞クラスに呼応した形で現れる。とにかくバントゥ諸語ではどこでも名詞クラスが絡んでくる。グロスにでてくる数字は名詞クラスを表しているが、すぐにこの数字にも見慣れてくるはずだ。(4a)の主名詞はomítiri「先生」。これは9クラスに属する名詞なので、動詞の語頭には9クラスの関係接辞ndjí-が付いている。(4b)の主名詞はembo「本」。これは5クラスの名詞なので、動詞の語頭には5クラスの関係接辞ndí-が付いている。
(4) | a. | omítiri | ndjí- ya-randéré | embo |
| | 9.先生 | RM9-SM9.過去-買う.完了 | 5.本 |
| | 「本を買った先生」 |
| b. | embo | omítiri | ndí- ya-randéré |
| | 5.本 | 9.先生 | RM5-SM9.過去-買う.完了 |
| | 「先生が買った本」 |
| | |
(5) | Omítiri | yá-randéré | embo. |
| 9.先生 | SM9.過去-買う.完了 | 5.本 |
| 「先生が本を買った。」 |
(4a)は主名詞の「先生」を修飾節「本を買った」の主語として入れ込むことができるし、(4b)は主名詞「本」を修飾節「先生が買った」の目的語として入れ込むことができる。つまりどちらも「内の関係」である。もともとの文は(5)ということになる。
ではヘレロ語の関係節で「サンマを焼く匂い」は言えるのか?結論から言うとNOである。ヘレロ人は肉が大好きで、魚をほとんど食べない。そこで「サンマ」の代わりに「肉」を使ってたずねることにした。それからバントゥ諸語では修飾節に主語(あるいは主語接辞)が必須なので、最初は「彼が肉を焼く匂い」でたずねていたのだが、これだと「肉を焼いている彼」の匂いと混乱するケースが出てきたので、最終的に「肉」を主語に自動詞を使って「肉が焼ける匂い」とした。主名詞は3クラスに属する名詞ómúnúko「匂い」、修飾節は「肉が焼ける」である。動詞の語頭に主名詞「匂い」に一致させた3クラスの関係接辞mbi-を付けた(6a)のような関係節を作ってみたが、誰にたずねてもアウトだった。「肉が焼ける匂い」をヘレロ語で言ってもらおうとすると、返ってくるのは(6b)の「焼けている肉の匂い」のような表現である。主名詞のうしろにあるwaは、英語のofにあたる前置詞である。ちなみにこの前置詞も主名詞の名詞クラスによって形が異なり、ここで用いられているのは3クラスに呼応した形である。
(6) | a. | * ómúnúko | onyáma | mbi- ma-i-tétá |
| | 3.匂い | 9.肉 | RM3-進行-SM9-焼ける |
| | (肉が焼ける匂い) |
| b. | ómúnúko | wa | onyáma | ndjí- ma-i-tétá |
| | 3.匂い | of.3 | 9.肉 | RM9-進行-SM9-焼ける |
| | 「焼けている肉の匂い」 |
ナミビアの首都ウィントフックで最も活気があるカトゥトゥラという地域にシングル・クオーターという大きな野外焼肉マーケットがある。ずらっと並んだ網の上でどんどん焼かれる牛肉。これはカッパーナ(kapana)と呼ばれ、網の横に置かれたスパイスを勝手につけて、別売りのサルサと呼ばれるみじん切りにしたタマネギとトマトを合わせて、豪快に手で食べる。ナミビアは牛肉とビールが美味しいことで有名だが、カッパーナは特に美味しい。こうして書いているだけでも匂いや味を思い出し、今すぐにでもカッパーナを食べたくなってくる。
マーケットが近くなると、まさに「肉が焼ける匂い」がしてくる。確かに「肉が焼ける匂い」というのは「焼けている肉の匂い」なのだろうが、でも違うのだ。焼けている肉そのものの匂いではなくて、肉が焼けているときに漂ってくる匂いとか、肉が焼けている状況の匂いとか、肉が焼けた結果生じている匂い・・・とまぁ調査協力者に熱く説明しているうちに、こちらもなんだかよくわからなくなってきたりするのだが、シングル・クウォーターに一緒に行って「ほらこの感じ、この匂いのこと」と言ってみても、やはり(6a)の関係節は認められず、(6b)の「焼けている肉の匂い」に修正されてしまう。ヘレロ語では、関係節で「外の関係」の名詞を修飾することはできないようである。いずれにしても、こういう現地で実食を伴う調査はとても楽しい。
スワヒリ語の関係節
次はスワヒリ語である。スワヒリ語にはamba-less関係節とamba関係節という2種類の関係節がある。スワヒリ語の関係節もヘレロ語と同じように関係接辞でマークされるが、これらの関係節は、関係接辞が付く位置が異なっている。amba-less関係節は関係接辞が動詞のなかに付くが、amba関係節のほうは主名詞の後ろにamba-という補文マーカーを入れて、そこに関係接辞を付ける、つまり関係接辞は動詞の外側に現れる。念のために言っておくと、ここでももちろん関係接辞は主名詞の名詞クラスによって異なる形になる。
(7) | a. | amba-less関係節 |
| | mwalimu | a-li-ye-nunua | kitabu |
| | 1.先生 | SM1-過去-RM1-買う | 7.本 |
| b. | amba関係節 |
| | mwalimu | amba-ye | a-li-nunua | kitabu |
| | 1.先生 | COMP-RM1 | SM1-過去-買う | 7.本 |
| | 「本を買った先生」 |
| | |
(8) | a. | amba-less関係節 |
| | kitabu | a-li-cho-ki-nunua | mwalimu |
| | 7.本 | SM1-過去-RM7-OM7-買う | 1.先生 |
| b. | amba関係節 |
| | kitabu | amba-cho | mwalimu | a-li-ki-nunua |
| | 7.本 | COMP-RM7 | 1.先生 | SM1-過去-OM7-買う |
| | 「先生が買った本」 |
|
(9) | Mwalimu | a-li-ki-nunua | kitabu |
| 1.先生 | SM1-過去-OM7-買う | 7.本 |
| 「先生が本を買った。」 |
(7)は修飾節の主語を主名詞として取り出した関係節、(8)は修飾節の目的語を主名詞として取り出した関係節である。つまり、これらはどちらも「内の関係」である。amba-less関係節もamba関係節も「内の関係」の修飾はいける。
ところが「外の関係」になると、これらの関係節に違いが出てくる。
(10) | a. | amba-less関係節 |
| | *pesa | a-li-zo-uza | motokaa |
| | 10.お金 | SM1-過去-RM10-売る | 9.車 |
| b. | amba関係節 |
| | pesa | amba-zo | a-li-uza | motokaa |
| | 10.お金 | COMP-RM10 | SM1-過去-売る | 9.車 |
| | 「彼が車を売ったお金」 |
| | |
(11) | a. | amba-less関係節 |
| | *harufu | i-na-yo-chomwa | nyama |
| | 9.匂い | SM9-現在-RM9-焼かれる | 9.肉 |
| b. | amba関係節 |
| | harufu | amba-yo | nyama | i-na-chomwa |
| | 9.匂い | COMP-RM9 | 9.肉 | SM9-現在-焼かれる |
| | 「肉が焼かれている匂い」 |
(10)は、主名詞「お金」を「車を売った」の中に入れ込むことはできない「外の関係」である。「お金」は「車を売った」ことの結果であり、ここにあるのは因果関係ということになる。この場合、amba-less関係節は非文になってしまうが、なんとamba関係節のほうはOKである。(11)の「肉が焼かれている匂い」の場合も同様である。
amba-less関係節は使える時制接辞や語順に制限があるので使えないときがあるけれど、amba関係節にはそんな制限がなく、いつでも使える「オールマイティー関係節」だと言われてきた。ところがそれだけでなく、amba関係節は「外の関係」の名詞の修飾にまで手を広げているのである。まさにオールマイティーだ。
その他のバントゥ諸語の関係節
ヘレロ語とスワヒリ語では、主語が主名詞になっている場合も目的語が主名詞になっている場合も用いられる関係節は同じ構造だったが、バントゥ諸語のなかには、主語と目的語で異なる構造の関係節が用いられる言語もある。次に挙げるのは、タンザニアの北部に位置するヴィクトリア湖の島で話されているケレウェ語の例である。
(12) | a. | abhaseza | a-bha-ghulizye | epikipiki |
| | 2.男たち | SRM2-SM2.過去-sell.完了 | 5.バイク |
| | 「バイクを売った男たち」 |
| b. | epikipiki | ejho | abhaseza | bha-gulizye |
| | 9.バイク | RM9 | 2.男たち | SM2.過去-売る-完了 |
| | 「男たちが売ったバイク」 |
(12a)の主語が主名詞になっている関係節では、ヘレロ語の関係節のように関係接辞が動詞の語頭に付いている。ところが目的語が主名詞になった(12b)の関係節では、関係接辞はスワヒリ語のamba関係節と同じく動詞の外に現れている。
スペースの関係で例は挙げないが、これまで調べたバントゥ諸語の関係節が、[1]主語の関係節と目的語の関係節が同じ形式かどうか、[2]「外の関係」の名詞も修飾できるかどうか、をまとめたものが表1である。「別」と書いているところは、ケレウェ語のように主語が主名詞になる場合に別の形式の関係節が用いられることを表している。表1が示しているように、バントゥ諸語の関係節の守備範囲はなかなかバラエティに富んでいる。
表1:「関係節」で修飾できる主名詞との関係
| 言語名 | 内の関係 | 外の関係 |
主語 | 目的語 | 内容 | 因果関係 |
1 | ギクユ(E51),フィパ(M13), ナムワンガ(M22), スワヒリamba(G42) | YES | YES | YES | YES |
2 | ケレウェ(JE23), ベンバ(M42), ジャンビアニ(G42c) | 別 | YES | YES | YES |
3 | ヤオ(P21) | YES | YES | NO | YES |
4 | スワヒリamba-less(G42), ヘレロ(R31) | YES | YES | NO | NO |
5 | ガンダ(JE15) | 別 | YES | NO | NO |
「内の関係」だけを修飾する英語の関係節のようなタイプはヨーロッパの言語によく見られ、「内の関係」も「外の関係」も修飾するような日本語タイプはアジアの言語によく見られると言われているが、バントゥ諸語のなかにはどちらのタイプも見られるし、スワヒリ語のように両方のタイプの関係節を持っている言語もある。バントゥ諸語の関係節はどの言語でも似たような形式なのだが、その関係節が修飾できる範囲については、「バントゥ諸語の関係節は○○タイプである」と一言ではとても言えそうにない。
参考文献
Comrie, Bernard. 1998. Attributive clauses in Asian languages: Towards an areal typology. Sprache in Raum und Zeit, In memoriam Johannes Bechert, Band 2. Tübingen: Günter Narr.
寺村秀夫 1975.「連体修飾のシンタクスと意味-その1-」『日本語・日本文化』4.
寺村秀夫 1977.「連体修飾のシンタクスと意味-その3-」『日本語・日本文化』6.
堀江薫・パルデシ, プラシャント 2009.『言語のタイポロジー』研究社.
益岡隆志 2010. 「連体節構文における関係的意味」KLS Proceedings 30.
米田信子 2012.「スワヒリ語における2種類の関係節」CLAVEL, 2.
米田信子 2014.「バントゥ諸語における名詞修飾節の形式と意味」『日本語複文構文の研究』ひつじ書房.
Yoneda, Nobuko 2018. ‘Noun-modifying constructions in Swahili and Japanese.’ Handbook of Japanese Contrastive Linguistics (Handbooks of Japanese language and linguistics 6). Berlin: de Gruyter Mouton.
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- 2024年07月02日 『5. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:バントゥ諸語の動詞 米田信子(大阪大学)』
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バントゥ諸語文法の2大特徴、ひとつは前回の名詞クラスとそれを基盤とする文法呼応システム、そしてもうひとつが膠着性の高い動詞構造である。
動詞の構造
バントゥ諸語の動詞は極めて膠着性が高く、いくつものパーツ(=形態素)が組み合わさって1つの動詞ができあがる。(1)はナミビアで話されているヘレロ語の動詞の例である。
ヘレロ語 |
(1) | mbekemúzíkira |
| mbi-á-ka-mu-zik-ir-á |
| SM1sg-過去-移動-OM3sg-料理する-APPL-非完了 |
| 「私は(今日)彼女のために(別の場所で)料理をしてきた。」 |
mbekemúzíkiraはzika「料理する」という動詞が活用したもので、この1単語で「私は今日彼女のためにどこか別の場所で料理をしてきた」という意味を持つ。2段目はこの動詞がどんな形態素で構成されているのかを示している。主語が「私」であることは語頭のmbiが表し、「彼女のために」というのはmu「彼女」とir「~のために」の組み合わせが表している。(1)を見ると、「今日」や「別の場所」を表していそうなものは見あたらないが、この活用形が当日起きたことを表す「近過去形」であることは2つのáの組み合わせによって表されているし、移動を伴うことはka-によって表されている。このように、いくつもの形態素が集まって、まるで「文」のような動詞ができあがる。バントゥ諸語では動詞だけでも文が成り立つが、動詞はそれだけたくさんの情報を持っているのである。
主語接辞(SM)と目的語接辞(OM)
先週の名詞の回で、名詞修飾語は被修飾名詞が属している名詞クラスに呼応して異なる形の接頭辞を伴って現れるという説明をしたが、名詞クラスが影響するのは名詞修飾語だけでなく、動詞も同じである。動詞の語頭には「主語接辞(SM)」と呼ばれる接辞が付くが、これは主語名詞が属している名詞クラスに呼応して異なる形で現れる。
スワヒリ語 |
(2) | a. | Jembe | li-me-vunjika. |
| | 5.鍬 | SM5-完了-割れる |
| | 「鍬は折れている。」 |
| b. | Kikombe | ki-me-vunjika. |
| | 7.コップ | SM7-完了-割れる |
| | 「コップは割れている。」 |
| c. | Sahani | i- me-vunjika. |
| | 9.皿 | SM9-完了-割れる |
| | 「皿は割れている。」 |
次は「目的語接辞(OM)」と呼ばれる接辞の例である。目的語接辞は、目的語名詞に呼応して動詞に付けられるが、目的語名詞自体が文中に現れない場合に代名詞的に用いられることが多い。その場合でも、指している名詞が属している名詞クラスによって異なった形で現れる。
スワヒリ語 |
(3) | a. | Ni-li-nunua | kitabu. |
| | SM1sg-過去-買う | 7.本 |
| | 「私は本を買った。」 |
| b. | Ni-li-ki-nunua. |
| | SM1sg-過去-OM7-買う |
| | 「私はそれ(本)を買った。」 |
(4) | a. | Ni-li-nunua | kamusi. |
| | SM1sg-過去-買う | 9.辞書 |
| | 「私は辞書を買った。」 |
| b. | Ni-li-i-nunua. |
| | SM1sg-過去-OM9-買う |
| | 「私はそれ(辞書)を買った。」 |
「私は子どもたちにバナナをあげた」のように目的語が2つあるような二重目的語構文において、[1]どちらの目的語を目的語接辞に置き換えることができるか? [2]動詞の中に目的語接辞をいくつ入れることができるか?ということがバントゥ諸語の研究ではよく話題になる。これらは言語によって異なっている。スワヒリ語は、[1]は「人物」、[2]は「1つ」である。したがって(5b)や(5c)は非文である(非文には文の前に*を付けている)。
スワヒリ語 |
(5) | a. | Ni-li-wa-pa | ndizi. |
| | SM1sg-過去-OM3pl-与える | 10.バナナ |
| | 「私は彼ら(子どもたち)にバナナをあげた。」 |
| b. | *Ni-li-zi-pa | watoto |
| | SM1sg-過去-OM10-与える | 2.子どもたち |
| | (私はそれ(バナナ)を子どもたちにあげた。) |
| c. | *Ni-li-zi-wa-pa. |
| | SM1sg-過去-OM10-OM3pl-与える |
| | (私はそれを彼らにあげた。) |
一方、ガンダ語の場合は、(6)が示しているように、どちらの目的語も代名詞として目的語接辞で表すことができるし、動詞の中に2つの目的語接辞をいっぺんに入れることもできる。
ガンダ語 |
(6) | a. | N-ba-wádde | amátooke. |
| | SM1sg-OM2-与えた | 6.バナナ |
| | 「私は彼ら(子どもたち)にバナナをあげた。」 |
| b. | N-ga-wádde | abána. |
| | SM1sg-OM6-与えた | 2. 子どもたち |
| | 「私はそれ(バナナ)を子どもたちにあげた。」 |
| c. | N-ga-bá-wadde. |
| | SM1sg-OM6-OM2-与えた |
| | 「私はそれを彼らにあげた。」 |
さらに、ガンダ語では(7)のように目的語接辞を最大3つまで同時に動詞に付けることができる。
ガンダ語 |
(7) | A-ki-bá-n-gámbidde. |
| SM3sg-OM7-OM3pl-OM1sg-代わりに伝えた |
| 「彼女は私の代わりにそれを彼らに伝えた。」 |
結果的に、「コレがソレにアレして」みたいな代名詞だらけの、まるで熟年夫婦の会話のような動詞ができあがるのだが、驚くなかれ、ルワンダ語はもっとすごい。
ルワンダ語 (Kimenyi 2002) |
(8) | arana-ha-ki-zi-ba-ku-n-someesheesherereza |
| SM3sg. 現在.また-OM16-OM7-OM10-OM3pl-OM2sg-OM1sg-~の代わりに…のために読ませる |
| 「彼女はまた私の代わりに彼らにそこ(16)でそれ(10.めがね)を使ってそれ(7.本)を君のために読ませている」 |
これはバントゥ諸語の論文の中でよく紹介される例で、目的語接辞が6つも並んでいる。何度も読み返さないと何を言っているのかわからない(何度読んでもわからないかも知れない)が、「私がするはずだった君のための読み聞かせを、彼女は私の代わりに別の人たちに、しかも場所もめがねを使うことも指定して、やらせた」といった内容である。これはあくまでも論文用の作例であり、このような動詞が実際に会話の中で出てくるのかというと疑わしい気がするが、少なくとも(7)のガンダ語の例は、私の調査協力者によると実際によく耳にするそうである。代名詞だらけでも理解できるくらいみんなよくわかり合えているということなのだろうか。
動詞派生接辞
(8)の例では、後半のsomeesheeshererezaの部分は分析しないで書いているが、これを形態素に分けて書くとsom-eesh-eesh-er-er-ez-a(読む-CAUS-CAUS-APPL-APPL-APPL-FV)となる。もともとの動詞語根はsomだけである。その後ろに使役形派生接辞(CAUS)が2つ、適用形派生接辞(APPL)が3つも付いている。こんなふうにバントゥ諸語では、動詞語根の後ろに派生接辞を付けて、動詞語根が持つ意味に別の意味を加えることができる。スワヒリ語で例を挙げてみよう。
(9) | 語幹:fung「閉める」 |
| a. | fung-w-a | 受動形 | 「閉められる」 |
| b. | fung-ik-a | 状態形 | 「閉まる」 |
| c. | fung-u-a | 反転他動詞形 | 「開ける」 |
| d. | fung-uk-a | 反転自動詞形 | 「開く」 |
| e. | fung-ish-a | 使役形 | 「閉めさせる」 |
| f. | fung-an-a | 相互形 | 「閉め合う」 |
| g. | fung-i-a | 適用形 | 「~のために閉める」 |
| h. | fung-ish-an-a | 使役相互形 | 「閉めさせ合う」 |
名詞クラス接頭辞を替えることでひとつの名詞語幹がいろんな意味に広がるように、動詞も、派生接辞を加えることでひとつの動詞語幹からいろんな方向に意味を広げることができる。
Vevarasana
動詞の形態素分析を説明するたびに思い出すことがある。もう15年くらい前のことになるが、とある団体から「ベベラサナ」というヘレロ語をローマ字表記にするとどうなるか?という問い合わせがあった。日本でヘレロ語のことをたずねられたのは初めてのことだったので、これには驚いた。なんでもナミビア北西部で伝統的な生活スタイルを守っているヒンバという民族の村に日本人タレントが滞在するというテレビの企画がかつてあって、そのタレントがヒンバの村を去るときに、ヒンバの長老から「ベベラサナ」というヘレロ語の言葉を送られたらしい。ヘレロ語は、ヘレロ人だけでなくヒンバ人の言語でもある。意味は「離れていてもいつも我々の心は通い合っている」とのこと。ネットで検索してみると、プロフィールに「好きな言葉:ベベラサナ」と書いている人が結構たくさんいてさらに驚いた。
「ベベラサナ」をローマ字表記にする際に迷うところはおそらく「べ」と「ラ」だろう。前者はbeなのかveなのか、後者はraなのかlaなのか。ヘレロ語ではbの音は鼻音の直後にしか現れないので「ベベラサナ」の「べ」はveで決まり、ヘレロ語にはlの音はないので「ラ」はraで決まりである。問い合わせは「ベベラサナ」のローマ字表記を教えて欲しいというものだったので、回答はveverasana。これで終わっても良かったのだが、言語学者は当然分析したがる。形態素に分けるとve-ver-asan-aとなる。ve-は三人称複数形の主語接辞、asanは「互いに~し合う」という相互形、語幹がver-a、意味は「彼らはお互いにveraし合う」となる。この中に「離れていても」といった意味が含まれているわけではないが、こんなふうに短い文やひとつの単語に、そこに明示されていないいろんな意味を含ませることはアフリカではよくある。
さて、ここで最も重要なのは語幹veraである。ヘレロ語は日本語の「雨」と「飴」のように音の高さで単語が区別されるのでvera(低低)とvéra(高低)の可能性があるのだが、veraは「罰する」、véraは「病気になる」という意味で、どうがんばってみても「離れていても心が通じ合う」という意味に拡大解釈するのは難しい。方言差だろうかとも思ってみたが、それも違う。そこで私の調査協力者にたずねてみたところ、おそらくそれはveraではなくvaraのまちがいではないかとのこと。varaの意味は「満足する・尊敬する」といったところである。語幹がvaraならvevarasana「彼らは満足/尊敬し合う」、確かにこれなら「(離れていても)お互いのことを思い、心が通い合っている」という解釈ができそうだ。
数年前にマイナーな言語のちょっとすてきなことばを紹介する『なくなりそうな世界のことば』1)という本が出た。その中にバントゥ諸語のことばも入れたいと声をかけてもらったので、ヘレロ語のvevarasanaを紹介してもらうことにした。日本語表記は「ヴェヴァラサナ」にした。今回の連載記事を書くにあたってちょっと気になったので検索してみると、かつてたくさん出てきた「ベベラサナ」は今回は一件も出てこなかったが、その代わりに「ヴェヴァラサナ」やvevarasanaがたくさん出てきた。「好きなことば」としてだけでなく、お店の名前になっていたり、マンガのタイトルになっていたり、vevarasanaとプリントされたTシャツまで売っているではないか。まさかヘレロ語の動詞がプリントされたTシャツが日本で売られる日が来るとは! 次回ナミビアに行くときにお土産に買っていこうか。それにしても、ちゃんとvevarasanaに修正されてよかった。「離れていても彼らは罰し合う」とか「一緒に病気になる」と書かれたTシャツでは、どうにも喜んでもらえそうにない(笑)。
注1)『なくなりそうな世界のことば』創元社
参考文献
Kimenyi, Alexandre. 2002. A Tonal Grammar of Kinyarwanda – An autosegmental and metrical analysis. The Edwin Mellen Press.
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- 2024年06月25日 『4. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:バントゥ諸語の名詞クラス 米田信子(大阪大学)』
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今回からバントゥ諸語の文法の話に入る。まずは名詞から。
名詞クラスとは
前回も少し触れたが、バントゥ諸語には「名詞クラス」と呼ばれる名詞のグループ分けがある。バントゥ諸語の特徴は?と聞かれたら、誰もが迷わず「名詞クラス」と答えるだろう。それくらいバントゥ諸語にとって名詞クラスは特徴的であり重要である。
名詞がいくつかのグループに分かれている言語は世界中にある。よく知られているところで言えば、フランス語の名詞には「男性名詞」と「女性名詞」、ドイツ語やロシア語の名詞には「男性名詞」と「女性名詞」と「中性名詞」の区別がある。バントゥ諸語の名詞クラスもだいたいそれと同じようなものである。ただし、グループの数がちょっと多い。フランス語は男性・女性の2グループ、ドイツ語やロシア語は男性・女性・中性の3グループ、それに対してバントゥ諸語の場合は、たいてい10-20くらいのグループがある。例えばスワヒリ語には15種類1)、ヘレロ語には18種類、マテンゴ語には19種類の名詞クラスがある。私がこれまで調査をしてきた言語の中で名詞クラスの数が一番多かったのはウガンダで話されているガンダ語で23種類ある。
こんなにあると、グループに名前を付けるにしても(文法性は生物的な性別とは無関係であるとは言え、今ならこんな名前は付けないだろうと思うのだが)女性とか男性とかでは足りないので、バントゥ諸語の名詞クラスは番号で呼ばれている。この番号は、歴史言語学者たちによって「たぶんこんなだったはず」と理論的に再構されたバントゥ祖語の名詞クラスを基にして付けられているもので、バントゥ諸語の研究では比較のためにこの共通の番号を用いるのが一般的である。この連載でも名詞クラスにはこの分類番号を用いる。
表1: スワヒリ語とガンダ語の名詞クラスと名詞クラス接頭辞(NCP)
| スワヒリ語 | ガンダ語 | |
名詞 クラス | NCP | 名詞例 | NCP | 名詞例 | 意味 |
1 | m- | mtu | omu- | omuntu | 人sg. |
2 | wa- | watu | aba- | abantu | 人pl. |
3 | m- | mti | omu- | omuti | 木sg. |
4 | mi- | miti | omi- | omiti | 木pl. |
5 | ji-, ø- | jina | eri- | erinnya | 名前sg. |
6 | ma- | majina | ama- | amannya | 名前pl. |
7 | ki- | kitu | eki- | ekintu | 物sg. |
8 | vi- | vitu | ebi- | ebintu | 物pl. |
9 | n-, ø- | ŋoma | en- | eŋŋoma | 太鼓sg. |
10 | n-, ø- | ŋoma | en- | eŋŋoma | 太鼓pl. |
11 | u- | u-imbo | olu- | oluyimba | 歌sg. |
12 | - | - | aka- | akasaale | 矢sg. |
13 | - | - | otu- | otusaale | 矢pl. |
14 | (u-) | uchofu | obu- | obukoowu | 疲労 |
15 | ku- | kulima | oku- | okulima | 耕すこと |
16 | (pa-) | kando | wa- | wambeli | 端 |
17 | (ku-) | (mezani) | ku- | kummeeza | 机の上 |
18 | (mu-) | (mezani) | mu- | mummeeza | 机の中 |
20 | - | - | ogu- | oguyanja | 海sg. |
21 | - | - | - | - | - |
22 | - | - | aga- | agayanja | 海pl. |
23 | - | - | e- | eKenya | ケニアへ |
24 | - | - | - | - | - |
名詞クラスが10-20種類もあると聞くと、ものすごくたくさんあるように思うかもしれないが、私たちが一般的に(日本語や英語の感覚で)「名詞」だと考えるような普通の名詞ばかりではない。英語の「to付き不定詞」のようなものの名詞クラスもあるし、これは場所を表す前置詞句ではないの?と言いたくなるような名詞クラスもある(でもバントゥ諸語では「名詞」です)。また単数形と複数形は別の名詞クラスになる。したがって、実際には「10-20種類」という数が与えるイメージほどたくさんの区別をしているわけではない。しかも、どの名詞がどのクラスに属しているのかは簡単にわかる。
表1が示しているように、各名詞クラスにはそれぞれ「名詞クラス接頭辞」と呼ばれる独自の接頭辞がある。この接頭辞によって、その名詞がどのクラスに属しているのかということがわかるようになっている。
(1) | 名詞の構造:名詞クラス接頭辞-名詞語幹 |
| a. | lipáhi | <li-páhi | 「バッタsg.(5クラス)」 |
| b. | kibéga | <ki- béga | 「土鍋sg.(7クラス)」 |
(1)はマテンゴ語の名詞の例である。(1a)の語頭のli-は5クラスの名詞クラス接頭辞、(1b)のki-は7クラスの名詞クラス接頭辞である。li-という名詞クラス接頭辞が付いていれば5クラスの名詞、ki-という名詞クラス接頭辞が付いていれば7クラスの名詞、という具合である。1クラスと3クラスのように名詞クラス接頭辞の形が同じ場合もあったりするので、残念ながら常にすっきり明白にわかるというわけにはいかないのだが、それでも「形を見れば(だいたい)わかる」というのは、学習者にとっては非常にありがたいことではないだろうか。
名詞クラスと文法呼応
上記のとおり名詞の形を見ればその名詞が属している名詞クラスもわかるし、名詞クラス自体は特に難しいわけではないのだが、これを基盤とする文法呼応システムがちょっとややこしい。名詞修飾語は被修飾名詞が属している名詞クラスによって異なる形で現れるし、動詞には主語名詞や目的語名詞のクラスに呼応した接辞が付く。
スワヒリ語の例を挙げてみると、matunda mazuri「よい実」とkitabu kizuri「よい本」のように、修飾語は被修飾名詞が属しているクラスに呼応して異なる形の接頭辞を伴って現れる。
(2) | a | ma-tunda | ma-zuri | 「良い果物pl.(6クラス)」 |
| | 6-果物 | 6-良い | |
| b. | ki-tabu | ki- zuri | 「良い本sg.(7クラス)」 |
| | 7-本 | 7-良い | |
(2)を見ると、「なぁんだ、名詞の接頭辞を繰り返してるだけじゃん」と思うかもしれない。ところがそんなに簡単ではない。(3)のように修飾語によっては名詞クラス接頭辞とはまったく異なる形の接頭辞がつくものもあるし、(4)のように修飾語の種類や語幹頭の音によって接頭辞の形が異なる場合もある。
(3) | a | m-toto | w-angu | 「私の子どもsg.(1クラス)」 |
| | 1-子ども | 1-私の | |
| b. | ma-tunda | y-angu | 「私の果物pl(6クラス)」 |
| | 6-果物 | 6-私の | |
| | | | |
(4) | a | n-guo | ny-eupe | 「白い服sg.(9クラス)」 |
| | 9-服 | 9-白い | |
| b. | n-guo | y-angu | 「私の服sg.(9クラス)」 |
| | 9-服 | 9-私の | |
| c. | n-guo | m-pya | 「新しい服sg.(9クラス)」 |
| | 9-服 | 9-新しい | |
| d. | n-guo | ø-chafu | 「汚い服sg.(9クラス)」 |
| | 9-服 | 9-汚い | |
それだけではない。(5)のように有生名詞の場合は属する名詞クラスに関係なくすべて1クラス(単数)と2クラス(複数)の名詞として振る舞うという例外規則があったり、さらにその例外の例外として「ただし所有詞の場合は、9-10クラスに属する人物を表す名詞に限りこの例外規則は適用されない」という、なんのためにあるのかまったくわからない規則もあったりして、結構ややこしい。
(5) | a. | mama | m-zuri | 「よいお母さんsg.(9クラス)」 |
| | 9.母 | 1-良い | |
| b. | mama | y-angu | 「私のお母さんsg.(9クラス)」 |
| | 9.母 | 9-私の | |
| c. | dereva | m-zuri | 「良い運転手sg.(5クラス)」 |
| | 5.運転手 | 1-良い | |
| d. | dereva | w-angu | 「私の運転手sg.(5クラス)」 |
| | 5.運転手 | 1-私の | |
これは学習者にとっては、おそらく最も理解するのも覚えるのも大変なところであり、今ごろスワヒリ語専攻の1年生たちはこの名詞修飾語の現れ方で頭を悩ましている頃だと思う。しかし、ちょっとパズルのような要素もあって、バントゥ諸語の最もおもしろいところでもある。
各名詞クラスの意味特徴
各名詞クラスについてもう少し詳しく説明しよう。1クラスと2クラスは、「人」、「子ども」、「客」といった人物を表す名詞のクラスである。「バントゥ諸語」という名前は、「人」の複数形である2クラスの名詞bantuに由来する。しかし、このように「このクラスは○○のクラス」と言えるのは1-2クラスだけで、それ以外のクラスにはいろんなものが混ざっている。スワヒリ語の例を挙げてみると、3-4クラスには、mlima-milima「山」、mkate-mikate「パン」、mpango-mipango「計画」、mkoba-mikoba「かばん」、mkono-mikono「手」(それぞれ単複の対)など、雑多なものが属している。
ただし「このクラスにはこういうものがたくさん属している」といった、ある程度の傾向はある。3-4クラスには木や植物がたくさん属しているし、「木」という名詞もこのクラスに属している。5-6クラスには木の実や果物、7-8クラスには道具、9-10クラスには動物、11クラスには抽象名詞がたくさん属している。もちろんそれら以外のものもたくさん属しているのだが、これらの名詞クラス接頭辞を付けることによって、各クラスの「傾向」が、そのまま意味として付与される場合もある。例えば次のような場合である。
(6) | 名詞語幹:embe |
| a. | mw-embe | 「マンゴーの木sg.(3クラス)」 |
| b. | mi-embe | 「マンゴーの木pl.(4クラス)」 |
| c. | (ø-)embe | 「マンゴーsg.(5クラス)」 |
| d. | ma-embe | 「マンゴーpl.(6クラス)」 |
| | | |
(7) | 名詞語幹:boga |
| a. | m-boga | 「カボチャの葉や茎sg.」 |
| b. | mi-boga | 「カボチャの葉や茎pl.」 |
| c. | (ø-)boga | 「カボチャの実sg.」 |
| d. | ma-boga | 「カボチャの実pl.」 |
この関係がわかると単語も覚えやすくなる。例えば、chungwa「オレンジ」という単語を知っていれば、「オレンジの木」はmchungwaだとわかる。ココナツはnazi、ココナツの木はmnazi、パイナップルはnanasi、パイナップルの木はmnanasi、どんどんいける。ただし、バナナはndiziだがバナナの木はmgomba、という思いがけない変化球もときにあったりするので要注意。
名詞クラス接頭辞によるイメージ付与
語幹を共有する(6)や(7)のような名詞を見ていると、語幹は名詞の中心となる意味の部分を担ってはいるけれど、それはぼんやりと抽象的なものであり、それをがちっと具体的な意味を持つ名詞に作り上げるのは名詞クラス接頭辞のほうであるということがわかってくる。
名詞クラス接頭辞は、名詞が属している名詞クラスを示したり、意味を具体化して名詞を完成させたり、なかなかな重責を担っているが、さらに、すでにできあがっている名詞に特定のイメージを付与したりもする。以下は「ウサギとカメレオン」というマテンゴ語の民話である。
ウサギは足が速いのが自慢でした。ある日、カメレオンmwanalwihaがウサギに言いました。「ウサギさん、君は走るのが速いってみんな言うけれど、僕は君よりもっと速く走れるよ。」「そんなのありえないよ」と言ってウサギが笑い飛ばすと、カメレオンsanalwihaは「それなら競走してみようよ。あの向こうに置いてある椅子がゴールだよ。あそこに先に座ったほうが勝ちだよ」と言いました。よーいドン!スタートの合図と同時にカメレオンkalwihaはウサギのしっぽに飛び乗りました。でもウサギは一生懸命走っていたのでそれには気がつきません。ぴょーん、ぴょーん、ぴょーん。ウサギは走って走って走って、ついにゴールの椅子に到着。しっぽにカメレオンmwanalwihaがしがみついていることに気づかないまま、ウサギはゴールの椅子に座りました。すると下から「痛い、僕の上に座るなよ!僕はもう椅子の上にいたのに、君は後から座ったんだよ」というカメレオンmwanalwihaの声が聞こえました。カメレオンanalwihaはウサギのように速く走ることはできないけれど、知恵があったのでウサギに勝つことができました。
この民話、ズルをしたカメレオンが勝って終わるという、ほんとにこれで終わっていいのか!?と思ってしまうような結末だが((民話については連載の終わり頃にまた扱います)、とりあえずそれは置いておくことにして、「カメレオン」という名詞の形を見てみよう。マテンゴ語で「カメレオン」を表すのは9クラスのlwihaだが、民話の中ではmwana-という擬人化の接頭辞が付いてmwanalwihaで出てくる。「カメレオン君」といったところで、これがデフォルトの形である。ところがウサギをレースに誘うところでは、カメレオンはsanalwihaという形で現れている。sana-というのはマテンゴ語の7クラスの名詞クラス接頭辞の異形態であるが、民話の中では7クラスは「賢い」というイメージがある。ここはカメレオンが何か賢い案を思いついたところであり、「賢いヤツ」として表されているのだ。さらにウサギの尻尾に飛び乗ったときのカメレオンは12クラスのka-という名詞クラス接頭辞を伴ってkalwihaで出てくる。12クラスの名詞クラス接頭辞は指小辞で、これが付くと「小さい~」という意味が加わる。もちろん誰でもカメレオンがウサギよりも小さいことは知っているだろうが、ここでkalwihaを使うことで、小さなカメレオンがちょこんとウサギの尻尾につかまっている様子、そしてそれに気づかないウサギの様子を聞き手の頭の中に描かせている。そして最後のカメレオンはanalwihaで現れている。ana-は複数の人物を表す2クラスの名詞クラス接頭辞である。マテンゴ語では対象が単数であっても複数形を用いることで敬意を表すことができる。ここではカメレオンはひとり(1匹)だが、複数形の名詞クラス接頭辞を付けることで「知恵をもった者」という物語の勝者に敬意が表されている。こんなふうに、うまく名詞クラス接頭辞を使い分けるのが、民話のベテラン語り手の腕の見せどころである。
注1)16種類とする場合もある。バントゥ祖語の11クラスと14クラスがスワヒリ語では同じ振る舞いをするため、これらをどちらも11クラスとして扱うと15種類になる。14クラスを区別すると16種類になる。表1には参考までに14クラスも加えた。
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- 2024年06月18日 『3. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:バントゥ諸語の歴史 米田信子(大阪大学)』
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前回はアフリカの言語を社会言語学的に分類してみたが、系統的に分類すると、アフリカ大陸の言語は、ニジェール・コンゴ大語族、ナイル・サハラ大語族、アフロアジア大語族、コイサン大語族1)という4つの大語族に分けられる。この中で一番言語数が多いのがニジェール・コンゴ大語族である。アフリカには約2000の言語があることは第1回で述べたとおり。そしてその3/4にあたる約1500語をニジェール・コンゴ大語族が占めている。バントゥ諸語は、そのニジェール・コンゴ大語族に属している「ベヌエ・コンゴ語派」という下位分類の、さらに下位の下位、くらいに分類されるグループである。したがってバントゥ諸語というのは、系統樹的にはかなり下のほうに位置する1グループにすぎないのだが、その数は500-600言語、その存在感たるや、まるでひとつの語族のようでもある。(ところで、第1回でバントゥ諸語の数を「500-600語」と書くべきところが「500-6000語」となっていたのを友人が見つけてくれました。いくらなんでも6000語は多すぎっ! すみません、修正しました。)
バントゥ諸語の歴史
言語の拡散には大きく分けて2つのケースがある。ひとつは、ある言語が支配的になって、もともとその地で話されていた言語に取って替わる場合、つまり人の移動を伴わずに言語だけが拡散していく場合である。もうひとつは、人が移動していくことによってその人たちの言語が拡散していく場合、つまり人と言語が一緒に拡散していく場合である。地図1で線で囲んでいるのが現在のバントゥ諸語圏であるが、この広さゆえに、バントゥ諸語の拡散は言語だけが拡散したケースだと考えられていたこともあったようだ。しかし、これは話者の遺伝子を調べれば確認できることである。遺伝子を調べた結果、バントゥ諸語の拡散は後者、すなわち人の移動によるものであることが明らかになった(Bostoen 2018)。
今から6000-7000年前、ベヌエ・コンゴ語派から分派が始まり、何度も分派を繰り返しながら、現在のナイジェリア南東部とカメルーン西部にまたがる国境地帯(地図1の星印のあたり)でバントゥ系民族の祖集団が形成された。そこで話されていたのが、現在のバントゥ諸語の先祖にあたる「バントゥ祖語」である。今から約5000年前に話者たちはその地をスタートし、3000-3500年をかけて現在のバントゥ諸語圏である赤道以南アフリカ大陸に広く拡散していった。これは距離にして4000キロを超える大移動である。Bantu Expansionの名で知られるこの大移動は、距離だけでもすごいが、さらにすごいのは、言語だけでなく、農耕や定住といった新しい生活様式を広めることになったという点である。つまりバントゥ諸語の拡散の歴史は、同時にバントゥ系民族の移動の歴史でもあり、また農耕や定住の伝播の歴史でもある。Bantu Expansionは、アフリカ大陸における最も影響力のあるイベントのひとつであると言われるくらい、アフリカの歴史にとって重要なことなのである。
歴史はどのようにしてわかるのか?
拡散する前の祖語はどのようなものだったのか、それがどのように分岐し、どのような経路で拡散していったのか、といった言語の歴史を明らかにすることを目的とする歴史言語学の代表格が比較言語学である。比較言語学では、共通の起源を持つと考えられる同系の言語の規則的な音韻対応を手掛かりに、祖語を再建し、そこから分岐した諸言語の歴史を辿るという手法を用いる。しかし比較言語学は文献資料を持つ言語を前提として発展してきた学問である。実際にインド・ヨーロッパ語族の系統関係が研究の早い時期から明らかになっていた理由のひとつは、サンスクリット語、ギリシャ語、ラテン語といった紀元前に遡る文献資料を持つ言語が存在したことである(吉田 2018)。ところがバントゥ諸語にはそのような文献資料が存在しない。これはバントゥ諸語に限ったことではなく、アフリカ諸語には古い文献資料なんてものがないのである。書かれたものが存在していたとしても、それは極々限られた言語であり、それらだって紀元前どころか、せいぜいここ100年200年しか遡ることができない。そうなると、歴史を遡るための手がかりになるのは「現在の言語」だけである。したがって、バントゥ諸語の歴史的研究とは、現在の言語から過去を推測するということである。アフリカの場合は、気候や土壌の質といった環境的な条件からも、考古学的な「物的証拠」が出てくることがほとんど期待できないため、言語データは貴重な歴史的根拠である。
文献資料に慣れていると、書かれたものがないというのは甚だ頼りない感じがするかも知れない。それでもバントゥ諸語の歴史研究は、これまでそのようにやってきて、十分に成果を出している。バントゥ諸語の歴史研究の成果を見ると、たとえ古い文献が存在しなくても、共時的に観察される言語事実に歴史言語学の方法論を適用することで言語やその話者の過去を推察することができるのだと、むしろ勇気づけられる気がしてくる。
アフリカの歴史においてバントゥ諸語の歴史はそれくらい重要なのだが、私が調べているのは言語の歴史でも歴史的な言語でもなく、あくまで「現在のバントゥ諸語」である。歴史的な分析は歴史言語学者にお任せするとして、私の仕事は信頼に値する言語データを彼らに提供すべく、現在のバントゥ諸語の姿をしっかりと記述することである。調査の際に、目の前でしゃべってもらっているこの言語を聞き取ることが5000年の歴史につながるのだと思うと、ちょっとロマンを感じたりする。
「バントゥ諸語」であることの基準
前回も書いたように、言語は連続的なものである。ベヌエ・コンゴ語派のなかから「バントゥ諸語」という一派が分かれたと言っても、隣接する言語とはやはり連続的である。したがって「バントゥ諸語」というグループは、その連続体のどこかが切り取られたということになる。マルコム・ガスリーという英国の言語学者は、バントゥ諸語とそれ以外の言語とを区別する基準として次のような条件を挙げている(Guthrie 1948)。
[1]少なくとも5つ以上の名詞クラスを持つ。
[2]ほとんどの単語が膠着によって形成される。
[3]母音体系は、aおよび同数の前舌母音と後舌母音で構成されている。
[4]同語源の語彙を共有している。
[1]は、バントゥ諸語のいわば「きも」である。バントゥ諸語には「名詞クラス」と呼ばれる名詞の分類とそれを基盤とする文法呼応システムがある。各クラスには比較研究のために祖語を基にして一定の順番で番号がふられているのだが、スワヒリ語の例を挙げると、名詞は15種類の名詞クラスに分かれていて、panga「なた」、chungu「土鍋」、sahani「皿」は、それぞれ5クラス、7クラス、9クラスに属している。これらの名詞を修飾する -pya「新しい」という形容詞は、(1)が示すように被修飾名詞が属している名詞クラスに呼応して異なる形(jipya, kipya, mpya)で現れる。
(1) | a. | panga | ji-pya | 「新しいなた(5クラス)」 |
| b. | chungu | ki-pya | 「新しい土鍋(7クラス)」 |
| c. | sahani | m-pya | 「新しい皿(9クラス)」 |
[2]は、単語が「形態素」と呼ばれるいくつもパーツによって構成されているということである。たとえば、(2)のalinipikiaというスワヒリ語の動詞は6つの形態素で構成されている。日本語訳を見るとまるで文のような情報量だが、1単語の動詞である。
(2) | a-li-ni-pik-i-a |
| SM1-PST-OM1sg-料理する-APPL-FV |
| 「彼が私のために料理をしてくれた」 |
上の[1]-[4]の条件のすべてが揃っているものが「バントゥ諸語」として分類されるのだが、実際には、バントゥ諸語の祖地に近いカメルーンやナイジェリア南東部で話されている言語の中にはこれらの条件のいくつかを満たしていてバントゥ諸語と区別するのが難しい言語も少なくない。
そこで、バントゥ諸語とそれ以外の言語とを区別するもうひとつの手がかりが分類番号である。バントゥ諸語は、A83、N13のようにローマ字と2桁もしくは3桁の数字を用いて分類される。これはガスリーによる分類で、彼は、バントゥ諸語が話されている地域を15のゾーンに分けてローマ字をあて、さらに各ゾーン内の言語を10番台、20番台といった語群にまとめた。ガスリー以降いくらかの改訂が加えられ、現在では地図2のような17のゾーンに分けられるのが一般的である(米田 2022)。「バントゥ諸語」と認められたものには、この分類番号が付けられる。言い換えれば、この分類番号が付けられている言語が「バントゥ諸語」ということになる。いささか人為的な区切りであることは否めないのだが、今日でもバントゥ諸語研究にはこの区別が用いられている。バントゥ諸語に関する論文には、たいてい言語名に加えてこの分類番号が記してある。私がこれまでメインで調査を行ってきたマテンゴ語とヘレロ語とスワヒリ語は、それぞれN13、R31、G42である。表1に、バントゥ祖語で*-dim-が再構築されている「耕す」という動詞の分布を示しながら、各ゾーンの言語の例を挙げてみた。聞いたことがある言語名があるだろうか?
表1: 動詞 *-dim-「耕す」の分布
B85b | ヤンス語 | lịm |
C53 | テンボ語 | lem |
E61 | ルヮ語 | rem |
F21 | スクマ語 | lim |
G42 | スワヒリ語 | lim |
JD62 | ルンディ語 | rim |
JE11 | ニョロ語 | lim |
K14 | ルウェナ語 | lim |
L31c | ルバ語 | dim |
M42 | ベンバ語 | lim |
N13 | マテンゴ語 | lɪm |
N31 | チェワ語 | lim |
P21 | ヤオ語 | lim |
R21 | クヮニャマ語 | lim |
S33 | 南ソト語 | lẹm |
S41 | コサ語 | lim |
S42 | ズールー語 | lim |
(米田 2022)
注1) コイサン大語族は、厳密には系統的なグループではなく、系統がはっきりしないままに「南部アフリカ(および東アフリカの飛び地)で話されるクリック子音を持つバントゥ諸語以外のすべての言語」としてまとめられてきた。最近の研究(Güldemann 2014など)で、コイサン大語族には、少なくとも系統の異なる5つの語族が含まれていることがわかってきた。
参考文献
Bostoen, Koen 2018. The Bantu Expansion. Oxford Research Encyclopedia of African History. Oxford University Press.
Güldemann, Tom 2014. “Khoisan” linguistic classification today. Beyond ‘Khoisan’: Historical Relations in Kalahari Basin. John Benjamins.
Guthrie, Malcolm 1948. The Classification of the Bantu Languages. London: Oxford University Press.
吉田和彦 2018.「比較言語学」『日本語大辞典』東京堂出版.
米田信子 2022. 「歴史言語学から見るバントゥ系民族の移動」『アフリカ諸地域 ~20世紀』(岩波講座『世界歴史』第18巻)岩波書店.
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- 2024年06月11日 『2. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:アフリカの言語状況 米田信子(大阪大学)』
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今回は社会言語学的な視点からアフリカの言語事情を説明する。なお、この連載で扱う「アフリカ」というのは、言語数などを除いては、基本的に「サハラ以南アフリカ」であることを断っておく(これは初回で断っておくべきでした。すみません)。
アフリカには何言語くらいあるのか?
言語データベースEthnologe(Eberhard et al. 2021)には、アフリカで話されている言語として2,154語がリストされている。この数を言うと必ず「それはほんとうに言語なの?方言じゃないの?」といった質問が出てくる。それに対する回答は、「方言かもしれないし、言語かもしれない」である。
アフリカに限らず、それが方言なのか言語なのかという線引きに明確な言語学的基準があるわけではない。それを決めているのは多くの場合、政治的・社会的理由である。たとえばルワンダで話されているルワンダ語とブルンジで話されいるルンディ語はとてもよく似ている。どこが違うか探したくなるくらいで、もちろん問題なく相互理解もできる。しかしそれらは、それぞれ「言語」として別々の名前がついている。15年ほど前だったか、ジンバブエで話されているンデベレ語という言語の授業を見学したことがあるが、その授業で教科書として用いられていたのは南アフリカのズールー語の教科書だった。つまりこれらの言語は同じ教科書が使えるくらい似ているのだ。逆の例もある。たとえば、タンザニアのキリマンジャロ山の麓で話されている言語は、尾根ごとにかなり異なっている。上に挙げたルワンダ語とルンディ語のほうがよっぽどよく似ている。にもかかわらず、それらはいずれも「チャガ語」と呼ばれており、尾根ごとの違いは「チャガ語ヴンジョ方言」のように「方言」として扱われている。ナミビアの「カバンゴ語」は、カバンゴ地域で話されている諸言語につけられた名前である。ここに属する言語間に方言関係と呼べる言語学的な類似があるわけではないが、統治する側の都合で、実際には存在しない「カバンゴ語」の「方言群」としてこの名前で括られている。1つの言語が国境をまたいで用いられていることもよくあるので、必ずしも、国が違えば「言語」、国内なら「方言」というわけではないのだが、このような例はアフリカに限らずたくさんある。
そもそも言語は、最初から個別の「言語」として独立して存在しているわけではなく、ゆるやかな「方言」の連続体として存在しているわけで(米田 2012)、それを厳密に数えることなんてできないのだが、約2,000という数はアフリカの言語状況を表す数字として妥当なところだと思う。そしてアフリカの国の数は54(あるいは55)、言うまでもなくアフリカ諸国はどこも多言語国家である。しかも、ひとつの国で何十、何百という数の言語が話されている、言わば“超”多言語国家である。
多言語はどのように共存しているのか?
多言語社会では、言語は横並びではなく何らかの序列をもって共存するのが常である。アフリカ諸国においても、言語は異なる社会的価値を持って重層的に存在している。
まず底辺の層には、人々の母語にあたる数多くの民族語が並んでいる。この中にも民族の力関係などによる序列が存在するので、厳密にはこれらもまったくの横並びというわけではないが、社会的位置づけとしては概ね同じレベルであると言っていいだろう。たとえばコンゴ民主共和国では、テンボ語、ホロホロ語、レガ語といった200ほどある民族語がこれにあたる。自分の母語だけでなく、隣接する民族語も(程度の差はあれど)話せたり理解できたりすることが多い。私が初めてタンザニアでマテンゴ語の調査をしたときのことだが、「マテンゴ語母語話者」と名乗るコンサルタントと単語調査を始めた。ところが200語くらい集めた段階で、彼の母語がマテンゴ語ではなく隣接するンポト語であるということが発覚した。彼いわく、「俺はマテンゴ語もよく知っているから問題ない。」いや、言語調査ではそれは大きな問題なのだが、そんな感じでたいていは隣接する民族語を話せたりする。梶(2009)は、このようにひとつの地域社会や国において複数の言語が同レベルに横並びで使用されている状態を「水平的多言語使用」と呼んでいる。これらは、ほとんどが書記化されていない言語である。多くの人々にとって最も自由に扱うことのできる言語であるが、通用するのは家族や民族コミュニティといった狭い範囲に限られる。
その上の層が、民族を超えて周辺地域で用いられる地域共通語である。近隣の諸民族が利用する市場や多民族が混在する町の生活で共通語として用いられる言語で、その地域の主要民族の言語であることが多い。当然ながら地域共通語の数は民族語の数よりも格段に少なく、書記化されている言語もたくさんある。地域共通語は、母語と同等のレベルで運用できる人ばかりではないが、それでも第二言語としてはかなり普及している。たとえばコンゴ民主共和国であれば、東部地域のスワヒリ語、北西部地域のリンガラ語、中南部地域のルバ語、西部地域のコンゴ語が地域共通語である。ナイジェリアのように地域共通語が複数層になっているところもある。
階層の一番上にあるのが、その国の「公用語」である。公用語は、単に地域共通語よりも上にあるというだけではなく、その社会的位置づけは他の言語とは明確に一線を画している(米田2012)。多言語社会において何語を公用語にするかという「公用語の選択」は重要な課題であるが、アフリカ諸国では旧宗主国のヨーロッパ言語があたりまえのように公用語(少なくともそのひとつ)に定められている。ヨーロッパによる植民地支配が終わってからも、アフリカ諸国の言語階層の頂点には、英語、フランス語、ポルトガル語といったヨーロッパ諸語が君臨している。
このように重層的に存在している言語を必要に応じて使い分けている状況を、梶(2009)は「垂直的多言語使用」と呼んでいる。しかしながら、誰もが各層の言語を自在に操れるというわけではない。階層が上にある言語ほど、広域でのコミュニケーションを可能にし、より多くの情報や教育・就職の機会を提供するが、同時に、それを自在に操れる人の数は少なくなる。つまり、ヒエラルキーの頂点にある「広域でのコミュニケーション」を可能にする公用語は、「より多くの人々とのコミュニケーション」を可能にするわけではないのである。公用語については次の節でもう少し詳しく説明しよう。
アフリカの「公用語」と「国語」
アフリカの言語状況を語るとき、図1に出てくる公用語と、もうひとつ、図1には出てきていない「国語」については少し説明が必要である。
(1) 公用語
図1を見ると、「公用語」は「民族を超えて広く用いられる言語」というイメージがある。ところが、たとえばセネガルのウォロフ語は、第二言語として使用する人も合わせれば国民の70%以上が理解するが(砂野 2009: 132)、セネガルの公用語はフランス語である。ナミビアでは国民の約半数がオバンボ語の母語話者であるが、公用語は母語話者が国民の1%に満たない英語である(米田 2012)。
このように、アフリカ諸国において「公用語」というのは、必ずしも国民に広く用いられる言語ではなく、むしろ一握りの人たちにしか理解されない言語である。砂野(2009: 34)はアフリカの公用語について次のような指摘をしている。
多くのアフリカ諸国において、英仏語などの旧宗主国の言語が、それらを母語とする人がほぼ皆無であるというだけでなく、第二言語としてさえ国民の一部にしか普及していないにもかかわらず、事実上唯一の国家の公用語として、行政、教育をはじめとする社会のほとんどすべての公的分野を支配している。
アフリカ諸国の中には複数の言語を公用語に定めている国もある。南アフリカでは英語を含めて11言語を公用語に定めているし、タンザニア、ケニア、ウガンダでは英語とスワヒリ語を公用語に定めている。ルワンダのルワンダ語やエスヮティニのスワティ語など、国民の大多数が用いる言語が存在する国では、近年それらの言語をヨーロッパ言語と並んで公用語に定めるところが増えてきた。ジンバブエでは、2013年の憲法改正で、それまで唯一の公用語であった英語に新たに15言語を加えて ‘officially recognised languages’(The Constitution of Zimbabwe Amendment)という「公用語的」な言語を定めた。
しかしながら、これら複数の公用語(あるいは公用語的な言語)の中にもはっきりと階層が存在する。頂点に位置するのはいずれも英語で、その他の公用語が位置するのはその下である。これらの国における英語以外の公用語の機能と位置づけは、むしろ図1の「地域共通語」の階層である。つまり、公用語をひとつに定めている国だろうが複数言語に定める国だろうが、ヒエラルキーの頂点で社会的権威を独占しているのはヨーロッパ諸語なのである。
(写真5は、アンゴラとナミビアの国境である。表示はアンゴラの公用語のポルトガル語とナミビアの公用語の英語だが、この陸路の国境を通るのは、このあたりに住んでいる、おそらくポルトガル語も英語もあまり関係ない人たちがほとんどである。)
もちろん公用語にアクセスできなければ生活を営むことができないというわけではない。現に、エリート層以外のアフリカの大多数の人々は、英語やフランス語やポルトガル語とは無関係なところで日常生活を送っている。日常語として用いられているのは、自分たちの母語である民族語や地域共通語である。しかし、だからといって、「公用語を使わなくても/使えなくても事足りる」というわけではない。
アフリカでは、初等教育を民族語や地域共通語で行っている国も少なくない。特に20世紀末になってヨーロッパの影響で母語教育が奨励されるようになってからは、アフリカ諸語が教育の中に取り込まれるようになってきた。しかしながら、これは初等教育に限った話である。中等教育以上になると、どこの国でも公用語であるヨーロッパ諸語が媒介言語になる。ナミビアのように中学校以上の教育に語学科目として民族語を取り入れる国もあるが、そのような国であっても、語学科目以外の授業の媒介言語は英語である。したがって、中等教育以上の教育を受けるためには英語やフランス語やポルトガル語といったヨーロッパ言語が必要となる。仕事に関しても、高収入を得られる仕事に就くためにはヨーロッパ言語が必要である。つまり、アフリカ諸国では、公用語であるヨーロッパ諸語を使えなければ、教育も経済活動も情報もコミュニケーションも生活環境も、人々は(生きていけないわけではないにしても)「それなり」のところにとどまることを余儀なくされるのである。
(2) 国語
「国語」というと、どのような言語のことを思い浮かべるだろうか? 日本に住んでいると「公用語」と「国語」の違いが曖昧になるかもしれない。現に広辞苑には「国語」の説明の最初に「その国において公的なものとされている言語。その国の公用語」と書かれている(広辞苑第3版)。ところがアフリカ諸国における「国語」は、公用語とはまったく別物である。しかも、英語のnational languageやフランス語のlangue national(もしくはそれらの複数形)がどのような言語のことを指しているのかは、国によって異なっている。
たとえばタンザニアでは、スワヒリ語が「国語(lugha ya Taifa)」に定められている。スワヒリ語でlughaは「言語」、Taifaとは「国家」を意味する。したがって、タンザニアにおける「国語」とは「国家の言語」、すなわち、「国旗(bendera ya Taifa)」や「国歌(wimbo wa Taifa)」と同様に国を象徴するものである。「国語」に定められているということは、社会的権威が与えられているということである。それに対して、コンゴ民主共和国で「国語」に定められているのは、スワヒリ語、リンガラ語、ルバ語、コンゴ語である。あれ? この4言語はさっきも見た気がすると気づいた読者がいるかもしれないが、これらは上で地域共通語の例として挙げた言語である。そう、コンゴ民主共和国では「国語」というのは地域共通語、すなわち主要な民族語のことを指す。選ばれた言語ではあるが、タンザニアにおけるスワヒリ語のような社会的権威は特にない。さらにナミビアでは、「国語」が指しているのは、ナミビアで話されているすべての言語である。「国語」に選ばれたわけでもなく、いくつあるかもわからない。したがって社会的権威はまったくない。
このように、「国語」が指すものも「国語」の社会的地位も、国によって様々である。図1のような言語ヒエラルキーの中に「国語」を書き込めないのも、そのためである。なお、アフリカにおける「国語」については沓掛(2022)が詳しい。オンラインで公開されているので、興味のある人にはぜひそちらを読んでもらいたい。
今回は「踊る言語学」と言えるような内容ではなくなってしまったが、アフリカの社会言語学的状況をざっくりと説明した。次回から少しずつバントゥ諸語の話に入っていく予定である。
[1] 梶(2009)では「部族語」となっているが、「部族」というのは近年用いられなくなったtribeという差別語の和訳であることから、この連載では「民族語」と呼ぶことにする。
参考文献
梶茂樹 2009.「アフリカにおける言語と社会」梶茂樹・砂野幸稔(編)『アフリカのことばと社会』東京:三元社.9-30.
沓掛沙耶香 2022.「アフリカにおけるnational language(s)への一考察:タンザニアのlugha ya taifaを主な事例として」『スワヒリ&アフリカ研究』33, 19-49. (https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/87073/saak_033_019.pdf)
砂野幸稔 2009.「アフリカの言語問題」梶茂樹・砂野幸稔(編)『アフリカのことばと社会』東京:三元社.31-53.
米田信子 2012.「アフリカにおける識字を考える」『ことばと社会』14, 43-66.
The Constitution of Zimbabwe Amendment (No. 20) Act, 2013.
https://www.veritaszim.net/sites/veritas_d/files/Constitution%20of%20Zimbabwe%20Amendment%20%28No.%2020%29.pdf
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- 2024年06月04日 『1. 踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク:ようこそ、アフリカ! 米田信子(大阪大学)』
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「アフリカってどんなところ?」
初めてアフリカを訪れたのは1991年。西アフリカのトーゴとガーナに3か月滞在したときである。それ以来毎年行くようになり、それが仕事の一部になり、いつの間にかアフリカに行くことは私にとって「あたりまえ」のことになってしまった。あたりまえのことになったあたりから、いつどこに行ったとか、何に驚いたり感動したりしたかとか、あんまりよく覚えていないのだけれど、初めてのアフリカ滞在のことは今でもはっきりと覚えている。普段私は日記を書いたりしないのだが、この3ヶ月間だけは毎日日記を書いていた。日記を書いたのは後にも先にもこの3ヶ月だけである。それほど初めてのアフリカは衝撃的だった。
まず最初に思い出すのは青空市場のにおいである。太陽が照りつけるじっとりと暑い中で、体臭と汗、少し傷みかけた売り物の魚や肉、店番の人たちが食べている料理、捨ててあるゴミ、それらのにおいが混ざりあって、なんとも表現しがたい強烈なにおいを放っていた。初めて市場に行った日の日記を見直してみると以下のように書いてあった。
マーケットはものすごく強烈で、何を売ってるのかわかんないくらいぐちゃぐちゃ。野菜売り場のおばちゃんは、スープの中に魚とごはんが入ってるのを手で食べながら野菜や果物を売ってるから(もちろん売るときは手を拭いているんだけど、それでも)、どれもこれもぜんぶ油まみれ。マーケットのにおいがまたすごい。暑い中で魚とかお肉が並べてあるから、もうにおいだけで倒れそう。
幸いなことにちょうどオレンジの季節だったので、オレンジ売り場のさわやかな柑橘の香りが救いだった。私はオレンジ売り場を渡り歩くようにしながら、市場の中を歩いた(走り抜けた、というべきか)。
この20年ほどのあいだにアフリカは大きく変わってきた。経済成長も著しい。最近ではスーパーマーケットがずいぶん増えてきたし、青空市場でも、少なくとも肉や魚は涼しい屋内で売っているので、市場のにおいもずいぶんマイルドになってきた。それでも、アフリカはいろいろ強烈である。よく「アフリカってどんなところ?」っていうふわっとした質問をされることがある。これは困る。そもそもアフリカには55か国(日本政府が認めているのは54か国)もあるのだ。私が知っているのはその中のほんの一部だし、それらの国や地域のことだって、「どんなところか」と聞かれても説明できない。それでも敢えて一言で言うなら、「強烈なところ」である。この表現は誤解を招いたり差別を助長したりしてしまうかも知れないので慎重になる必要があるのだが、私にはこれが一番しっくりくる。もちろん市場のにおいだけではない。生活の知恵もいい加減さもつじつまの合わせ方も優しさも大らかさも、とにかくスケールが違う。だからこそ最高に魅力的で、ハマる。いや、沼る。
その魅力をこの連載でどこまで伝えられるのか自信はまったくないのだけれど、これから12週間、これまで私が行ってきたアフリカ諸語のフィールドワークをとおして見てきた、「アフリカ」の一端を伝えていきたいと思う。初回は、まず自己紹介から。
「なんでアフリカ?」
これもよくたずねられる質問である。時は1980年代中頃、世界的に「ワールドミュージック」というのが流行っていた。レコード・CD屋さんに行けば、「アフリカ」というコーナーがあった。「アフリカ」というコーナーだけでなく、「マリ」とか「セネガル」とか「ナイジェリア」とか国別の棚があるお店さえあった。最初に聞いたのはナイジェリアのサニー・アデ。それからザイール(現在のコンゴ民主共和国)のO.K.ジャズやパパ・ウェンバ、マリのサリフ・ケイタ、セネガルのユッスー・ンドゥールやイズマエル・ロー。どれも聴いてすぐに大好きになった。そしてアフリカに行ってみたくなった。それが私の「アフリカはじめの1歩」だった。
「言語学」という学問に興味を持ち始めたのもちょうどその頃である。ただしその頃は言語学がどういうものかもよくわかっていなかった。英語の文法をもう少しちゃんと理解したい、じゃあ「言語学」をやればいいのか、多分そのくらいのことだったんじゃないかと思う。「フィールド言語学」なるものを知ったのはそれよりもずっと後のことなのだが、そう、もともと興味があったのは確か「英語の文法」だったはず。なのに、興味はいつの間にか英語とはかけ離れた「誰も調査・研究したことがない言語」になっていた。興味なんてそんなもんだ。
世界には言語が6000-7000語もあると言われている。Ethnologueという言語データーベースには7,139がリストされている(Eberhard et al. 2021)。だから、「誰も調査・研究したことがない言語」だってたくさんある。アフリカだけでなく、そんな言語は世界中にある。でもせっかくなら、音楽をとおして大好きになったアフリカで調査をしてみたくなった。こうして私の「アフリカの言語研究」が始まった。
それから30数年が経つが、あのとき「アフリカの言語」を選んでよかったと今でも思う。いや、正直に言うと、もっと近いところにすればよかったなぁと思ったことも何度かある。いかんせんアフリカは遠い。それでも、やっぱり最終的には「アフリカ」を選択したことは大正解だった、というところにいつも行き着く。
タイトルのこと
この連載を始めるにあたり、一番悩んだのがタイトルである。最初は、「言語学者が見た『アフリカ』」とか、「言語学のフィールドワークから見るアフリカ」とか、なんかそんな感じのタイトルを考えていたのだが、参考までにと思ってこれまでの連載のタイトルを見てみると、どれもおもしろかったり、シャレを効かせてあったり、ちょっとおしゃれだったり、なんとも楽しそうなタイトルばかり。そこで私も、ちょっとキャッチーなタイトルにしてみた。私の勤務先である大阪大学外国語学部には25の専攻語があり、それぞれの専攻語に、たとえば、「灼熱のアラビア語」とか「情熱のスペイン語」とか「極寒のロシア語」とか、修飾語付きの呼び名がある。私が教えているスワヒリ語専攻は「踊るスワヒリ語」。なんだか楽しそうなこの名前を私は結構気に入っているので、それをいただいた。
「アフリカ=ダンス」というステレオタイプを増長させるようで、あんまり良くないかも、と思ったりもしたのだけれど、「踊る」が付くと言語学がちょっと楽しそうに聞こえるし、アフリカの言語研究にそういう楽しそうなイメージが付与されることを願ってこれでいくことにした。
そういえば、若いころはフィールドに行くたびに踊っていた。院生時代には、タンザニアで社会言語学の調査(伝統行事の中での使用言語を調べていた)を行うために村のダンスチームに加わっていたこともあった。おそらくこれは、アフリカに限らず多くの(特に女性)フィールドワーカーがやっていることだと思う。「踊る」って楽しいし、すぐに仲間に入れてもらえる。「踊るフィールド言語学者」はきっといろんな地域にいるはずだ。
調査・研究のこと
私が研究しているのは「バントゥ諸語」と呼ばれる言語群である。バントゥ諸語はアフリカ大陸の赤道以南、国の数にすると23か国に広く分布していて(Bostoen 2018)、その数は約500-600語と言われている。アフリカの言語はだいたい2000語くらいなので、その1/4以上をバントゥ諸語が占めていることになる。バントゥ諸語については、連載の3回目以降で詳しく説明する予定である。
バントゥ諸語のなかでもっとも有名なのはスワヒリ語だろう。遠く離れた日本の大学でも専攻できるほどの知名度である。おそらく多くの人が「サファリ(safari)」とか「ジャンボ (jambo)」といった単語を聞いたことがあると思うが、これらはスワヒリ語の単語である。ディズニー映画やミュージカルの『ライオン・キング』で(少し?)有名になった「ハクナ・マタタ(hakuna matata)」もスワヒリ語だ。私の主な調査対象は、このスワヒリ語、それから、タンザニアで話されているマテンゴ語とナミビアで話されているヘレロ語である。
マテンゴ語とヘレロ語とでは、調査に行く国が異なっているだけでなく、調査環境がまったく異なっている。マテンゴ語には文法書も辞書もない。まさに私がやりたかった「誰も調査・研究したことがない言語」である。ゼロからのスタート。たとえば、
(1) | liísɔmaríadʒwagólúlákítεlεːkɔ |
はじめは音の羅列である。意味もわからないまま聞こえたとおりに発音記号で書いてみるが、どこで区切れるのかもわからない。それが、(2)のように単語になっていく。
(2) | liísɔ | maría | dʒwagólúlá | kítεlεːkɔ |
さらに分析が進むと、それぞれの単語の意味もわかってくるし、もともと(3)のような基底の形だったところにいくつかの規則が適用されて、(2)のような音で実現しているということもわかってくる。
(3) | lisú | maría | dʒu-a-gólol-adʒé | kítεlεku |
| 昨日 | マリア | SM-PST-洗う-IMPRF | 土鍋 |
| 「昨日マリアが/は土鍋を洗った」 | |
(SM:主語呼応接辞、PST:過去時制接辞、IMPRF:非完結相語尾)
ここで適用されている規則は以下のようなものである。
① フレーズ末の狭母音は広母音で現れる lisu > lisɔ, kítεlεku > kítεlεkɔ
② フレーズ末の1つ前の音節の母音は長母音化して2モーラになる lisú > liːsú, kítεlεku > kítεlεːku
③ 語尾-adʒéが付くと直前の音節の母音が交替する gólol > gólul
④ 語尾-adʒéは後続語があると最終音節が脱落する -adʒé > -a
⑤ 動詞語幹頭の高声調は右に拡張する gólol > gólól
⑥ フレーズ末の高声調は前のモーラに移動する lisú > liísu
③の母音の交替はo→u、ε→aなどいくつかのパターンがあるが、ここで起きているのはその中の1つである。⑤の高声調の拡張は、語尾に高声調がない場合に限られる。-adʒéは2音節目に高声調があるが、この音節が脱落してしまうため、高声調の拡張が起きる。
私の博士論文がマテンゴ語の最初の「文法記述」となり、私が作った語彙集がマテンゴ語の最初の簡易辞書となった。「マテンゴ語の第一人者」と言われたりすることがあるが、マテンゴ語の研究者が他にいないのだから、まぁまちがいではないかもしれない(笑)。でも、アフリカ諸語の研究者は、ほとんどがその言語の「第一人者」である。
一方のヘレロ語は、私が調査を始めたときにはすでに辞書も文法書も聖書もあった。先行研究もある。学校の語学科目にもなっているので教科書もある。おかげで前提知識として基礎的なところ、上の例でいえば少なくとも(2)、あるいは(3)に適用されている規則のいくつかは事前に理解したうえで調査を始めることができる(もちろんそれでも確認のために一から調査はするのだが)。さらに英国とドイツにはヘレロ語を研究している研究者がいる。「第一人者」にはなれなかったが、その代わりにヘレロ語のデータや意見の交換ができる。
フィールドワーク中の生活環境もかなり異なっている。マテンゴ語が話されているのは、タンザニアの西南端に位置するリテンボという村である。まず日本から飛行機で(直行便はないのでどこかで乗り換えて)タンザニアの一番大きな街ダルエスサラームに到着。そこからリテンボまでは、バスを乗り継いで丸2日かかる。村に入る最後の10数キロは道が舗装されておらず、雨が続くと車が通れなくなるので雨季には調査に行けない。ゲストハウスがないので調査中は村の人の家にお世話になるのだが、電気やガスがないため、アウトドア用品が役に立ったりする。
一方、ヘレロ語の場合は、ナミビアの首都ウィントフックにヘレロ・コミュニティがあるので、日本から飛行機で(これも直行便はないので2度乗り換えて)ウィントフックに到着したら、すぐに調査を始められる。キッチン付きのゲストハウスもスーパーマーケットもある。マテンゴ語のフィールド調査に行くときはバックパックを担いでいくが、ヘレロ語の調査のときはスーツケースで行く。マテンゴ語のほうは帰国の数日前には村を出なければならないが、ヘレロ語の場合は帰国直前まで調査ができる。
どちらのフィールドワークにも、それぞれのおもしろさと良さがある。この連載でそのあたりのことも紹介できればいいな、と思っている。ちなみに、どちらのフィールドでも「踊る」ことは仲間に入れてもらうために有効だった。
12週間、どうぞよろしくお願いします。
参考文献
Bostoen, Koen. 2018. The Bantu expansion. Oxford Research Encyclopedia of African History. Oxford: Oxford University Press.
Eberhard, David M., Gary F. Simons, and Charles D. Fennig (eds.). 2021. Ethnologue: Languages of the World. (24th edition). Dallas, Texas: SIL International.
Van de Velde, Koen Bostoen, Derek Nurse and Gérard Philippson (eds.). 2019. The Bantu Languages. 2nd edition. Oxon/ New York: Routledge.
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- 2024年05月14日 『6月からの新連載のお知らせ』
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2月から12回にわたり、「さかさまの空の下で—インカの言葉をたどる旅」と題して、ケチュア語のみならず、アンデスの文化や感染症流行下でのフィールドワークの経験を共有してくださった諸隈先生、ありがとうございました。
さて、6月4日からの12回の連載は米田信子先生(大阪大学)による「踊る言語学:アフリカ諸語のフィールドワーク」です。米田先生はバントゥ諸語の研究をされています。この連載では、バントゥ諸語の基本的な文法や歴史、社会言語学・人類言語学的な内容、日本語との対照研究についてご紹介してくださる予定です。(野口)