ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界(ことば文化特設サイト)
ことば文化に関する気になるトピックを短期連載で紹介していきます。
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- 2023年09月26日 『12. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:今ウクライナで起こっていること(2) 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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前回に引き続き、ウクライナ情勢にまつわることばの問題を取り上げたいと思います。
※社会情勢を描写するため、侮蔑的な語彙を引用している箇所がありますが、こうした語彙の使用を支持するものではありません。
言語と政策、そして紛争
個人の言語使用そのものに対しては自由が保障される一方で、公用語の制定をはじめとして、言語に関して国家が何らかの方針を示すことは一般的に行われています。ウクライナではウクライナ語が唯一の公用語(現地では「国家語」と呼ばれます)と定められていますが、前回もお話しした通り主にロシア語を話す国民も多い状況が続いていました。こうした中、2014年のロシアによるクリミア併合やドンバス地域への侵攻を契機に、ウクライナ語の公的地位をさらに高めようとする動きが加速しました。2019年に当時のポロシェンコ政権が「国家語としてのウクライナ語の機能保障に関する法」を制定し、公的な場面においてウクライナ語使用が義務づけられました[1]。地域によってはロシア語を「母語」とする国民が少なくないものの、そういった人々も多くはウクライナ国民としてのアイデンティティを持ち、ウクライナ語を理解する現状を考えれば、「公的場面では公用語」といった政策は理解できるものだと言えるでしょう。
しかしロシア側はこのような政策を「ロシア系住民」への迫害と見なし、ウクライナの政権(ロシア側では「キエフ体制」を意味する《キーィフスキー リジーム(Киевский режим)》と呼ばれます)を民族主義的、さらには「ナチズム」的であると批判しました。最終的にロシア系住民の「保護」を名目としたウクライナ政権の打倒に動いたわけです。プーチン政権はこれについて、侵略や占領を目的とした「戦争」ではなく、自分たちの領域を防御する「特別軍事作戦」だと呼称しています。そして「戦争」と呼ぶことは禁止され、ロシア国内で「戦争反対」(ロシア語では《ニェート ヴァイニェー(Нет войне!)》)を唱える市民の逮捕も行われました[2]。ウクライナ政府がロシア語を弾圧していると批判しながら、国内では(ロシア語の中での)「言葉狩り」を通して反政府的活動の取り締まりを進めたわけですね。
言うまでもなくウクライナに限らずロシアを批判する側は、今回の軍事侵略を「戦争」と呼んでいます。ウクライナ語では、2014年に勃発したクリミアや一部ドンバス地域におけるものと区別する形で《ポウノマシュタブナ ヴィイナー(повномасштабна війна)》「全面戦争」という用語が特に使われます。さらにロシアのことを「侵略者」さらには「テロリスト」と称するほか、上述の「大義名分」に対する批判を込めて、ロシア国防省のことを《ミンテロリズム(мінтероризму)》「テロリズム省」と揶揄することもしばしばです(「ミン」は「省」の略称)。彼らの言うロシア系住民の「保護」が実際には「侵略」であるということですね。
「ルースキー・ミール」をめぐって
ウクライナにおいてロシアを侮蔑的に呼ぶ他の言い方として、《ルスニャー(русня)》ということばがあります(ウクライナ語もロシア語も共通です)。русの部分は以前紹介した「ルースキー」などから来ており、няの部分はいくつかの侮蔑語で見られる一種の接尾辞にあたります。ただし、ロシア語では「ロシア語」や「ロシア民族」という場合、「ルーシ」を基にした《ルースキー(русский)》という形容詞が用いられる一方で、ウクライナ語ではその場合「ロシア」を基にした《ロシーシキー(російський)》が使われます。このため「ルスニャー」についても、特にウクライナ語では「ロシア」ではなく「ルーシ」をイメージさせるものとなり、《ロスニャー(росня)》と言うべきだとする意見もあるようです[3]。しかしながら、ウクライナ側のテレグラムをはじめとする発信を見ていても、もっぱら「ルスニャー」が使われています。この背景には、先日紹介した「ルースキー・ミール」というロシア側の思想が関わっていると言えるでしょう。これも繰り返しになりますが、ロシアの現政権は、ロシア国外であってもロシア語(さらにはロシア正教)を共有する「ロシア民族」の住む領域を、「ルースキー・ミール」(ロシア的世界)として定義し、その中での支配力を維持しようとしています。まさに今回の侵略戦争の背景にある思想であるわけですが、ウクライナ側が批判する際にも、ロシア側の言い方をそのまま引用しており、ゼレンスキー大統領も2022年末の演説[4]で、「痛み、廃墟、墓地。これがいわゆるルースキー・ミールだ」と述べました。すなわち「ルースキー」ということば自体がロシア側のプロパガンダと結び付いており、「ルスニャー」が使われるようになった要因もここにあると考えられます。
現在のロシア政府による見解が決してウクライナ侵攻を正当化するものでないのは明らかですが、歴史的に「ルーシ」という国家がウクライナ・ロシア、そしてベラルーシの地を治めていたことは事実です。そして「ルーシ」の文化は当然ながら現在に受け継がれてきました。実際、ウクライナは「キエフルーシ」の後継であるという主張も見られ、ボルシチなどが「ウクライナ料理」であるという話もここに根底があるのでしょう。ロシアのやり方に対抗せざるを得ない状況ではありますが、ウクライナもロシアも文化的源流を共有しているという歴史的背景は認識すべきだと思います。一方で、「キエフルーシ」の中心が現在のキーウであったことから、ウクライナこそがその後継者であり、文化の起源もロシアではなくウクライナであるといった考え方に対しては、慎重に考えなければなりません。ウクライナであれロシアであれ、古代における「東スラヴ」のまとまりから分岐しつつ歴史の中で発展してきたのであり、どちらか一方が伝統を受け継いでいると言ってしまうのは不正確です。
ことばの源流と発展
すでにお話ししてきた通り、言語学的な分類としては、ウクライナ語もロシア語も東スラヴ語群に属し、系統的に近い関係を持っています。両言語が運用できるウクライナ国民が多数派である1つの要因はここにもあるでしょう。一方で、最近のロシア語を忌避する風潮と合わせて、ウクライナ語がロシア語とは異なることを強調するような記事が目立ちます。確かにソ連時代のウクライナ語がロシア語と近しいものであるとする主張の中に、プロパガンダに基づく非科学的なものも含まれていたことは事実です。より古く帝政ロシア時代には、「ウクライナ」ではなく「小ロシア」という呼び方がなされ、ロシアの一地方に過ぎないという意識がありました。そうした思想への反発は当然で、正当な反論はなされるべきでしょうが、「違い」のみに着目するのは学術的に妥当ではありません。
例えば少し前に、「ウクライナ語は聴覚印象でロシア語と52%異なる」といった研究結果が発表されました[5]。調査そのものは緻密なもので、意味的に対応する語について語彙的な相違点や音声・音韻的な相違点を洗い出し、数値化しています。両言語を含むスラヴ諸語の多様性については、これまでもご紹介してきました。しかしながらより広い観点から考えると、細かな違いはあるが概ね似通っている、といった全体的共通性が見えてきます。わかりやすさのために大袈裟な例を1つ挙げれば、「夏」はウクライナ語で《リート(літо)》、ロシア語で《リェート(лето)》と母音に一部違いはありますが、全体を考えれば似ており、また相違点についても規則的な対応があるわけです。一方で英語のsummerや、日本語の「なつ」は全く異なる音であり、言語的なつながりがないことは明らかですね。ウクライナ語とロシア語など、スラヴ諸語の間で観察される「多様性の中にある統一性」は、言語学が探ってきたものでありますが、そこには文化の源流があると言えるでしょう。
また、ウクライナ語とロシア語との関係で見逃せないのが方言の問題です。ここまで述べてきたような相違点は、両言語のいわゆる「標準語」を比較した上でのものですが、方言まで考えると地理的な「連続性」が見えてきます。当然といえば当然なのですが、例えばウクライナとロシアの国境付近では、「ウクライナ語」と「ロシア語」それぞれが互いに比較的近い特徴を共有することもあるわけです。例えば上に挙げたような[i]と[e]との母音の対応についても、北部方言ではロシア語と同じ[e]の発音が広く見られます。逆にロシア語の方言がウクライナ語の標準語に近い場合もあり、一番有名なのは[g]の摩擦音化です。綴りの上では同じгを書くのですが、例えば「英雄」はロシア語の標準語で《ゲローイ(герой)》である一方、ウクライナ語やロシア語の南部方言では《ヘローイ(герой)》となります。他にはアクセントのない母音[a]の発音があります。ロシア語の標準語では直前の「軟らかい」子音の影響で[i]の発音になる一方で、ロシア語の南部方言やウクライナ語の広い地域では変化しないと言われています。「記憶」を例にすると、ロシア語の標準語では《パーミチ(память)》、ウクライナ語の標準語では《パーミャチ(пам'ять)》です。ただしテレビのキャスターなどの発音を聴いていても、語によっては[i]の発音がよく現れる場合もあり、標準語的な発音の中でもかなりバリエーションがあるようです。
以上のように、ウクライナ語とロシア語との違いだけを強調するような議論は、正当なものとは言えません。言語を含めた文化や歴史について、その源流を今一度遡りつつ、両者の共有してきたものに着目することが大切ではないかと思います。
おわりに
ウクライナ戦争を考えながら、ウクライナ語やロシア語をはじめとするスラヴ諸語についてお話ししてまいりました。スラヴ世界では、かつてユーゴスラヴィアの内戦も起こっており、残念ながら情勢が不安定な地域も多いのが現実です。
戦争関連のニュースを目にすると、どうしても政治や軍事について意識が行ってしまいがちですが、何よりもそこに関わる一人一人の命や暮らしが関わっていることを無視してはなりません。そして人々の思想や言動の背景には、それぞれの地で長い年月をかけて培われてきた文化があるわけです。日本をはじめ、外の世界からそれを理解することはもちろん難しいでしょう。それでも、ことばという目に見える形で現れるものに着目することで、少しでも現地の人々に寄り添って考えることができるのではないかと考える次第です。一刻も早く平穏が訪れることを願いつつ、一言語学者として出来ることを今も模索しております。
参考記事
[1] Верховна Рада ухвалила закон про українську мову (https://tsn.ua/politika/verhovna-rada-ukrayinska-mova-1335663.html)
[2] "Нет войне": как в России наказывают за пацифистские надписи (https://www.bbc.com/russian/news-60926083)
[3] Визначення «Русня» (https://www.slangzone.net/word/%D0%A0%D1%83%D1%81%D0%BD%D1%8F)
[4] Зеленський: Біль, руїни й могили - це «русский мир», який зупиняють наші герої (https://www.ukrinform.ua/rubric-ato/3638081-zelenskij-bil-ruini-j-mogili-ce-tak-zvanij-russkij-mir-jogo-zupinaut-nasi-geroi.html)
[5] Українська мова на слух відрізняється від російської на 52% – спостереження і розрахунки (https://texty.org.ua/articles/105635/ukrayinska-mova-vidriznjayetsja-vid-rosijskoyi-na-52-sposterezhennja-i-rozrakhunky-prohramista/)
参考文献
Атлас української мови: в 3 т. / АН Української РСР, Ін-т мовознавства ім. О. О. Потебні [та ін.]; [редкол.: І. Г. Матвіяс (голова) та ін.]. - Київ: Наукова думка, 1984-2001.
Бевзенко, С. П. Українська діалектологія. Київ: Вища школа, 1980.
Пожарицкая, С. К. Русская диалектология. Москва: Академический проект, 2005.
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- 2023年09月19日 『11. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:今ウクライナで起こっていること(1) 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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戦争においては、悲惨な被害の状況や政治・軍事の動きが着目されがちですが、状況を深く理解するためには社会的・文化的背景が不可欠でしょう。そしてその根幹にあるのが、日々のコミュニケーションや情報・意見の発信に使われる言語です。残り2回の連載では、ウクライナ情勢にまつわることばの問題を取り上げたいと思います。
母語・使用言語とアイデンティティ
前回ウクライナにおける言語状況について少しお話ししましたが、まずはその点についてもう少し詳しく述べます。ソ連時代もウクライナ語教育は行われていましたが、ソ連の中心言語はロシア語であり、両言語の「ダイグロシア」と呼ぶべき状況でした。1991年の独立後はウクライナ語の地位が急速に高まりますが、特に東部・南部ではロシア語を話す国民が多い状況が続いていました。2017年5月にキーウ国際社会学研究所が行った調査[1]によると、家庭における家族との会話において、西部では92.7%の回答者が主にウクライナ語を使うのに対して、東部と南部ではそれぞれ60.8%, 61.7%の回答者がロシア語を主として使うという結果が出ています。北部と中部では主にウクライナ語を使う割合が半分を少し超える程度ですが、主にロシア語を使う回答者の割合は低く、両言語を用いるという回答が多いのも特徴です。一方で各言語が使えるかという質問に対しては、ロシア語については最も低い西部でも72.2%が肯定的に、ウクライナ語については最も低い東部でも81.9%が肯定的に回答しており、全体としては両言語が併用されていると言える状況です。表1, 2に調査結果を引用します。
表1: 家庭における使用言語(2017年の調査結果)単位: %東部南部北部中部西部主にウクライナ語11.416.153.355.592.7両言語27.822.227.728.85.0主にロシア語60.861.719.115.72.2
表2: 各言語が運用できる回答者の割合(2017年の調査結果)単位: %東部南部北部中部西部ウクライナ語81.985.393.195.998.5ロシア語98.598.990.491.772.2
ウクライナ戦争について論評される際に、東部や南部では「ロシア系住民」が多いという言い方がされる場合がありますが、ここには上述のような使用言語が背景にあります。そしてロシアの政権側も「ロシア系住民の保護」という名目でウクライナ侵攻を正当化してきました。しかしここで考えなければならないのは、「ロシア語」がそのまま「ロシア(連邦)」と結びつくわけではないということです。2014年9月に同研究所が使用言語と「アイデンティティ」との関係性について調査を行いました。結果全体についてはやや複雑な話になるので割愛しますが、自らがウクライナ国民とロシア国民のどちらだと考えているかという質問に対して、ロシア語話者のうち西部・中部では81.3%、東部・南部では50.1%が「ウクライナ」を選択しました[2]。後者は割合が低いような印象ですが、残りが「ロシア」というわけではなく、26.0%が「ロシア」で20.2%は「両方」と回答しています(なお正式な「二重国籍」については、ウクライナでは認められていません)。ここから少なくともわかることとして、「私はロシア語を話すけれどもウクライナ国民だ」という住民が多く、使用言語を基準に「ロシア系」と安易に判断してはならないのです。同調査では自らの国民性をどのように判断するかも質問されていますが、使用言語を挙げる回答者は全体的に少なく、多くが親の国籍を理由として挙げていました。
なおこういった状況は、ロシア語話者の多いベラルーシについても言えることです。2020年8月に行われたベラルーシ大統領選挙では、現職だったルカシェンコ氏が公式発表によると8割ほどの得票で再選されましたが、不正疑惑が噴出し大規模な反政府デモが行われました。同氏はロシアとの関係を重視している一方で、対立候補であったティハノフスカヤ(ベラルーシ語ではチハノウスカヤ)氏は、ロシアと距離を置きEUやアメリカとの関係構築を掲げていました。ティハノフスカヤ氏はリトアニアに事実上の亡命という形になりましたが、現在も国外からベラルーシの民主化運動のほか、ウクライナとの連帯を呼びかけています。こういった活動は反ロシアとも言えるわけですが、ベラルーシでは政治的思想と言語とは基本的に切り離されています。すなわち、反ルカシェンコ運動とベラルーシ語普及の動きは連動していないわけです。
戦争によるロシア語離れ
上で挙げた調査からわかる通り、2014年初めのクリミア併合およびドンバス地域の一部占領以降も、東部・南部を中心にロシア語が広く使われていました。しかし2022年2月の全面戦争勃発で状況は変わります。同年12月にキーウ国際社会学研究所が行った調査[3]によると、日常生活においてロシア語のみないし主にロシア語を使う回答者の割合は、2017年の26%から15%に低下しました。さらに職場や学校に限定した場合については、ウクライナ語のみないし主にウクライナ語を話すと答えた割合が、2017年の43%から68%に急増し、ウクライナ語とロシア語の両方を話す割合が33%から19%に低下しています。表3に調査結果を引用します。
表3: 場面ごとの使用言語単位: %日常生活職場・学校2017年2022年2017年2022年ウクライナ語のみ34412650主にウクライナ語15171718両言語25243319主にロシア語149167ロシア語のみ12684
さらに意識面について見てみると、ロシア語が「重要な」言語ではないと考える割合が、2014年9月の調査における9%と比べて58%に急増したのです。以上をまとめると、ウクライナ語を重視する動きが加速し、公的な場面ではロシア語の使用を意識的に避けようとしている様子が窺えます。
こうした風潮は芸能界にも影響を与えています。かつてロシア語で歌っていたアーティストたちがウクライナ語の曲を製作しはじめ、メディアでの発信やSNSの投稿もウクライナ語に切り替えるといった動きが広がりました[4]。中にはファンをはじめ国民に対して、ロシア語を使わないよう呼びかける人もいるほどです。根底にあるのは、自らと母語を共有するロシアの人々が自分たちの国を侵略していることに対しての、想像を絶する怒りや悲しみに違いありません。さらに戦略的観点から言えば、ロシア側が《ルースキー イズィーク(русский язык)》(ロシア語)を話すウクライナ国民を「ルースキー」な同胞とみなし、そうした人々をウクライナの「民族主義者」から保護するなどという理由付けをしていることへの対抗措置なのでしょう。これまで述べてきた通り、言語と国家は本来的には独立したものであり、日常的にロシア語を話していても「ウクライナ国民」を自認する人々が多数派である実情を鑑みても、プーチン政権のこうした論理が破綻していることは明確です。一方でウクライナ側がロシア語を排除することによって、ウクライナという国家とウクライナ語という言語との結びつきが強調されることで、逆にロシア側の論理を補強する形になりかねない点には注意すべきでしょう。現地で苦しむ人々が感情的になるのは致し方ありませんが、日本など外から情勢を見る際には、公平かつ冷静な考察を心がけたいものです。
ロシア語の使用状況
ウクライナでは反ロシア的風潮の中で、現代音楽に限らずバレエやクラシック音楽などに至るまで、ロシアの芸術家による作品は上演・演奏が禁止されてしまいました。一方「ロシア語離れ」については、公的にロシア語が「排除」されたわけではありません。そもそも個人の使用言語を制限することは人権に関わる問題であり、ウクライナ政府も気を遣っています。2022年5月にキーウ国際社会学研究所が行った調査[5]では、93%がウクライナにおいてロシア語を話すことに対する迫害はないと回答しました。ただしここでは、ロシア語話者だけが回答しているわけではない点に注意しなければなりません。
メディアにおいても、ほとんどのニュースサイトにはロシア語版があり、全面戦争勃発後の公共放送についてもロシア語で行われているチャンネルがあります。そこで出てくるスローガンに「ロシア語で出来るのは噓をつくことだけではない」(На русском можно не только врать.)というものがあり印象的でした。もちろんこれはロシアに対する批判も含まれているわけですが、ロシア語がロシアという国家のイメージを呼び起こす一方で、ロシアのやり方に賛同しないロシア語話者もいるのだとアピールしているのでしょう。また、ウクライナ語の公共放送においても、ロシア軍に攻撃を受けた場所などでの現地インタビューにおいて、住民がロシア語で話す様子を伝えることがあります。なお興味深いことに、ウクライナ語の字幕はつけずにそのまま流しているのです。ここからも、ウクライナにおいてロシア語は少なくとも通じるということがわかります。さらに、ロシアやベラルーシの人権活動家などへのインタビューにおいても、ロシア語で答えているものをそのまま流すことが多いです。
とはいえ、全体的傾向としてはロシア語離れが進むことは避けられないでしょう。ロシア語がロシア帝国やソヴィエト連邦によるウクライナ支配の象徴となっているのは仕方ありません。しかし一方で、結果としてロシア語を使って多くの人々が生活し、社会や文化が発展してきたことも事実です。ロシア語を追放することによって、培われてきた文化が失われてしまわないよう願うばかりです。
参考記事
[1] Соколова, С. О. (2021) Українско-російский білінгвізм в України: сприйняття зсередини та зовні. Українська мова 3(79): 30–53.
[2] Kulyk, Volodymyr. (2019) Identity in Transformation: Russian-speakers in Post-Soviet Ukraine. Europe-Asia Studies 7(1): 156–178.
[3] Мова та ідентичність в Україні на кінець 2022-го (https://zbruc.eu/node/114247)
[4] "Перевзулися" чи змінили переконання? Якими стали російськомовні українські зірки за рік війни (https://www.rbc.ua/rus/styler/pidlashtuvalisya-chi-zminili-perekonannya-1677222438.html)
[5] Індекс сприйняття російсько-української війни: Результати телефонного опитування, проведеного 19-24 травня 2022 року (https://www.kiis.com.ua/?lang=ukr&cat=reports&id=1113&page=1)
- 2023年09月12日 『10. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:ペンは剣より強し(言語と国家、戦争) 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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昨年2月に始まったウクライナ全面戦争のニュースは、瞬く間に世界を駆け巡り、現代社会に測り知れない衝撃を与えました。前回のお話を振り返るまでもなく、こうした一大事は日常的に使うことばにも非常に大きな影響を与えています。今回はスラヴ諸語について、戦争をはじめとする国家が関わる問題について取り上げます。
母語と第一言語、方言と公用語
生まれ育つ中で身につける言語を「母語」と呼びますが、日本で生まれた人はほとんどが日本語を母語とし、日本語を使って日常生活を送っています。日本の中にいると、これはわざわざ言うまでもない極めて当たり前のことだと思ってしまいますが、世界的にはそう単純ではありません。そもそも日本における状況も、「日本語」と一括りにせず方言まで考慮した場合、例えば母語は「津軽弁」だが現在は普段「標準語」を使っているといった方はたくさんいらっしゃることでしょう。社会言語学では、生育過程で獲得した言語や方言のうち日常生活において優先的に用いるものを「第一言語」と呼びますが、母語と第一言語は必ずしも一致しないわけです。こうした方は母語と第一言語の複数を話す「バイリンガル」とも言えますが、正確な用語としては、公的な位置付けの異なる複数言語を併用する状況は「ダイグロシア」と呼ばれます。
日本では基本的に「方言」レベルの話ですが(ただし、近年では沖縄の方言は「言語」として捉えるべきだという学説が主流となっています)、複数の「言語」が話されている国もあります。その中で着目すべきことは、各言語がどのような地位を有しているかという問題です。国家が政治や経済において公的に用いる言語として指定したものは「公用語」と呼ばれますが、複数言語が話される国では、母語と公用語が違うのも珍しくはありません。もっとも顕著な事例は、大国に支配された属国や植民地でしょう。初めの方でお話ししましたが、スラヴ語圏でも長い間自らの民族国家が持てずにいた地域もたくさんありました。例えばハプスブルク帝国の支配下にあったチェコやスロヴァキア、クロアチアやスロヴェニアでは、各民族はスラヴ諸語を母語としていたわけですが、公用語はドイツ語(あるいはラテン語)だったわけです。
やがて民族独立の動きが高まる中で、自らの言語についても公用語のような地位を確立させようとなるわけですが、ここで問題となるのは方言です。公用語でなかった「民衆の」ことばは、当然ながら各自の話すもので方言差が大きく、また文献記録が少ないため、いわゆる「標準語」と呼ばれるものも確立していません。すなわち「方言」と「言語」の境界は曖昧なわけですね。例えば現在では「チェコ語」と「スロヴァキア語」は異なる言語として確立していますが、地理的に近くかつてはチェコスロヴァキアという1つの国家を成していたこともあるぐらいで、類似点が多く相互理解も難しくないと言われています。標準語が成立する以前の諸方言の時代を考えれば、現在のチェコ・スロヴァキアの国境付近ではかなり近いことばが話されていたと言えるでしょうし、逆に地理的に遠いところを比較すれば、現在の両標準語以上の差異もあるでしょう。むろん国家の成立において公用語の位置付けはたいへん重要なものですが、その過程における標準語の形成において地理的連続性が見えづらくなる面もあるのです。少なくとも、「言語」が一定程度政治的・社会的に作られたものであるということは、頭に入れておくべきでしょう。日本でもしもヨーロッパのような国境線の変更が生じていたとしたら、「関東語」や「近畿語」などが出来ていたかもしれないですね。
以下ではスラヴ語圏の中から、2つの具体的な事例を紹介したいと思います。
旧ユーゴスラヴィアと「セルビア・クロアチア語」
西はハプスブルク帝国、東はオスマン帝国の支配を受けていた南スラヴの地域は、露土戦争や第一次世界大戦を契機に民族国家の設立に向かいます。結果としてブルガリアを除く地域では多民族国家ユーゴスラヴィアが成立しました。その中で、現在のセルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ(現地名ではツルナ・ゴーラ)、およびコソボの一部で話されていたことばを基盤に確立した「セルビア・クロアチア語」が中心言語となります。19世紀から主にベオグラードおよびザグレブにおいて民族運動と連動する形で標準語の形成が始まっていたのですが、それらを統合したわけですね。もちろん方言差はあり、特にセルビアの方は「エ方言」、クロアチア語の方は「イェ方言」と呼ばれるような発音の差が顕著です。例えば「牛乳」を意味する語について、前者は《ムレコ(млеко / mleko)》、後者は《ムリェコ(mlijeko)》となります。また、セルビアでは元々キリル文字が主流で最近はラテン文字も併用されますが(写真1)、クロアチアではラテン文字のみが用いられます。図1にいくつかの相違点を例示します。
クロアチア意味млеко / mlekomlijeko牛乳август / avgustkolovoz8月шта / tato何
しかしながら文法や語彙は概ね共有しており、単一性が保たれた言語として見なすことは可能で、国家形成とともに公的に「セルビア・クロアチア語」という1つの言語が誕生したのです。
第二次世界大戦を経て社会主義政権が誕生しましたが、ソ連と距離を置き、西側諸国とも関係を持っていたこともあり、経済的にも比較的安定していたと言われています。しかし1980年に最高指導者チトーが死去すると、国家運営が不安定になり、徐々に民族主義的な動きが活発化してゆきました。やがて民族間の対立が激化し、1991年にはスロヴェニアとマケドニアが独立します。その後クロアチアの独立をめぐって大規模な戦闘に発展し、さらにはボスニア・ヘルツェゴヴィナやコソボにも波及し泥沼化します。最終的にNATOや国連の介入もあって終戦を迎えましたが、ユーゴスラヴィアは当然ながら崩壊し、各民族国家が独立しました。ただし、ボスニア・ヘルツェゴヴィナは現在も多民族の連邦国家です。
国家の分裂は言語の分裂も引き起こしました。「セルビア・クロアチア語」ではなく、「セルビア語」・「クロアチア語」のほか、「ボスニア語」や「モンテネグロ語」が確立していったのです。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ以外では1つの「言語」のみが公用語とされており、クロアチアのEU加盟によってEU公用語にも「クロアチア語」が含まれています。特に悲惨な戦争を経た地域では言語と国家の結びつきがより強く意識されるのでしょうが、一方で言語の連続性が失われることは、文化的な問題も引き起こすのではないかと思われます。
ウクライナ・ベラルーシの言語状況
「外」からの支配を受けていた南スラヴと異なり、ウクライナやベラルーシは他のスラヴ民族、すなわちロシアやポーランドという大国に組み込まれていました。古代ではキエフ・ルーシという大国の一部にあり、そこに東スラヴ諸語の起源があったわけですが、ポーランドの支配下に入った地域では現地の東スラヴ系のことばに西スラヴであるポーランド語の影響が加わり、結果として現在のロシア語とは様々な違いが見られます。例えば「人物」という語はウクライナ語で《オソーバ(особа)》、ベラルーシ語で《アソーバ(асоба)》ですが、これはポーランド語の《オソーバ(osoba)》と対応している一方で、ロシア語では《リツォー(лицо)》という全く異なる語が使われます。参考までに図2にいくつかの例を挙げます。
ロシア語ベラルーシ語ウクライナ語ポーランド語意味лицоасобаособаosoba人物часгадзінагодинаgodzina1時間вкусныйсмачнысмачнийsmacznyおいしいискатьшукацьшукатиszukać探す
その後ポーランド王国が周辺国の手によって分割され、東スラヴの領域は完全にロシア帝国領となります。ロシア革命以降はソヴィエト連邦が成立しますが、いずれの時代もウクライナとベラルーシの地域ではロシア語が中心言語でした。当然ながらウクライナ語やベラルーシ語にもロシア語からの影響が及びますが、特にソ連時代は政策によるものが顕著です。ウクライナ語においては、いくつかの語彙についてロシア語に近いものを使用させるなど、ロシア語に近づけようとする動きが再三にわたり見られました。ベラルーシ語においても標準語形成の過程において、ロシア語に近いものが考案され、公的なものとされました[1]。また、ウクライナ・ベラルーシは連邦内の「共和国」という位置付けであったものの、全体的なロシア化が進められ、出版物や学校教育における言語もロシア語の割合が多数を占めるようになります。特に教育による影響は大きく、例えばウクライナ語を中心とした家庭においても、将来の出世を見込んで学校ではロシア語で教育を受けるようになり、社会に出ればやはりロシア語を使うといった状況が徐々に確立されてゆくわけです。このように、国家権力による言語の統制は国民生活に根本から影響を与えるものであり、将来的に被支配層の言語を駆逐しかねないものだと言えます。戦闘によって死傷者が出ることももちろん悲惨なものですが、征服された後の国家の改造、そしてその根本にある言語の存在は、これからも注目してゆかなければなりません。
1991年のソ連崩壊後、ウクライナとベラルーシはそれぞれ独立を果たしますが、その後の言語状況には大きな違いがあります。ウクライナでは、西部ではウクライナ語、東部・南部ではロシア語を母語とする人口が全体として多いですが、公用語はウクライナ語のみと定められ、学校教育においてもウクライナ語が基本となりました。一方で2017年の世論調査において、家庭で主に使用する言語には地域差があるものの、大多数の国民がウクライナ語とロシア語の両方が運用可能だと回答しています[2]。一方ベラルーシでは、当初ベラルーシ語のみを公用語として定めましたが、特に都市部ではベラルーシ語が話せない人が多く、1995年にロシア語が公用語に追加されました。学校ではベラルーシ語教育が行われ、街中の標識などはベラルーシ語で書かれているのですが(写真2)、実態としては今でもロシア語が主要言語です。ただしここで注意すべきことは、両国ともにロシア語の使用が、ロシア連邦という国家に結び付いたものではないということです。これについては次回お話ししたいと思います。
参考記事
[1] 清沢紫織(2021)「現代ベラルーシ語の標準語規範の分裂と対立」, スラヴ研究68号, 1–43.
[2] Соколова, С. О. (2021) Українско-російский білінгвізм в України: сприйняття зсередини та зовні. Українська мова 3(79): 30–53.
参考文献
桑野隆・長與進(編)『ロシア・中欧・バルカン世界のことばと文化』, 成文堂, 2010年.
三谷惠子『スラヴ語入門』, 三省堂, 2011年.
- 2023年09月05日 『9. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:「看護婦」や「女教師」は差別?(言語と社会のつながり) 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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前回までは主に、スラヴ諸語の一般的な特徴についてお話ししてまいりました。今回より、昨今の情勢も踏まえつつ、ことばが社会からどのような影響を受けているのかについてお伝えしたいと思います。
ことばの「正しさ」を求めて
これまでスラヴ諸語の様々な特徴を見てまいりましたが、言語によって違いが出てくることがわかるかと思います。また、同じ「言語」を話す人々の中でも、様々な局面において言語観の違いは出てきます。現代社会では原則的に共通の国語教育を受けているわけですが、ことばを使うのがあくまでも各個人である以上、人それぞれ違いは出てくるのは必然です。結果として生じる多様なことばを捉えるのが言語学の基本的立場なのですが、一方で社会的には言語に対する「規範」がありますね。「ことばの乱れ」といった言い方もありますが、そもそもことばの「正しさ」とは何なのでしょうか?
いわゆる「標準語」と呼ばれるものが成立するまでには様々な経緯がありますが、一般的には、多数派の住民が話すことばを基盤としたものが、国家をはじめとする何らかの権力を後ろ盾としながら、学校教育やメディアでの使用によって社会に広く定着したものが「正しい」言語とされます。そうした歴史的発展に加えて昨今着目されるのが、いわゆる「ポリコレ」、ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)という考え方です。特に「差別的な」語彙を排除する動きは顕著で、「ビジネスマン」や「看護婦」のように一方のジェンダーに結びついた表現や、「インディアン」や「エスキモー」のような民族に関する特定の表現などが、公的な場から姿を消しました。
ジェンダーをどう考えるか
では、そのような動きはスラヴ諸語にも見られるのでしょうか。まずはジェンダーについてですが、全体として職業を表す名詞には今でも「男性形」と「女性形」が広く使われています。「女性形」は「男性形」から派生する場合も多く、男女が混ざっている場合など特に区別をしない時には「男性形」(の複数形)が用いられるのです。一例を挙げると、「教師」はウクライナ語で《ヴィクラダーチ(викладач)》ですが、ここに-каという接尾辞を付けた《ヴィクラダーチカ(викладачка)》という女性形があります。最近の外来語である《ブローヘル(блогер)》「ブロガー」にも《ブローヘルカ(блогерка)》という女性形があるほどで、こうした区別は公的メディアでも普通です[1]。すなわち、「ビジネスマン」を「ビジネスパーソン」、「看護婦」を「看護師」に変えるような動きは起こっていないと言えます。
しかしながら、そのような語彙的な「男女の区別」が「男女差別」と結びついていると考えるのは違います。以前お話しした通り、スラヴ諸語の名詞には文法的な「性」があり、人物を指す場合はやはり男性には男性名詞、女性には女性名詞を用いるのが自然だという論理が働くのでしょう。もちろんこうした文法体系に「男女平等」が欠けているといった主張もできなくはないのでしょうが、長い歴史の中で培われ、根付いた特質そのものに差別的意図が含まれているというのは無理があるように思います。このため、いわゆるポリコレの対象外となるのです。現在EUに加盟するスラヴ圏の国も多いですが、「女性形の使用を廃止せよ」といった議論を巻き起こすことはありません。一方日本語には文法的な性がありませんから、ことばの由来に差別的な意図がなかったとしても、例えば「看護婦」が意図的に女性と結びつけられているといった印象が出てきても不思議ではないのでしょう。
ちなみにポリコレとはやや違うのですが、ジェンダーに関して1つ興味深い話があります。最近キーウにある「母なる祖国」像(写真1)の紋章が、ソ連のものからウクライナのものに取り替えられ、名称も「母なるウクライナ」に変更される予定だと話題になりました[2]。これは元々ソ連時代に建設されたもので、ロシア語では《ローディナ・マーティ(Родина-Мать)》と呼ばれます(ローディナが「祖国」、マーティが「母」)。第二次大戦時の「母なる祖国が呼んでいる」と書かれた徴兵のポスターも有名です。この「ローディナ」ですが、「生まれる」と共通の語源であり、もっと広く「故郷」という意味でも使われます。さて、ロシア語ではもう1つ「祖国」を意味する《アティェーチストゥヴァ(Отечество)》という語があるのですが、面白いことにこれは「父」という意味の《アティェーツ(отец)》が語源なのです。つまりロシア語には「母なる祖国」と「父なる祖国」があるわけですが、「ローディナ」は女性名詞であることから「母」と結び付きやすいと言えます。一方ウクライナ語では、《ローディナ(родина)》は「家族」という意味で、「祖国」という語は《バーティコ(батько)》「父」に由来する《バティキフシチーナ(батьківщина)》のみです。結果として、キーウにある像の名前もウクライナ語では《バティキフシチーナ・マーティ(Батікивщина-Мати)》となり、語のつながりとしてはややちぐはぐな感じがします(「祖国」は女性名詞ではあります)。ソ連の紋章が撤去されたのは何よりも政治的動きですが、名称が《ウクライーナ・マーティ(Україна-Мати)》に変更されようとしている背景には、ことばに潜む「母性」や「父性」が関連しているのかもしれません。
ウクライナの位置付け
一方で、スラヴ諸語において政治的な正しさが議論になる事例もあります。最も有名なのが、「ウクライナ」につける前置詞の問題です。ウクライナ語やロシア語では、「~で」と場所を表す前置詞に、в(ウクライナ語では場合によってу)とнаの2種類があります。それぞれ英語のinとonにあたるのですが、地名と一緒に用いられる場合には一定の法則性があり、国や都市には前者、地方や島には後者を使うとされています。例えばロシア語で、「モスクワで」は《ヴ マスクヴィェー(в Москве)》、「コーカサスで」は《ナ カフカーズィェ(на Кавказе)》となります。国であっても島国である意識が強い場合(フィリピンなど)はнаです。しかしこれには例外と言えるようなものも色々とあり、その中で物議を醸すのが《ナ ウクライーニェ(на Украине)》です。
もちろんここにも歴史的な経緯があると言われており、「ウクライナ」の由来は「地方」といった意味を表す《クライ(край)》という語だからнаを用いるようになったというのがほぼ定説です。とはいえ現代の状況だけを見ればほとんどの国にв/уが使われているわけで、母語話者の感覚としても「国にはв/у」という文法的法則性が根付いているようですね。そんな中でウクライナにнаをつけているのは、まるでウクライナを一独立国家として認めていないかのようだと批判が出てきました。結果として、ウクライナではウクライナ語を使う場合もロシア語を使う場合も必ずвが用いられるようになりました[3]。ロシアにおいては、公的なメディアでは今でもнаが使われていますが、若い世代でポリコレを意識する方はв/уを使い、反体制系の独立メディアでもその傾向が見られます。私がモスクワに留学した2015年ごろでも、大学・大学院で学ぶ人たちはнаを使わないようにしている場合が多かったように思います。なおベラルーシはロシア寄りの政権ですが、この問題についてはウクライナ式のв Украинеを採用している点が興味深いところです。逆にウクライナを支援するポーランドにおいては今でも伝統的な《ナ ウクライーニェ(na Ukrainie)》が見られますが、近年はウクライナ式の言い方に変える動きがあります[4]。
2022年の全面戦争勃発以降は、反ロシア感情の高まりからロシアにおけるこうした言葉遣いに対する批判もより一層強くなりました。на Украинеへのいわば対抗措置として、「ロシアで」と言う際に《ナ ロシイ(на Росіі)》と表現するのがSNSを中心に定着しています。挙句の果てには、「ロシア」という国名のほか、プーチン政権・ロシア軍に関わる固有名詞について、小文字で書き始めるのも当たり前となりました[5]。на росііのほか、путін(プーチン)といった感じです。ここには元々の文法的法則が関係しているわけではありませんが、とにかくロシアを悪く言いたいという強い意識が反映されているのです。
「ロシア」とは何か
民族などの名称にもポリコレが関わることがありますが、「ロシア」という言い方についても色々な話題が出ています。最初の方で少し触れましたが、ロシア語において「ロシア語」や「ロシア民族」と言う際の形容詞《ルースキー(русский)》は、「ルーシ」から派生したものです。これとは別に、国家としてのロシアに関する事物を表す形容詞《ラシースキー(российский)》もありますが、少なくとも「ロシア」の民族や言語・文化が「ルーシ」を引き継いでいるように見えてくるわけですね。当然ウクライナ側がこれを面白く思うはずがありません。ウクライナ語では「ロシア語」や「ロシア民族」についても、《ルーシキー(руський)》ではなく《ロシーシキー(російський)》が用いられ、言語的に「ルーシ」とのつながりを示さないようにしています。あくまでもキエフルーシの後継者は我々だというわけですね。もっとも、「ロシア」の語源も「ルーシ」であり、根は共通しています。そのため、最近のウクライナではもっと踏み込んで、「ロシア」ではなく「モスクワ公国」を意味する《モスコヴィヤ(Московія)》と呼ぼうという動きも出ています。
一方で、あえて「ルーシキー」ないし「ルースキー」を用いるケースもあります。ロシア側のプロパガンダにおいて、《ルースキー・ミール(русский мир)》というものがあるのですが、ロシア語で「ミール」は「世界」および「平和」という意味で、ロシアを中心とする勢力圏における秩序といった思想です[5]。「ルースキー」でわかる通り、ここにはロシア連邦に留まらず、ロシア語を話しロシア文化やロシア正教を共有する人々を対象としており、彼らにとってはウクライナ(およびベラルーシなど)も「ロシア世界」の一部ということなのです。これは単に古代ルーシの後継者を自称するよりももっと過激な思想で、帝政ロシア時代に逆戻りするようなものだとも言われます。当然ウクライナでは大バッシングなわけですが、ロシア側の論理を批判する際にあえて「ルースキー・ミール」とそのまま引用することがよくあります。すなわち、「ロシア」という一国家の所業であるにもかかわらず、かつての「ルーシ」の勢力圏を主張する危険思想であるということが、ことばのわかるウクライナの人々には直接伝わっているわけですね。戦争当初にロシア軍に対してロシア語で応答した「ロシアの戦艦はくたばれ」という言い方が話題となったのですが、ロシア軍に関わるので正しくは「ラシースキー」と言うべきところ、ここでは「ルースキー」が使われています。現在のウクライナにおいて、「ルースキー」は「ルーシ」よりも侵略行為を続けるロシアを象徴するものだと言えるでしょう。
ことばとどう向き合うか
今回見てきたような、社会情勢によって人々の言語使用が影響を受ける現象は、当然のことのように思えます。一方で改めて考えるべきなのは、ことばとはそもそも「いつの間にか」出来上がったものだということです。日常的に使う言語、特に生まれ育つ中で獲得した母語は、意識して学んだものではなく、置かれた社会環境の中で自然に身についたものです。もちろん丁寧なことばやくだけたことば、感情のこもったことばなど、話者の意識が働く場合もありますが、ある表現について「なぜそう言うのか」と考えることは基本的にありません。社会生活と結び付いている以上、状況に合わせてゆくのは当たり前ですが、様々な経緯の中で確立してきたことばのありようについて過剰に目鯨を立てるのは、言語文化への損害につながりかねず、バランスを取ってゆく必要があるように思います。
参考記事
[1] Відома блогерка на Каннському кінофестивалі облилася "кров'ю" на підтримку України (https://tsn.ua/glamur/vidoma-blogerka-na-kannskomu-kinofestivali-oblilasya-krov-yu-na-pidtrimku-ukrayini-2334166.html)
[2] Монумент "Батьківщина-мати" у Києві перейменують на "Україна-мати" (https://www.ukrinform.ua/rubric-kyiv/3742063-monument-batkivsinamati-u-kievi-perejmenuut-na-ukrainamati.html)
[3] «На Україні» чи «в Україні» (https://zbruc.eu/node/66245)
[4] "W Ukrainie" czy "na Ukrainie". Jest opinia Rady Języka Polskiego. "Zmiany w języku zachodzą powoli" (https://tvn24.pl/polska/w-ukrainie-czy-na-ukrainie-jak-pisac-i-mowic-poprawnie-opinia-rady-jezyka-polskiego-5889703)
[5] In Ukraine, I saw the greatest threat to the Russian world isn’t the west – it’s Putin (https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/dec/17/ukraine-greatest-threat-russian-world-vladimir-putin)
- 2023年08月29日 『8. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:サッカー?蹴球?(語彙・語法について2) 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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前回は挨拶や会話表現、街中で見かけることばを中心に紹介しました。今回は視点を変えて、「新しい」語彙を切り口にスラヴ諸語の特徴を見てゆきたいと思います。
日々更新されることばと向き合う
どの言語にも長い歴史があり、結果として、前回見たような日常的な会話表現などにおいても細かい違いが出ることも多くあります。これ自体はとても興味深いことなのですが、他方で「スラヴ語」としての特徴は見えづらくなってしまう面もあるわけです。言語において古くから使われている語彙には、非常に多様な背景が関わっており、それらは必ずしもその言語の特性を反映したわけではありません。そのため言語学の研究においては、言語の性質そのものを明らかにするために「新しい」動きに着目しています。流行語や若者言葉もその1つですが、次々と新しいものが生まれては消えてゆくので追いかけるのはなかなか大変ですが、非常に興味深いところです。もちろん言語に定着してゆくものもあり、中には辞書に掲載されることもありますね。
あまり縁起(?)の良い例ではありませんが、「コロナ」ということばを考えてみましょう。そもそも「コロナ」そのものはウイルスの形状を表しているだけで、本来は単体でそれが特定のものを指すわけではありませんね。同様の例は「ケータイ」にも言えますが、非常によく使われる複合語(コロナウイルスや携帯電話など)について、一部のみを切り取ってしまうわけです。さらに「コロった」とか「コロカス」のような派生語も生まれますが、これらも「コピー」から「コピった」や「完コピ」のような語が派生するのと同じ仕組みです。このように新しく広まった語に対して加えられる様々な操作を見ることで、日本語の特徴がわかってきます。
ちなみにスラヴ諸語では英語のCOVIDを借用していますが、例えばポーランド語でのzaraził(a) się covidem「コロナにかかった」のように格の変化(ここでは造格)が生じるなど、各言語の文法的特徴が現れます。以下では新語や新しい外来語などを中心に、いくつか事例を挙げてゆきます。
人名・地名に関するあれこれ
国際的に話題の人物について報道する場合、本来の発音や表記をそのまま反映するのが難しいこともあります。日本では専らカタカナ表記にし、ほぼ日本語風の発音になってしまいますね。名詞・形容詞の変化のところで触れましたが、スラヴ諸語における人名には様々な文法事項が関わっており、外国の人名を発音する際にも問題となります。
特に重要なのが、語尾と「性」の関係です。まず男性名詞については、原則子音で終わり、スラヴ系の男性名でも概ね同様です。「ドナルド・トランプ」や「バイデン」、「イーロン・マスク」など、子音で終わる外国の人名についても、「男性名詞」として扱われるのはもちろんですが、男性名詞の活用に合わせて語尾が変化します。例えばゼレンスキー大統領が「バイデン(大統領)と」会談したとウクライナ語で報じる場合は、《ズ バイデノム(з Байденом)》のようになるのです[1]。
一方で「オバマ」や「キシダ」のように[a]で終わる場合もありますが、これは原則「女性名詞」の語尾だとお話ししましたね。しかし実はもう少し複雑な事情があります。例えばロシア語で《カリェーガ(коллега)》「同僚」という名詞があり、語尾は女性名詞と同じように変化しますが、当該の人物が男性の場合は「男性名詞」として扱うと定められています。そのため形容詞が修飾する場合、男性形が用いられます。外国の人名についてもこれと同様に、[a]で終わる場合は「男性名詞」として扱いつつ、女性名詞の語尾のように変化するのです。ですから「岸田(首相)と」会談する場合はバイデン氏などとは異なる語尾が付き、《ス キシドユ(з Кішідою)》となります[2]。ちなみに「ワーニャ」(イワンの愛称)などの愛称においても語尾は女性名詞のようになっていますが、扱いとしては男性名詞です。もちろん[a]で終わる女性名については、問題なく女性名詞と同様の変化が生じます。こうしたスラヴ語風の名詞変化の適用は地名にも及び、例えば「ベルリン」なら子音で終わるので男性名詞になり、「大阪」なら[a]で終わるので女性名詞です。ロシア語だと「大阪で」は《ヴ オーサキェ(в Осаке)》と発音され、「お酒」や「大崎」のように聞こえてしまいますね。
では、子音で終わる女性名の場合はどうでしょうか。政治関係では「メルケル」や「フォンデアライエン」、芸能人では「(ジュリア・)ロバーツ」や「(エマ・)ワトソン」などの名前がありますね。実はこれも色々と複雑で、多くの言語では男性名と違って変化させないという法則性が見られます。以前多くの名字に「女性形」と「男性形」があるというお話をしましたが、そういった区別のないものもあって、ウクライナ系に多い-кや-енкоで終わる名字が代表例です。このうち-кについては、男性の名字としては男性名詞として通常の変化が生じるのですが、女性の名字として使われる場合は変化しません。言い換えると、女性の名前に「男性」の語尾はつけられないということでしょうか。外国の女性名にも恐らくこの法則が適用されていると考えられます。ただしチェコ語やスロヴァキア語は過激(!)で、なんと勝手に-ováという名字の女性形の語尾をつけており、《メルケロヴァー(Merkelová)》のようになってしまいます[3]。現地のニュース記事で見た時衝撃を覚えたものです。
さらには、「オータニ」や「アベ」など、そもそもスラヴ語の女性名詞や男性名詞のいずれにも当てはまらないような名字もあります。これについては大きく分けて、名詞の活用を「諦める」パターンと、「無理やり」語尾をくっつけて活用させるパターンとがあります。ウクライナ語やロシア語は前者で、格によらず元の名前を(場合によって発音は多少調整して)そのまま読みます。一方チェコ語やポーランド語、セルビア・クロアチア語などでは、元の名前の後ろ、あるいは元の名前から最後の母音を消したものに語尾を付けて活用させます。例えばセルビア・クロアチア語で「安倍晋三(首相)と」会談したと言う場合、《サ シンゾム・アベオム(sa Shinzom Abeom)》のようになります[4]。ここまで来ると何が何だかわかりませんね(笑)。ただし女性名については、子音で終わる場合と同様に変化しないのが一般的で、それでもチェコ語・スロヴァキア語だとやはり名字には-ováをつけて活用させます。また、地名については人名に比べると変化させない傾向がありますが、チェコ語やセルビア・クロアチア語はわりと頑張って活用させます。「東京で」などと言う場合、ウクライナ語やロシア語に加えてポーランド語でも変化しませんが、例えばチェコ語だと《フ トキウ(v Tokiu)》となってしまいます[5]。
外来語の受容
時代の移り変わりとともに、外国から様々な文化あるいは技術などを取り入れてゆくわけですが、当然ながらそういったものを指すことばも必要になってゆきます。ここでやり方としては主に2つあり、外国の言い方をほぼそのまま使う場合と、自分たちのことばに翻訳して使う場合があります。日本語について考えてみると、近代以降「野球」などの文化や、「写真」や「映画」などの新技術などについて、漢語を使った翻訳を行ってきました。一方で最近は「インターネット」や「SDGs」など、英語をはじめとする外来の語彙を訳さずにカタカナやローマ字で表記して使うのが主流ですね。
スラヴ諸語では、広く言えばヨーロッパ文化ということもあり、翻訳はせず外来の語彙に若干の調整を加えて使うのが多数派です。これは世界的な傾向だと思いますが、近年は英語の影響がやはりとても目立ちます。一方で翻訳された例もあります。「サッカー」を例に挙げると、「フットボール」が基になっている語(ウクライナ語の《フドボール(футбол)》など)が多い一方で、ポーランド語の《ピウカ ノジュナ(piłka nożna)》やクロアチア語の《ノゴメト(nogomet)》は「足のボール」とスラヴ系の語彙で表しています。
また、外来語を使う場合についても、必ずしも「そのまま」というわけにはゆきません。最初の方で「コロナ」や「コピー」からいくつかの語が派生するというお話をしましたが、スラヴ諸語でも様々な現象が起こります。まず日本語に近い事例としていわゆる省略語、言語学では「短縮」と呼ばれるものを見てみましょう。ロシア語で「SNS」は《サツィアーリナヤ シェーチ(социальная сеть)》と言いますが、前半部分は英語のsocialから来た外来語です。ただしやや長ったらしいためか、報道記事のような書き言葉でも《ソツシェーチ(соцсеть)》と短縮することがよくあります。これはまさに「パーソナル・コンピュータ」とはあまり言わず、「パソコン」が定着したのと同じ現象ですね。ただし、日本語では「パーソナル」と「コンピュータ」のそれぞれを短くしますが、ロシア語では前半部分だけを短くすることも両方縮めてしまうこともあります。《ドンバス(Донбасс)》という言い方を戦争関連でよく耳にしますが、これは《ダニェーツキィ・バシェイン(Донецкий бассейн)》「ドネツク炭田」の略語で、それぞれの部分が短くなっているわけです。
次に文法的な問題について取り上げます。日本語で考えてみると、「タピオカ」が「タピる」、「エモーショナル」が「エモい」となるように、動詞や形容詞には「日本語風の」語尾がついていることがわかります(さらに短縮も生じています)。そこまで「新語」っぽくないものでも、「メールする」や「アナログな」のように、やはり何らかの変化を加えないといけません。これは日本語において独自の活用があり、そこに合わせる必要があるからです。英語の場合、Googleが「ググる」という動詞としても使われたりしますが、これは元々showが「見せ物」という名詞としても「見せる」という動詞としても使われるような、英語の特徴を反映しているわけですね。スラヴ諸語ではこれまで見てきた通り、動詞や形容詞でも様々な変化があるので、外来語もそこに適応させるしかありません。最近の(ですがもう公式には使われない)単語であるtweetも、元の英語では名詞としても動詞としても使われますが、例えばロシア語ですと、名詞はほぼそのまま《トゥヴィート(твит)》である一方、動詞は《トゥヴィートヌティ(твитнуть)》と接尾辞を追加します。先ほど紹介した「SNS」のsocialの部分も、ロシア語に限らず形容詞を作る[n]の接辞をつなげています。
最後に発音の問題があります。当然ながら、元の言語と音韻体系が違うわけですから、「そのまま」の発音を再現することは難しいですね。再び日本語に戻ると、「カード」・「カーブ」・「ロッカー」の「カー」は、元の英語では違う発音ですが、日本語ではそうした区別がないので一緒になってしまいます。ロシア語の《トゥヴィート(твит)》も、同言語に[w]の音がないので[v]に変換しているのです。一方で、日本語で言えば「DVD」などの「ディー」など、外来語にしか出てこない音もあります(某通販番組で聞かれるような昔風の発音では避けられますね)。まとめると、全体としては自分たちのことばに合わせて発音を変える一方で、頑張って元のことばに合わせようとする動きもあるわけです。スラヴ諸語にもそういった事例が色々と見られます。例えばチェコ語は日本語と同様に母音の長短があるのですが、歴史的には長い[o]は[u]に変化していました。しかし外来語では長い[o]が発音され、先ほど挙げた「シンゾー(・アベ)」もその一例です。長い[o]はチェコ語の語尾としては見なされないため、活用させる場合は「シンゾー」の後ろに語尾をつけており、例えば「生格」は《シンゾーア・アベホ(Šinzóa Abeho)》のようになります5。また、最近だと特にラテン文字で表記する言語においては、英語などの綴りでそのまま書いて英語に近い発音をするため、言語本来の表記体系とのずれも生じています。一例だけ挙げると、チェコ語で英語のshのような音は本来šと綴り、shと書かれている場合は[s]と(濁った)[h]の2つの子音を連続させて発音するわけですが、英語由来のものについては"sh"と読むといった感じです。ここまではスラヴ諸語における一般的な文法・語法を中心に見てまいりました。次回からは近年の社会的な動きを具体的に取り上げながら、ことばがどのように用いられ、変容してゆくのかについてお話ししたいと思います。
参考記事
[1] Зеленський провів переговори з Байденом: деталі (https://tsn.ua/politika/zelenskiy-proviv-peregovori-z-baydenom-detali-2368915.html)
[2] Візит Зеленського до Японії: з ким зустрінеться президент (https://tsn.ua/politika/vizit-zelenskogo-do-yaponiyi-z-kim-zustrinetsya-prezident-2332855.html)
[3] Německé kancléřství si stěžuje na Merkelovou. Musí jí dál platit vizážistku (https://www.novinky.cz/clanek/zahranicni-evropa-nemecke-kanclerstvi-si-stezuje-na-merkelovou-musi-ji-dal-platit-vizazistku-40436374)
[4] PREMINUO SHINZO ABE: Ubio ga je bivši pripadnik mornarice (https://priznajem.hr/novosti/preminuo-shinzo-abe-ubio-ga-je-bivsi-pripadnik-mornarice/189008/)
[5] JAPONSKO PONOŘENÉ VE SMUTKU A OTÁZKÁCH: PROČ POLICISTÉ NEKRYLI ABEMU ZÁDA? (https://www.irozhlas.cz/zpravy-svet/podcast-vinohradska-12-sinzo-abe-atentat-japonsko_2207120600_cen)
- 2023年08月22日 『7. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:「ありがとう」を伝えよう(語彙・語法について1) 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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写真1: スラヴ諸語の「おみやげ」(スロヴェニア・リュブリャナ 2017年9月著者撮影)
写真2: モスクワ郊外の駅における標識(2017年2月著者撮影)
写真3a: プラハの地下鉄における標識(2023年8月著者撮影)
写真3b: プラハの地下鉄における標識(2023年8月著者撮影)
感謝のことば
人との関わりにおいて相手への感謝は欠かせませんね。前回少し触れましたが、「ありがとう」は多くの言語で英語と同じように、「感謝する」という動詞を用いて表します。ブルガリア語では《ブラゴダリャ(Благодаря.)》と言いますが、これはスラヴ系の語彙で、ロシア語やセルビア・クロアチア語にも同じ語源の動詞があります。しかしながら、日常会話で「ありがとう」と言う場合、ロシア語では《スパシーバ(Спасибо.)》、セルビア・クロアチア語では《フヴァーラ(Хвала. / Hvala.)》と異なる表現が使われるのです。このように、仮に語源が同じ語彙が存在しても、定型表現においては言語ごとの特徴が見られることもよくあります。ちなみに《スパシーバ(Спасибо.)》は「神よ救いたまえ」が基になっていると言われており、《フヴァーラ(Хвала. / Hvala.)》は「賛美」や「栄光」といった意味で、いずれもスラヴ系の語彙です。
一方でポーランド語の《ジェンクーイェ(Dziękuję.)》やチェコ語の《ジェクイ(Děkuji.)》、スロヴァキア語の《ジャクイェム(Ďakujem.)》は、実は元々ドイツ語のDanke.などと共通のゲルマン系の語彙です。西スラヴでは地理的および歴史的事情から、このような外からの語彙の導入がよく見られます。東スラヴに分類されるウクライナ語やベラルーシ語も、ポーランド語の影響からこうした語彙が多く見られ、ロシア語との語彙的な差異が顕著です。ただしこれはあくまでも標準語の規範について見た場合の話であり、実際には地域差や個人差もあります。ウクライナ語の教科書を見ると「ありがとう」は《ディャークユ(Дякую.)》というポーランド語などと共通の語彙が紹介されているかと思いますが、ロシア語に近い《スパシービ(Спасибі.)》もよく聞かれます。
「こんにちは」と「さようなら」
第5回で少し紹介しましたが、「おはよう」や「こんばんは」といった言い方は、英語のGood morning.やGood evening.と同じような「良い〇〇」を意味する表現でおおむね共通しています。しかし英語のHello.のような時間を問わない基本的な挨拶については、言語によって違いが見られます。ロシア語では、前回取り上げたフォーマルな場面で使われる《ズドゥラーストゥヴィティェ(Здравствуйте.)》のほかに、親しい相手に用いられる《プリヴィェート(Привет.)》があります。ウクライナ語でもこれと類似した
《プリヴィート(Привіт.)》という言い方も見られますが、フォーマルな場面では《ヴィータユ(Вітаю.)》と言います。興味深いのは、この語と根っこは同じ語彙が、ポーランド語やチェコ語では「ようこそ」の意味で使われているところです。なおこれらはスラヴ系の語彙ですが、例えばチェコ語などでは親しい人の間で「チャオ」と言うことも多いです。
一方「さようなら」については、おおむね「また会える日まで」のような表現なのですが、言語ごとに使われる語彙が異なります。ロシア語では《ダ スヴィダーニヤ(До свидания.)》、ウクライナ語では《ド ポバチェンニャ(До побачення.)》、ポーランド語では《ド ヴィゼーニャ(Do widzenia.)》と言いますが、いずれもдо/doという前置詞が付いていて、これが「~まで」という意味です。その後は語彙が異なるものの、いずれも「会うこと」もっと言えば「見かけること」という名詞が単数生格の形で用いられています。なおセルビア・クロアチア語では、ポーランド語とほぼ同じ《ドヴィジェーニャ(Довиђења./Doviđenja.)》と言います。一方チェコ語では《ナ スフレダノウ(Na shledanou.)》と言いますが、ここではnaという別の前置詞が使われているほか、その後の名詞もまた異なりますが、元の意味は共通です。
ちなみにこうした挨拶は、店に入る時あるいはレジに買うものを持って行く時、そして店を出る時に必ず言います。日本ではどちらかと言うと「すみません」や「どうも」で全て済ませてしまう傾向がありますが、あちらでは店員も客も関係なくこうした挨拶をするわけですね。もしも実際に旅行などでいらっしゃることがありましたら、ぜひ使ってみてください。
時間や日付などに関する表現
買い物や食事をする際のお会計や、ホテルや列車などの予約で大切な日付など、様々な場面で重要なのが数字です。スラヴ諸語の数字は他のヨーロッパ諸語と異なるものも多く難しいのですが、スラヴ諸語の間ではおおよそ共通しています。しかしながら数字の使い方については異なる面もあり、特に注意すべきなのは時間や日付などに関する表現です。
まずは「~時」の言い方から見てみましょう。多くの言語では、数字の後に「1時間」という名詞(英語のhourにあたるもの)の活用形をつなげます。「1時間」はロシア語では《チャース(час)》、チェコ語では《ホディナ(hodina)》、セルビア・クロアチア語では《サート(сат/sat)》です。一方ポーランド語やウクライナ語では、数字は「~番目」を表す序数詞を使い、そこに「1時間」を意味する名詞を続けます。すなわち例えば「3時」と言う場合、前者では「3時間」、後者では「3番目の時間」のように表現するわけです。なお、両言語における「1時間」はチェコ語と共通の語彙で、ポーランド語では《ゴジーナ(godzina)》、ウクライナ語では《ホディーナ(година)》です。さらに「~時に」と言う際にも違いが出てきます。「~時間」のように表す言語では英語のinに近い前置詞の後で数字を対格(実質的には基本形と同じ)にする一方で、ポーランド語やウクライナ語ではoという前置詞の後ろで時間の部分を前置格にします。なお、いずれのタイプも「時」の部分は省略されることも多いです。
次に「~日」ですが、こちらは英語と同じく序数詞のみを使って表します。スラヴ諸語に特徴的なのは、「~日に」と言いたい場合に前置詞は伴わず生格を使うことです。ただしブルガリア語とマケドニア語では格変化がないので、前置詞を用います。さらにウクライナ語やロシア語では「今日」という言い方も、「この日」の生格が語源となっています。また、ウクライナ語では「今月」や「今年」などについても生格で表現しますが、他の言語では前置詞を使います。
「~月」については数字ではなく、英語と同じように固有の名詞を用います。ここで興味深いのは、スラヴ諸語特有の語彙を使う言語と、英語に似たローマ由来の語彙を用いる言語とがある点です。図1にいくつかの言語の比較表を示します(比較のため、キリル文字にはラテン文字転写を併記します)。なおここでは「クロアチア語」としていますが、セルビアの方ではローマ由来の語彙が使われています。
図1: スラヴ諸語における月の名称ウクライナ語 ポーランド語 クロアチア語 ロシア語 1月 січень (sichen’) styczeń siječanj январь (yanvar') 2月 лютий (lyuti) luty veljača февраль (fevral') 3月 березень (berezen’) marzec ožujak март (mart) 4月 квітень (kviten’) kwiecień travanj апрель (aprel') 5月 травень (traven’) maj svibanj май (may) 6月 червень (cherven’) czerwiec lipanj июнь (iyun') 7月 липень (lipen’) lipiec srpanj июль (iyul') 8月 серпень (serpen’) sierpień kolovoz август (avgust) 9月 вересень (veresen’) wrzesień rujan сентябрь (sentyabr') 10月 жовтень (zhovten’) październik listopad октябрь (oktyabr') 11月 листопад (listopad) listopad studeni ноябрь (noyabr') 12月 грудень (hruden’) grudzień prosinac декабрь (dekabr')
ロシア語以外は独特の語彙が使われていることがわかるかと思います。また、互いに共通している場合もあるほか、共通の語彙でも月がずれている場合もあります。
最後に「年」ですが、「~番目の年」にあたる言い方をします。ここで大変なのは、英語のように2桁ずつ区切るのではなく、日本語のように数字をそのまま読む点です。文章では数字で書いてあるので問題ないのですが、聞き取りにはたいへん苦労します。「~年に」と言う際には、英語と同様にinのような前置詞を使い、その後は前置格に変えますが、文章で書く際には前置詞+数字、加えてフォーマルな場合は「年」という語のイニシャルという感じです。年月日をまとめて言う場合は「~年の~月の~日」とし、「年」と「月」は必ず生格に変えて後ろから順番に修飾します。このため数字で書く際にも、21/08/1990のように「日月年」の順番です。日付によっては慣れないと勘違いしてしまいますね。
街中で見かける看板や表示など
最後に「営業中」や「出口」など、街中で見かける語彙について紹介します。
お店などが開いているかどうかは、英語と同じように開閉を意味する語彙を使うのですが、言語によって色々と違いが見られます。ロシア語ではそれぞれ《アトゥクルィタ(открыто)》・《ザクルィタ(закрыто)》ですが、これは「開ける」および「閉める」の受身の言い方です。後者は英語のclosedと同様ですね。接頭辞以外は共通しているのもポイントです。一方ウクライナ語では「開ける」については類似した語彙も使われるのですが、看板では《ヴィトゥチーネノ(відчинено)》・《ザチーネノ(зачинено)》と異なる語彙が用いられます。チェコ語の《オテヴルジェノ(otevřeno)》・《ザヴルジェノ(zavřeno)》はさらに異なる動詞が使われており、セルビア・クロアチア語やブルガリア語でもほぼ同様の語彙が用いられます。ポーランド語の《オトゥファルテ(otwarte)》はチェコ語と共通の語彙ですが、反対の《ザムクニィェンテ(zamknięte)》については異なる動詞が基になっています。様々な違いはありますが、接頭辞は共通しているのが興味深いところです。
お店のほか、駅や空港などでも「入口」・「出口」が大切ですが、こちらについても色々です。ロシア語の《フホート(вход)》・《ヴィーハト(выход)》(写真2)、ウクライナ語の《フヒード(вхід)》・《ヴィーヒド(вихід)》、チェコ語の《フホート(vchod)》・《ヴィーホト(východ)》は完全に共通の語彙です。ただし地下鉄などの「入場」や、施設内の「出口はこちら」のような案内表示の場合は、チェコ語ではそれぞれ《フストゥプ(vstup)》・《ヴィーストゥプ(výstup)》という語が用いられます(写真3a, 3b)。ポーランド語では《ヴェイシチェ(wejście)》・《ヴィイシチェ(wyjście)》ですが、いずれにしても接頭辞は共通で、根っこの部分もスラヴ語に共通して見られる「動き」を表すものです。一方でブルガリア語では、「入口」はロシア語と同じですが、「出口」は《イスホト(изход)》と接頭辞が違います。セルビア・クロアチア語については、ブルガリア語と接頭辞は同じですが、《ウラズ(улаз/ulaz)》・《イズラズ(излаз/izlaz)》とさらに異なる語彙が使われています。
- 2023年08月15日 『6. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:動詞の「顔」と「体」(形態変化について2) 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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前回は名詞とそれを修飾する形容詞の変化について見ましたが、今回は動詞の変化についてお話しします。
時制とアスペクト
動詞の変化と言えば、英語の過去形や過去分詞などが思い浮かぶのではないでしょうか。このうち過去形については、現在形や未来形とともに「時制」と呼ばれるもので、呼び名の通り出来事の時間関係を示しています。英語にはさらに「現在進行形」や「現在完了形」のようなものもありますが、こういった表現についてスラヴ諸語ではしくみが異なります。そもそも物事が進行中なのか完了済なのかというのは、過去・現在・未来とは違う次元の話で、英語でもそれぞれについて「進行形」や「完了形」がありますね。
過去・現在・未来という時制に対して、「進行」や「完了」は言語学においてアスペクト(相)と呼ばれます。英語ではこれを助動詞と動詞の変化形で表すわけですが、スラヴ諸語ではそもそも異なる動詞で表現されます。スラヴ語学では「体(たい)」と称されるもので、動詞には「完了体」と「不完了体」があります。一例を挙げると、ロシア語で「書いていた」のように言う場合は、《ピサーラ(писала)》のように不完了体の動詞を使い、「書いた(書き終わった)」のような場合は、《ナピサーラ(написала)》のように完了体の動詞を使います(なお、ここに挙げているのは女性形ですが、これについては後ほどお話しします)。完了体には「ナ」という接頭辞が付いていますが、動詞によって異なる接頭辞が付いたり、逆に不完了体の方の形を変えたりなど、とにかく複雑です。中には動詞の変化と言えるようなものもあるのですが、基本的にはそれぞれの体を別の動詞として覚えるしかないのです。
時制については、古代スラヴ語ではやや複雑であったものの、現在は多くの言語で過去・現在・未来の体系となっています。ただし、完了体については現在形がありません。現在行われている動作なのだから、「完了する」ことはないという発想ですが、これは英語の「現在完了」とは違った考え方です。多くのスラヴ諸語における時制と「体」の体系は概ね図1のようにまとめられます。
図1: スラヴ諸語における時制と体不完了体 完了体 過去 過去における進行中の動作や状態、習慣的な行動など 過去のある時点において完了した動作 現在 現在における進行中の動作や状態、習慣的な行動、これから行おうとしている動作など (なし) 未来 未来において進行中と思われる動作や予想される状態 未来のある時点で完了すると思われるないし完了させようとする動作
なお、ブルガリア語やマケドニア語では複雑な体系が発達しました。前回この2言語は名詞の格変化がないというお話をしましたが、その代わりに動詞が複雑だと言えます。
過去形
それではここからは具体的な動詞の形についていくつか見てゆきます。まず過去形ですが、実は多くのスラヴ諸語では動詞の活用形としての「過去形」は失われています。ではどのように過去を表すのかということですが、英語の「完了形」のように助動詞と分詞を組み合わせた形が広く見られます。具体的には、be動詞にあたる助動詞の現在形と、「エル分詞」と呼ばれる過去分詞のような活用形をつなげています。実はこれが古代語における完了時制だったのですが、スラヴ諸語では完了体と不完了体の区別が発達したため、多くの言語では「過去形」として確立したのです。
では「エル分詞」とはどういうものなのでしょうか。英語の分詞を思い出してみると、完了形や進行形、あるいは受動態において登場するほか、「踊っている人」のような表現で修飾語として使われていますね。これは形容詞と同じような役割をしているわけです。前回形容詞が名詞に合わせて活用するということをお話ししましたが、スラヴ諸語における分詞も概ね形容詞のように振舞います。ただし「エル分詞」については名詞を修飾するわけではないので、格の変化はなく、性と数によって変化します。どういうことかと言うと、主語が女性なのか男性なのか(人でない場合は名詞の性)、単数なのか複数なのかによって形が変わるのです。図2にチェコ語の「話す」(不完了体)の過去形の例を挙げます(jsem, jsmeはそれぞれ、be動詞の1人称単数・複数にあたるものです)。
図2: チェコ語における過去形(1人称)単数 複数 男性 jsem mluvil jsme mluvili 女性 jsem mluvila jsme mluvily
太字の部分が「エル分詞」の語尾ですが、[l]という子音で始まっているのでそのような名前がついています。なお、チェコ語では3人称ではbe動詞が省略され、ウクライナ語やロシア語ではそもそもbe動詞の現在形がなく、こういった場合はエル分詞のみで過去を表します。また、ポーランド語ではエル分詞の後ろにbe動詞の一部が語尾として融合する独特の形が使われています。また、be動詞そのものの過去形はbe動詞のエル分詞のみで表現します。
特に着目すべきは、「私は」と自分のことを言う場合、女性は女性形を、男性は男性形を使うわけですから、性質は違いますが一種の「女言葉」・「男言葉」のようにも感じられます。モスクワのとある知人は、男性を自認する(生物学的)女性で、過去形も男性形を使っていたのを覚えています。
現在形・未来形と人称による変化
先ほど触れたように、現在形は基本的に不完了体にしかありません。英語の場合は現在形がほぼ動詞の基本形(辞書形)ですが、スラヴ諸語の場合はだいぶ事情が異なり、辞書形は一部の言語を除いて「不定形」と呼ばれるものです。これは文字通り時制などが定まっておらず、「~すること」といった意味で使われます。英語にも「不定詞」がありますが、これに近いものですね。なお英語では命令形も辞書形ですが、スラヴ諸語ではこれにも独自の活用形があります。
では現在形はどうなっているかと言うと、主語の「人称」と「数」によって活用します。英語にもbe動詞だとamやisなどがありますが、こういった変化が他の動詞でも見られるのです。ただし完全に違う形になるわけではなく、基本的には名詞の変化と同様に語尾だけが変わります。ちなみに「人称」という用語は英語も含め「人物」と同じ語なのですが、ロシア語の《リツォー(лицо)》は元々「顔」という意味の単語です。
不完了体の現在形の一例として、図3にセルビア・クロアチア語の「話す」の活用を挙げます。チェコ語と違う語彙が使われていることもわかるでしょう。
図3: セルビア・クロアチア語における現在形単数 複数 1人称 говорим/ govorim говоримо/ govorimo 2人称 говориш/ govoriš говорите/ govorite 3人称 говори/ govori говоре/ govore
このような活用があるため、1人称および2人称では「私」や「あなた」といった語を言わなくても主語がわかり、特に強調しない場合は省略されることが多いです。ウクライナのテレビ放送でよく《ペレモージェモ(Переможемо!)》と言っているのを聞きますが、これは「勝利する」の1人称複数形で、主語なしで「我々は勝つ!」と言っているのです。
実はこの「勝つ」は未来形なのですが、こちらは体によって事情が異なります。完了体については、図3で示したような不完了体の現在形のような活用で「未来形」となります。《ペレモージェモ(Переможемо!)》も意味からわかるように完了体です。すなわち動詞の形としては、不完了体の「現在形」と完了体の「未来形」は同じということです。言語学でも一般に、動詞の形としては「過去」と「非過去」で対立すると言われており、スラヴ諸語においても「非過去形」が体によって「現在形」となったり「未来形」になったりするわけですね。一方で不完了体については英語と同様に助動詞に動詞をくっつけるのですが、willのような独自の助動詞ではなくbe動詞の未来形を使います。また、本動詞の形は言語によって不定形であったりエル分詞であったりと違いが見られます。なお、複雑な時制を持つブルガリア語とマケドニア語のほか、セルビア・クロアチア語でも独特の未来形が見られます。
動きに関する動詞
動詞の活用とは少し違う話なのですが、スラヴ諸語の中には他にも日本語や英語と違った動詞の分類があります。「~に行く」などと言う場合、ロシア語やポーランド語などではその動きの方向性によって異なる動詞が使われます。例えば「明日遊園地に行く」のように言う場合は、家から遊園地までの1回の移動を指しており、こうした場合は「定動詞」と呼ばれるものを用います。「ちょうど駅まで歩いているところだった」のような場合も同様です。一方で「(普段)電車で会社に行く」のように言う場合は、習慣的な家と会社との往復を指しており、「不定動詞」と呼ばれるものを使って表現します。一方で日本語の「行く」と「来る」のような区別はありません。
また、移動の手段や様態も重要です。場合にもよりますが、日本語では歩いてコンビニに行く場合も、電車やバスで通学・通勤する場合も、飛行機で旅行に出発する場合も、「行く」という動詞を使うことができますね。しかしスラヴ諸語では、乗り物を使わない(歩く)場合、電車やバスなど地上の交通手段を使う場合、飛行機を使う場合(=飛ぶ)、船を使う場合などでしっかりとした区別があります。一方で、日本語は「行く」のほかに「着く」・「帰る」・「出発する」、あるいは「出る」・「入る」・「近づく」・「離れる」など、広義では移動と言えるものでも様々な動詞を使い分けますが、スラヴ諸語では同じ基本動詞に様々な接頭辞を付けることで表現することができます。なお、接頭辞が付いた場合は「定動詞」と「不定動詞」の区別はなくなります。
会話表現における動詞
最後に、代表的な会話表現に使われる動詞を紹介しましょう。英語の「ありがとう」もthankという動詞を使いますが、スラヴ諸語の場合はここに活用が関わってきます。基本的に主語は「私」ですから、1人称単数形を使い、主語の部分は通常言いません。ポーランド語の《ジェンクーイェ(Dziękuję.)》やブルガリア語の《ブラゴダリャ(Благодаря.)》などがこれにあたります。他には英語のpleaseにあたる「お願いします」や「~ください」といった表現について、言語によっては「頼む」の1人称単数形を使います。チェコ語の《プロシーム(Prosím.)》がその一例です。また、ロシア語の丁寧な「こんにちは」は《ズドゥラーストゥヴイティェ(Здравствуйте.)》ですが、これは元々「健康でいてください」という命令形から来ています。なお、こういった挨拶などの表現については、スラヴ諸語の間でもかなりの差がありますが、これについては次回お話ししたいと思います。
- 2023年08月08日 『5. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:名詞は生殺与奪を握る(形態変化について1) 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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外国語を学ぶ際、文字、発音の次に出てくるのは文法ですね。当然ながら言語によって多くの違いがありますが、スラヴ諸語の特徴は1つの語が様々な形で出てくる点で、それゆえ「難しい!」と思う方が多いようです。今回はその中で、名詞の変化についてお話ししてゆきます。
名詞の性・数・格
初回でも少し触れましたが、日本語の名詞は「活用」しません。一方英語を考えてみると、「複数形」がありますが、こうした単数と複数の区別はスラヴ諸語にもあります。次に、スラヴ諸語をご存知なくても、ドイツ語やフランス語などで「女性名詞」や「男性名詞」といった分類を聞いたことがある方もいらっしゃるかと思います。スラヴ諸語には「女性」・「男性」・「中性」の3つの「性」があります。加えて重要なのが「格」です。日本語では「太郎が」と「太郎を」ではそれぞれ文の中での役割が違いますが、この「が」や「を」は格助詞と呼ばれます。一方で多くのスラヴ諸語では、こうした違いを名詞の語尾を少し変えることによって示すのです。まとめると、名詞には「性」の分類があり、それぞれ「数」と「格」によって形を変えます。
人を表す名詞はともかく、物や事を指す語の「性別」というのは何とも不思議な感じがします。スラヴ諸語の間でおおよそ共通の語彙を例に挙げると、「川」は女性、「海」は中性、「森」は男性です。ただし、経緯は色々とあるのでしょうが、実はほとんどの名詞については語尾を見ると簡単に性がわかります。女性名詞は「ア」、中性名詞は「オ」・「エ」でそれぞれ終わり、男性名詞は子音で終わるのが標準的です。図1にまとめます(キリル文字にはラテン文字転写を併記します)。
ウクライナ語 ロシア語 ポーランド語 女性(川) ріка(rika) река(reka) rzeka 中性(海) море(more) море(more) morze 男性(森) ліс(lis) лес(les) las
「数」については英語などでお馴染みの「単数」と「複数」がどの言語にもあるのですが、難しいのは「性」によって複数形も語尾が異なる点です。例えば「ピロシキ」や「ボリシェヴィキ」といった単語は複数形で、「イ」の語尾がついているのですが、これは男性名詞の複数語尾です。ロシア語では女性名詞も同様である一方、中性名詞は「ア」の語尾がつきます。また、古代においてはそれに加えて「双数」と呼ばれる「2つ」を表す特別な形がありました。現代でもスロヴェニア語に残っているのですが、他の言語でも2つであることが一般的な「目」といった語に名残が見られます。
これだけでもなかなか大変なのですが、一番の難関、ラスボスは「格」でしょう。古代のスラヴ語においては7つの格があり、現在もブルガリア語とマケドニア語以外ではほとんどが残っています。一部を除いてそれぞれ語尾が異なるのですが、さらに上述の「性」・「数」によってさらに語尾が変化するほか、歴史的経緯によって生じたいくつかの不規則変化が見られ、非常に複雑です。これについては次節でお話しします。
名詞の格
1つ目の格は「主格」で文字通り主語の役割を果たします。英語の人称代名詞で言えばIやshe, heがこれにあたり、聞き覚えのある方も多いことでしょう。単数の主格は辞書に見出し語として掲載されている言わば基本形で、「辞書形」と呼ばれることもあります。2つ目の格は「生格」と呼ばれますが、これはスラヴ語学における名称で、より一般的には属格と言われるものです。また、ラテン語において見られた「奪格」の役割も担っていると言われます。役割はやや複雑ですが、おおよそ「~の」という所有や所属を示すほか、「~から」・「~による」などの前置詞とともに用いられます。また、スラヴ諸語では個数や数量を表す際、「3つの~」などではなく、生格を用いて「~の3つ」のように表現します。3つ目は「与格」で、英文法で言うところの間接目的語、すなわち動作が行われる対象を主に表します。一方4つ目の「対格」は直接目的語、動作を直接受ける事物を表します。もしこれを「殺格」と呼べば「生殺与奪」という感じになりますね(殺される対象ももちろん対格で示しますが)。ここまではスラヴ諸語以外でも比較的見られるもので、名詞が変化しない英語でも文構造を考える際に概念としては登場するものかと思います。
ここからは独特のものが登場しますが、実は言語によって文法書の変化表に書かれている順番が若干異なります。以下では古代スラヴ語、および現代語の多数派の順番に従って紹介します。5つ目は「造格」という主に手段や道具を表すもので、一般言語学では「具格」と呼ばれます。ただし用法はそれだけでなく、「~と一緒に」という前置詞や、位置を表す前置詞のいくつかとともに使われます。6つ目は「前置格」と呼ばれるものですが、古代(および一部の現代語)においては「処格」ないし「所格」と呼ばれ、主に場所を示すものです。現代語では《ウ ザグレブ(u Zagrebu)》「ザグレブで」のように必ず前置詞とともに用いられるため、「前置格」という呼称が定着しました。最後に7つ目の「呼格」ですが、これは文字通り呼びかけに用いられ、ラテン語やギリシャ語にも見られたものです。なおロシア語では基本的に呼格がないのですが、キリスト教関連のものを中心にいくつかの語には残っており、英語のOh, my God!にあたる言い方は《ボージェ モイ!(Боже мой!)》となります(「神」の辞書形は《ボーフ(Бог)》)。
参考までにウクライナ語の「友人」という語の変化(単数のみ)と、代表的な用例を表2にまとめます。
主な用例 主格 друг (druh) Прийшов друг.「友人が来た」 生格 друга (druha) сестра друга「友人の姉/妹」 与格 другу (druhu) писати другу「友人に(手紙などを)書く」 対格 друга (druha) запросити друга「友人を招待する」 造格 другом (druhom) з другом「友人と一緒に」 前置格 другу (druhu) ※人物にはあまり用いられない 呼格 друже (druzhe) Друже!「友よ!」
形容詞との関係
ここまでは名詞単体の変化について見てきました。では例えば「新しい家」のように形容詞が修飾する場合はどうでしょうか。嫌な予感がすると思いますが、形容詞もやはり変化するのです。実は古代語においては、形容詞は名詞とくっつくものということで、各変化形の語尾もおおむね同様だったのですが、歴史的変化の結果、現代語では形容詞独自の語尾がつく言語が多く、さらに難しくなってきます。
形容詞+名詞の組み合わせは、地名にも登場します。「ベラルーシ」はかつて「白ロシア」と呼ばれていましたが、語源は《ベラ(бела)》(「白」の女性形)+「ルーシ」です。「白」がつく地名は他に「ベオグラード」があり、《ベオ(бео/beo)》はセルビア語で「白」の男性形です(「グラード」は「街」)。なおロシアに「ベルゴロド」という街もありますが、こちらも語源的には同様です。こうした例から、修飾対象の名詞によって形が変わることがわかりますね。「ルーシ」は(子音で終わりますがやや特殊な)女性名詞、「グラード」や「ゴロド」は男性名詞で、名詞の性に合わせて形容詞の性が決まるのです。ただしこれらは語源として形容詞+名詞の組み合わせですが、形容詞の部分は変化しません。一方、先日悲惨なダム破壊のあった《ノヴァ・カホフカ(Нова Каховка)》の「ノヴァ」は「新しい」の女性形で、セルビアの《ノヴィ・サド(Нови Сад/Novi Sad)》の「ノヴィ」は男性形ですが、これらは形容詞・名詞ともに変化します。「ノヴァ・カホフカで」はウクライナ語で《ウ ノヴィー・カホフツィ(у Новій Каховці)》、「ノヴィ・サドで」はセルビア・クロアチア語で《ウ ノヴォム・サドゥ(у Новом Саду/u Novom Sadu)》となります。
形容詞は人の名字にも見られます。ゼレンスキーやドストエフスキー、チャイコフスキーなどの「~スキー」という名字はお馴染みですが、これはロシア語の形容詞語尾で、名詞ではなく形容詞のように変化します。このため、男性に対しては「~スキー」という男性形ですが、女性に対しては「~スカヤ」という女性形が用いられます。スポーツ選手などでそういった名字を聞いたことがあるのではないでしょうか。ウクライナ語では少し音が異なり、男性形は「~シキー」、女性形は「~シカ」となります。ですからウクライナのファーストレディは《ゼレンシカ(Зеленська)》なのです。また、現代語の一般的な形容詞とは形が異なるのですが、プーチンなどの-in、ゴルバチョフなどの-ovといった語尾も古い形容詞のもので、女性形があるほか、名詞とはやや異なる変化となります。固有名詞が変化するというのは、学習者にとってはたいへん厄介ですね。
動詞とのつながりと慣用表現
名詞や形容詞の変化でさらに難しい点は、動詞によって一緒に使われる格が決まる場合があることです。英語でも熟語の中で決まった前置詞があってとにかく覚えるしかないものがありますが、それとやや似ています。例えば「祈る」と言う際、その内容は生格で示されます。慣用表現では動詞が省略されることも多いですが、その場合も名詞・形容詞の変化は維持されます。そのため、「良い一日を!」や「グッドラック!」といった言い方は生格で表現されるのです。「おやすみなさい」もロシア語では「穏やかな夜を!」と生格を使って言います。一方ウクライナ語やロシア語の「祝う」という動詞は、その内容が「~と一緒に」のように示され(ウクライナ語:з+造格、ロシア語:с+造格)、「おめでとう」と言う際もそのような言い方になります。例えば「誕生日」はウクライナ語で《デニ ナロドゥジェンニャ(день народження)》(誕生の日)ですが、「誕生日おめでとう」は《ズ ドゥネム ナロドゥジェンニャ(З днем народження.)》と表現します。なお、「おはよう」や「こんばんは」のような挨拶の場合は、多くの言語で英語のGood morning.やGood evening.にあたる言い方を主格でそのまま表現します。ただしウクライナ語では生格を使った表現もよく使われます。また、最近話題のことばで言うと、「ウクライナに栄光を!」は「祈る」といった動詞を使った表現ではなく、《スラーヴァ ウクライーニ(Слава Україні!)》と主格で望まれるものを提示します。「戦争反対!」についても「戦争にNO!」のように言います(ロシア語で《ニェット ヴァイニェー(Нет войне!)》)。これらはスローガンに使われる言い方です。
- 2023年08月01日 『4. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:キーウとキエフは何が違う?(音声・音韻について) 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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前回は文字が表す発音について少しお話ししましたが、今回は発音(音声・音韻)を中心に取り上げます。
音声・音韻のバリエーション
発音と聞くとなんとなく英語の学習が思い浮かぶかもしれません。言うまでもなく日本語と英語では発音のしくみが色々と違うわけですが、具体的に何が違うのかを考えるのは結構難しい話になってきます。
人間が発する声は「音声」と呼ばれ、その中には母音や子音のほか、アクセントやイントネーションなどがあります。英語の話に戻ると、日本語よりも豊富な母音(appleの「ア」など)や子音(thの音やrとlなど)があり、ここが1つの難しさですね。アクセントについても、英語は「強弱」をつけて読む一方で、日本語は「高低」の差をつけます。以降は専門的な表記に倣って、音声を示す際に角括弧をつけることとします。
実際にどういった音声が発せられるかといういわゆる「発音」の話ももちろん重要なのですが、問題はそれだけではありません。例えば日本語にも英語にも[m], [n]の子音がありますね(松と夏、mineとnineなど)。英語ではこれらが語末にも現れますが(someとsonなど)、日本語では語末でそういった区別はなく、「ン」しかありません。ちなみにローマ字では「ン」をnと綴りますが、語末の「ン」は[n]とはやや異なるものです。このように、ある音声がどういった条件で現れるかという法則性(「音韻的」法則性と呼ばれます)も非常に大切で、言語や方言の間で様々な違いが見られます。
スラヴ諸語の母音と子音
では、スラヴ諸語にはどのような音声や音韻的法則性があるのでしょうか。まずは音声についてです。
母音については日本語と似た5母音の言語が多いです。ポーランド語ではこれに加えて、「エ」および「オ」の後に「ン」のような音が入る「鼻母音」が見られます。チェコ語やスロヴァキア語では母音に長短の区別が見られますが、日本語のように意味の違いが出る事例(例:「来て」と「聞いて」)は限定的で、長短それぞれの現れ方に一定の決まりがあります。
子音についてまず特徴的なのは、前回ポーランド語の話題で触れた「軟子音」と呼ばれるものです。日本語の「拗音」に似ているのですが、言語によって微妙に差があります。これについては後ほど詳しくお話しします。他にはそこまで馴染みのない子音はないのですが、いくつか特徴的なものがあります。まず、ウクライナ語やチェコ語・スロヴァキア語では、他の言語で[g]にあたる子音が摩擦音になっています。チェコの首都《プラハ(Praha)》もロシア語などでは「プラガ」ですし、《ルガンスク(Луганск)》がウクライナ語の《ルハンシク(Луганськ)》に変わったことをご存じの方もいらっしゃるでしょう。なお「ハ」と書くしかないのですが、元が「ガ」という有声子音であることから、実際の発音も「濁って」います。他にはチェコ語で、řと綴る[r]と「ジュ」の音が融合したような独特の子音が見られます。作曲家《ドヴォルザーク(Dvořák)》の「ルザ」の部分も実はこの音です。
「軟らかい」子音
「拗音」は小文字のャュョを付けて表記しますが、ヤ行の子音は音声記号では[j]と書き、専門的には「硬口蓋接近音」と呼ばれます。舌で口の中の上の方を触ってみると、ザラザラした部分とツルツルした部分があると思いますが、いずれも硬くこれを「硬口蓋」と呼びます。そこに舌を近付けて発音するので「硬口蓋接近音」です。ちなみに、もう少し口の奥の方は舌ではやや触れにくいですが軟らかくなっており、こちらは「軟口蓋」です。拗音というのはざっくり言えば、元々の子音よりも「ヤ行」っぽい音が加わる、すなわち硬口蓋に舌を近づけて発音される子音です。ただしもう少し詳しく見ると、拗音にも2種類あります。「シャ」や「チャ」の発音は「サ」や「タ」に比べると舌の形がかなり異なっていて、完全に硬口蓋の方に近付いています。ちなみにローマ字ではsh, chと書きますが、英語の音よりももっと硬口蓋寄りの子音だと言われています。以降ではこうした子音を「硬口蓋子音」と呼ぶことにします。一方で「ピャ」や「キャ」の発音は、全体的な発音の仕方は「パ」や「カ」とそこまで違いません。特に前者は唇を閉じる「両唇閉鎖音」なのでわかりやすいかと思います。唇を閉じるのは同じですが、口の中で舌をやや硬口蓋の方に近付けることで「ピャ」のようになるのです。こうした音の変化を「二次的硬口蓋化」と呼びます。
さて本題の「軟子音」ですが、こちらも「硬口蓋子音」と「二次的硬口蓋化子音」の2種類あり、言語によって違いがあります。例としてロシア語やポーランド語で「網」や「ネットワーク」を意味する《シェーチ(сеть / sieć)》を取り上げましょう。ポーランド語は日本語のカタカナ表記とほぼ同じ発音で、いずれの子音も「硬口蓋子音」なのですが、ロシア語はどちらも「二次的硬口蓋化子音」です。この発音は世界的にもかなり珍しく、非常に難しいものですが、「ス」や「トゥ」の子音を頑張って出しながら「イ」を挟んで発音するような感じ(スィェ?)です。今はGoogle翻訳などで音声も聴けますので、関心のある方はぜひ調べてみてください。
スラヴ諸語に特徴的な軟子音ですが、言語によってどの子音が「軟らかく」なるかはかなり異なっています。ウクライナ語やロシア語、ポーランド語などでは、日本語と同様ほとんどの子音が軟らかくなる一方で、セルビア・クロアチア語やスロヴェニア語、チェコ語やスロヴェニア語はかなり限定的で、特に唇子音や[s, z]の軟子音がありません。1つだけ例を挙げると、「蜂蜜」はロシア語とポーランド語でそれぞれ、《ミョート(мёд)》、《ミュート(miód)》ですが、セルビア・クロアチア語やスロヴェニア語、チェコ語やスロヴェニア語ではいずれも《メート/メード(med)》です。
ここでもしかすると、前回多くの言語にsh, chのような音はあると言っていなかったか?と疑問に思われる方もいらっしゃるでしょうか。これは非常にややこしい話なのですが、「シュ」・「ジュ」・「チュ」のような子音は、スラヴ諸語では「硬子音」である場合もあるのです。ポーランドの首都は「ワルシャワ」ですが、この「シャ」は硬い子音です。実はポーランド語の「シュ」・「ジュ」・「チュ」には硬いものと軟らかいものの両方があり、これが発音の難所となっています。硬い方は「そり舌音」と呼ばれる、舌を丸めて発する子音で、ウクライナ語やロシア語、セルビア・クロアチア語でもそうした子音が見られます。ちなみに英語のsh, ch, jの子音はどちらかと言えば「軟らかい」部類と言えます。
母音の交替
ここまでどのような音声が見られるかについてお話ししてきましたが、音声がどういう状況で現れるのかという「音韻的法則性」も重要です。スラヴ諸語の母音は「アイウエオ」の5つが基本ですが、言語によっては一部の母音が出てくる条件が決まっています。比較的わかりやすいのは前回述べたアクセントとの関連で、ロシア語やベラルーシ語では原則としてアクセントのない「エ」・「オ」は出現しません。
他には音節構造による制限があります。音節には子音+母音の組み合わせで母音で終わる「開音節」と、子音+母音+子音の組み合わせで子音で終わる「閉音節」があります(最初の子音はない場合もあります)。日本語では開音節が多数派ですが、スラヴ諸語では子音で終わる語も多く、閉音節がよく出現します。昨年ロシア語の《キエフ(Киев)》からウクライナ語の《キーウ(Київ)》への名称変更が話題となりましたが、実はこの違いも音節構造が関係しています。まず前提として語根は共通であり、どちらも子音で終わる閉音節です(「ウ」は[w]の子音です)。ウクライナ語では閉音節で「エ」・「オ」が出づらいという法則性があり、「エ」が「イ」に変化しました。その結果が「キーウ」です。なお、「キーウへ」と言いたい場合は活用語尾が付く関係で開音節に変わり、《ド・キーイェワ(доКиєва)》と「エ」が出現するのですが、このように語形によって音が変わることを「交替」と呼びます。《ハリコフ(Харьков)》が《ハルキウ(Харків)》になったのも同じ理屈で、こちらは「オ」が「イ」に変化しています。同様の変化はポーランド語でも見られますが、こちらは「オ」が「ウ」に変わります。例えば《クラクフ(Kraków)》という街の名前も末尾は「キーウ」や「ハルキウ」(さらにはロシアの「ロストフ」)などと同じものです。
子音の「軟化」
子音についてもいくつか法則性があります。先ほど軟子音の話をしましたが、言語によっては後続の母音が「イ」や「エ」の場合に子音が「軟らかく」なる現象が見られます。これらの母音は舌の前方を動かして発音するので「前舌母音」と呼ばれるのですが、結果的に舌が硬口蓋に近付くため、先行子音も同じような発音になりやすいことが言われています。実は日本語でも、「シ」や「チ」はローマ字でshi, chiと書かれる通り、「サ」や「タ」とは異なる子音になっていて、これらは「シャ」や「チャ」のような硬口蓋音です(拗音とは呼ばれませんが)。一方で「セ」や「テ」では何も変化は生じていませんが、一般に「エ」よりも「イ」の方がこうした変化を起こしやすいと言われています。ウクライナ語はまさに日本語と同様で、《ゼレンシキー(Зеленський)》大統領の「ゼ」は硬い子音である一方、「星」を意味する《ジールカ(зірка)》の「ジ」は軟子音です。しかしロシア語やポーランド語では「エ」の直前でも子音の軟化が起こります。例えばかつての巨大国家《ソヴィエト(Совет)》連邦の「ヴィエ」の部分は、実際には軟らかい[v]に「エ」が連続しています。挨拶でもよく使われる「1日」を意味する語も、ロシア語では《ディェーニ(день)》、ポーランド語では《ジェーニ(dzień)》ですが、ウクライナ語は《デーニ(день)》のようになります。
なお、こうした子音の軟化とは逆に、前舌母音以外の前に軟子音が制限されることもあります。特に[k], [g]の軟子音は、スラヴ諸語を通じて専ら「イ」や「エ」の直前に限られ、日本語の「キャキュキョ」のような音は見られません。このため「東京」は「トーキオ」のように発音されます。また、音節末で軟子音が制限されることもあります。先ほど《ハリコフ(Харьков)》から《ハルキウ(Харків)》への移行について述べましたが、ロシア語の「リ」の部分に母音はなく軟子音で音節が終わっています。ウクライナ語にも[r]の軟子音はあるものの、音節末では硬い子音しか現れず、「ハルキウ」のようになるのです。同様に「皇帝」を意味する《ツァーリ(царь)》も、ウクライナ語では《ツァール(цар)》と発音されます。
音声・音韻から見える言語の多様性
ここまでスラヴ諸語の「音」について色々とお話ししてきましたが、これはあくまでもほんの一部です(偉そうに言っていますが、私も当然ながら全貌を把握できているわけではありません)。複雑な話も多くなってしまいましたが、ぜひ感じていただきたいのは、いわゆる「発音」というのは言語の多様性が最も顕著に表れる点だということです。語彙や文法の面では類似性を保っているスラヴ諸語の間でも、本当に様々な違いが見えてきます。これは日本語の方言などを考えてみてもわかるかと思います。わかりやすさのために本連載では原則カタカナ表記を試みていますが、当然ながら正確な発音は示すことができていませんので、翻訳ツールや動画サービスなどでぜひとも実際の音に触れていただければ幸いです。
参考文献
Bateman, Nicoleta. 2007. A Crosslinguistic Investigation of Palatalization. San Diego, CA: University of California San Diego, Ph. D. dissertation.
Chekman, Valerii. N. 1979. Issledovaniya po istoricheskoj fonetike praslavyanskogo yazyka: Tipologiya i rekonstruktsiya [Investigations on historical phonetics of Proto-Slavic language: Typology and reconstruction]. Minsk: Nauka i Technika.
Comrie, Bernard and Greville G. Corbett (eds.) 1993. The Slavonic Languages. London: Routledge.
Hamann, Silke. 2004. Retroflex Fricatives in Slavic Languages. Journal of the International Phonetic Association 34(1).53–67.
Townsend, Charles. E. and Laura A. Janda. 1996. Common and Comparative Slavic: Phonology and Inflection. Columbus: Slavica Publishers.
- 2023年07月24日 『3. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:ЯはRじゃない!(文字について) 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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今回から何回かにわたってスラヴ諸語の特徴を取り上げてゆきますが、まずは文字についてです。現代社会における言語は、出版やインターネットの普及もあって膨大な文字記録が残され、日常生活でも様々なやり取りが文字媒体を通して行われており、文字ぬきに言語を語ることは不可能でしょう。ただし前回お話しした通り、最初期の言語に文字はなく、現代でも多くの方は音声で意思疎通会話をしていますので、文字が言語の全てを表しているとは言えません。それでも未知の言語の世界に踏み込む入口になることは間違いないと思います。なお、文字が表す発音についても触れますが、音声・音韻に関する詳細は主に次回紹介してゆきます。
グラゴル文字からキリル文字へ
前回の繰り返しですが、スラヴ語の文字記録が始まったのは、9世紀後半の東方正教会における聖書の翻訳でした。キュリロス・メトディオス兄弟が最初に開発したのは「グラゴル文字」(図1)と呼ばれるもので、南スラヴの地域を中心に古文書が残されています。それらはやがて現在でも使われる「キリル文字」に移行してゆきました。
図1:グラゴル文字c
Ⰱ
Ⰲ
Ⰳ
Ⰴ
Ⰵ
Ⰶ
Ⰷ
Ⰸ
Ⰹ
Ⰺ
Ⰻ
Ⰼ
Ⰽ
Ⰾ
Ⰿ
Ⱀ
Ⱁ
Ⱂ
Ⱃ
Ⱄ
Ⱅ
Ⱆ
Ⱇ
Ⱈ
Ⱉ
Ⱊ
Ⱋ
Ⱌ
Ⱍ
Ⱎ
Ⱏ
Ⱐ
Ⱑ
Ⱒ
Ⱓ
Ⱔ
Ⱕ
Ⱖ
Ⱗ
Ⱘ
Ⱙ
Ⱚ
Ⱛ
Ⱜ
Ⱝ
Ⱞ
ⰰ
ⰱ
ⰲ
ⰳ
ⰴ
ⰵ
ⰶ
ⰷ
ⰸ
ⰹ
ⰺ
ⰻ
ⰼ
ⰽ
ⰾ
ⰿ
ⱀ
ⱁ
ⱂ
ⱃ
ⱄ
ⱅ
ⱆ
ⱇ
ⱈ
ⱉ
ⱊ
ⱋ
ⱌ
ⱍ
ⱎ
ⱏ
ⱐ
ⱑ
ⱒ
ⱓ
ⱔ
ⱕ
ⱖ
ⱗ
ⱘ
ⱙ
ⱚ
ⱛ
ⱜ
ⱝ
ⱞ
最近のスマホでのやり取りやSNSではあまり使われないように思いますが、キリル文字と言えば顔文字の一部として使われているものをご存じの方も多いでしょう。例えば(*´Д`)などで口を表していたのは、ロシア語などの「デー」の文字です。携帯電話の特殊文字の歴史は完全に専門外ですが、懐かしのガラケーの時代からギリシャ文字と「ロシア文字」(と呼ばれていました)は使うことができ、このような面白い使い方がいつからか流行り始めたようです。なお余談ですが、筆者は大学の学部時代、ガラケーでロシア語が打てるという謎の特技を持っていました。ギリシャ文字は数学でよく使われるのでわかるのですが、キリル文字が入っていたのは不思議に感じますね。他にも、RやNが反転したようなЯ, Иという文字を見たことがある方もいるでしょうか。某大型玩具店をはじめ、デザインの一環でRをこのようにひっくり返しているものも見られますが、Яはロシア語などの「ヤー」であって、歴史的にもRとは全く無関係です。
なんとなく全くわけのわからない印象もあるキリル文字ですが、もう少し詳しく見るとそこまでではないと思います。まず、А, а, О, о, Е, еといったいわゆる「アルファベット」と同じ形をしているものもありますし、Ф, ф, П, пなどはギリシャ文字で見たことがある方も多いでしょう。実はギリシャ系の東方正教会が元々開発したこともあり、キリル文字はギリシャ文字のある書体を基に創られたと言われています。先ほどのД, дもΔ(デルタの大文字)から来ていますし、「ピー」に見えるР, рもギリシャ文字の「ロー」が起源です。ギリシャ文字と異なる点はまず、大文字と小文字で形が変わらないものが多いところです。П, пやД, дのほか、М, мについてもギリシャ文字「ミュー」の小文字は単位でよく使われるμですね。もう一つの違いとして、ギリシャ文字にはないものがいくつか含まれています。スラヴ語とギリシャ語は違う言語ですから、当然ながら音の体系も異なり、ギリシャ語にない音を表す文字が必要だったのです。そこで、スラヴ語特有の音についてはグラゴル文字を継承し(形は多少変わっています)、現代でも使われるШ, ш「シャー」やЧ, ч「チェー」などがそれにあたります。古代における代表的なキリル文字を図2にまとめました。それぞれ大文字・小文字と、参考までにラテン文字転写を併記しています。
А
а
a
К
к
k
Ф
ф
f
Ю
ю
yu
Б
б
b
Л
л
l
Х
х
kh
Ꙗ
ꙗ
ya
В
в
v
М
м
m
Ц
ц
ts
Ѥ
ѥ
ye
Г
г
g
Н
н
n
Ч
ч
ch
Ѧ
ѧ
en
Д
д
d
О
о
o
Ш
ш
sh
Ѫ
ѫ
on
Є
є
e
П
п
p
Щ
щ
sht
Ѩ
ѩ
yen
Ж
ж
zh
Р
р
r
Ъ
ъ
ŭ
Ѭ
ѭ
yon
Ѕ
ѕ
dz
С
с
s
Ы
ы
ū
И
и
i
Т
т
t
Ь
ь
ĭ
І
і
i
Ѹ
ѹ
u
Ѣ
ѣ
æ/ě
キリル文字の特徴とラテン文字との違い
キリル文字は東方正教会の拡大とともに広まってゆき、現在は南スラヴの一部(ブルガリア、マケドニア、セルビア)と、東スラヴ(ウクライナ、ベラルーシ、ロシア)を中心に使用されています。またスラヴ諸語以外でも、ロシア語が力を持つソヴィエト連邦の政策により、中央アジアの加盟国や衛星国モンゴルの主要言語や、少数民族の諸言語をキリル文字で表記するようになりましたが、近年ではラテン文字に移行する動きも広まっています。
ギリシャ文字と一部のグラゴル文字が融合して生まれたのがキリル文字の体系ですが、大枠で言えば英語の「アルファベット」でお馴染みのラテン文字と同じく、フェニキア系の表音文字に分類されます。なお、「アルファベット」というのは文字体系を指す言い方で、英語に限ったものではないことは注意が必要です。それぞれヨーロッパの二大宗派だった東方正教会とカトリック教会と結び付いて広まっていったわけですが、こうした歴史的背景以外に言語学的な違いも見られます。最も顕著なのは、キリル文字は「1字で1音を表す」という特徴です。このため用いる音の違う言語の間で、使われる文字も異なってきます。一方ラテン文字は、原則的に用いる文字そのものは共通で、それらの組み合わせによって表す音の種類を拡張しています。例えば英語では「サイン」などのsに対して、「シャイン」などにおけるやや異なる子音をshという文字の組み合わせで表しますが、類似の子音はキリル文字ではそれぞれ、сとшという全く異なる文字で表記するのです。
ただしラテン文字においても、そうした文字の組み合わせ以外に補助記号の使用も見られ、ドイツ語のウムラウトやフランス語のアクサン記号などは有名ですね。補助記号はキリル文字でも一部見られますが、やや少数派です。逆に、キリル文字においても文字の組み合わせが全くなかったわけではありません。図2に示した古代のキリル文字を注意深く見ると、「Rの逆」として取り上げたЯがないことに気づきます。実はこの「ヤー」は元々Ꙗ/ꙗの組み合わせが徐々に融合して現在の形になったと言われています。「Rと無関係」の答えはここにあるのです。Ѹ/ѹについても歴史的経緯から元々文字が組み合わされていましたが、現在はУ/у「ウー」という完全な1字です。すなわち全体としては、やはり「1字で1音」という原則があり、歴史的な変化や言語間の違いに合わせて新たな形の文字を発展させてきたと言えるでしょう。
現代のスラヴ諸語における書記体系
ここでは各言語の文字体系について網羅的に記述するわけではなく、様々な事例を取り上げながらスラヴ諸語の表記法について概説してゆきたいと思います。
まずキリル文字についてですが、先ほどお話ししたように新しい字を作ってきた一方で、古代に使われていた文字の中でやがて使われなくなるものもありました。日本語にも「ゐ」や「ゑ」といった旧仮名がありますね。これは言語の歴史的変化の中で当該の音が消失し、必要なくなったからですが、キリル文字では鼻母音を表すѦ/ѧ(小ユス), Ѫ/ѫ(大ユス)や、口の開きが広めの「エ」を表すѢ/ѣ(ヤチ)などがなくなりました。また、Ѕ/ѕ(エスにそっくりですが違います)は現在マケドニア語のみにおいて「ゼー」として残っています。一方で、従来なかった音が生じたために、新たな文字を加える場合もあります。セルビアを中⼼に使われるЋ/ћ, Ђ/ђは、それぞれ⽇本語の「チ」・「ヂ」の⼦⾳に似た⾳を表しますが、歴史的な⼦⾳の変化によって誕生しました。また、音が歴史的に変化することで、文字の表すものが変わる場合もあります。代表的なのはъ, ь(イェル)で、どちらも元々は弱い母音を表す文字でした。その母音はやがてスラヴ語全体を通して消失してしまうのですが、言語によっては直前の子音の発音が異なっていることから、現在は東スラヴ諸語(ъはロシア語のみ)でそうした子音の発音を示す記号として用いられています。また、ブルガリア語では今でもъが母音を表しますが、これは古代に存在していた弱母音とはずいぶん異なるものです。
ラテン文字については先ほど、文字の組み合わせや補助記号によって言語特有の音を表すというお話をしました。前者はポーランド語が代表的で、ローマ字転写で言えばsh, chにあたる音はそれぞれ、sz, czと表記されます。また、スラヴ語では日本語の「拗音」に近い「軟子音」と呼ばれる音があるのですが、これはポーランド語で子音と母音の間にiを入れて示され、niaは「ニャ」、bioは「ビョ」のようになります(本当はもっと複雑なのですが)。ただこの言語の複雑な点は、補助記号もよく使われるところです。例えばszが有声となった「ジュ」に近い音はżですし、先ほどの「ニャ」の子音も音節末ではńと書きます。一方チェコ語やスロヴァキア語、クロアチア語やスロヴェニア語では専ら補助記号を使っており、しかも似たような体系です。ローマ字転写で言えばsh, zh, chにあたる音はいずれの言語でも見られますが、それぞれš, ž, čと小さいvのような記号を上に付けます。チェコ語とスロヴァキア語では母音の長短が特徴ですが、長母音の多くはá, í, éのようにアクセント記号のようなものを上に加えます。ただ、クロアチア語に特徴的な日本語の「チ」に近い子音はćと書く一方で、「ヂ」の方はđと書きます。なお、同様の子音はポーランド語にもあるのですが、音節末で前者はćと書き、後者はdźと書くのでこちらも含めるとさらに複雑です。
ところでここでは、「セルビア語」・「クロアチア語」と書きましたが、初回には「セルビア・クロアチア語」としていました。今回お話しした通り、正教会圏のセルビアではキリル文字、カトリック圏のクロアチアではラテン文字が主流なのですが、言語としては統一性があり、特にユーゴスラヴィア時代は「セルビア・クロアチア語」と呼ばれていました。このため、ほぼ同一の言語に2種類の表記法があるという状態です。なおラテン文字はセルビアでも使われていて、街中でもよく見かけます。このあたりの話はまた別の回にしたいと思います。
文字と発音の関係
ここまでは現代のスラヴ諸語でどのような文字が使われるかを概観してきましたが、最後に文字と発音との関わりについて述べておきたいと思います。
スラヴ諸語で用いられるキリル文字やラテン文字は表音文字と呼ばれる発音を示すもので、日本語の仮名もその一種です。なお、漢字のように何らかの意味を示す文字は表意文字と呼ばれます。ただ「音を表す」と一口に言っても、その実態はやや複雑です。日本語話者にとっては当たり前すぎる話ですが、平仮名や片仮名は一部の例外を除き、それぞれの文字が常に決まった音を表しますね。一方で英語について考えてみると、例えば同じaという文字が単語によって、map, base, talk, park, fatherなど色々な読み方となります。センター試験(今の共通テストもそうでしょうか)などで発音の異なる語を選べと言われたのを覚えている方も多いのではないでしょうか。すなわち、文字が音を表しているのは確かですが、文字そのものだけでどういう発音なのかはわからないのです。ここには先ほど述べた、文字の組み合わせによって単独の文字とは異なる音を示すラテン文字の表記法が関係しています。わかりやすいところで言えば、arについては(正確には少し違いますが)長母音になりますね。そういった規則性を踏まえれば英語の発音は概ね文字(綴り)からわかると言えるのですが、そもそも規則性が複雑で、例外も多いのが難点です。
英語は歴史的な事情から難しいことになっていますが、多くの言語は文字の組み合わせまで見れば大体発音がわかります。スラヴ諸語もそうで、ポーランド語のようにやや複雑な文字の組み合わせがあっても、基本的に決まった音を示します。一方で、文字からだけではわからない面も一部残っています。代表的なのはアクセントで、英語や日本語もそうですが、文字だけではどこにアクセントがあるかを知ることができません。ただしスラヴ諸語の中には、チェコ語やポーランド語など、原則として常に同じ位置にアクセントが来る言語もあり、その場合は問題になりませんね。アクセントの位置だけでも大変なのですが、さらに厄介なのは、アクセントの有無によって母音の質が変わる言語です。例えば英語でも、アクセントの有無によって母音字の読み方がだいぶ変わります(redとredoなど)。スラヴ諸語の中ではロシア語が代表的で、日本でもわりと知られている「良い」という意味の《ハラショー(хорошо)》は、3つの母音全て同じоで書くものの、どれも発音が異なります。特にアクセントのある最後のものとそれ以外では、日本語に置き換えても「オー」と「ア」という大きな違いがわかります。このあたりは初学者泣かせのところです。一方で親切な(?)言語もあります。ロシア語の「牛乳」はハラショーと同じ母音の並びで《マラコー(молоко)》なのですが、ベラルーシ語はほぼ同じ発音でмалакоと綴ります。このように、文字がどこまで正確な発音を表すのかについても、言語によって差があり、実はどちらも一長一短です。こういった言語を初めて目にする方にとっては、ベラルーシ語のように母音の違いは文字で示してもらった方がありがたいことでしょう。一方でその場合、歴史なども踏まえた語の「根っこ」(語根と呼びます)が見えづらくなります。実際ロシア語とベラルーシ語で綴りは違っても「同じ語」を使っているわけです。また、言語の中でも同じ語根が活用形によってアクセントを持ったり持たなかったりする場合もあり、それによって綴りが変わるとわかりづらくなるのです。
発音について今回は文字を通して少し触れる程度でしたが、次回詳しくお話ししてゆきます。
参考文献
木村彰一『古代教会スラブ語入門』, 白水社, 2003年.
桑野隆・長與進(編)『ロシア・中欧・バルカン世界のことばと文化』, 成文堂, 2010年.
佐藤純一『ロシア語史入門』, 大学書林, 2012年.
三谷惠子『スラヴ語入門』, 三省堂, 2011年.
- 2023年07月18日 『2. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:中欧・東欧言語紀行(スラヴ諸語の歴史と地理) 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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前回スラヴ諸語が話されている地域について概要をお話ししましたが、今回は言語の歴史を中心にもう少し詳しく見てゆきたいと思います。
古代におけるスラヴ語
歴史の教科書でスラヴ民族が最初に登場するのは、古代ヨーロッパにおける民族移動ですね。それまで主としてどのあたりで暮らしていたのかは定かではありませんが、5~6世紀ごろからヨーロッパ各地に移動し分化していったようです。ただし、8~9世紀ごろまでは一定の言語的統一性を保っていたと言われています。
民族の源流をたどるのは考古学ですが、それによって得られた史料などを基に言語の歴史についても盛んに研究が行われてきました。ここで問題となるのは、最初期の言語は文字による記録がないということです。「はじめに言葉ありき」は聖書の一節ですが、当初は音声のみであって、人類が言語を使い始めてから文字を発明するまでには時代の開きがあります。言うまでもなく録音は存在しませんね(笑)。ですから言語の原始の姿を明らかにするという試みは、あくまでも「推定」ということになります。どのように推定するのかと言うと、現代の系統的に近い諸言語や記録の残る古代語を対象に、それらの類似点や相違点を精査することで、これまで生じてきた歴史変化を仮定し、結果として元の形を理論的に復元してゆくのです。こうして提唱された、各言語に分化し歴史変化を経る前の元の言語を「祖語」と呼びます。
スラヴ祖語そのものは記録が残っていませんが、それに一番近い姿を反映しているとされる最古の文章語として「古代教会スラヴ語」があります。再び世界史の話に戻りますが、キリスト教がヨーロッパ各地に拡大する過程で、当時の東ローマ帝国で主流となっていたギリシャ正教または東方正教会と呼ばれる一派は、聖書を現地の言語に翻訳することで布教を行いました。9世紀後半に東ローマからモラヴィア(現在のチェコやスロヴァキアの一部)に派遣されたキュリロス・メトディオス兄弟は、当時のスラヴ語に「グラゴル文字」と呼ばれる書記体系を考案し、聖書を翻訳してゆきました。もちろんこうした形で記録されることになった言語は「書き言葉」であり、当時の人々が話していた言語をそのまま残しているわけではありませんが、少なくとも音韻や語形、文法といった言語体系の大枠を反映しているものであり、たいへん貴重なものです。その後まもなくカトリック勢力の台頭によりモラヴィアから逃れたキュリロス・メトディオスの弟子たちは、現在のブルガリアのあたりで活動を続け、多くの文書が残しました。このため、「教会スラヴ語」の多くは南スラヴの特徴を持っていると言われています。なお、ブルガリアのほかウクライナやロシアなどで現在使用されている「キリル文字」は、キュリロス(スラヴ語ではキリル)の名に因んだものですが、実際に発明されたのは少し後の時代だと言われています。いずれにしても両氏の功績はたいへん大きく、記念碑なども建てられています(写真1)。その後東ローマ帝国の支配から徐々に脱する中で、ブルガリア帝国やセルビア帝国、クロアチア王国といった国家が成立し、現在のブルガリア語やセルビア・クロアチア語の基礎が確立されてゆきます。
聖書の翻訳と聞くと、世界史に関心のある方は中世ヨーロッパの宗教改革を思い起こすのではないでしょうか。西ローマ帝国を中心に発展したカトリック教会は、その後長い間聖書の言語をラテン語やギリシャ語、ヘブライ語といった古代語に制限したので、ルターによるドイツ語訳などは「異端」であったのです。宗教改革の先駆者として精力的に活動したヤン・フス(写真2)は、現在のチェコにあたる地域で生まれチェコ語でも説教を行ったそうですが、これも非常に画期的だったことでしょう。やがて彼は教皇庁に対する批判を次々と展開し、最後は火刑となってしまいます。そうした背景もあって西スラヴの言語は、文献記録がなかなか行われませんでした。また、こうした地域ではグラゴル文字やキリル文字は普及せず、ラテン文字による正書法がやがて確立されることになります。文字の話は次回詳しく見てゆきます。
一方、上で述べたように、東ローマ帝国から発展した東方正教会は、現地語での布教を古代から許容し、聖書の翻訳も進めてゆきました。同宗派は「教会スラヴ語」が誕生した南スラヴ地域からさらに、キエフルーシをはじめとする東スラヴ地域に伝わってゆきます。そこでは定着した人々がすでに東スラヴ特有の言語を話していたわけですが、聖書の翻訳などを通してキリル文字文化が広まる中で、特に文章語は南スラヴからの影響を受けました。なお、当時の古代語は伝統的に「古代ロシア語」(本来は「古代ルーシ語」と言うべきか)と呼ばれますが、こうした名称に対して特に近年はウクライナ側から反発が強まっています。国家の成立や発展について本連載ではさほど立ち入りませんが、ロシア語で「ロシアの」あるいは「ロシア語の」という意味の形容詞《ルースキー(русский)》は、《ルーシ(Русь)》から派生した形容詞が語源です。このため、「ロシア語」という語そのものは必ずしも現在のロシア連邦という国家を示す語ではありません。逆に「キエフ」ルーシだからといって、それがそのままウクライナの源流だと単純化することもできません。
中世~近代におけるスラヴ語
中世ヨーロッパではやがていくつかの大国が覇権を持つようになります。東スラヴの地域では、キエフルーシの一部であったモスクワ大公国が台頭し、東ローマ帝国の滅亡とともにコンスタンティノープルに代わって東方正教会の実質的な中心地となりました。一時モンゴル帝国の支配を経験しましたが、そこから脱却した後にやがてロシア帝国を成立させます。ここで中心となっていたのは言うまでもなく、現在のロシア語の基になる言語でしたが、現在のウクライナやベラルーシを含め各地に様々な変種が存在していました。ロシア語の「標準語」となっていったのは、キエフを中心とする南部方言とノヴゴロド(現在のヴィリーキー・ノヴゴロド、サンクトペテルブルクに近い)を中心とする北部方言とが融合したものだと言われています。なお、ここで注意しなければならないのは、現在のウクライナ語という言語が、「キエフ」ルーシの言語をそのまま受け継いだものでも、あるいはロシア帝国におけるウクライナ地域の「方言」(当時は「小ロシア」のことばなどと呼ばれていました)でもないという点です。これに関しては隣接する西スラヴについても考える必要があります。
西スラヴではまず、現在のポーランドを中心とする領域においてポーランド王国が大きな力を持っていました。当然ながら中心言語は「ポーランド語」(とラテン語)でしたが、同王国には現在のウクライナやベラルーシの西部も含まれていました。このため、ウクライナ語やベラルーシ語はポーランド語の影響を強く受け、現在も特に標準語では語彙面でその名残が強く、ロシア語との違いが顕著です。一方で現在のチェコやスロヴァキアにあたる地域であるボヘミアやモラヴィアにはボヘミア王国が存在していましたが、実態としてはハプスブルク(オーストリア)帝国の支配下にありました。そのため(当時の)ドイツ語が公的地位を占めており、「チェコ語」や「スロヴァキア語」の力は弱かったのです。さらに近代になると、ポーランド(当時はポーランド・リトアニア共和国)がオーストリアやプロイセンそしてロシアによって分割され、自らの独立した国家を失ってしまいます。このように当時における西スラヴの諸言語は、列強の支配や侵略によって激動の時代をたどりました。
最後に南スラヴですが、こちらは完全に他民族による支配を受けることとなりました。現在のクロアチアの一部にあたるクロアチア王国はハンガリーの支配下に入り、近代になるとハプスブルク帝国の一部に組み込まれました。こうした背景もあって、当初は広まった正教会に代わり、カトリックが台頭することになります。一方、ブルガリア帝国やセルビア帝国は、ヨーロッパに進出してきたオスマン帝国によって滅ぼされ、完全な征服下となりました。なお現在でも、ボスニアを中心に多くのムスリムが暮らしています。古代にいち早くスラヴ語文化が花開いた南スラヴの地域は、中世から近代にかけては自らの勢力圏を持てずにいたのです。
そして現代へ
このように多くの地域で自らの民族国家を持てず、言語の地位を確立することがままならなかったわけですが、二度の世界大戦を経てようやくスラヴの国家が成立してゆきます。西スラヴではポーランドおよびチェコスロヴァキア、南スラヴではセルビア・クロアチア・スロヴェニア・マケドニアなどを統合したユーゴスラヴィア連邦とブルガリアが誕生しました。一方東スラヴ地域を支配してきたロシア帝国は、革命によってソヴィエト連邦となり、その構成国という形ではありますが国としてのウクライナやベラルーシがようやく成立します。当然ながら各スラヴ語は、これらの国で公用語として機能することとなりました。
しかし、ここでめでたしめでたしとはなりません。特に多民族が共存するユーゴスラヴィア連邦やソヴィエト連邦では、やがて内部における対立が生じてゆくのです。詳しくは後日お話することにしますが、ユーゴスラヴィアでは絶対的指導者チトーの死後内紛が徐々に激化し、1990年代はじめのクロアチア独立を機に内戦状態となります。ソヴィエト連邦は1991年に崩壊し、ウクライナやベラルーシは完全な独立を果たしますが、2014年にロシアがクリミア併合およびドンバス地域の一部における傀儡政権の樹立を行い、2022年にはウクライナ全土への侵略を開始し現在に至ります。他民族による支配を脱したスラヴの人々が、国家間とはいえ近しい民族どうしで争うのは残念でなりません。
ただしここで強調しておきたいのは、「クロアチア語」や「セルビア語」、「ウクライナ語」や「ロシア語」などが各国家の公用語として機能しているからといって、言語そのものは国家権力とは本来独立したものだということです。特に最近ロシア語については、プーチン大統領やプリゴジン氏などを連想してしまいがちですが、ぜひとも言語という文化に着目していただければと思います。次回からは言語の具体的な特徴について、いくつかの項目に分けて紹介してゆきます。
参考文献
木村彰一『古代教会スラブ語入門』, 白水社, 2003年.
桑野隆・長與進(編)『ロシア・中欧・バルカン世界のことばと文化』, 成文堂, 2010年.
佐藤純一『ロシア語史入門』, 大学書林, 2012年.
三谷惠子『スラヴ語入門』, 三省堂, 2011年.
- 2023年07月11日 『1. ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界:はじめに―スラヴ諸語とは? 渡部直也(東京大学教養学部非常勤講師)』
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ウクライナ戦争をきっかけに
2022年2月24日、ついに戦争が始まるという報道を目にし、ちょうど自宅にいた私は急いでYouTubeを開き、ロシアやウクライナのテレビ局が流す同時配信に飛びつきました。プーチン大統領による「特別軍事作戦」の開始宣言、そしてほぼ同時刻に駆け巡ったウクライナの主要都市における空爆の報道を見ながら、ただただ絶望感を覚えるしかありませんでした。
私は以前からある大学で、ロシア語のニュースを読む授業を担当していました。ロシアによる全面侵攻以降は、縁あってテレビ局の裏方で情勢のリサーチや現地報道の翻訳などに携わる機会もあり、ある程度事の成り行きを注視し続けています。一方で私は政治や軍事の専門家ではなく、あくまでも言語学を(細々と)研究している身ですので、背景にある言語・文化について冷静に見つめてゆくことが使命だと改めて思い至りました。今回こうした貴重な機会を頂きましたので、ウクライナやロシアを含むスラヴ語の世界について、僭越ながらお話してまいります。
スラヴとは?
ウクライナ語やロシア語は、専門用語の羅列(いわゆるオタク特有の早口?)で言えば、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派東スラヴ語群に属します。「スラヴ」と2回言いましたが、これこそが民族や言語を規定する重要なキーワードです。クラシック音楽の好きな方は、ドヴォルザーク(この表記も問題になるのですが)の「スラヴ舞曲」をよくご存知かと思います。ドヴォルザークはチェコの作曲家ですが、チェコもやはりスラヴ民族の国です。同時代のスメタナが「わが祖国」を作曲したように、当時は多くのスラヴ民族が国を持てない時代でした。ちなみに「モルダウ」はドイツ系の名前なので、趣旨を踏まえれば現地名の《ヴルタヴァ(Vltava)》と呼ぶべきですね。
チェコはヨーロッパの中央に位置する小さな国ですが、実はスラヴ系言語の全体的な分布はヨーロッパの中でたいへん広い領域を占めています。図1の地図で赤線を引いた国が、スラヴ諸語が主に話されている地域です。目ざとい方は先ほど、ウクライナ語が「東」スラヴだと気づいたと思いますが、スラヴ語のグループ(スラヴ語派)は「東」・「西」・「南」に分かれます(寒いですが「北」はありません)。特に一定の世代以上の方は、「ユーゴスラビア」をよくご存知でしょう。これは「ユーゴ」が「南」、「スラビア」(以降はスラヴィアと書きます)は「スラヴの国」ということで、かの地で大戦を経てようやく出来た「南スラヴの国家」なのです(ただしアルバニア語はスラヴ諸語ではありません)。その後1990年代初頭にスロヴェニアやクロアチアが独立し、様々な対立から悲惨な内戦に発展した結果、現在は多くの国に分かれています。
ここでチェコの話に戻りますと、その地域は「西スラヴ」にあたります。冷戦期をご存知の方は、チェコ(スロヴァキア)やポーランドといえば「東側」だと認識されているかと思いますが、これらの国はスラヴ圏の中では「西側」で、ドイツ語などのゲルマン諸語からも影響を受けています。例えばポーランド語の「ありがとう」は《ジェンクーイェ(Dziękuję)》ですが、語源的にはドイツ語の「ダンケ」と共通の語彙です。
そして最後に「東」ですが、これがキエフルーシや帝政ロシアの領域で、古くから(モンゴル帝国の支配を除いて)自分たちの国家を持っていました。だからといって伝統的特徴を保った言語を話しているというわけではなく、さらに一部地域では、帝政ロシア、ポーランド王国、ソヴィエト連邦(以下、ソ連)といった国家が覇権を持つ中で国境の変更も生じ、複雑な言語状況が生じています。現在はウクライナ・ベラルーシ・ロシア連邦という3つの国家が存在していますが、EU・NATOが拡大した今となっては、「東スラヴ」こそが「東欧」だと言えますね。なお、地理的にはモスクワよりだいぶ東に行ったウラル山脈がヨーロッパの端と言われますので、「西スラヴ」や「南スラヴ」は「中欧」に含まれます。図2にスラヴ諸語の分類をまとめました。
スラヴ諸語の全体的特徴
細かい点については来週以降詳しくお話しいたしますが、今回はひとまず、スラヴ諸語がどういった言語なのか、大枠について知っていただければと思います。
比較的有名なところから言いますと、名詞の「格」の変化が多いということがよく言われています。日本語では名詞が「体言」と呼ばれ、「活用しない」と言われているのですが、多くのスラヴ諸語や他のヨーロッパの諸言語では名詞が「活用」します。1つだけ例を挙げますと、ウクライナ語の《ウクライーナ(Україна)》は、「ウクライナで」と言いたい時には英語のinにあたる前置詞の《ヴ(в)》の後ろで《ウクライーニ(Україні)》という形になります。このため、日本語母語話者にとっては習得が非常に難しいところなのです。ただしスラヴ諸語の中でもこうした名詞の活用がない言語もあります。
次に言われているのは、やたら長い語が多くて発音が難しいというイメージでしょうか。確かに比較的知られている単語を挙げても、「ペレストロイカ」といった政治用語をはじめ、地名では「セヴァストポリ」、「ウラジオストク」、「ベオグラード」、人名でも「メドヴェーデワ」、「ドストエフスキー」、「イブラヒモヴィッチ」など、なんとも取っつきにくい言葉が目立ちますね。しかしよく知られた英語と比較すると、確かに難しい子音やその連続がある一方で、母音については多くの言語で日本語と似た「アイウエオ」なのです。また、子音についてはスラヴ諸語の中でも様々な違いがあり、言語によって複雑さはまちまちです。発音というのは、日頃触れる部分であるがゆえ、ちょっとした場所の違いで結構な差が出てきますので、「スラヴ諸語の発音」などと一括りにはできません。
発音(専門的には音声・音韻と言います)のことで皆さんに考えていただきたいのは、日本語の中だけでも、よくわからない「方言」がたくさんあるということです。「関西弁」については比較的知られていますが、「津軽弁」や「薩摩弁」さらには「沖縄弁」など、「標準語」とは大きく異なり、とても聞き取れないようなものもあります(もちろん語彙的な差異も関係しています)。なお、「○○弁」や「標準語」はやや差別的なニュアンスもあり、言語学ではどれも平等に「○○方言」と呼びますが、それでも「標準語」は日本全国である程度の規範として通用していることから「共通語」と言います。方言でもこれだけ違いがあるのだから、異なる「言語」であれば当然もっと難しくなるのではないかという話になるかもしれませんが、実はスラヴ諸語間の違いはそこまでではありません。去年流行語にまでなった「キーウ」とロシア語の「キエフ」は結構違うようにも感じますが、例えば「ゼレンスキー」大統領はウクライナ語で《ゼレンシキー(Зеленський)》、ロシア語で《ズィレンスキー(Зеленский)》とそこまで違いません。これは物議を醸す点ではありますが、純粋に言語を見た場合、ウクライナ語とロシア語との違いは、日本語の「ちょっとよくわからない」方言ぐらいの差です。そうなってくると、実は方言と言語の違いもよくわからなくなってくるのですが、これについても後日少しお話ししたいと思います。
まずは政治や戦争ではなく「ことば」を見よう
ひとまず初回は、スラヴ諸語の全体像についてお話しさせていただきました。ウクライナ情勢に目をやると、どうしても政治や戦争の行方に意識が行ってしまうかと思います。ユーゴスラヴィア内戦の頃もそうだったのでしょう。私も一応現地メディアやSNSを観察していますが、当然ながら憎悪に満ちた罵詈雑言も多く飛び交っており、「対立」や「分断」が目を惹き、ほとほと辟易するばかりです。しかしそれはあくまでも、「表面的な」結果でしかないのです。「ロシアが悪い」、「ウクライナも悪い」、「本当は西側が悪い」などと罵り合っていても何ら解決には結び付きません。まずは何よりも、特に日本にいる「傍観者」にとっては、ひたすら冷静に状況を注視するほかないでしょう。そして情勢を本当に理解するためには、背景にある言語・文化・思想といった、人間の根源にあるものについて考えることが不可欠だと思っています。
…と言いつつ、これも一(弱小)言語学者の「戯言」に過ぎないのですが、少しでも興味を持っていただければ、今後もお付き合いいただけますと幸いです。
- 2023年07月04日 『7月からの新連載のお知らせ』
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4月から12回にわたり、「私の言語ヒストリー―コトバとヒトとの関わりの多様性―」というタイトルで、ヒトの身体機能の多様性とそこから生じるコトバとの関わりの多様性、それを理解することの社会的な意味を論じてくださった菊澤律子先生、ありがとうございました。
さて、7月11日からの12回の連載は渡部直也先生(東京大学教養学部非常勤講師)による「ウクライナ・ロシアの源流―スラヴ語の世界」です。渡部先生はスラヴ諸語、日本語、英語およびそれらの対照を中心に、音韻体系や形態構造についての研究をされています。この連載では、ウクライナ語やロシア語をはじめとするスラヴ諸語について、言語の特徴やさまざまな逸話を紹介されます。(野口)