私の言語ヒストリー―コトバとヒトとの関わりの多様性―(ことば文化特設サイト)
ことば文化に関する気になるトピックを短期連載で紹介していきます。
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- 2023年05月30日 『5. 私の言語ヒストリー―コトバとヒトとの関わりの多様性―:シグナルの伝達と理解 菊澤律子(国立民族学博物館)』
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図1:新幹線のプラットフォームで(国立民族学博物館特別展資料)
図2:銭湯でのやりとり(国立民族学博物館特別展資料)
図3:校庭で遊んでいる子供たちを集合させたい!(国立民族学博物館特別展資料)
図4:大部屋での入院(国立民族学博物館特別展資料)
第4回では、音声言語のスピーチ・チェインと、手話言語と触手話を加えたコミュニケーション・チェインを紹介しました(第4回図1, 2)。このコミュニケーション・チェインは、ひとりのヒトから他のヒトへ、情報が伝わるプロセスを示したものであり、逆にいえば、このなかのどこかが機能しなくなると情報が伝わりづらかったり、あるいは伝わらなかったりします。そんなときヒトは、コミュニケーションを可能にするための様々な工夫をします。今回は、そのなかでも観察しやすく、誰にとっても身近な③「音響学的レベル」の断絶について、お話します。
ヒトと人間と言語とコトバ
この連載ではこれまで、「ヒト」と「人間」、「言語」と「コトバ」という語を使ってきました。お話をすすめるにあたり、ここで用語の整理をしておきたいと思います。
まず、「ヒト」と「人間」について説明します。生物学などで、動物を生物体として観察することがありますが、人も生物体としてとらえることができます。その観察対象となる生き物は、イヌやネコのようにカタカナ書きをしますが、これにならい、人を生物体としてみるときにはヒトと表記します。これに対して、ヒトとしての性質を含めた、社会生活をする存在としての人に言及するときには「人間」とします。人間は、生物的、社会的、その他の人間の性質を含む存在を一般化した抽象的な概念です。このことにより、個々に観察し得る人の物理的な特徴と、抽象的な存在としての人間を区別します。
次に、「言語」と「コトバ」です。「日本語」や「日本手話」、「英語」などのように、伝達するための語彙リスト(辞書)や、語をつかって言いたいことを伝えるためのルール(文法)が一定数の話者間で共有されているものを総体として「言語」と呼びます。言語は抽象的な概念です。一方で、ひとつひとつの言語が使われる中で実際に出てくるもの、いわば実現型をコトバと呼びます。コトバは物理的に観察することができますので、ヒトの場合同様、カタカナ表記で示しています。
コトバの「形」
「コトバ」は目には見えませんし、手でつかむこともできませんが、シグナルとしての物理的な性質をもっています。このことは、第4回で述べた雑踏の中で音声言語が、暗闇の中で手話言語が使えない理由と直結しています。
音声言語の場合には、音のシグナルです。音は空気振動という物理的な現象で、それが空気の中を伝わって誰かの音の受容器官に届き、音のシグナルが言語として解釈されると「聞こえ」ます。逆に言えば、空気振動が伝わらない環境であればシグナル自体が途切れてしまいますし、もしくは聞き手がその空気振動を受けとれない、もしくは受け取りにくい環境にいると、コトバは届きません。
空気振動が伝わらない環境は、音声言語話者であれば、日ごろから意識・無意識のうちに経験していることでしょう。たとえば、新幹線に乗ってしまった友達と窓越しに目があっても、言い忘れたことをコトバで伝えることはできません(図1)。新幹線の窓は防音効果が高く、声による空気振動は窓の向こう側には届かないからです。そのようなときには、相手の姿が見えていても携帯電話を使って空気中の振動とは異なる方法で音声シグナルを届けます。また、駅のプラットフォームのような雑踏の中や大きな音で音楽をかけている喫茶店などでは、音のシグナル自体が伝わる環境であっても、他の類似の音のシグナルに混ざってしまって、相手が話すコトバが聞きとりづらくなります。話がしたいときに静かな喫茶店を選んだり、電車がきたりしたときに一端中断して、電車が行き過ぎるのを待ってから再開するという場面では、意識せずに音のシグナルが届きやすい環境を選ぶという対応をしているのです。
逆にいえば、音のシグナルが届く環境であれば、他の伝達ができない環境でも、コトバを相手に届けることができます。ひと昔前、銭湯では女湯と男湯の間の仕切りは、視界を十分に遮る高さまでしかないのが一般的でした。天井部分の空間がつながっており、音声シグナルはその空間を伝わってもう一方まで届いたので、互いの姿が見えなくても、お互いに声でやりとりして会話をすることが可能でした(図2)。
視覚言語の場合には、形や動きが、光学シグナル情報として相手の視覚器官に到達し、コトバとして解釈されます。したがって、光学シグナルが届かない環境では、言語使用に支障が出ます。たとえば、手の形や動き、表情などがよく見えない暗闇や逆光になっている場面、相手と自分の間に物理的な仕切りがある(そもそも相手が見えない)環境(図2)などです。さらに光学シグナルの場合には、環境に問題がなくても、受け手が話し手を見ていなければ、発信された光学シグナルの受容と解釈が始まらず、言いたいことを伝えはじめることができません(図3)。
このように、音声言語も手話言語も、その伝達には物理シグナルが関わっており、それぞれがそのシグナルの性質に基づく特性をもっています。そして、いずれの言語の話者も、コトバを伝えやすい環境、受容しやすい環境を必要に応じて、意識的にあるいは無意識に選んだり避けたりして、暮らしています。
音声言語と手話言語の両方が使える人どうしの会話の場合には、この性質を上手に利用して、コミュニケーションの機会を増やすことができます。たとえば、新幹線に乗ってしまった友達には手話で、銭湯では音声で話しかければ、いずれの状況でも問題なく意思疎通ができます。
音声言語が基盤となっている社会で視覚表現が発達するのは、このような理由によるものだと思われます。たとえば、オーストラリアのアボリジニには、狩りのときにつかわれる一連の視覚コミュニケーションの方法をもっている部族がありますし、また厳律シトー修道会の修道院で使われる「手まね」にも、話すことを避けるという条件下の生活空間におけるコミュニケーション機能があります。前者については、明らかに機能的なニーズによるものですが、後者については、コミュニケーションニーズを満たすだけにとどまらず、修道士に課せられた禁忌を避けるための手段にもなっているとの研究報告があります(柴田2022)。言語的な特徴をもつコミュニケーション・ツールは、必ずしも習得が容易ではありません。それにもかかわらず、存続し続けるための文化的・社会的要因を考える上で大変興味深い報告だと思います。
物理的なシグナルの性質の違いは、環境に適応して補完的に使うためだけでなく、人間の日常生活のさまざまな場面で、もっと積極的に活用することができると考えています。たとえば、私の場合には病院の大部屋に入院しているときに、手話が使えたら便利なのになぁ、と思った経験があります。日本の病院の大部屋は、カーテンで間が仕切ってあるだけで、お互いに声がよくきこえます。これは、緊急時には便利です(し、病院という場所の性質上、そうあるべきなのだと思います)。けれども、長期入院になると、家族が訪ねてきたときに他人に聞かれたくない内容の話をしたいこともあるかもしれませんし、たまに訪ねてきてくれる仲良しの友達と周りの人に気兼ねせずに馬鹿笑いをしたいという気持ちにもなります。こんなとき、自分も相手も視覚言語が使えれば、視覚に切り替えてこころゆくまで話ができるのになぁ、と思ったものです(図4)。
シグナルの損傷と修復
コミュニケーション・チェインの③の音響学的なレベルでは、言語シグナルが空間を伝わることで、話し手から聞き手にコトバが届く過程です。コトバには、シグナルという物理的な形があります。どの言語を使っていても、シグナルが伝わらない環境では、コミュニケーションが阻害されてしまいます。ただしここで注意したいのは、日常的なコミュニケーションにおいて、言語シグナルが常に100%の形で伝わり、受け止められるというわけではないということです。例えば音声言語であれば、発話者も聞き手もともに防音室の中で会話をするなどといった環境でなければ、欠損がまったくない状態でシグナルが伝わることは不可能だと思います。人間の暮らしには必ず生活音を伴いますから、話をしているときでも常に、さまざまな音のシグナルが飛び交っています。ヒトはそのなかから、無意識のうちに言語音、あるいは言語に関わる視覚情報をより分け、その部分をコトバとして理解します。携帯電話やインターネットを利用したオンラインでの会話で電波が良かったり悪かったりするときには、言語を伝えるシグナルの途切れを意識させられます。
音声言語であっても手話言語であっても、ヒトがコトバをつかうとき、発信されたシグナルが受け手に100%届くわけではありません。それなのになぜ伝わるのかというと、ヒトには欠損したシグナルを修復して理解する機能が備わっているからです。次回以降に解説する、シグナルを受ける受容器官(コミュニケーション・チェインの④生理学的レベル)と脳(⑤言語学的レベル)の働きに依存する機能となっています。
参考文献
柴田可奈子(2022)「修道院手話『手まね』の社会言語学的研究」. 筑波大学大学院人文社会科学研究科博士論文.
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- 2023年05月23日 『今週の休載のお知らせ』
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執筆者都合により休載
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- 2023年05月16日 『4. 私の言語ヒストリー―コトバとヒトとの関わりの多様性―:コトバと身体 菊澤律子(国立民族学博物館)』
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コトバと身体
言語ヒストリーを見ることは、外国語や日本語の方言の使用史や学習史だけでなく、言語機能史を含めて言語使用史を見ることです。言語機能についてはこれまで、定型発達とは異なっている、あるいは社会一般における言語使用と異なっていて、言語が使えない「障害」がある場合に、観察および「治療」の対象となってきました。これに対し、言語ヒストリーでは、言語機能を、恒常的であるか一時的であるかに関わらず、個々人がもつ特性としてとらえます。そのような視点で話者のあり方を理解することは、「話せる」「話せない」という二分法ではなく、「話し方」が多様であること、さらに、その「異なり方」を社会で受け入れ、活かすことにつながります。ここではまず、言語機能史を考える上での基礎となる、コトバと身体の関係の概略について述べます。
コトバを話すときの身体の動き
対面のコミュニケーションでは、メッセージが瞬時に相手に伝わります。この一瞬のうちに、コトバは話し手の脳を出発し、異なる場所を経て相手の脳にたどりつきます。このプロセスには、生理学的、物理的、工学的、その他のさまざまな要素が関わっています。音声言語において、言語が伝わるプロセスはスピーチ・チェイン(The Speech Chain / The Communication Chain とも)と呼ばれており、図1のようになっています。
図の左側の話し手の頭の中で伝えたい内容ができると(心理学的レベル)、まず、話し手の脳は、その内容をどのように伝えるかを形づくり、それを伝えるための動きをするように筋肉に指令を出します(言語機能学的レベル)。指令を受けた筋肉が動く(生理学的レベル)ことで、言語を相手に伝えるためのシグナルが生成されます。生成された音声シグナルは空間を伝わり(音響学的レベル)、相手の受容器官を通して脳に届き(生理学的レベル)、解釈される(言語機能学的レベル)という一連のプロセスを経て、話し手が伝えたい内容が聞き手に伝わります。また、話し手は、自分が出す声を耳だけでなく骨伝導を通して聞いて評価し、音量や話し方を調整したり、内容を言い直したりします。図では、これを「フィードバックの環」と示しています。
ところで、人間の言語の伝達方法は、音声を使うものだけではありません。音声言語の場合には、その音声を別の形に転写して伝える方法があります。文字を使った読み書き、手指で音声を表現する対応手話、点字や指点字のような触覚による伝達方法などがこれにあたります。一方、手話言語の場合には、視覚シグナルが基本となっており、空間表現や動きなどを使った音声言語とは異なる文法体系をもつ言語となっています。手話言語の場合には、実用的な書記法は存在しませんが、触って伝える方法があり、触手話といいます。触手話が、手話言語とは区別した言語として扱われるべきなのか、それとも、手話の表現方法のひとつと考えるべきなのか、については議論されるところですが、ここでは、異なるコミュニケーション伝達の方法という観点から、別のものとして扱います。
音声言語において話し手の心理学的レベルから発し、聞き手の心理学的レベルに達するスピーチ・チェインのようなプロセスは、手話言語においても、触手話においても、存在します。図2では、図1の話し手から聞き手への流れの部分を抜き出し、これらの視覚および触覚による伝達のプロセスを加えてみました。これを、コミュニケーション・チェインと呼ぶことにします。なお、この図は、2022年秋に国立民族学博物館で開催した特別展示用に作成したもので、わかりやすくするために簡略化してあります。
図2では、図1同様、左側が話し手、右側が聞き手になっています。そして、コトバの伝達が、話し手の脳(①)、シグナルを生成する構音器官(②)、シグナルの空間伝達(③)、シグナルの受容器官(④)、そして聞き手の脳(⑤)という5段階で示されています。この中で、①と⑤の「脳」はすべての人に共通していますが、コミュニケーションのために使うシグナルは、音声、手話、触覚とひとによっていろいろです。②から④に3種類の過程があるのは、シグナルの違いにより伝達に使われる器官が異なることを示しています。
音声言語の場合には、②は肺から声帯、口と鼻といった音声を生成するための器官となります。(図では簡略化して「口」としています。)ここから発せられた音声シグナルが空気の振動として、③の空間を伝わり、④の聞き手の耳で受け止められ、その情報が⑤の脳に伝わります。手話言語の場合には、②は手指の形や向きと動き、顔の表情や上体の動きなどになります。これらにより生成された視覚信号が③の空間を通り、④の受容器官である目で受けられた情報が脳に伝わります。触手話の場合には、音声言語や手話言語と異なり、③の空間を伝わるプロセスがありません。これは手で、相手の手もしくは体の一部に触れることで伝達するためです。
なお、図2ではフィードバックの環が省略されていますが、手話言語の場合でも、触手話の場合でも、話し手が発信しながら自分が発信した内容をモニタリングするという点では、音声言語と同じです。また、ここでは、一般的に音声言語の音声理解についての描写として用いられるスピーチ・チェインを、手話言語、触手話に当てはめてみたら?という考え方で3分類してあります。けれども現実的には、音声言語の書記による伝達では、発信するときには手の運動と視覚、受容する(=読む)ときには視覚を使いますし、指点字の場合には、言語体系は音声言語のそれになりますが、知覚的には触覚を使います。音声言語話者が触覚をつかって指点字を発信し理解するプロセスと、盲ろう者が指点字を発信し理解するプロセスでは、もしかしたら生理学的に違いがあるかもしれません。今後、スピーチ・チェインをコミュニケーション・チェインという概念に拡大して、脳における言語発信と受容のプロセスや視覚や触覚を使うときの生理学的なプロセスをとらえることで、新しい知見が得られるようになるのではないかと考えています。
言語シグナルの産出と阻害
雑踏の中で、あるいは大きな音で音楽が流れている喫茶店で、話ができなくて困ったことはありませんか? 手話言語の場合には、暗い場所では見えづらく、スムーズなコミュニケーションに支障がでますし、話し手と受け手の間についたてがあったりすると、会話を始めることもできません(図3)。これは、図2の③、すなわち、シグナルの空間伝達が阻害されて、コミュニケーションがうまくいかなくなる例です。③のプロセスが存在しない触手話の場合には、手と手が離れるとシグナルの伝達が断絶します。盲ろう者の場合には、喧嘩の最中でも手を触れあっている、と冗談めかして言われることがあるゆえんです。
さて、言語による伝達のプロセスの断絶が起こるのは、このように、人間の身体外で物理的なシグナルの伝達が阻害される場合だけではありません。スピーチ・チェインは、言語による伝達の阻害要因を考えるときによく使われる図です。たとえば、私の言語機能史のところで、中耳炎により断続的に聞こえない時期があったこと、また、神経性の病気により、両手が使えない時期があったことを述べました。私の場合には、聞こえない時期には、図2の④のレベル、すなわち、音を受容する段階に、また、手が使えなかった時期には、②の発信器官に障害があり、言語使用に制約が出た、ということになります。
次回以降は、コミュニケーション・チェインの各段階における身体的、物理的な阻害要因と、それが実際のコミュニケーションにどのような影響を与えるのかについて、実際にインタビューさせていただいた方々の言語ヒストリーに言及しながら紹介します。
参考文献
原惠子・竹本直也. 2023. 「ことばが使えない時(言語障害と失語症)」. 菊澤律子・吉岡乾(編)『しゃべるヒト―ことばの不思議を科学する』文理閣、138-153.
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- 2023年05月09日 『3. 私の言語ヒストリー―コトバとヒトとの関わりの多様性―:言語史の切り取り方(その2) 菊澤律子(国立民族学博物館)』
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言語史の切り取り方
第2回では、「言語史」の例として、外国語史と日本語史を考えてみました。外国語史も日本語史も、「どんな種類の言語を使って暮らしてきたか?」という点で共通した性質をもちます。言語の種類が違う場面は、普段、無意識につかっているコトバのことを意識させられる機会でもあります。外国語の場合には、「コトバが思うように使えない」という経験とつながっているかもしれませんし、日本語の方言の場合には「周りと自分の話し方が違う」経験かもしれません。「言語」といったときに「種類の違い」がまず思い浮かぶ人が多いのは、言語の種類の違いに基づく経験が、実体験として記憶に残りやすく、想像もしやすいからでしょうか。
一方で、コトバが持つ側面は、外国語や日本語の方言のような「種類の違い」だけではありません。今回は、言語の種類とは少し異なる側面で「私の言語史」を描写してみます。ひとつめは、文体の違い、そしてもうひとつは言語機能に関わるものです。
私の日本語史(2)文体史~=話し相手歴?
ここでは「文体の違い」という語を広義で用い、文脈や相手に応じて使い分ける、同じ種類の言語内での表現の違いのことをいいます。文体の違いに関わる要素にはいろいろありますが、ここではわかりやすいように、同じ意味を示す単語の例を挙げてみましょう。たとえば、日本語には、一人称、いわゆる「私」を指す語がたくさんあり、話す相手や場面に応じて使い分けられることは、よく知られています。男性なら、「僕」「俺」「私」「わたくし」「(子どもがいる人なら)パパ」「おじちゃん」など。私の父は、家庭では、「吾輩」「わしゃ」なども使っていましたし、小さな子供なら「〇〇ちゃん」と、自分のことを名前でいうかもしれません。文体の使い分けは、このような語だけではなく、発声や発音、文末の形のような文法的な要素や語用論的なものの使い分けまで、言語の様々な側面に及びます。そして、幼稚園児の話し方と大学生のそれとを想像してみると、年齢が進むにつれて文体の使い方が増え、変化してゆくことが容易に想像できます。
でも、文体の違いの「変遷史」を書くのは難しい。ひとつひとつの語の使い方をたどるのであればできそうな気もしますが、まず、発声や発音、文法要素や語用論などまでひっくるめた総体を「文体」を一般化する方法がないからです。そこで、文体「関連」史として、「話し相手史」を考えてみようと思いました。ここでいう「話し相手」とは、これまで暮らしてきたその時々に、言語を使って会話する時間がある程度一定していた人のことを指します。話し相手史を見ることで、これまで言語使用の場面や文脈がどのように変わってきたのかを見える化することができます。このような考えに基づいて作成した私の話し相手史が図1です。
図を見たときに、話し相手史の中で、「家族」とそれ以外のグループには、大きな違いがあることに気づきました。
「家族」とは、私の場合には両親と兄弟で、生まれてから大学入学まで、どの地域で暮らしていても、一緒に暮らしており、毎日、何等かの会話がありました。その後は一人暮らしになり、結婚後は、配偶者が日々の主たる話し相手になりましたが、両親と兄弟同様、基本的にはどの地域にいてもメンバーは変わりません。
一方で、「家族」以外のグループは、地域が変わるたびに人も入れ替わっていきます。図では、オレンジと黄色の交代により居住地が変わったタイミングを示してあり、背景の色が変わるところではかならず、各グループに属する人達が入れ替わっています。たとえば、「地域の隣人・友人・知人等」との接触はどの地域に行ってもありましたが、実際に話す相手は、宮崎1、宮崎2、埼玉1、埼玉2…と引っ越すたびに、入れ替わっていきました。同時に、話し相手が話す言語も入れ替わりました。同様に、「幼稚園・学校などの友達・先生」や「アルバイト先の関係者」「職場の同僚」「趣味の友人」も、引っ越して転園・転校したり、所属先が変わったりすると、新しく知り合う人たちの中で暮らすことになり、結果として接触言語が変わります。子供のときに行く先々で、話す方言が変わっていったことは第2回で述べましたが、それでは、私が話すコトバの文体はどのように変遷してきたのでしょうか。
先に述べたように、成長して生活場面が変わるにつれて、個人がコトバを使う文脈や、話し相手との関係は変わっていきます。残念ながら、私自身の成長に伴う話し方の記録は残っていないので検証はできませんが、考えるときのヒントになる事柄がひとつあります。それは、私自身が「仕事の文脈では自分が東京で身につけた話し方しかできない」ということです。私は家族と話すときには、関西方言を使います。大阪で育った両親の言語と滋賀が長かった私の言語は、ざくっとみると似ています。関西方言は私にとってはほぼ第一言語だといえる存在です。ところが、東京から大阪に転勤になった後、私自身が職場で使うコトバは関西方言にはなりませんでした。職場という場面で、ひとりの大人としての話し方が身についていないため、話そうとしても使うことができないのです。こうなった背景が話し相手史を見ることでわかるように思います。これに関連すると考えられる部分を図1では、赤線で囲ってみました。私の場合には、大学に入ってからまず、東京の言語に囲まれた生活が始まります。同時期に、それまでの生活にはなかったアルバイト先の人々との接触がはじまりました。結果として、「働く」という場で必要な文体は、東京で身に着け、そのまま現在まで使用するに至っています。
この話を、英語話者の友人であるAさんにしたところ、まったく同じ現象があると言われたことがあります。聞いてみると、Aさんは、子どものときに日本で暮らしていたが、大学入学以降は英語圏で暮らしていた方です。日本語は第一言語で流暢なのだが、仕事の場面では、英語でしか話せないとのことでした。
私の言語機能史
ここまでの話は、「外国語」や「日本語」が機能的にフルに使えるもの、ということが前提になっていました。けれども、ヒトの言語史は、言語機能が使えない状態もまた、対象になり得ます。むしろ、どのような言語機能が使えるか、もしくは使えないかで、社会の他の話者との関わりに大きな違いがでるという意味では、個人の言語史において、機能史ほど重要なものはないと考えます。では、言語機能史とは、具体的にはどのようなものをいうのでしょうか?
図2は、著者の言語機能史です。ここでは、一般的な言語の使い方をしていた部分については「音声言語」「手話言語」とのみ記し、特記すべき事がらのみ、オレンジ色で具体的に記載しています。
ここでは、言語機能史という言葉を、言語を運用する機能に焦点をあてた変遷という意味で使っています。私の場合には、生まれたときから今まで、音声言語を使って暮らしてきており、2011年からはそこに手話言語がはいってきました。その中で、一定程度の期間にわたって一般的な機能が使えなかったものには、言語の受容におけるものと、言語の発信ができなかったものの2種類2件の経験があります。
まず、音声言語の受容です。子どものときに中耳炎にかかって耳が聴こえなくなったことが何度かありました。授業中に先生の指示がわからないときには、周りの子どもたちの動きを見て真似ることで、課題をこなしていたようです。授業参観にきた母がそれをみて、はじめて聞こえていないことに気づき、先生と話して席を前の方にしてもらったと聞いています。中耳炎には何度かかかりましたが、その都度、回復して聞こえがもどったため、いわば、断続的な難聴といったところでしょうか。聞こえているかいないかは、まわりからは見えないため、もし母が気づいてくれなければ、私は当時、もっと情報から取り残されていたかもしれません。
言語の発信側が不自由になったのは、手話言語に関するものです。2007年から2013年ごろまで、神経性疼痛のため両手がほとんど使えませんでした。2011年からは、学術的な理由で手話言語関係の研究や事業に携わるようになりましたが、当時は手が動かせなかったため、日本手話は、最初の数年間、勉強をしたくても始めることができませんでした。ある言語を発信することができないと、本人の気持ちに関わらず、その言語(を使うこと)に関心がない、もしくは使う気持ちがないような印象を持たれてしまいます。私自身にとっては、新しい言語を覚えて使いたいのに使えないという初めての経験になりました。
以上は、恒久的なものではありませんが、一般的なものでもないかもしれません。けれども、さらに軽微なものを考えれば、誰もが、言語が使えない経験はしたことがあるはずです。例えば、風邪で喉がはれて声が出せなくなったことはありませんか? あるいは、抜歯をしたり、舌に怪我をしたりしたときに、発音がしづらくなった経験はないでしょうか。言語の発信もしくは受容の能力の阻害が明らかに一時的である場合には、言語機能に障害が出たという認識ではなく、「声が出せない」から話せない、「抜歯をしたから」発音が変というように、身体の不調の方に意識がむき、言語使用に支障がでたと認識することはまれです。その意味でも、おたふくかぜにかかって聴力を失った友人に当時の話を聞いたときの、「そのうち聞こえるようになるんだと思ってたけど、それから今まで聞こえないまま~」という軽くて明るい表現がもつ強い現実味が、今でも強く心に残っています。
私たちヒトは生物であり、その生物として持つ身体機能を使って言語を操っています。生まれたときから、何等かの言語に関わる身体機能が阻害されていたり、あるいは、生きている途中に何等かの理由で機能しなくなってしまったりすると、「私」とコトバとの付き合い方が変わります。そのことをよりよく理解するために、次回は言語使用の背景にある、コトバと身体の機能について、見てみることにします。
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- 2023年05月02日 『2. 私の言語ヒストリー―コトバとヒトとの関わりの多様性―:言語史の切り取り方(その1) 菊澤律子(国立民族学博物館)』
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言語史の切り取り方(その1)
言語ヒストリー、すなわち、自分の言語史を見る、というのは具体的にどのようなことなのでしょうか。言語には様々な側面があるので「言語史」とひとことでいっても、様々な切り口があります。それを見ていただくために、ここではまず、私自身の言語史について紹介してみたいと思います。
私の外国語史
博物館勤務という仕事柄、これまで一般の方を対象として、さまざまな場面で「言語」の話をする機会を得ました。その経験からは、「言語」という場合、多くの方にはまず「外国語」のことが思い浮かぶような印象を受けています。図1では、まず、このような観点から私の言語史を作成してみました。ここでは上側に緑色で主なライフイベントを示してあります。これは、時間軸がわりになるものです。下側には、青色で言語関係の情報を時系列順に並べてみました。ここに出てくるのは日本語以外の言語で、私が第2、第3言語として学んだり、調査をしたり、また、現在日常的に使ったりしているものになります。私は言語調査を専門としているので、多くの方が「身近な外国語」という文脈で想像されるよりも、出てくる言語の名前が多いかもしれません。
複数ある言語を図1にまとめる作業の中で、私自身、これまで付き合ってきた外国語がいくつかに分類できることに気がつきました。まず、(1)の「英語」は、多くの日本の学校で第一外国語として履修する言語で、多くの方と共通していると思います。また、その言語を大人になってから、何等かの形で実用言語として使っていることは、多数派ではなくても珍しくはないと思います。一方で、(1)以外の外国語歴があることは、日本では、あまり一般的ではないかもしれません。私の場合には、これらの第2、第3外国語は、2つのカテゴリーに分かれます。まず、(2)のラインに横に並べたもので、趣味もしくは調査のための媒介言語です。学習も使用も興味や必要に応じてやったりやらなかったりするため、ある意味、一時的な学習と使用となっています。次に、(3)の枠内に示したものは、調査研究の対象となった、あるいは、なっている言語です。現地に行って、書き取って分析をすすめた言語になりますが、結果として実用能力もある程度身に着けていました。ただし、図に示したように、調査地が変わるたびに、言語が変わり、言語調査という視点からは継続していますが、必ずしも同じ言語を継続して調査し、使ったわけではありません。
これまで多数の言語と関わって暮らしてきており、人からよく、「いったい、いくつの言語を話せるんですか?」という質問をされ、「日本語と英語」だけだと答えて不思議な顔をされてしまうことがよくあります。こうしてまとめてみると、その理由がはっきりしてくるように思います。その場その場で必要な言語と運用を身に着け、調査地域が変わると次の対象言語にうつってきたため、関わった言語は多いのですが、一貫した運用能力が身に着いたのは、日本語や英語のみだ、ということなのです。
さて、図1をみて、みなさんはどう思われるでしょうか。いやいや、私は英語すらできないわ、とか、私は日本語だけ、言語史などというものはありません、と思われるでしょうか。あるいは、限られた場面だけでよいなら、英語もちょっと…と思われるでしょうか。まず、外国語を含め、言語というのは、決して完成された形はない、ということを、ここで強調しておきたいと思います。言語は、身に着けることが目的なのではなく、何等かのコミュニケーションのニーズがあり、そのニーズを満たすために使うものです。旅先で泊まって食べて帰ってくるだけなら、ホテルにチェックインができ、レストランで注文ができるだけの運用能力があれば、十分であり、それも立派な言語使用であり、言語史の一部です。
つぎに、いわゆる外国語の使用歴がなくても、実は気づいていないだけで、決して、単一の言語(系統)だけを使っているということはないはずです。次の項では、日本語の言語史について、考えてみたいと思います。
私の日本語史(1)変種歴
図2に、私自身の日本語に関する言語史をまとめてみました。
こちらもまとめる作業の中で、いくつか発見がありました。まず、私自身は、子どものときに、父の仕事の関係で引っ越しが続いたので、なんとなく、自分はいろいろな方言が混ざって暮らしていた、という感覚でいました。けれども、まとめてみると、こちらも3種類に分かれることに気づきました。
1つめは、両親が話すことばで、生まれてから今まで、一貫して(受動的に)接触があった言語です。両親はふたりとも大阪で生まれて育ったので、このことばを大阪方言1とします。ただし、子どもは地域の言語を身に着け、話すようになります。実際、私が初めて話したことばは、当時住んでいた宮崎の言葉だったそうです。日本人の両親をもつ子供が英語圏で生まれて育ったとき、日本語は聞いてわかるが、自分は英語しか話せなくなる、という状況に似ているかと思います。このように、私自身は、行く先行く先の地方で使われている言語を身に着け、話して育ちました。ただしこれは、引っ越してしまえば、インプットが途切れます。したがって、(2)で示したように、「様々な言語が混ざった」のではなく、様々な言語が次々とつながった環境で育った、という方が正しいことに気がつきました。偶然、2005年に縁あって大阪に来ることになり、その後は、大阪方言が話される環境で暮らしていますが、両親が話す言語とはいくらか異なると考えられるため、現在暮らしている地域の言語は大阪方言2としています。
3つめの「標準日本語」については、少し説明が必要だと思われます。「標準語」というのは定義が曖昧で、言語学的にこの呼び方を問題視する立場もあります。私自身は、Bayard 1995 に従い、「書記言語として確立しており、教育やメディアで使われる、規範化された変種」を「標準語」と呼んでいます。日本語の場合であれば、教科書に書かれている、国語で書き方を習う言語です。また、新聞や書籍などでも使われる言語になり、逆に言えば、話者のいない言語です。「標準語は東京方言を基盤としている」という描写が聞かれることもありますが、実際に東京で話されていることばは「標準語」とは異なっています。この標準日本語を、私は、絵本や学校の教科書、国語の授業などで身に着け、現在も執筆活動で使用しています。生まれてから今まで、同じ土地で暮らしてきた方でも、少なくとも、土地の言葉と標準語の2種類は使ってきているでしょう。
ここまでは、外国語や日本語の中の異なる言語について、自分史を考えてきてみました。最初に述べたように、言語には様々な側面があり、「言語史」にも様々な切り口があります。次回は、言語の使用歴や身体機能といった特徴から、言語史を考えてみることにします。
参考文献
Bayard, Donn. 1995. Kiwitalk: Sociolinguistics and New Zealand Society. Auckland: Dunmore Press.
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- 2023年04月25日 『1. 私の言語ヒストリー―コトバとヒトとの関わりの多様性―:「言語ヒストリー」とは? 菊澤律子(国立民族学博物館)』
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「言語ヒストリー」とは?
「言語ヒストリー」とは、私たちひとりひとりの、生まれてから現在に至るまでの言語との付き合いの歴史のことをいいます。2022年秋に著者が所属する国立民族学博物館で開催した言語に関する特別展示「Homō loquēns「しゃべるヒト」~ことばの不思議を科学する~」の企画の中で生まれて育ち、新たに提唱された概念です。本連載では、言語ヒストリーについて、基礎的な事実や背景を説明し、言語ヒストリーを考えることの学術的、そして社会的な意味について、考えてみます。
私たちはなんとなく、生まれたら身の周りで使われている言語を身につけ、その言語を使って一生暮らしていくものだと思っていないでしょうか。実際、身の周りで使われる言語を身につけ、それを使って一生を終える人が、社会では多数かもしれません。一方で、さまざまな理由で、身の周りで使われている言語が使えなかったり、使っていたけれども使えなくなったりする人もたくさんいます。また、話者自身が望むか望まないかに関わらず、最初に身につけた言語以外の言語を使って暮らすようになる人もいます。
本連載で述べるように、コトバとの関係は人によりさまざまで、また、それぞれの生涯においても固定的なものではありません。一方で、人間の社会では、言語が使えることが前提となっており、また、他者と同様に使えなくてはハンディを負ってしまう側面が少なくありません。個々人がまず自分の「言語ヒストリー」を考えてみること、そして、そこから他者の言語ヒストリーを理解すること。そうすれば、言語とのかかわり方、ひいては言語そのものに対する見方が、これまでとちょっと違ってくるでしょう。それは、言語および言語の使い方の多様性を受け入れることにつながります。
言語の多様性
近年、「多様性」という言葉がよく使われるようになり、文化や言語の多様性について語られることが多くなってきました。ここであらためて、「言語の多様性」とはいったい何を指すのでしょうか?
多くの方の頭に浮かぶのは、言語の数の多さではないでしょうか。世界では約7000の言語が使われているといわれており(UNESCO, 2021)、その中には数百の手話言語が含まれます(Eberhard, Simons, & Fennig, 2023)。言語の数え方の基準は一律ではなく、数はあくまで目安にすぎませんが、その多さを感覚で受けとっていただくために、私自身もよく、この数を引用します。
一方で「多様性」というのは、単にたくさんあることとは異なります。「ある集団の中に、異なる特徴や特性を持つ人がともに存在すること」と定義されることもありますが、これに従うと、言語の多様性とは、ある集団の中に、異なる言語を使ったり、異なる言語の使い方をしたり、また、言語を使うときの特性が違う人たちが含まれること、といえるでしょう。「ある集団」を地球規模でとらえると、確かに、言語が7000あることもまた、多様性であると言えるかもしれません。けれども言語を日常的で一般的な社会におけるコミュニケーションというレベルでとらえるには、もう少し小さい集団について考えるのが現実的でしょう。
たとえば、同じ「日本語」を話す人たちの中に、地域によって異なる方言があることは一般によく知られています。また、特定の職業集団や何等かのグループに属する人が「ちょっと違った」語を使ったり、「話し方にくせがある」と感じられたりすることもあります。さらに、ひとりひとりの言語の使い方を見てみても、場面や相手により、違う話し方をしたり、異なる文体を使ったりすることは珍しくありません。さらに、人間は、まわりで使われている言語を無意識のうちにモニタリングし、自分の言語能力に反映させています。その結果、同じ個人でも、数年前の言葉の使い方と今日の使い方には違いがあります。
このように、集団、グループ、話者ひとりひとりというどのような単位をとっても、その中にある「言語」は多様なのです。
ヒトとコトバの関係の多様性
現在の日本では、さまざまな言語を話す人たちが一緒に暮らしています。けれども、これまで長く「日本語」が使えることが前提となって社会が成り立ってきた結果、「日本語」を「普通に」使えない人たちにとって不利が生じてしまっています。
日本語を普通に使えないというと、外国人居住者を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。実際に、出入国管理庁のウェブサイト(https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/nyuukokukanri04_00018.html)
によると、2020年6月末現在の在留外国人数は196か国(無国籍者のぞく)から来た約300万人とのことです。このなかには母語が日本語ではない方も多いでしょうし、日本語を習得していても、その度合いによって理解や発信の程度に差が出ると考えられます。
けれども、言語を使ったコミュニケーションに支障が出るのは、外国語話者だけではありません。たとえば、抜歯の治療中に話しづらい経験をされたことはありませんか? 中耳炎で耳が聴こえづらくなったことはありませんか? 風邪で喉が腫れて声が出ず、発話ができない経験をしたことのある人は珍しくないでしょう。これらは一時的なものなので、「言語に障害が出た」という認識をされる方は少ないと思います。しかし、怪我や病気、手術などの結果、声が出せなくなったり、耳が聴こえなくなったり、また、舌や口のまわりの筋肉が思うように動かせなくなり、類似の症状が恒常的な状態になることがあります。このようなことが起こると、自分から言語を使って発信したり、また情報を受け取ったりすることが、恒常的に難しくなり、言語が中心の社会から何らかの形で取り残されてしまいます。この他にも、言語が「普通に」使えない状況にはいろいろあります。
人間として生きていく上で、言語はやはり重要です。一方で、言語が使えなくても、コミュニティの一員であることに変わりはありません。若いときに脳梗塞で失語症を発症して、言語が思うように使えなくなったKさんは「表現ができなくても考えていないわけではない」とおっしゃっていました。これは、コトバを操れない経験をした人みなが共感し、共有する気持ちではないでしょうか。
技術の発達により、これまで声をあげづらかった方々が、いろいろな方法で発信することができるようになってきました。それと合わせて必要なのは、社会の成員みなが「言語ヒストリー」の多様性を知り、理解し、受け入れることだと思います。そうすることが、社会における多様性を受け入れ、新しい技術を活かして、さまざまな言語やコミュニケーション特性を持つひとたちみなが活躍できる場をつくることにつながると信じています。そんな考えを知っていただきたく、この連載では、言語にまつわるさまざまな側面をヒトの身体との関係を切り口として紹介してゆきます。
参考文献
Eberhard, D. M., Simons, G. F., & Fennig, C. D. (2023). Ethnologue: Languages of the world. Twenty-sixth edition. SIL International. Online version: http://www.ethnologue.com [Accessed in January 2023]
UNESCO. (2021). World atlas of languages: Summary document. https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000380132 [Accessed in April 2023]
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- 2023年04月11日 『掲載延期のお知らせ』
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執筆者都合により連載延期
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- 2023年04月04日 『4月からの新連載のお知らせ』
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「自然言語と人工言語のはざまで―ことばの研究・教育での言語処理技術の利用―」という12回の連載は、1月から野口が執筆と編集を担当しました。言語を取り巻く環境の歴史的な転換点に、連載の執筆者として立ち会えたことは幸運でした。今後、世の中がどう変わるかはわたしたち次第です。答え合わせは後世の読者と、このページをクロールしているかもしれない大規模言語モデルに委ねることにします。
さて、4月11日からの12回の連載は菊澤律子先生(国立民族学博物館)による「私の言語ヒストリー―コトバとヒトとの関わりの多様性―」です。菊澤先生はオーストロネシア諸言語の記述や変化に関する研究にくわえ、音声言語と手話言語の類似性と相違点などに関心を持たれています。この連載では、ヒトの身体機能の多様性とその結果として生じるコトバとの関わりの多様性、それを理解することの社会的な意味について論じられます。(野口)