中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学(ことば文化特設サイト)
ことば文化に関する気になるトピックを短期連載で紹介していきます。
-
- 2022年12月27日 『12. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:「春の乙女がやってくる」そして、そとから見た中国のことばの森 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)』
-
「春の乙女がやってくる」そして、そとから見た中国のことばの森
武漢や上海の街のこと、そこに生きる人たちのことばの一部を伝え、日本語と中国語、そして「ことばと社会」を考えるという私の欲張りな目論見は、どのくらい達成できたでしょうか。それぞれの社会に生きる(生きた)人たちの声。さざめく雑踏、街に見える文字、ネットに飛び交うことば。最終回は、この連載で考えたかったことを多少振り返り、また積み残したことと、今後の中国社会言語学を学ぼうとする人への参考になるようなことを少し書いておきたいと思います。
春の乙女がやって来る―社会言語学的対照言語研究
これまでの対照言語研究は主に、文法・語彙・音韻といった「ことばの内部」の研究が多くなされてきました。私はことばとその外にあるもの、「ことばと森」の関係を知りたい、考えたいと思っていました。社会の中には、男女や年齢によることばの違い(第三回、第四回)、ことばとことばがぶつかって新しいことばが生まれてくる(第6回言語接触、第11回新語)といったことがあります。それを日本語と中国語の中で考えてみる、つまり社会言語学的対照言語研究の試みです。
対照言語研究の一部には、誤用研究があります。中国の12年半は、大学で主に日本語を教えていましたので、もちろん、中国人日本語学習者の語彙や文法上、音声上の間違い(誤用)の問題も数多く見てきました。この連載ではそうした誤用の問題については詳しくは書きませんでした(第7回言語行動の違いなどで多少触れましたが)。これまで「文化」とひとくくりにされていたものをもう少し、社会や時代の変化がもたらした要因があることについて考えようとしました。
例えば、中国の学生たちに「好きな季節」という作文を書いてもらうと、毎年なぜか「春の乙女がやって来た」とか、「柳のような髪をなびかせて」といったことを書く人がいました。中国人学習者の日本語作文が過剰に「文学的」だという研究はこれまでありますが、私は、「なぜ複数の学生」が「春の乙女がやって来た」と書くのか、ということが気になりました。これは、中国語母語話者の共有する何らかの「言語資源」の中にあるのではないかと思いました。そこで調べたのが、第4回で紹介した中国の小学校国語「語文」教科書の1)研究です。教科書を調べると、「ありました」。1986年版に「春姑娘来了。chūn gūniáng láile/春の乙女がやってきた」と、挿絵付きです。90年代の教科書にもありました。また、「春姑娘来了」で中国のインターネットを検索すると、数多くの小学生の作文のお手本の中に出てきます。こうしたスキーマ―(過去の経験や外部の環境に関する構造化された知識の集合)が、固定化した表現になり、一定期間、社会の中で共有される言語知識(言語資源)となって、日本語の作文にまで使用されたわけです。
最初にも書きましたように、この連載で書いてきたような社会言語学的視点をいれていくことで、日本語教育の上(あるいは中国語教育)においても、気づくことが増え、言語知識を増やすことができると考えています。
対照研究をすることの意味として、張岩紅(2014)2)
は中国の言語学者呂叔湘の「只有比较才能看出各种语言表现法的共同之点和特殊之点(zhǐyǒu bǐjiào cáinéng kàn chū gè zhǒng yǔyán biǎoxiàn fǎ de gòngtóng zhī diǎn hé tèshū zhī diǎn/比較することによってのみ、ぞれぞれの言語の表現の共通点と特徴とがわかるのだ」と言うことばを引きながら、対照言語研究のメリットを次のようにまとめています。
(1) 対照とする言語(外国語)についてよりわかる
(2) 母語についてよくわかる
(3) 外国語の研究理論が学べ、母語の研究に役に立つ
(4) 思いがけない発見がある
ここに「社会言語学」の視点を加えると、(1)対照とする言語(外国語)とその社会や人がよりわかる、(2)母語とその社会や人についてよくわかる、(3)外国語の研究理論が学べ、母語や社会の理解に役に立つ、(4)ことばのみならず社会や人について、それ以外にも思いがけない発見がある、ということになります。(1)(2)も大事ですが、(3)は逆に、母語の研究理論を紹介することも含まれます。わたしは、日本語の研究概念である「役割語」を紹介することに意義を感じました。(4)の「思いがけない発見」にはワクワクします。
「本土化」、中国社会言語学4つの流れ
真田(2006)3)に「欧米、特にアメリカの研究者は、人間にとっての普遍を知ることに関心があるとする場合が多い。ただし、そこでの普遍とは、あくまで彼らアメリカ人の立場からする普遍なのではなかろうか。」とあります。
1898年に中国語初の文法書『馬氏文通』(馬建忠・著)が上海商務印書館から出版されて以来、中国の言語学研究は西洋文法理論を手本に進んできました。社会言語学もそうです。それだけに最近では、「本土化」という声をよく聞きます。欧米の言語理論がそのままでは中国語の実際を捉えることが難しいということです。2022年8月末に開かれた、中国の都市言語学会では、一歩進んで、中国の言語学が世界の言語学に理論提供をしていくことを模索していくべきといった発言がありました。
現在の中国社会言語学の流派を大きく分けると4つの傾向に分かれます4)5)。(1)西洋学派:主に外国語学部の研究者たちによる研究で、概論書を書き、欧米の社会言語学理論を用いて中国の言語変異について研究してきた。王徳春(上海外国語大学)、祝畹瑾、高一虹(北京大学)、徐大明(南京大学)など。(2)社会文化言語学派:主に言語と文化の関係に注目した中国語や歴史・民俗学研究者による研究。著作の中に「文化と言語」という視点がある。陳健民(社会科学院)、遊汝傑、周振鶴、申小龍(復旦大学)ら。(3)民族学派:中国社会科学院民族研究所および各地の民族大学の研究者たちによる研究。主に言語人類学、人類言語学を研究対象にし、多民族国家の言語政策や危機言語などについて研究している。戴慶厦(中央民族大学)、周慶生(中国社会科学院民族研究所)ら、(4)総合学派:研究対象が国内外、現代古代など多方面に及ぶ。陳原(中国社会科学院)、郭熙(暨南大学)、鄒嘉彦(香港城市大学)など。また『中国言語生活状况報告』主編・李宇明(華中師範大学/北京語言大学)も挙げるべきでしょう。
中国の社会言語学を切り開いてきた研究者名を挙げ、所属を補った理由は、これから留学して学ぼうとする人の参考のためです。すでに退官され、亡くなられた方もありますが、これらの大学では跡を継ぐ優秀な研究者たちがいます。
中国社会言語学の国際シンポジウムは2年に1度、国内大会は毎年開かれています。また都市言語調査を中心に社会言語学の問題を扱う「城市语言调查国际学术研讨会(都市言語調査国際シンポジウム)」は、日本でも2回開かれ、日本の社会言語学者の参加も増え、日中の社会言語学者の交流の場になっています。
専門誌としては「中国社会语言学(中国社会言語学Journal of Chinese
Sociolinguistics)」(2003年創刊、年2回)と「语言战略研究(言語戦略研究Chinese Journal of Language Policy and Planning)」(2016年創刊、2カ月に1回)がありますが、国家の支援があるため、だんだんと後者が影響力のある学術誌となっています。
中国の大学の森の中で
日本語の授業の合間を縫って中国語学部大学院の授業など聞きにいきましたが、中国の大学は大学院でも、基本的に学部と同じように知識詰め込みの講義型です。一コマ3時間の授業で、途中休みが入りますが、学生は延々と黙って聞いているだけです。ある日、私は知識のオーバーフローで、自分で「考える力」を失ったと脳の疲労を感じたことがありました。論語の「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」で、知識と思考は両方のバランスが大事だと思います。こうした中国式大学教育を受けた学生たちは、英語力など外国語力や専門知識に関する部分では日本の大学生を凌駕したりしますが、創造性が失われるとも言われています。日本語教育などで言われる「ピアワーク(協働活動)」や分担発表を今一つ嫌うこともこの中国式教育が原因だと思います。
誕生日に学生たちに「置物」をもらったことがありますが、「静かに本を読む子どもを乗せた船を船頭さんが漕いでいる」焼き物でした。その寓意は「教師は知識の海を、学生を乗せて渡る船頭さん」だそうです。当時は日本語の先生として、どう海を泳いでもらうか、つまり運用力をどう養うかにもっと腐心していたのですが(笑)。
学術用語
中国で言語学を学ぶ上で、整理が必要だと思ったのは、中国の学術用語(学者名を含め)の問題です。索緒爾(スオシィアル)や喬姆斯基(チャオムスチ)は、言語学者ソシュールとチョムスキーであることは音からわかります。でも洪堡(ホンバオ)になるともう漢堡(ハンバオ)=「ハンバーガー」と見間違えるぐらいです。こちらは18世紀の言語学者・政治家のヴィルヘルム・フォン・フンボルトのこと。新しい本であれば、菲什曼(Joshua Aaron Fishman)のように綴りが書いてありますが、古い本だと漢字だけですから、人物認定に時間がかかります。またたとえば日本の用語で「インドヨーロッパ語族」のように「語族」を使いますが、中国語では「語族」が「語系(yǔxì)」で、その下位分類が、「語族(yǔzú)」なので「インドヨーロッパ語族スラブ語派」は「印欧语系斯拉夫语族」のようにずれます。また、日本語でいう音素(意味を区別する働きをする音韻上の最小単位)は、中国語では「音位(yīnwèi)」なのはいいとして、中国語の「音素(yīnsù)」は、日本語でいう「単音」で、このように同形の用語で意味がずれている場合があるので注意が必要です。お気づきかもしれませんが、中国語で言語(ことば・〇〇語という意味の言語)は「語言」です。また中国語では「語言」と「言語」に言語学的な用語としての意味の違いがあります。ソシュール(Ferdinand de Saussure 1857-1913年、スイスの言語学者)は、言語には成員全員に共通する一般規則としての普遍的側面(ラング)と、個々の成員が実際に表現した個別的側面(パロール)という2つの側面があると言っていますが、中国語ではそのラングを表すのが「語言」でパロールを表すのが「言語」です。ですから「社会言語学」は、中国語では「社会語言学」となります。言語学の用語は、日本語とよく似ているものと、上記のようなずれのあるものとがあるので、中国語→英語→日本語と検索して確認していく必要があります。訳語がいくつかある場合もあり、また、たとえば言語接触で方言同士の共通語として使われるコイネー(koine)は「柯因内語」で、このように音訳語が使われているものあります。
積み残したもの
社会言語学はことばと社会とのかかわりのあるものならすべて研究対象となるため、範囲は膨大で、今回扱うことができなかったのは数多く存在します。「談話研究」と言われる分野がその代表ですが、現在、編集を担当している「社会言語科学」誌にも談話分析の論文は数多く掲載されています。実は今年頂戴した本の内、2冊は談話分析(会話分析)が中心であったり、中で取り上げられていたりします。井上史雄・田辺和子編著『社会言語学の枠組み』(2022年11月・くろしお出版)では、「談話の規則性」「談話と言語のバリエーション」という二章が割かれています。談話、つまりコミュニケーションを目的とする言語行為のまとまり(話しことばも書きことばも含む)の規則性を探すことも社会言語学の分野の一つです。「敬語」について、第7回で多少とりあげましたが、日本語ほど「敬語」がないといわれている中国語ですが、いくつかの語彙や敬辞だけでなく、「呼称の談話中における働き」にフォーカスして考えると、もう少し明らかになるのではないかと思っています。大学院では談話分析と親和性のある語用論(簡単に言うと発せられた「ことばの言外の意味」を研究する分野)についてすこし扱いますが、「言外の意味」は、外国人にとって日本語の理解にも関係しますし、日本人の言語行動や、言語景観の中に現れる公共・民間掲示や、広告の理解にも関係します。中国語理解においてもそうです。中国語の公共掲示語「脚下留情」は「足元に思いやりを」は、「芝生を踏まないで」という意味です。
そとから見た中国の森
2017年の夏に帰国して5年。圧倒されるスピードで変化していく中国。武漢の同僚に武漢の様子を聞くと地下鉄の開通や道路の増設で、渋滞も解消されたそうです。高層マンションが増え、高架道路が増えると車から見える街の様子は一変しているでしょう。当時、地下鉄がなく渋滞したおかげでタクシーの運転手さんとよく話しをしました。タクシー物語が書けそうなくらい。
コロナ禍で中国にも行けなくなって、そとから中国のことばの森について書こうと思うと困難もありました。武漢や上海での出会った人たちと話したこと、冒険の思い出と、本や論文を送ってくれた中国の友人たちのサポートのおかげでなんとか連載を終えることができました。
ことばの変化も明るさを伴って
長江中流域の武漢、河口の上海。いかなるご縁が私を長江のほとりへと運んだのか。いくつもの偶然が重ならなければ、あの岸に立つことはありませんでした。毎年、新しく出会う人たち。街の姿。年に一度は「驚愕」を通り越すような出来事も起きました。
第11回の新語のところで、コロナに感染(陽性化)することを「陽了yángle」というようになったと書きましたが、あっと言う間に「羊了yángle」に変化しています。陽と羊は同音だからです。「ひつじになった!」本当に中国のインターネットにおけることばの変化の速さには驚きます。「家族全員」とか「周りもみんな陽性」ということを「人人羊了rén rén yángle」と表現。それは、実際はネガティブでつらい現象です。でも「羊」と揶揄することで可笑しみが生まれ、気持ちが少し軽くなります。そんなことを思っていると、武漢の友人(定年退職した女医さんですが、感染拡大で招集されています)が動画を送ってきました。動画は武漢語で、
え?まだ「陽」になってないの?もうすぐ春節も来るし、一緒にカラオケやトランプもやるんだから、早く陽性になんなさいよ(你快点阳(羊)呢/nǐ kuài diǎn yáng ne)、8~9日前後で治るんだから…。
と、おばさんが親しい人に大声で電話しているというもの。武漢人らしいきっぱりした口調に、私も思わず吹き出してしまいました。暗い状況を笑いの動画に変え回している人たち。(私にまで転送してくれるなんて。)
まさに、「苦中作乐(kǔ zhōng zuòlè/苦しい中に何とか楽しいことを見つけ出す)」の表れで、中国人の明るさ、たくましさ。そうやってつらい歴史も越えて来た人たちなのだと思います。
さて、海を越え、そんな中国の森の中を歩き回り、面白い人たちと出会い、新しい蝶々や鳥を見つける冒険。
この連載を読み、そんな冒険に出て、社会とことばの理解を深めてくれる人が現れることを願ってパソコンを閉じたいと思います。
注)
1)河崎深雪『漢語角色語言研究(中国語の役割語研究)』2017年、商務印書館・第9章
2)張岩紅『汉日对比语言学(中日対照言語学)』2014年、高等教育出版社出版
3)真田 信治『社会言語学の展望』2006年、くろしお出版
4)劉宝俊『社会言語学』(2016年、科学出版社の序(周慶生)
5)彭国躍「中国の社会言語学とその関連領域」2001年、社会言語科学 第3巻第2号
-
- 2022年12月26日 『お知らせ』
-
今回の連載の内容は、リベラルアーツコトバ双書『中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学』(仮題)河崎みゆき著 として2023年中に刊行されますので、書店でお買い求めください。
11. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:ベルサイユのバラと中国語の新語 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)
10. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:百回、千回だって探す?―「名前」ということ 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)
9. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:心の中の大舞台―広告のことばと「言語生活」 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)
8. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:武漢なまりなつかし―コロナ禍の「言語サービス」と言語博物館 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)
7. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:永く忘れない…言語行動・非言語行動 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)
6. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:もっと雑踏。上海の町の中で聞こえることば―言語接触 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)
5. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:上海で水を買う―配達のお兄さんと「役割語」 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)
4. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:ブーブー、わんわん―中国の子どもことば、老人語 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)
3. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:中国宮廷ドラマ見ていますか―中国語の男女ことば 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)
2. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:「倉橋家の謎」-言語景観ということ 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)
1. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:中国のことばの森の中で 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)
-
- 2022年11月29日 『8. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:武漢なまりなつかし―コロナ禍の「言語サービス」と言語博物館 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)』
-
武漢なまりなつかし―コロナ禍の「言語サービス」と言語博物館
2020年1月、武漢を離れて7年後、あの懐かしい武漢語の響きを聞くのが、コロナに襲われた町からの叫びにも似た報道の中であるとは思ってもいませんでした。その声はあまりにも悲しく胸に響きました。
実は、様子がおかしいことには、2020年1月に入ってすぐ、中国で最も使用されているSNSであるWeChat(微信)で、チャイナデイリーモバイル版の中国語と英語で書かれた「武汉病毒性肺炎疫情,病原体初步判定(武漢のウイルス性肺炎についての初歩的判定)」(2020年1月9日)という記事1)を見て気づきました。中国語と英語で、「冠状病毒(coronavirus /kəˌrəunəˈvaiərəs/)コロナウイルス」とか、「这类病毒颗粒的表面有许多规则排列的突起(a fringe of bulbous surface projections),整个病毒颗粒就像一顶帝王的皇冠(royal
crown),因此得名“冠状病毒”。(このウイルス粒子の表面には、多数の突起が規則正しく並んでいて、ウイルス粒子全体が王冠に似ていることから、コロナウイルスと呼ばれる」といった説明がされていました。わたしは、その記事をすぐタイムラインで中国の友人たちにシェアしました。
武漢のロックダウンと医療コミュニケーションのためのツール
それから間もなく、家族が集まり一年で一番楽しいはずの中国のお正月(春節)の1月23日、武漢は都市封鎖されました。友人のある医者は第一線の病院に行くことになり、検査技師であるその妹も、顔に跡が残るマスクをし、防御服姿で仕事に立ち向かう写真を自分のSNSにアップしていました。1月下旬、日本も「対岸の火事」ではなくなりましたが、私は、武漢の友人知人、教え子、市場のおじさんおばさんに至るまで顔が浮かび日々情報をチェックしました。警鐘を鳴らして、若くして亡くなった李医師は、武漢での初めての教え子と同じ年。同時期の武漢にいて、彼の通った武漢大学にもよく行ったのですれ違っていたかもしれないと思いました。
そんな当地の情報をチェックしていた中で、中国全土から支援に向かった延べ4万人と言われる医療従事者たちと武漢や周辺地域の患者たちとの間で、方言の違いによるコミュニケーションギャップが起きていることを知りました。医療従事者は当地の方言がわからないし、お年寄りは医療従事者の、普通話(共通語)がよくわからない。まず救援に入った山東大学の医療チームが48時間で『湖北方言実用ハンドブック(国家援鄂医療隊武漢方言実用手册』)』作りました。その後、2月の中旬には、湖北方言理解ツール「コロナと戦う湖北方言通(抗撃疫情湖北方言通)」が、北京語言大学、武漢大学、華中師範大学、清華大学などの専門家と企業との連携によって開発されました。これはガイドブック(紙媒体)、オンライン、TikTok、Wechat版などのバージョンがあり、オンラインでは病状や既往症、接触史、患者から医者への質問、心の表現、症状の表現などが、普通話と湖北省内の9つの方言(武漢、黄岡、孝感、宜昌、荊州、咸寧(咸安)、襄陽、黄石、鄂州)の対照で録音されていました。湖北省内の方言は西南官話、江淮官話と贛方言があり、互いに似ているものもあれば、黄岡(ホアンガン)市の方言は、普通話が声調4つなのに対して、8つもあります。
2022年現在、すでにこの方言音が聞けるサイトはアクセスすることができませんが、ロックダウンから1カ月もたたない異例の速さでコミュニケーションのためツールが開発されたのは驚くべきで、私は「中国のITの技術力と方言学などの専門家たちの努力の結晶です」と日本の社会言語学者の先生方に興奮気味に知らせました。その後、大分大学の包聯群先生が「新型コロナウイルス感染症流行期における中国の言語対策」として「社会言語学」(2020.11)などの論文としてまとめられています。
この湖北方言理解ツールの開発は、国家が提供した「言語サービス(語言服務)」の一環です。
言語サービス(語言服務)
言語サービスとは、言語を使って社会にサービスを提供することです。中国で「言語サービス」とは、「政府が言語政策を決め、文字や言語の規範化を行い、言語資源を保護し、言語の科学的研究を通して社会や家庭、個人に言語のサービスを提供すること」だと考えられています2)。
このコロナという未曽有の災害に対する中国での言語サービスとして、上記の(1)湖北方言を理解するための『抗撃疫情湖北方言通』(2020年2月中旬)に続いて、(2)中国国内の外国人のための『疫情防控外語通(コロナを防ぐための外国語通)』(2月27日)、そして(3)『疫情防控“簡明漢語”(コロナを防ぐためのやさしい中国語)』(2020年3月12日)が公開されました。
実は、2018年から現在の大学院の講義でも日本と中国の言語サービスの対照について論文も紹介していたのですが、コロナのパンデミックが起きる以前は、中国では産業翻訳・旅行業に関するスローガン的な論考しかみられませんでした。北京五輪や上海万博においても「言語サービス」の議論の深まりが感じられず、そのため、上記のような武漢の方言理解や外国人とのコミュニケーションのための3つのツールという成果が短期間に生み出されたことは非常に画期的なことでした。そしてもう一点、特筆しなくてはならないのが、3番目の「やさしい中国語」が、日本の「やさしい日本語」を参照して生まれたという点で、李宇明他(2020)に述べられています3)。(1)の方言ツールについては、日本の研究との関係は書かれていませんが、日本ではすでに「医療・看護・福祉と方言」という研究チームがあり4)、2011年の東日本大震災を契機に、災害派遣の医療者を支援するツールの作成の試みが行われており、こうした研究も下敷きになっていると思われます。
つまり、日本が受けた苦難と知恵が今回中国で生きたわけです。
やさしい日本語と「やさしい中国語(簡明中国語)」
日本での言語サービスの考え方として、河原(2007)では(1)外国人が理解できる言語を用いて、必要とされる情報を伝達すること、(2)外国人のアイデンティティを守り、多言語社会を維持発展させること5)としています。提供者は地方自治体で提供相手は新しく日本に来た外国人です。中国では言語サービスの提供者は国家です。
日本では1995年の阪神・淡路大震災を機に、在日外国人への言語サービスの提供が始まり、多言語対応だけでなく、外国人のための「やさしい日本語」6)の取り組みが活発化しました。
「やさしい日本語」については、すでにご存知の方も多いでしょう。文化庁の「やさしい日本語ガイドライン」(2020年8月)によれば、やさしい日本語は「難しい言葉を言い換えるなど、相手に配慮したわかりやすい日本語」のことで、外国人だけでなくお年寄りなどにもやさしいと言われています。具体的には初級日本語3級程度の文法を使い、語彙は2000語ほど。NHKでは「NEWS WEB EASY やさしい日本語で書いたニュース」7)もwebで放送されていますし、ネットの新聞などの文章を入れるとやさしく読み替えてくれる「チュウ太のやさしくなーれ」といったツールなどもあります8)。NEWS WEB EASYはニュースという性格上、言いかえのできないことばもありますが、いろんな工夫がされていることがわかります。観光でも利用(やさしい日本語ツーリズム)も増えていくはずです。
一方中国の「やさしい中国語(簡明漢語)」9)の内容を見ると、
(I)語彙は、(1)専門用語は日常語に、(2)俗語、ネット用語、成語は普通の表現に、(3)方言は普通話(共通語)に、(4)略語は元の形式に、(5)できるだけオノマトペは避け、形容詞も単純な形式のもの、(6)抽象語には例文をつけ、(7)単音節の単語は二音節の単語に。((例)可--可以、无(無)--没有。二音節の分かりにくいものは多音節で説明する。(例)独处--一个人的时候(一人の時)など。)(8)あいまいな言葉(可能「かもしれない」など)を避ける。(9)語彙の基準はHSK(中国政府公認の中国語検定試験)の4級以内の1200語およびコロナ関連用語。
(II)文法
(1)原文にこだわらず同じ意味で書き直したり言いなおしたりする。(2)長い文章はできるだけ短く、(3)できるだけ簡単な叙述文、並列文、条件文にする。(4)一文には一つの情報のみとし、一組の主語+述語にする。(5)長い修飾語の使用は避ける。修飾が長い場合は分割したり削除したりする。(6)受動文は能動文にする。(7)叙述の時間の流れを逆にしたり、挿話をしたりしない。(8)二重否定や反語、質問形式や感嘆文を避ける。(9)典型的な書きことばや話しことばは調整する。(10)公文書でつかうきまり文句は削除する。(11)HSK4級程度の文法、(12)意味が通ってわかりやすい文にし、ブロークンな文は避ける。
「やさしい日本語」と違うのは、外来語(カタカナ語)はなるべく使わない、漢字の量に注意し、ふりがなをつける、絵、写真、図表などを使って分かりやすくするといった点でしょうか。中国語の(10)は第5回で書いた官僚ことばの用語にも似ていてネット上に用例集がたくさん上がっています。
ことばの博物館
ことばを資源として見る―「言語資源」
第4回の「老人語」のところで、今年(2022年7月末)に、中国教育部主催の「言語資源と言語サービス研究の実践10年」というオンラインシンポジウムを聞いたと書きました。国家級シンポジウムで、本来ならば中国まで行かないと聞けない内容を自宅で聞くことができたのは、コロナ禍の不幸中の幸いです。
ここで、紹介されたのが、(1)言語生活研究(国家語言文字工作委員会海外中国語研究センター長、暨南大学教授・郭熙先生)、(2)新時代の中国言語資源の保護実践と経験(中国方言研究院長・中国言語資源保護プロジェクトチーフ、浙江師範大学教授、曹志耘先生)(3)新時代中国の言語サービスの実践と研究(国家語言文字工作委員会香港マカオ台湾地区言語研究センター長、広州大学教授・屈哨兵先生)という3名の中国の著名な社会言語学者による報告でした。(1)については、日本の研究とも関係していることもあるので、回を改めてお話したいと思います。(3)は上記に書いた、言語理解ツールの開発なども含まれています。「中国の言語サービスは、100年前からの言語文字改革運動という歴史の中に位置づけることができる。なぜならその重要な主体は国家だからだ。中国の実情にあった中国の特色ある言語サービスが必要である。」と強調されたことが印象的でした。(2)の「言語資源の保護」ということについて、「言語資源」とは1973年にアメリカの社会言語学者ジョシュア・フィッシュマンが提唱した概念で、中国では1981年に紹介されています。李他(2022)10)によると、海洋資源やエネルギー資源は天然資源ですが、同じように言語を社会の重要な「資源」としてみるという考え方です。中国では2004年に「国家語言資源監測与研究中心(国立言語資源モニタリング・リサーチセンター)」が設立され、2007年には、各地域の言語の録音のデータベース化(中国語言資源有声数据倉/The Chinese language audio database resources)」が始まっています。日本では国立国語研究所が『日本語諸方言コーパス』を開設、保存しています(1977~1985年に行われた調査録音)。2019 年には上海外国語大学にコーパス研究所11)
ができ、2021年には北京語言大学に「言語資源学」の博士コースができることになるなど、「言語資源」は国家の言語計画(政策)の重要な問題の一つになっています。「言語資源」には、言語保護、言語学習、言語情報処理の3つの側面があり、普通話、方言、外国語、少数民族言語、危機言語、歴史語、中間言語のすべてが対象です。中国の言語資源は130種類、方言は10(官話、晋語、呉語、閩語、粤語、贛語、湘語、徽語、平話土語、客家語)で方言差が大きいことが特徴です。曹志耘先生の話では、言語保護のために、現在中国全土34の省と地域の123種類の言語を1700以上の地点で調査しているそうです。その方言が今、「普通話の普及」という言語政策や、都市化、ネット情報社会によって次第に不用のものとなってきており、文化の保護の面からも方言を保護する必要があるということ。ユネスコでは「危機言語」という考え方がありますが、中国は「方言」が豊富であり、方言の保護と言う面から、その経験や考え方をむしろ組み入れていけるように提起したいということでした。そのために、政府主導で(1)法律的保障、(2)方言使用の奨励、(3)科学技術による保護などが考えられ、今AIを使った蘇州語の動画が作成されたり、CCTVで七集の「中国語」というドキュメンタリーも制作されたりしているということで、このドキュメンタリーの完成が楽しみです。
私は、華中科技大学で、自分の授業の合間を縫って、中国語文学部の修士の授業などを聞きに行っていましたが、「方言学」の授業の先生に「中国では方言の保護はどのよう行われているのですか」と尋ねた時、「方言は自然に消滅していくものですよ」と答えが返ってきて絶句したのですが、方言や少数民族言語の保護は行われ始めています。
ということでその取り組みの一つであることばの博物館の旅をしましょう。
言語博物館の旅
言語資源を保護する方策として中国では「言語博物館」が各地に建設され始めました。これも注目に値します。日本の社会言語学者井上史雄先生にお尋ねすると、日本でも、大阪の国立民族学博物館(みんぱく)が取り組んでいるが、各地の方言保護のためのことばの博物館の建設が待ち望まれるということです。民博の言語展示は私も見たことがありますが、コーナーとして設けられていて規模は小さいものです。曹先生も「新時代の中国言語資源の保護実践と経験」の中でもちらっと「言語博物館の建設」について話されましたが、まだ論文なども少ないです。欧(2019)によると世界ではアメリカのNational Museum of Languageを始めとし、ノルウェー、カナダ、フランス、ポルトガル、ウクライナ等にも言語博物館があり、実体館のものとバーチャルなものがあって、アメリカはバーチャル館に移行しています。
1.文字の博物館
(1)「湖南省江永女書生態博物館」http://www.chinanvshu.cn/ 2004年にオープン。第3回に書いた「女書」の博物館です。公式ホームページはないようです。
(2)「中国文字博物館(中国文字博物馆)」2009年、甲骨文字のふるさと河南省安陽市に作られ、ホームページhttp://www.wzbwg.com/Szzbで博物館の外観や展示の様子がわかります。第一展示室から第五展示室まであり、安陽市殷遺跡で発見された甲骨文の発見から1962年の簡体字表の発布までの漢字発展の歴史、少数民族の文字や漢字のIT化までの展示があります。バーチャルで訪問したような画面が目の前に広がり簡単な説明が付いています。
2.世界言語博物館
(1)上海外国語大学「世界言語博物館(世界语言博物馆)」2019年オープンしています。
http://www.shisu.edu.cn/discover-sisu/museum 一つ目の動画は中国語で二つ目の動画は英語による館内の説明で、女書も見えます。世界の文字や、語族による構造の違い、16種類の言語による朗読、言語交流のための翻訳の本質的な問題、言語のダイバーシティなどについて展示されていることがわかります。私はこちらへ行ってみたいです。松江地区なので観光ついでに行くにはやや遠いかもしれません。
(2)北京外国語大学「世界言語博物館(世界语言博物馆)」2021年9月にオープン。いまオンラインのバーチャル展示室 https://www.wlmuseum.cn/xszt/ が準備中とのことです。
3.方言・少数民族言語の博物館
(1)広東省「岭南方言文化博物館」 https://haokan.baidu.com/v?pd=wisenatural&vid=12151082945812195392 2021年9月オープン。こちらは大学付属ではなく広東テレビラジオ放送局が主導で建設。立派な建物がこの動画でわかります。広東語、客家語、閩語と岭南地方文化に関して工夫を凝らした展示がされていて楽しそうです。
(2)山西省「太原方言博物館」 2021年7月オープン。「晋語」の博物館で、その特徴は「入声」が保存されていること。 https://www.chinanews.com.cn/cul/2021/11-18/9611408.shtml
(3)広西省「賀州語言文化博物館」 https://haokan.baidu.com/v?pd=wisenatural&vid=11405760791788273840 賀州学院という大学の中に2016年オープン。客家語や、広東語などの賀州市付近の方言音の記録が聞けるようです。
武漢ではまだ言語博物館はないようですが、もし建設されたら初めに書いたコロナ禍で開発された方言の医療表現などの録音やガイドブックが展示されるかもしれませんね。災害言語サービスの重要な成果物です。また、今後も各地少なくとも中国の七大(あるいは十大)方言区に一つは作られてお披露目が次々始まるのではないでしょうか。上海外国語大学や賀州学院などのように大学付属で作られるものと、岭南方言文化博物館のように近くのテレビ局が主体となって周辺の方言音の保存に乗り出すもの、といろんなパターンがありそうです。書記言語もそうですが、音声はこうして保存されなければもっと簡単に永遠に消え去っていきます。方言や少数民族言語の研究者にとってのみならず100年200年…後の人たちへの贈り物にもなるのではないでしょうか。
注
1)「武汉病毒性肺炎疫情,病原体初步判定(武漢のウイルス性肺炎についての初歩的判定)」『中国日报双语新闻』2020-01-09 (China
Daily Mobile)
https://mp.weixin.qq.com/s/vlZhZqwfcX8FNGq6VH5ddw
2)屈哨兵(2007)「语言服务研究论纲(言語サービス研究のテーマ)」『江汉大学学报』(人文科学版)第26卷第6期
3)李宇明、趙世挙、赫琳「“战疫语言服务团”的实践与思考(<戦疫言語サービス団>の実践と省察」『語言戦略研究』、2020年、5(3):23-30
4)今村かほる方言研究チーム「医療・看護・福祉と方言」
http://hougen-i.com/fp.php?code=introduction
5)河原俊昭「外国人住民への言語サービスとは<外国人住民との共生社会をめざして>」『外国人住民への言語サービス』2007年、明石書店
6)庵功雄・岩田一成他『<やさしい日本語>と多文化共生』2019年、ココ出版
7)NHK「NEWS WEB EASY やさしい日本語で書いたニュース」
https://www3.nhk.or.jp/news/easy/k10012975961000/k10012975961000.html
8)「チュウ太のやさしくなーれ」https://yasashii.overworks.jp/
9)中華人民共和国教育部《疫情防控“简明汉语”》正式上线发布(「コロナを防ぐためのやさしい中国語」が正式公開)
http://www.moe.gov.cn/s78/A19/A19_ztzl/ztzl_yywzfw/yingjifw/202003/t20200312_430166.html
10)李宇明、施春宏、曹文、王莉寧、劉晓暁海、楊尔弘、顔偉伟「语言资源学理论与学科建设”大家谈(言語資源学理論と学科建設について語る)」『语言教学与研究』.2022,(02)
11)欧陽国亮「语言博物馆建设的若干方面(言語博物館建設に関するいくつかの問題)」西北民族大学報2019年第三期
-
- 2022年11月15日 『6. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:もっと雑踏。上海の町の中で聞こえることば―言語接触 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)』
-
もっと雑踏。上海の町の中で聞こえることば―言語接触
男女ことば、こどもことば、役割語は、言語変種と言われる領域に属すことばたちです。今回は、ことばとことばが出会うとどうなるかという「言語接触」について取り上げます。
上海の雑踏の中で
2013年9月、上海に移ったばかりの時、地元の小さいお店で、上海語で値段を言われ、キョトンとしていると、「ああこの人上海語、わからないんだ」と普通話(共通語)に切り換えて話してくれました。(これは、コードコードスイッチング。)
武漢語も独特でしたが普通話の元になったと言われる北京語と同じく「北方官話」に属すため、まだなんとなくわかる部分があるのですが、呉語と閩南語は中国人でも聞き取れないと言います。呉語の一つ上海語は当初全くのチンプンカンプンでそんな響きに「おお、上海にやってきたぞ!」という高揚感がありました。「田舎のネズミ、都会へ行く」の巻です。ところが、街を歩いていると、あれあれ…人通りの多い場所で聞こえてくるのは、まるでピーチクパーチクいろんな方言の音。たとえば、南京東路という、外灘(ワイタン)と並んで上海の有名な観光地では、上海語よりもいろんな地方の音がザワザワ聞こえてきます。そうした人気の観光地は、外国人だけでなく、中国各地からの観光客に溢れていたのです。私の住んでいた上海交通大学界隈の徐家匯(シーチャーホイ)という所もいくつものデパートがあって人の集まる場所ですから、すれ違う人の話し声が、普通話や上海語には限らないことがとても新鮮な発見でした。上海はよく「海納百川」(海は多くの川を受け入れる)と形容されます。2020年に実施された国勢調査(全国人口普查)によれば、上海常住の人口は2,487万人で、そのうち地方から来た人たち(外地人)は1,048万人です。上海には地方から移入し住んでいる人たちが四割以上を占めているわけです。上海は、私の想像以上にいろんな音が聞こえてくる「もっと雑踏」でした。
Shanghaiedと上海英語ピジン
アヘン戦争を仕掛けたイギリスは1842年南京条約によって香港割譲のほかに広州、福州、アモイ、寧波、上海という5つの港の開港をさせました。小さな漁村に過ぎなかった上海が国際都市に成長したのはその後です。日清戦争後、徐々に日本人も増えて行き、第二次世界大戦終結前の1942年には10万人を超えています。そんな「老上海」で日本人と上海人がどのようなことばでやりとりをしたのか。それを研究したのが拙論「アルヨことばの周辺としての上海ピジン」です1)。
ピジン(pidgin language)とは、異なる言語を話す人同士が意思疎通のために使用した混合言語(ブロークンなことば)で、(1)現地語の発音や文法に影響を受けている、(2)簡略化された文法、(3)一つの単語がさまざまな意味で使用され、少量の単語で間に合わせる、(4)口語であり、一代限りといった特徴があります。広州や上海で、現地人と欧米人が通商のために使ったことばが、宣教師や船員の日記に残されていたため、英語と広東語、英語と上海語の接触言語の研究については、すでに成果がいろいろとあります2)。たとえば、上海ピジン英語では、
・He belong China-side now(He is in China now)
・You belong ploper(R/Lを区別できないため、正しくはproper。「お元気ですか」の意で使用されている)
・How muchee belong(mucheeはmuch/「いくらですか」の意)
のように、なぜか(3)にあるよう「belong(属す)」がさまざまな意味に使われ、700語ぐらいで会話をしていたそうです3)。
中国語でピジン(pidgin)は、「别琴语」「皮钦语」といった音訳語もありますが、言語学者ではなくとも「洋泾浜(语)(ピジン語)」と言えば多くの中国人がわかってくれます。
「洋涇浜」というのは、上海の中心・列強の公共租界とフランス租界を挟んで流れていた小川のことです。後に埋め立てられ、今は交通量の激しい延安東路になっています。当時この川のあたりで、欧米人と中国人が交易をし、その時に使われたことばという意味で、この怪しい中国式英語は、欧米人側も勉強しなければ使えなかったそうです。
また「上海Shanghai」は、もちろん地名で名詞ですが、英語でshanghaiは「I was shanghaied in Shanghai.(私は上海で騙された、誘拐された)」のように、「だまして(…を)させる、誘拐する」という意味があります。1915年のチャップリンの映画「チャップリンの船乗り生活」の原題は「Shanghaied(誘拐)」です。当時の上海在住の日本人作家・松村梢風の『魔都』にも、日本人夫婦がそれぞれ人力車に乗って出かけて夫が振り向いたときには奥さんが乗った人力車は消えていたというような事件が書かれています。
薬をかがされ気が付いたら船上だったと…。
上海の「ピジン日本語」の研究
「ピジン日本語(洋泾浜日语))」に私が興味を持ったのは、金水敏著『コレモ日本語アルカ?異人のことばが生まれるとき』(2014年岩波書店)に「満州ピジン」の例として挙げられていた例が、上海語ではないかと思ったことがきっかけです。満州ピジンとは、満州で話されていた混合言語で、日本語バージョンと中国語バージョンがあります。この満州における接触言語「満州ピジン」の研究4)はありますが、上海で中国人と日本人がどんなことばを用いてやりとりをしていたのかという研究はまだほとんどありませんでした。
そのため、第1回でも書きましたように、列強各国の人たちや日本人が戦後、上海に残していった図書が保管されている「蔵書楼」(http://search.library.sh.cn/jiuriwen/?from=singlemessage&isappinstalled=0)5)や、当時の行政文書がマイクロフィルムで残されている「档案馆(公文書館)」に通いました。また一方で上海語研究者や上海人へのインタビューを行い、百年近く前の上海にやってきた日本の作家・芥川龍之介や、横光利一、村松梢風、武田泰淳、林京子などの関連作品から上海語と思しき例や、日本人と中国人の接触の様子を抜き出していきました。
横光利一『上海』には「メークイーホー、デーデーホー、パーレーホッホ、パーレーホー」という花売りの声が出てきますが、「蔵書楼」の50代後半の女性職員さんに聞いてみたところ、「うんうん、子どもの頃聞いたことがあるよ」と話してくれました。漢字では「玫瑰花、栀子花、白蘭花、白蘭花」で、「バラの花、クチナシの花、ギンコウボク(銀厚朴)の花、ギンコウボクの花」という意味です。私は、90年前の横光利一と、蔵書楼の職員さんと一緒にその哀愁を帯びた声を聴いたような気がしました。
上海の物売りの声は井上紅梅にとっても印象的だったらしく、1921年発行『支那風俗』(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1870297)(6、「花柳語彙」とともに「物売りの声」について記録されています。今でも季節になるとそのいい匂いの小さな花束などをおばあさんが地下鉄の入り口で売っています。私も買って部屋に置きました。クチナシは蚊よけにもなるそうです。
金水先生の本に満州ピジンとして挙げられていた「儂ケタ、チョウ好や(あなた、これ食べなさい)」は、上海人への調査によって上海語であることを実証することができました。
上海ピジン?満州ピジン?
最も面白い発見は、上記に挙げた「海を渡った作家たち」の作品中、武田泰淳の『上海の蛍』の中にあった用例です。
「私」は上海の龍華寺の近くで、ラーメン屋のじいさんに油(ラード)を入れるかと聞かれ、
・「油(ユウ)、多多的(ターターデ)、好レシ」といい加減に答えて食べてみると、やっぱり油を加えたほうがおいしかった。
(下線は著者による)
とあります。「油、多多的、好レシ」は「(ラーメンに)油をたくさんいれてください」という意味で、普通語であれば「多放点油好了」 で、ここにある「多多的(ターターデ)」は典型的な満州ピジン語(兵隊支那語)です。「好レシ(好来西)」は上海語で(いいね)ということ。つまり満州ピジンと上海語の混ざりあったものです。武田泰淳は「上海の蛍」の中で上海語を習ったと書いており、「好来西」という上海語の特徴的な用法は知っていたのでしょう。村松の『魔都』などにも出てきます。
当時、満州から兵隊さんたちが上海に南下してきており、そのときに満州ピジンも上海にもたらされたのか、あるいは簡便な中国語教材や絵葉書などで知識として持ち込まれたのかもしれません7)。「多多的(ターターデ)」のように「的」の多用は、今では中国の抗日戦争ドラマで日本兵が話す中国語(つまり「日本人役割語」)としても使用されています。日本語の「の」は名詞をいくつもつないでいくことができますが、中国語の「~的(の)」はどんどんつなげることができません。母語の干渉で、実際の日本人の中国語でも「~的~的~的」の使用が見られます。役割語はなんらかの実際の人たちのことばの特徴を捉えたものです。
実は、80-90歳代の当時を知る方へのインタビューも試みましたが、せっかく見つかっても、ご高齢で体調がよくないことや、日本人への協力に抵抗のあるなどの理由で断られました。一人、上海の教え子のおばあさんで、北京の小学校で日本語教育を受けたことがあるという方からお話を伺いましたが、突然その方の口から「センセイ オハヨーゴザイマス!ミナサン オハヨーゴザイマス」という挨拶を聞いたとき、複雑な思いがこみ上げました。
また上海の公文書館で、当時の上海市政府である工部局で上海事事変後に始まった日本語教育8)に関する通達文書のマイクロフィルムを見ていて、英語で書かれていた通達文が次第に日本語へ置き換わっていく様子を見て、震える思いがしました。イギリス統治の時代は終わった、これからは日本の時代だとそういう狂乱が見て取れる気がしたのです。そうした日本の野望も1945年に終焉を迎えています。
ピジンとクレオール―宜蘭クレオール
ピジン英語に対抗して「上海ピジン」と名付けて研究を始めましたが、日本人が使った単語や上記の不思議な文法の用例を見つけたレベルに過ぎず、「ピジン英語」のようなある程度系統だったものが見つかったわけではありません。上海に渡った日本人の書いた資料はかなりあるので、今後、もっと事例が見つかるかもしれません。しかし、英語が「老上海」を統治することばとしてほぼ百年使用され影響力が大きかったのと違い、日本の時代は1937年(上海事変)~1945年で、大きな影響を与える前に終戦を迎えているため体系を持つピジン日本語は形成されるに至らなかっただろうと思っています。
ピジンはいわば一代で使用される混合言語ですが、ピジンが二世代、三世代と受け継がれてある程度固定化されたものをクレオール(語)と言います。
サハリン9)や台湾、パラオなど、ハワイやブラジルなどにおける接触日本語について研究されていますが、移民や戦争の歴史と色濃く関係していることがわかります。日本が60年統治していた台湾の宜蘭県に「宜蘭クレオール」ということばが残っていて、台湾の東華大学の簡月真先生たちが研究されています10)。「毎日新聞」のYouTubeチャンネルにこの宜蘭クレオールの動画がアップされていますので、どうぞご覧になってみてください(https://www.youtube.com/watch?v=xNd7d951NGo)11)。世の中にこのような日本語と現地のことば(アタヤル語や中国語)の混じったことばが存在することに驚かれるのではないでしょうか。これはいわば「日本語のこども」、日本統治の爪痕でもあり、面白いだけでは語れないことばたちです。
中国国内の言語接触
戦争や飢饉、国家政策、移民など人の移動によってことばとことばの接触が起き、新たな言語が生まれたり、一方の言語が消えていったり様々なパターンでことばは変化します12)。中国国内は方言も多く、またグローバル化の下、中国語の外国での接触もあるため国内外での研究があります。農村から都会への出稼ぎや、三峡ダムなどの国家的プロジェクトによる人の移動もあり、三峡ダムでは128万人が湖北・重慶を中心に各地へ移住を余儀なくされ、彼らの移住先での言語変化も注目されています。また、中国にやってくる外国人が集まって形成される地区(韓国人街やアフリカ人街と呼ばれる町)に関する現象も興味深いです。
今回は中国近代化の流れの中で、武漢のことばの森で起きた出来事を紹介します。
武漢の言語接触—弯管子
武漢は長江を挟んで大きな街ができ、南岸に青山区というところがあります。1958年に武漢鋼鉄という製鉄コンビナートが建設されはじめました。このコンビナートの町には、武漢語で「弯管子(ワングワンズ)」と呼ばれる中国東北方言の混じったことばがあります。武漢から中国東北地方に行くには、私がいた当時でも列車で24時間以上かかりました。なぜそんな遠くのことばが混じりあったのでしょうか。
答えは、工場技術者たちの移動です。1958年といえば「大躍進」の掛け声とともに鉄の生産を拡大しようとしていた時期で、近代的な製鉄所を作るために、東北・鞍山鉄鋼から技術者たちが武漢へ移ってきたのです。工員たちも全国から来て日本の石炭増産時代にあった炭鉱住宅のような町が形成されています。技術指導者という立場だったこと、その家族が住宅内の学校の国語の先生になったことが大きいようです。「弯管子」の「弯」は武漢語で、「なんだか変」「ぎこちない」という意味で、管子は「発音器官」で比喩的に「人」を指し、最初はけなしことばでした。同じ北方方言に属すので全く通じないわけではなく、ただ武漢人が聞けばすぐにその「東北尾音」がわかったそうで、「弯管子」は第二世代、第三世代あたりで完成し、第四世代の現在、危機言語となっているそうです13)。
武漢鋼鉄では、現在、日本の新日鉄との合弁事業があり華中科技大学の教え子が通訳として何人か就職しました。その一人に話を聞くと、家財道具も一緒に東北から家族と列車に揺られて武漢やってきた様子を、お年寄りから聞いたことがあるそうです。
こうした中国の工業化に伴って各地の国有企業や工場団地に技術者などが移りすむという現象は武漢だけでなく、全国各地にあり、たとえば、安徽省工業団地の中で三世代にどんな言語変化が起きたかといった研究14)もあります。
ジャスミンティーの香り
武漢の大学は職住一致だったので大学内の市場のお茶屋さんでよく茶葉を買いました。日本へのお土産用も買うので、いつも試飲させてくれました。ある日、湖北の新茶「毛尖」が入ったと勧められ飲んでいると、老人が一人入ってこられました。一目で退職後の老教授だとわかりました。店の人が「龍井」茶を勧めても頑として「ジャスミン茶がいい。僕みたいな知識人はいいやつを」と。老先生は武漢なまりなのに、北京の人の好きなジャスミン茶とは不思議だなと思って、「失礼ですが、どちらの方ですか?
」と聞くと「武漢の人間ですよ…でも、ぼくのお婆さん(姥姥/父方の祖母)が、ジャスミンティーが好きだったので」と。…小さい頃、妹さんのお産で、お母様も妹さんも亡くなってしまい、北京生まれのおばあさん(姥姥)に育ててもらったのだということでした。ジャスミンティーに薫る人の人生。
一人の人間の歴史はことばだけでなく、習慣や食生活、行動にも出てくるものです。次回は言語行動・非言語行動についてお話したいと思っています。
注
1)河崎みゆき「アルヨことばの周辺としての上海ピジン」『役割語・キャラクター言語研究国際ワークショップ 2015報告論集』 2016年
2)游汝杰「《上海通俗语及洋泾浜》所见外来词研究(『上海通俗語および洋涇浜』に見られる外来語研究)」中国語文、2009年第3期
3)季圧西、陳偉民「近代中国的洋泾浜英语(近代中国のピジン英語)」(2002)『解放軍外国語院学報』25(1)23-27
4)桜井隆『戦時下のピジン中国語』2015年、三元社
5)蔵書楼の8万冊の日本語文献はこちらから検索できます。「上海图书馆-旧日文书目数据库(上海図書館―日本古本文献データベース」http://search.library.sh.cn/jiuriwen/?from=singlemessage&isappinstalled=0 直接行くと、紙版の目録を見せてもらえます。
6)井上紅梅『支那風俗上巻』1921年、日本堂.国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1870297
7)張守祥「『満洲国』における言語接触──新資料に見られる言語接触の実態──」「人文」(10), 51-68,2011、学習院大学人文科学研究所。軍事郵便絵葉書には、日本人と中国人の会話が満州ピジンで書かれていることを指摘。
8)河崎みゆき「戦時下上海の日本語教科書―上海租界工部局発行『日本語教科書』」2016年,國學院大學日本語教育研究 7(7) 1-16
9)朝日祥之(著)、真田信治(監修)『サハリンに残された日本語樺太方言』(海外の日本語シリーズ)2012年、明治書院
10)渋谷勝巳、簡月真『旅するニホンゴ――異言語との出会いが変えたもの(そうだったんだ!日本語)』2013年、岩波書店
11)「宜蘭クレオール」:台湾の村「ニホンゴ」話す先住民たち、https://www.youtube.com/watch?v=xNd7d951NGo
12)周振鹤,游汝杰《方言与中国文化》1986年,上海人民出版社。日本語版は内田慶市、沈国威監訳で光生館から2015年『方言と中国文化』として出ています。
13)陸昕昳「武汉市青山言语社区"弯管子话"研究(武漢市青山言語コミュニティー弯管子話研究)」2014年復旦大学修士論文。武鋼で生まれ育った人の修士論文。
14)王玲、徐大明「合肥科学岛言语社区调查(合肥サイエンスパークの言語コミュニティー調査)」2009年、『語言科学』8(01)
-
- 2022年11月08日 『5. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:上海で水を買う―配達のお兄さんと「役割語」 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)』
-
上海で水を買う―配達のお兄さんと「役割語」
武漢でも上海でも、蛇口からの生水を飲むことができませんでした。それでも水の街・武漢では沸かせば飲めましたし、服務員さんが毎朝、魔法瓶2本を部屋に届けてくれました。全寮暮らしの学生たちは「お湯汲み場」へ魔法瓶をもって汲みに行くのが日課の一つでした。上海に移り、旧フランス租界の古いアパートに住み、水道電気ガス…何かと自分で解決しなくてはならなり、当初、水道水を沸かして飲んでいたのですが、大家さんから、濾過が不十分だから沸かしても飲んではいけないと言われて浄水の配達を頼むようになりました。半年以上が経ち、生活も板についた5月の連休初日、いつもように電話で注文すると、配達のお兄さんは、普段ならすぐ届けてくれるのに、その日はなぜか何度かけても「わかりました。」と言うばかり。とうとう夜9時を過ぎても現れず、こんなことならコンビニに買いに行けばよかったと後悔しました。
翌日、そのお兄さん(30代前半)は、体格のよい体をゆすりながら重い水の箱を運んできてくれ、「昨日は、小学校の友達が安徽省の田舎から出て来たんで、自分、一緒に飲んじゃって、酔っぱらって配達できなくなったっんす。」と言いました。
連休に田舎の友達が出て来たのならしょうがないですね。お兄さんが話したのは、現代中国語の共通語「普通話」です。普通話なら、一人称は「自分」も「俺」でも「私」でも同じ「我」です。なのに、私はその体育会系的体格と雰囲気のお兄さんを見て、「自分は」とか、「できなくなったっんす」のように感じとっていました。
上海の大先輩、百年前の上海で内山書店を開いた内山完造氏も著書『上海漫語』1)の中の「翻訳について」という一節で、次のように書かれています。
日本語の「君、お前、手前、其方、貴様」など色々の言葉で呼ばれるのに対して、支那語では「你」が一つである。北京語で 「您」というのがあったが、今日は殆ど使わなくなっている。だからもし支那語の「你愛不愛」を日本語に訳する場合は、日本語の「君」に訳するか、「あなた」に訳するか、「其方」か「手前」か、第一これに困る。日本的になら、その相手方次第でいろいろと変えて使ったほうが読者に対してはわかりよくて訳出にもまた便利であるが。それでは実は支那人の人情が少しもわからんことになる。
(下線および「」は筆者による。)
現代中国語では、敬称としての「您」は使いますし、検討の余地があるのですが、この「日本的になら、その相手方次第でいろいろと変えて使ったほうが読者に対してはわかりよく」という感覚は今でもほぼ翻訳や創作に受け継がれています。
日本語には、それだけ人称代名詞の選択肢があるからということと、日本語母語話者ならことばの知識「言語資源」として男女ことばや、幼児語、関西人キャラ…といった人物像とことばのセットを持っているからです。この「人物像とことばとの結びつき」を「役割語」と言います。
探検のための懐中電灯
「役割語」とは2003年に放送大学大阪学習センター所長、大阪大学栄誉教授金水敏先生が提唱された概念です2)。その定義は:
ある特定の言葉づかい(語彙・語法・言い回し・イントネーション等)を聞くと特定の人物像(年齢、性別、職業、階層、時代、容姿・風貌、性格等)を思い浮かべることができるとき、あるいは特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることができるとき、その言葉づかいを「役割語」と呼ぶ。
金水敏(2003)『役割語の謎』p.205)岩波書店
役割語があることによって、主語を省略しても誰のセリフかがわかるために、小説などで便利なことばとして使われてきました。第3回にも書きましたように、現実社会では「女ことば」の代表的な「女性文末詞」の「わ」や「のよ」を使わない人が増えているにも関わらずドラマやアニメなどではなくなっていません。
役割語の特徴として、人称代名詞や終助詞などの文末表現に最も現れやすいと言われますが、例えば笑いのオノマトペ「おほほほ」「ウフフ」、「ガハハ」「ワッハハ」などでも人物像は変わりますし、定延(2009)3)では、「キャラクタは万物に宿る」と指摘されています。
中国語にもこんな「役割語」があるのだろうか…これが私の博士論文4)のテーマでした。
思い返すと…
1990年頃に見ていた中国のTVドラマを思い出すと、「末代皇帝」で皇帝に仕える召使たちがよく「皇帝圣安(皇帝陛下ご機嫌うるわしく)」とか「奴才该死(わたくしめは死んでお詫びを)」と言い、同じく中国のTVドラマ「西遊記」で三蔵法師が、悟空に「阿弥陀佛(なむあみだぶつ)」とか「…如何(いかがか)」といった古めかしいことばを使用していました。だからきっと中国語にもなんらかの役割語があるはずだと思いました。
とはいえ、指導教官はもとより、周りの中国人にいくら聞いても、「男女の差もない」と言うし、「現代中国語にはそういうことばの差はない」と言われるばかり。内山完造氏も「中国語は平等」と書かれていますね。
前途多難。暗いトンネル中で1人、そんな珍しい蝶々を探すための頼みの懐中電灯が、金水先生の役割語の定義と、定延先生の「キャラは万物に宿る」でした。
日本語の研究でも「役割語」は日本語史、音声、対照研究、文法研究、キャラクター研究などなど多くの面の成果を生んでいました。「欧米の文法学の体系や言語学理論の基礎を吸収することによって発展してきた中国語研究」(申小龍2003)5)に日本語研究の新しい概念を紹介したい、そうすればまた新しい発見があるはずだという思いがありました。
博士論文で主に取り扱ったのは、(1)中国語の方言と中国ドラマ・映画の関係、(2)中国伝統「官僚ことば」「オネエことば」「学生ことば」、(3)役割語としての非言語行動(若い女性、幹部、農民のしぐさ)、(4)ことわざや「非言語成語」と人物像、(5)人の名前とキャラクター、(6)ネットことばとキャラクター、(7)役割語のリソースとしての小学校の教科書などです。詳しくは拙書に譲りますが、どんな発見があったかをいくつか簡単に紹介したいと思います。
中国の方言とドラマ
日本語の役割語として、例えば東北弁がアメリカ映画の中の黒人のアテレコに使用され6)、関西弁と大阪商人のように「人物像と方言の結びつき」があります(金水2003)。さて、中国語ではどうか。これを考えていたときまず次のことが浮かびました。
1949年10月1日に世界に向けて毛沢東主席は、新中国の成立を宣言しました。
「同胞们,中华人民共和国中央人民政府今天成立了!(同胞の皆さん、中華人民共和国中央人民政府は本日成立しました!)」
この毛沢東主席の湖南省(韶山方言)なまりでの宣言のフィルムは折に触れ繰り返し放送されます。またこの前後の激動を描いた映画『開国大典』(1989年)では俳優たちが当時の国家指導者たちのなまりを再現しています。共通語(普通话)がまだ制定されていなかった時代、国家指導者たちのお国訛り(方言)が人民の記憶に残っています。鄧小平はその四川省(広安)なまりの共通話で人々を印象付けたそうです8)。この毛主席の「本日成立しました!」というセリフは有名ですから中国人の友人の前で言ってみると大体笑ってもっと上手に再現してくれます。
2005年、2009年には国家新聞出版広電総局(略称「広電総局」:中国家新闻出版广电总局)からTVや映画における方言の使用は、地方劇以外では使用してはならないと通達が出ています。基本はそうですが、地方局では方言番組が制作されますし、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が2009年に消滅の危機に瀕する言語の保護の促進を提唱したため、中国政府も方言や少数民族の言語の保護に乗り出し、その間で政策的なゆれや調整もみられます。
私のいた当時には、多方言ドラマと言える作品も流行っていました。たとえばドラマ「武林外伝」や、「我的団長我的団」「炊事班的故事」などです。「武林外伝」はコメディ時代劇で抜け目のない女将に河南語をしゃべらせたり、気弱な秀才が上海なまりであったり、「我的団長我的団」は抗日戦争で全国から集まった兵士たちの様子を方言で表していました。「炊事班的故事」では「太った広東人コックさん」、「のっぽで激情的な東北人」といったキャラが振り分けられていました。方言と人物像に関連性があります。
その後に行った人物と方言に関する言語意識調査を通して、中国語でも、たとえば上海語には、インテリとか、女っぽいといったイメージのあること、広東語に商人とか裕福、やくざのイメージのあること、東北の方言に豪快、酒飲み、田舎者といったイメージがあることなどがわかりました。これらは、ドラマや映画などメディアから流れてくる情報や土地の伝統的なイメージと関係しています。そのため泥棒や詐欺師などのマイナスイメージを特定の方言に当てていることに対して反対する意見もあります。「役割語」は便利である反面、「ことばのステレオタイプ」であることから、その使用が時に、偏見を助長する危険性をはらんでいるのです。
中国語の伝統的な「役割語」―官僚ことば・オネエことば・書生ことば
日本語では「前向きに検討します」とか「善処します」は、政治家の無責任な返答としてとらえられます。拙論では、中国語の中にある「官腔(官僚ことば)」「娘娘腔(オネエことば)」「学生腔(学生・書生ことば)」も扱いました。
中国人の友人にインタビューすると、中国でも大学の上司などが「商量商量(相談しましょう)」とか「研究研究(考えておきます)」といった言い方をしながら、その実、何もしてくれないと言います。
実は、地方幹部の知り合いのしゃべり方を観察したことを一部書きましたが、その部分は出版時にカットされました。いずれも先行研究はほぼなかったため、新聞記事やネットの書き込み、北京大学コーパス北京大学古代と現代語言語料庫(CCL)などから用例を集めました。
官僚ことばでは、開会の宣言などで特徴のある語彙やフレーズ、お決まりの型などがあること、マルクス主義の術語の使用、常套句や美辞麗句・無駄話が多く、責任逃れ的な発言、命令口調・語気詞の引き延ばし等の特徴があることがわかりました。コーパスで、前後を含めて見ると言語的な特徴以外に、「大きな態度をとる」とか、「ソファーに座ってお茶をのんで無駄話をする」というようなマイナス面と、「身なりがいい」、「俗っぽくない態度」、「読書好き」などのプラスの評価の「非言語的要素」もあることも分かりました。
オネエことば、書生ことば
中国にも、男性の女装の歴史があり、京劇の梅蘭芳などに見られるような戯曲における「反串(現代では自身の性と反対の性の役柄を演じる意味で使われる)や、女性に仮託した文学などもあります。調べていて驚いたのは、「宦官」に「オネエ」のイメージがあって、たとえば西太后(清朝末期の女帝)の寵愛を受けたと言われる宦官を描いた「李蓮英・清朝最後の宦官」(1990年)という映画で、宦官役の姜文は弱弱しい女性っぽい話し方をしていることです。姜文と言えば、張芸謀監督の映画「赤いコーリャン」などで、男らしい役を演じているのをご覧になった方もあるでしょう。2011年には宦官だからと女性らしい「細声細語」で話させる描き方はやめようと言う声が上がっていましたが、いまだに清朝ドラマで使用されるようでネット上で議論があります。映画やドラマの中では「オネエキャラ」はそれなりに需要があり、若い女性のことばの特徴つまり、語気詞の多用や、「人家」を自称詞として使う、服装・化粧、なよなよした歩き方、そして、髪の毛を耳にかける、蘭花指(京劇のオヤマがする女らしい指の形のこと)を使用することなどが挙げられます9)。
金水(2010)「男ことばの歴史」10)では、日本語の書生ことばは明治時代に日本の各地から東京にやってきた大学生のことばを基礎に発展してきたもので、その後、新時代の一種の男性の規範的言語になり、日本社会の中で受け入れてきたとしています。中国の「学生腔」や「娘娘腔」、「官腔」は、一般的に「贬义词(けなしことば)」としてとらえられており、必ずしも大衆が模倣し規範とする対象ではなかったことが日中の相違です。
「キャラ変わり」と宇宙人語
定延(2011年)では、人々はネット上で、「拙者」「でござる」を使用して「侍キャラ」を演じたり、「そんな冷たいこと、言わんといて」と大阪商人キャラに「キャラ変わり」したりして、ことば遊びをしていると指摘しています。
そんな「キャラ変わり」やことば遊びが中国語にもあるかのどうかを調べたのが拙書の第八章です。中国版ツイッター「微博」で中国の人たちの言語使用を調べると、あるある。皇帝や、皇后(娘娘)、大旦那様(大人、大爷)、お坊ちゃま(少爷)、拙者(在下)、わし(老朽)…犬(犬のキャラ助詞:汪汪)、猫(猫のキャラ助詞、喵)などなど。
それだけではありません、中国語でも宇宙人やロボットを表す用例も見つかりました。
(1)外星人接收宇宙信号TTTTTTTTTT
Wài xīng rén jiēshōu yǔzhòu xìnhào TTTTTTTTTT
(宇宙人は信号をキャッチしたTTTTTTTTTT)
(2)地球太危险、外星人要回自己的星球了咻~咻~咻~
Dìqiú tài wéixiǎn, wài xīng rén yào huí zìjǐ de xīngqiúle xiū ~xiū ~xiū ~
(地球はとても危険です。宇宙人は自分の星へ帰ります。シュー、シュー、シュー)
のように、「T」の連続で信号を著したり、「咻~咻~咻~」と擬声語を使用したりすることで宇宙船の飛来音のイメージを喚起させています。
日本語では、「地球人よ、よく聞け、ワレワレは宇宙人だ」といった抑揚がなく声を震わせたしゃべり方の「宇宙人語」があります。中国のドラマの中にも同じような例があるため、これはアメリカのSF映画から来た世界共通のロボット・宇宙人ことばの特徴なのではないかと思っています。(その後、「スターウォーズ」のR2D211)の声は人の声と機械音の合成といった工夫もあるので、世界のロボット語のイメージも変化しそうですが。)
こうしたキャラ変わりが単なる、ことば遊びだけでなく、語用的に使用され、人間関係を和らげる「敬語」的な機能も果たしていることもわかりました。
昨今、日本では各国語の翻訳者たちは、時代に合わせ役割語の見直しをすると同時に、ここぞというときには戦略的に使用しています。私も、昨年(2021年)中国文学の翻訳を2冊出版しましたが、それは私にとって「役割語」の翻訳実践でもありました。翻訳と役割語ということ12)もあれこれ考えていて、新たに論文化できればと思っています。
注
1)『上海漫語』1938年、改造社(国会図書館デジタルコレクションで)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1872504:p181~185
2)金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』2003年、岩波書店
3)定延利之『日本語社会 のぞきキャラくり』2011年、三省堂
4)河崎深雪『汉语"角色语言"研究
(中国語の役割語研究)』2013年、華中科技大学博士論文、2017年、北京・商務印書館から出版。日本語版河崎みゆき『中国語の役割語研究』は2023年春頃、ひつじ書房より刊行予定。
5)申小龍編(2003)『語言学綱要(言語学概論)』復旦大学出版社
6)ダニエル・ロング、朝日祥之「翻訳と方言―映画の吹き替え翻訳に見られる日米の方言観」『日本語学』18-3、1999年、明治書院
7)“同胞们,中华人民共和国中央人民政府今天成立了!(同胞の皆さん、中華人民共和国中央人民政府が今日成立しました!)”央视网(CCTV)
https://tv.cctv.com/2019/09/16/VIDEjGRd3W7UdoXzGrZDAwmq190916.shtml
開始034秒~050秒あたり)
8)邓小平的川味“普通话”(鄧小平の四川風「普通話」)
http://cpc.people.com.cn/n1/2019/0612/c69113-31133175.html
9)河崎みゆき「中国語のオネエ言葉をめぐる現象と特質」『日本語とジェンダー』第14号、2014年
10)金水敏「男ことばの歴史」中村桃子編『ジェンダーで学ぶ言語学』2010年、世界思想社
11)「『スター・ウォーズ』R2-D2の声はこうして誕生した!」https://youtu.be/cTmuo5zvMHs
12)河崎みゆき「翻訳から見たジェンダー、そして役割語」2022年、日本語ジェンダー学会(ジェンダーエッセイ)
https://gender.jp/gender-essay/essay202204/
*人物像、キャラクター、キャラという用語を同じ意味で使用しています。
-
- 2022年10月18日 『2. 中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学:「倉橋家の謎」-言語景観ということ 河崎みゆき(國學院大學大学院非常勤講師)』
-
「倉橋家の謎」-言語景観ということ
「倉橋家」―これをなんと読むでしょうか。「くらはしけ、くらはしや」?
姓+「家」の「家」は、通常「け」または「や」の二通りの読み方が考えられます。牛丼の「吉野家」や「すき家」は「や」。つまり、お店の場合は「や」と読み、もし「吉野家」を「よしのけ」と読むならば、吉野の一族ということになり、お店としては入りにくいでしょう(「一家」は「いっか」と読むので日本語はややこしいですね)。
武漢の華中科技大学の近くに超大型ショッピングセンターができ、そこには日本料理屋さんもできました。それまで和食を食べに行くのに、バスやタクシーに乗って30分から1時間かけて4・5つ星ホテルなどへ行くしかなかった苦労を思うと大変便利になりました。店の名前「倉橋家」。中国語では「仓桥家Cāng qiáo jiā」ですが、「家」の音は「jiā」で、「け」とか「や」の区別はなく「仓桥家(ツァンチャオチャー)」です。私はお店なのだから当然「くらはしや」だと思っていました。ところが、行ってみて店名の横に書かれていたローマ字は「Kurahasike」でびっくり(図1)。「くらはしけ」?
「くらはしけ」では、日本人にとっては、倉橋さん宅ででもごちそうになるようで敷居が高いというか落ち着きません。このことから見ると経営者はまず日本人ではないでしょう。
これは、小さな観察例に過ぎませんが、町の店名看板や案内表示などの観察を通して書かれた文字など可視化された情報から言語使用の状況や、そのメカニズム、背景を探る研究を「言語景観」1)研究といいます。日本でも多くの論文が書かれ、日本語教育にも生かそうという試みも行われています2)。
「言語景観」は社会言語学の中でも、比較的新しい研究テーマですが、最近では中国でも盛んに研究され、ここ2年の中国の都市言語学会でもメインテーマの一つでした。中国の学術文献オンラインサービス「中国知網(CNKI)」3)で「言語景観(语言景观)」で検索すると、主要都市の言語景観研究が出ていて人気の研究テーマです。
それは、店の看板などの民間表示、交通案内や掲示板などの公共表示から、その表記の種類や、その土地の特徴、ことばの乱れもわかって、国の言語政策(言語計画)にも役立つからです。第1回に書いた中国の社会言語学の父・陳原先生も「言語景観」と言う用語は使用されていないものの、簡体字と繁体字の交じり合った北京の町を表記の乱れや、新しく生まれてくることば(新語)に目を向けながら歩かれています4)。上記のように日本語教育にも利用できるので、私も大学院の授業では、2時間かけて院生たちにも実際に調べてきてもらいます。何気なく目に入ってくる言語景観に、実は見えている以上の情報が詰まっているのです。
ですから、旅行でも「言語景観」の観察をすると、町を歩くときにも観光バスの車窓からでもその土地の特徴や時代を象徴するものを見つけたりできます。もちろん旅の思い出を豊かにもしてくれます。
次の写真(図2、3)は、2018年7月に吉林大学で開かれた中国社会言語学国際シンポジウムで長春を訪れたときに撮ったものですが、ここから何が考えられるでしょうか。
(1)バーやクラブの名前であること、(2)ゴシック体で書かれていること。すくなくともこの二つがわかります。(3)日本語であることからは呼び込もうとする対象に日本人客が想定されていること。(4)おそらく経営者は日本人ではない、ということがわかるのではないでしょうか。日本人であれば、たとえば「クラブ・クロネコ」の字体はもっとしなやかな字体を選ぶのではないでしょうか。お店に入って確かめたわけではありませんが、東京の飲み屋街などと比べるとそのぶっきらぼうさが気になります。
上海でも突然目に入ってくる日本語といえば、日本料理のお店以外では、バーやクラブ、マッサージ店でした。疲れた日本人駐在員や旅行客の疲れを癒す場所になっているのでしょう。上海のマッサージ店には私も行ったことがあります。上海では、よくカタカナで縦書で「マッサージ」と書いてあるのに、長音の伸ばし棒が「|」ではなく「一」なのを見かけました。ほかにも「マツサ二ジ」となっていて、「一」ではなく「二」になっているもの、「ツ」が小さくなっていないものなども。こうした基本的な書記法が違っているとやはり経営者は日本人ではないことが考えられます。また図4のような、どうやったらこうなるのかわからない日本語も見かけることもしばしばあります。言語景観研究の目的は、そこにどのようなことばの問題があるか、そこから何を読み解くかですが、図4の間違いは、当時の自動翻訳の性能の問題だったのか、原因を考えるのは難しいです。ちなみに「カンさん」の(姜敷)は「生姜湿布」のこと。知り合いの中国人には「姜さん」はいますが、この字を「カン」と読む人は朝鮮系の方に多いようです。
スーパーの中で考える
このように、私は中国では、「中国における日本語景観」に注目していましたが、たまに現れる日本語というのは外の景色の中だけでなく、スーパーの中にもあります。例えば、華中科技大学の中のスーパーでは、「康師傅(カンマスター)」という会社の「鲜の每日C」という清涼飲料水が売られていて、さっぱりしたオレンジ味とかマスカット味などのジュースで夏にはよく買い求めました。「鲜の每日C」の「の」は中国語の「的」とか「之」という意味だと言うことは比較的知られていて上記の「マッサージ」や「クラブ」といった文字以外ではよく見かけます。
ほかに、大学のスーパーで見つけた例として、さきいかの袋に「北海の味」「黄金もち」と書かれたものがありました。さきいかがあるのも驚きでしたが、「北海の味」はまだいいとして、「黄金もち(餅)」は関係ないでしょうと、苦笑した覚えがあります。ところが、2012年、尖閣列島問題が起きた後に、スーパーに行くとそうした「日本語」がすっかり姿を消したのです。日本製品の不買運動なども起こり、売れなくなったのか、見越して日本語表記を使わないことにしたのか、企業の意図はわかりませんが、「北海の味」と言う日本語表記は平和の象徴だったのです。「鲜の每日C」も姿を消しました。言語景観には政治状況も反映されているのだと何か寂しく思いました。
1996年に台湾に行ったときに、台湾では「の」が使用された住宅広告を見ました。「鲜の每日C」の「康師傅」は、もとは台湾の会社ですから台湾で知られていた「の」が使用された可能性もありますが、第二次世界大戦前後の上海の言語接触を調べていた時、昔の上海語の教科書5)に「味之素」という単語が常用名詞の一つに挙げられていました。そのころの缶入り味の素6)などには、「味の素」「味素」「味之素」「味精」など日本語と漢字の両方で書かれているので、百年前の上海などでもすでに「の」は「之」だと知られていた可能性は高いと思います。ちなみに今は「味精」です。
中国に行ったらぜひ
言語景観の中でも、店の名前に注目して分析した研究があちこちで行われていますが、蘇州、南京、上海を見て回って店名を比較研究した本(銭理・王軍元『商店名称語言』2005年、漢語大詞典出版社)も出ています。その本によると、中国における店の名前の起源としては、『周礼』(儒教の政治理念を制度化したもので、王国の制度制定の参考にされた)にすでに、旗や記号で市の中での位置を示したとあり、都市部では市だけでなく、個人商店も現れて、お客の目を引くために実物の表示や幌、あるいは店に名前もつけられるようになったそうです。有名な宋の張択端『清明上河図』という画巻の中にも店の様子や店名が書かれています(私は『清明上河図』を見るために冬の東京博物館で2時間40分並びました)。中国の店名の多くは、「劉家功夫針鋪」「李記小酒店」「蔡記饂飩舗」のように劉や蔡などの苗字+業種というような店名でした。現在では命名も多様化し、中国語の名前だけでなく、洋風なものも増えて来ています。銭・王の蘇州の441の商店名称の分析7)によれば、4音節が最も多く33.79%(「姑蘇金店」「大洋百貨」「時代眼鏡」「北疆飯店」)で名称+経営範囲(業種)を表したもの、次に3音節の店名たとえば、「好利来」「石頭記」「三万昌」「得月楼」などで24.49%。名前が長くなれば地名などが付加される(「逸味台湾涮涮鍋(逸品台湾しゃぶしゃぶ)」など)そうです。蘇州・上海・南京の比較では音節数はほぼ同じで3、4音節が多く、上海の特徴は英語名や音訳名(例. 克莉丝汀餅屋/餅の店ではなくパンやケーキのお店です)のものや、また1、2音節のものが比較的多いことなどがあげられています。一方、蘇州には老舗や復古調の店名も多いということ。
この本には、中国商店名の伝統として「幸福(吉祥)、繁盛、繁栄」を願う民族の心理が反映されているということで、清朝に商店名に使用する吉字(おめでたい字)の歌が流行したと紹介されています。メロディ♪はわかりませんが
「順裕興隆瑞永昌、元享万利復豊祥。泰和茂盛同乾徳、廉吉公仁協鼎光。聚益中通全信義、久恒大美慶安康。新春正合生成広、潤発洪源厚福長♪」
という歌詞だったそうです。その漢字の意味は、数量が多い「万、広、豊」、規模が大きい「元、泰、洪」、事業がスムーズ「享、和、協」、商売繁盛「隆、昌、茂」、継続「長、恒、永」、万事如意「瑞、祥、福」、公平信用「信、義、仁」などであると分析されています。今でも、中国の町にはこれらの漢字を使った店名がかならずと言っていいほどあります。上海有数の観光地である南京路に行くと、瑞、祥、福、昌、永、享…という漢字が目に入ってきます(図5)。
中国旅行の際は、こういった漢字を見つけて店主の願いを想像し、あるいは、英語の名前なのか、それがピンインなのか、どんな構造になっているか、どのような意味を持っているのかを考えながら街歩きをされると、退屈しないこと請け合いです。言語景観に清朝に歌われた漢字はどのくらい見つかるでしょうか。
東京の街で中国語を探す
さて、中国の街では、たまに見かける「日本語」に注目していましたが、日本に戻ってからは、日本の中の中国語に注目しています。その1例として、最近、論文にまとめたのが「ニューチャイナタウン」としてメディアでも取り上げられた江戸川区平井の言語景観です8)。簡単にまとめますと、平井のことを2018年の4月にテレビニュースで知り、同年8月に調査に行きました。ところが拍子抜けするほど、「目で見える中国語の景観」が少なく、これがなぜメディアで取り上げられたのか不思議なほどでした。そこで、駅前の中華料理店に入って食事をしながら中国人店長に話を聞きました。すると、インターネットの時代、店の看板もネット上にあり、町の風景からは「見えない」ものも多くなっているということがわかったのです。コロナなどのために第二次調査になかなか行けず、2022年5月に再調査に行きました。2018年のニュースで「中国語のあふれる町」と称されたことが、実は、可視化された文字情報ではなく、道行く中国人の人たちが話す中国語が「聞こえてくる」サウンドスケープ(音景観)の町だったことがわかりました。江戸川区は中国人住民数が東京都で1~2位で、平井には4校の日本語学校があり、また高齢化した中国帰国者たちなどを対象にしたデイケアセンターもできています。
インターネットであらゆることがコミュニケーションされる時代において、表層的な言語景観は表看板に過ぎず、後ろに多くの「見えない看板」があること、平井のようなサウンドスケープの割合が勝る町もあるので、聞こえてくる音にも耳を傾けるべきだと思っています。
その後、新橋、銀座、渋谷のサウンドスケープについて調査し、今年の8月、中国の学会で、地域性や時代性もあるということを報告しました。コロナ禍でほんの少しの事例しか採取できませんでしたが、言語景観の定義を少し広げて耳を傾けてみると、より一歩その場所の特徴が理解できるのではないかと思っています。
それでは、次回は、中国の女性ことばをめぐってまとめようと思います。
注
1) 庄司博史・P・バックハウス・F・クルマス編『日本の言語景観』2009年、三元社
2) 磯野英治『言語景観から学ぶ日本語』2020年、大修館書店
3) 中国知網CNKI (China National Knowledge Infrastructure) https://www.cnki.net/
4)陳原「新語の出現とその社会的意義―1人の社会言語学者が北京の街角で見たこと、感じたこと」『応用言語学講座3 社会言語学の探求』1985年、明治書院
5) 影山巍『詳注現代上海話』昭和11年(1936年)東京文求堂印行の「常用名詞集」の中に「味之素」
6)こちらは1920年頃ハルピンで味の素が流行っていたという記事ですが、街には「味の素」の看板があり、「味素」という表記もあったことが写真からわかります。https://www.imharbin.com/post/27682
7) 銭理・王軍元『商店名称語言』2005年、漢語大詞典出版社
8) 河崎みゆき「見えない看板―ニューチャイナタウン東京江戸川区平井の言語景観から」包聯群主編『言語政策』三元社、2023年1月1日発行予定
-
- 2022年10月04日 『10月からの新連載のお知らせ』
-
7月から12回にわたり、「動詞のヴォイスに魅せられて--日本語のラレル文」というタイトルで、身近な現代語だけではなく、古代日本語やスペイン語にまで範囲を広げて論じてくださった志波彩子先生、ありがとうございました。専門的なトピックについて実例を多く示しながら具体的に説明してくださいました。
さて、10月11日からの12回の連載は河崎みゆき先生(國學院大學大学院非常勤講師)による「中国のことばの森の中で―武漢・上海・東京で考えた社会言語学」です。河崎先生は 日中対照言語研究と社会言語学の研究をされています。この連載はこれまで日本ではあまり紹介されてこなかった中国の社会言語学を人や町の様子とともに紹介していく試みです。初回には連載予定のトピックについても記されています。(野口)