ここが変だよ! 国語の文法 (kotoba news)
kotobaに関する気になるトピックを短期連載で紹介していきます。
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- 2021年06月22日 『ここが変だよ! 国語の文法 12. 学び続ける教員であるために 山田敏弘(岐阜大学)』
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12. 学び続ける教員であるために
前回は、私自身が日本語の歴史を学んでこなかったことが弱点であることを話しました。同時に、今、それを学び続けていることをお話ししました。
では、小中高校の先生は、どのように学び続けているのでしょうか。この様子は、教員免許状更新講習から垣間見ることができます。
教員免許を取ってから10年ごとに免許更新をするこの制度は、種々の反対があったにも関わらず2009年から導入されました。
私自身は、中学校と高校の教員免許(英語)をもっていますが、大学教員には免許更新講習を受ける義務がなく、逆に夏休みを中心に教員免許状更新講習を行う側となっています。だから、本当に受ける側の負担が分かっているかと言われれば、そうでもないかもしれません。その上で、批判覚悟で少し申し上げたいと思います。
教員免許状更新講習は、すべての教員に対しては必要ないと、私自身は考えます。しかし、大半の教員には、学ぶよい機会になっていることは事実です。
昨年著した『国語を教えるときに知っておきたい基礎知識88』(くろしお出版)という本に、岐阜大学で行っている教員免許状更新講習で取ったアンケートの結果を載せておきましたが、意外と勘違いしていることは多いようです。
「木」という漢字の2画目を撥ねてもよいかという問いに対しては、約3割の現職教員が「撥ねてはいけない」と答えています。
また、「十本」は、未だに「じっぽん」でなければならず、「じゅっぽん」に×を付ける教員も4割いるようです。
答えはいずれも否です。
実は、この本を著したきっかけは、息子が小学生の頃、「木」の下を撥ねて×にされたこと。「先生に証拠を見せて〇にしてもらおうか」と問いかけると、「やめておいて」と言われたのでそのときは言いに行くのをやめましたが、勉強していない先生はいるものだと思い、以来、教員免許状更新講習で、その話をしています。
しかし、「木」の書き方や「十本」の読み方のような知識は、教員免許状更新講習でなくても、身につけることはできます。2010年に改訂された「常用漢字表」を見ていれば知っているはずのことですし、新聞を読めと指導する国語教員であれば、新聞報道を見て知っているはずでしょう。
その上、現代は便利なもので、「じゅっぽん」が許容されていることが明記されている2010年改定の「常用漢字表」も、楷書でいろいろな書き方があるものが載せてある「常用漢字表 付表 字体についての解説」も、文化庁のインターネットから全文を閲覧することもできます。単に知識が欠けているというよりも、そのような情報にアクセスする習慣がないことが問題なのです。
この原稿を書いているときに、文部科学大臣が教員免許状更新講習廃止を検討するよう、中央教育審議会に諮問しました。おそらく早晩、この制度は、実施から10年ちょっとで廃止されるでしょう。
それなりに皆が勉強する機会をもっていれば、教員免許状更新講習などは不要でしょう。しかし、実態は、勉強をする教員としていない教員の差がありすぎます。
この講習制度が始まった当初は、受けさせられる不満を講師である大学教員に向ける現職教員もいましたが、文句を言う現場教員の中には、すでに多くを学んでいる方もおおぜいいらっしゃいました。ニーズに合ったレベルの講習を提供していなかったのであれば申し訳ないと思います。しかし、中には、単に勉強したくないという先生もいました。教員免許状更新講習が廃止されるであれば、どういう研修がなされていくのか、見守っていかなければいけません。
というのも、勉強していない先生は、児童生徒のためにならないからです。最後は、だれのために制度を改変するのかを考えるべきです。教える立場であれば、どういう形であれ、勉強をしつづける姿勢と機会を持ち続けてほしいと思います。
さて、このような知識・技能の習得も、時宜を得て更新していく必要があると述べましたが、今、必要なことは、Society 5.0の「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムによって開かれる社会」に生き抜いていける子どもたちを育てるための、思考力・判断力・表現力です。
上記のような単純な知識を話すことで時間を使ってしまうと、せっかくの文法の最新情報を話す時間がなくなってしまいます。受講生の中には、よく私立高校の先生がいらっしゃり、「講習内容に不満足」という評価をくださいます。それはそうでしょう。私だって、レベル別に分けられるものであれば分けたいと思うほど、勉強習慣に差があることは分かっています。
日頃から勉強している先生には、もっと高度なことを話したい。しかし、それもなかなか難しいのです。
それでは、どのようなことを免許状更新講習で話したいのか。
たとえば、第2回でお話ししたような学校文法の矛盾を考えることなどはどうでしょうか。この点は、これからの「考える国語の授業」にうってつけの話題だと思います。このエッセイで伝えたかったのは、「ここが変だよ 国語の文法」。文法こそ考える種であるということです。「変」だからこそ、考えればよいのです。
今でも大学院の講義では、現場で児童生徒を考えさせられる小ネタの開発をしています。
「た」は、過去や完了の助動詞と言われるけれど、実際の新聞記事を読ませて、どのような「た」が使われているかを考えさせるのも一案です。そうすると、過去とも完了とも見分けがつかない用例が多く集まるでしょう。ここが、テスト問題のような、過去か完了か分かりやすい「た」ばかりでないと気づくポイントです。それによって、なぜ「き」「けり」のような過去の助動詞がなくなったのかを考えることもできます。
また、「かなり犬だ」と言えないが「かなり名犬だ」だと言いやすくなります。「名」という程度を有する形容詞が組み込まれた名詞だと言えるという説明がいっぱんにはできますが、それでも、「かなり古本だ」や「かなり青空だ」は言えません。修飾のしかたが違っているのです。このようなことを児童生徒に用例を出させて考えさせるだけでも、これからの思考力・判断力・表現力を重視した教育に資するものとなるでしょう。
あるいは、対照研究も有効でしょう。 ‘See Naples, and then die.’の訳語として「ナポリを見てから死ね」というのは、どうも日本語では納得しにくい。ラテン語の ‘Qui bene serit, bene metet.’も、文字どおり訳せば「よく種を蒔く者は、よく刈り取る。」ですが、なんだかしっくりこない。そのような感覚から、「日光を見ないうちは結構と言うな」や「蒔かぬ種は生えぬ」といった、日本語のことわざを考えてみて、否定の多さに気づくのも、やはり国語教育においても有効な学習法です。
こんな小ネタの開発には、やはり日々更新される学問的基礎知識と、幅広い知識を求める探究心が必要です。常に学び続けていないといけないのです。
学びの継続と同時に、10年ごとの免許状更新講習で伝えなければならないことは、学問の進展です。そうでなければ、10年ごとに繰り返し受ける必要もありませんし、自ら学んでいる教員にとっては、めんどうなことでしかなくなってしまいます。
そういう点では、最近の日本語文法研究が停滞気味なのも気になります。学会誌に査読を通って論文として載るのは、大御所の先生の研究か小さな文法形式の比較に留まり、わくわくするような論文が、昔ほど載らなくなっています(個人の感想です)。
現代語としては研究し尽くされてしまい、もう研究するべき分野がなくなってきているのも、否めない事実です。過去に査読した論文なんかも、過去の研究のまとめで終わっていて、自分の考えを明確に打ち出せていないものもけっこうありました。
そういう自分自身の研究の遅滞を棚に上げているとのそしりは甘んじて受けますが、日本語文法研究の裾野が細ってきていると感じずにはいられません。
その一方で、これらの教育の成果を、国語教育や、それから現代こそ大切な地域の外国籍児童生徒教育に活かせているでしょうか。この分野は未開拓であるように思います。子どもたちに考えさせる教育を行うのに、言語を考えることは身近でありながら考察するに十分な観点を提供します。有望なフロンティアなのです。
一方で、私自身は、国語の文法教育自体、変わらなければいけないとも考えています。古典を見るための学校文法をリフォームして、現代を生きる私たちの理解力や表現力に資するものにしていくと同時に、同じクラスで学ぶ日本語を母語としない子どもたちに、子どもたち自身が教えられるような文法教育にしていくことこそ、Society 5.0に対応した教育としてふさわしい。
そのために、国語教育のしがらみからも、日本語文法研究の枠組みからも離れて、新たな学問分野が必要であると考えています。それがなんなのかも含めて、今しばらく、私自身は、文法理論と教育実践の往還を楽しみたいと思っています。
ロマンス語研究を志して始まった私の言語研究。その分野での就職がないことで日本語教育に転身した大学院時代。そして、イタリアでの日本語教育を経て、文法研究に専心した苦労の時代。地元の大学に職を得て、地元のことを考えるために始めた岐阜方言研究、そして、現代的な課題である地域の日本語教育を模索する日々。どれもが、多様な関心をもつ私自身を造り上げてくれています。
昨今は、大学の運営に巻き込まれ、十分な勉強の時間も取れず汲々としていますが、学ぶことを止めたら、教えることも終わり。分からないことがあるから愉しいのだ、そう自分に言い聞かせながら、学び続けています。
名古屋大学の学部生の頃、ラテン語を教えていただいた国原吉之助先生からいただいたラテン語の一節、 “Disce ut sempre victurus, vive ut cras moriturus.(永遠に生きるかの如く学べ。そして、明日死ぬかの如く生きよ)”。そして、大阪大学大学院で学ばせていただいたときに、宮島達夫先生が御著書に書いてくださった一節、「勉強は楽しいよ」。
この2つのことばをいつも胸に、私は、大学教員として、そして一個人として、学び続けたいと思います。
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- 2021年06月15日 『ここが変だよ! 国語の文法 11. 学びそこねた日本語の歴史 山田敏弘(岐阜大学)』
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11. 学びそこねた日本語の歴史
専門的に研究して来た日本語文法のほかに、岐阜方言を中心に方言のことを考えていると、日本語は歴史ある言語なのだなあと感じることがあります。それは、やたらと古語に出逢うことです。
全国的に有名なところでは、秋田方言の「めんこい」が「めぐし」という古語から来ているとか、九州には「死ぬる」という昔のナ行変格活用が残っているところがあるなど、日本語には、同時代的に見ても、歴史がいっぱい詰まっています。
方言に見られるこれらの個々の現象の歴史は、ある程度、辞典の類を見れば分かります。たとえば、高校生の頃、いわれもなく先生にされた「びんた」を、『日本語方言大辞典』で調べてみれば、「頭の両側の毛」という意味で、東海地方や九州地方などに残っていることが書かれています。これは、まさに、古典の時間に習った「びんづら(鬢)」ではないでしょうか。
「めんこい」については、この『日本語方言大辞典』で語源をたどることはできませんが、北海道から長野まで使われる「めごい」があることが分かります。ここから、「めぐし」に遡っていくことは、難しいことではないでしょう。
こういう古語に出逢うと、いろいろな後悔が自分自身を襲います。
個々の辞書の記述は、それぞれの研究者の研究成果そのもので、日本語研究の厚みを感じますが、私自身は国語学出身でないため、こういう研究手法は、大学時代に学び損ねました。
大学生の時期というのは、訓練をするのに十分な時間を取れる貴重な時期です。私は、そのとき、ゼミの主任教授の専門であるロシア語の文献を読むのに四苦八苦していて、日本語の歴史についての研究手法を身につけることはできませんでした。おかげで、キリル文字は多少読めるようになりましたが、役に立ったことと言えば、スケートのロシアフィギュアスケート選手権で、羽生結弦くんの滑るリンクの広告が読めるくらいのことです。
日本語学の世界、特に方言研究に携わるようになると、コンプレックスも甚だしくなりました。
国語学出身の皆さんは、古い原資料をスラスラ読んでいきます。私には、ミミズの這いつくばったような仮名は読めません。読めるものと言えば、活字に起こされた文献ぐらいで、しかも我流です。
現代日本語を研究対象にしている限り、それほど困ることはありません。むしろ、私にはロマンス語に関する知見と、日本語教育の経験がある。それだけは、ほかの研究者とは違う私だけのアドヴァンテージだと思っていました。
日本語教育の視点をもって日本語研究をすると、単に真実を追い続けるのではなく、それをどう教育に応用するかを考えます。ときには、この事実は教えることに役立たないなとか、この事実は学習者から質問されそうだからもう少し丁寧に記述しておかなければならないなとかいうことも見えてきます。
たとえば、「雨に降られる」は、いっぱんに間接受身の典型として教えられますが、この説明には矛盾がたくさん含まれています。
(1) 夜風に吹かれているととても心地よい。
(2) 参観日、親に後ろからじっと見ていられると、あまりいい気はしないな。
(1)は、「雨が降る」と同じく「夜風が吹く」という自動詞が受身となっていますが、ここには迷惑の意味がありません。一方、(2)は、「親が後ろから私を見る」という能動文を受身にしていますが、「見ていられると」の後には「うれしい」は続きません。つまり、迷惑の意味が構造的に含まれている受身なのです。
結局、今、教えられている「自動詞の受身は間接受身で、間接受身には迷惑の意味が構造的に含まれている」という定義は、十分とは言えないのです。
詳しいことは拙著『日本語のベネファクティブ−〜テヤル・テクレル・テモラウの文法−』(明治書院2004)で詳述したので、そちらを見てもらうとして、このような、「一般的に言われていること」を、より正確に、そしてより使えるようにしていくのが、日本語教育をベースに日本語研究をしている研究者の務めなのでしょう。
ちなみに、この考察は、最初、1999年にとある雑誌に投稿しましたが、載録されませんでした。精神的にぼろぼろになり、日本語文法の論理的な研究から離れるきっかけにもなりましたが、明治書院の『日本語学』という雑誌に載せていただき、最近になり学会誌でも引用してくださる方が出てきて、発表してよかったなと思うことがあります。評価などは、人それぞれ。おかげで日本語研究の応用が自分のやるべきことと分かっただけでも「めっけもの」です。
その後、日本語教育の現場から離れ国語教育に身を置くことになりましたので、日本語の論理的研究は傍観する立場になりました。
代わりに必要となってきたのが、やはり歴史的観点からの日本語に関する知見です。2001年から奉職している岐阜大学は、地域の国立大学。地域に根ざし研究を還元するという独法化当時の方針で、方言研究を一生懸命やりはじめ、せめて地元の方言のことは何でも答えられるようにと研究を続けてきましたが、やはり問われることは、歴史的なことも多くあります。
単に「えらい(しんどい)」や「たわけ(ばか)」の語源はどうですか、という問いであればそれほど難しくありません。これは、およそ『日本国語大辞典』のような大きな辞典を見ることで(もちろん、信憑性を欠く語源論もありますので慎重に吟味しつつですが)、おおよそ理解できます。
「えらい」は、『日本国語大辞典 第二版』の「語源説」に、多く「苛(いら)し」との関連が記述されています。「いらいら」の「いら」も、『日本国語大辞典 第二版』に「もと『とげ』の意」とあり、「いら」自体に「草木のとげ」という意味が平安時代にあることから、おそらくこの「苛し」から来ているであろうことは、納得いくことと受け止められます。
ちなみに、この「えらい」は、もともと上方、すなわち大阪を中心とした方言で、江戸時代には、兵庫の浦で釣った大鯛の鰓を料理しようとして指を切った人が「エライタイ」と言ったから「えらい」という言葉を使うようになったという語源説も載っています。まゆつば語源もまた愉しです。
「たわけ」などは、このまゆつば語源がまかり通っています。地元の人でも、「子だくさんの家で皆に田を分けてしまうと零落するから、そういう人を『たわけ』と呼んだ」という説を信じている人が多くいます。
こういう民間語源説(folk etymology)は、それ自体、愉しいことなので、全部を否定することはしませんが、やはり、「鰓痛い」と同じレベル。ちょっと『日本国語大辞典 第二版』を見れば、「たわける(戯)」の連用形の名詞化と書いてあります。
しかし、『日本国語大辞典 第二版』には、「田分」も載っており「分家または遺産相続で、田を分け与えること」とあります。たしかに、辞書にも載る説なので俗説と一蹴するには迷うかも知れません。
そんなときには、歴史を考えるとよいのでしょう。『日本国語大辞典 第二版』には、「たわける(戯)」が室町時代の例が載り、「田分」は江戸時代後期の例が載っています。東海地方で使われる「たわけ」が中国地方でも使われることを考えると、このような分布は、まさに周圏分布。京都を中心として離れたところに分布する語は、江戸時代後期に生まれた歴史の浅い語と考えにくいでしょう。
まあ、この程度のことは、日本語の歴史をかじっただけでも推測がつきます。しかし、方言語彙の語源を考えることはなかなか難しい。私自身、岐阜県で記述された俚言をまとめた『岐阜県方言辞典』には、2736項目を取り上げ解説を付しましたが、200項目以上が語源不明でした。
方言の語源は、調べるにしても、中央語に記述されてこなければ分からない。古文書を読み解く力など、もっと私自身に調べる術があれば、いつ頃からこの地方で使われているのかなど、もっと分かることがあるのになあと後悔する部分でもあります。
それでも、最近は、国立国会図書館のデジタルコレクションなど、専門家以外にも貴重な資料を閲覧する機会が開かれるようになりました。これまでは、専門外だからと諦めていた「なすび(茄子)」の初出と言われる平安時代の『本草和名』そのものは無理としても、江戸時代の写本は気軽に確認できるようになりました。
私自身は学び損ねた日本語の歴史ですが、今、一生懸命学び直しています。その機会を与えてくれたのが、方言研究でした。
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- 2021年06月08日 『ここが変だよ! 国語の文法 10. 方言文法を教える国語教育 山田敏弘(岐阜大学)』
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10. 方言文法を教える国語教育
前回は、方言文法の価値をお話ししましたが、このように日本語の文法を複層的に考えることは、価値あることです。それを国語教育でできないか、きょうはいくつか提案をしてみたいと思います。
とは言っても、どの地方にも通用するようなご提案はできかねます。それは、方言ならではの地域性があって、それぞれに言語的特徴が異なるからです。ですから、これからお話しすることも通じない箇所があるかもしれません。そんなときは、読み飛ばしてみてください。
共通語では、次のような場合に同じ可能の形を使います。
(1) 私は英語を知らないから、英語の本は読めない。
(2) ここは暗いから、ここでは本は読めない。
(1)と(2)は、宮崎方言では、次のように言い分けられます。
(3) 私ゃ英語を知らんから、英語ん本な、よう読まん。
(4) こか、くれーかり、ここじゃ本な読まれん。 (用例は日高貢一郎氏「大分方言三十年の変容 可能表現」『大分県史 方言篇』(1991)より引用 カタカナ表記をひらがなに改め、読点を補った。)
(3)は能力可能、(4)は状況可能と言いますが、宮崎方言のほうが使い分けがある点で、豊かな表現力をもっています。
世界で比べてみても、同じように、能力としての可能と状況が許す可能とでは、使い分ける言語もあります。イタリア語では、能力として「(私が)泳げる」場合には、「知っている」に当たるsapereを使って ‘(Io) So nuotare.’と言いますが、状況が許す(許さない)から泳げる(泳げない)場合には、「成功する」という動詞を使って ‘Riesco (non riesco) a nuotare.’と言います。
大分方言では、さらに、状況可能を客観、主観の2種類に分けて、異なる表現も用いられるそうです(日高氏の前述書による)。
同じように、岐阜県や愛知県より西の広い地域や、東北地方でも青森から山形県北部までは、多くこの能力可能と状況可能の使い分けがあります。単一の表現しかもたない共通語より豊かな表現を持っていると言っても過言ではありません。
同じように、前回も挙げた進行(持続)と結果状態の言い表し方も、共通語より方言の方が豊かな表現をもっています。
(5) 雨が降りよる。
(6) (朝起きて庭を見たら)あ、雪が積もっとる。
共通語では、(5)も(6)も「降っている」「積もっている」のように、「〜ている」を用いて表します。進行(持続)と結果状態が同じ形式で表されるのです。
しかし、方言では進行と結果残存を使い分けることができる。現在では、(5)も「降っとる」ということができるという人も多いのですが、(6)を「積もりよる」というと「積もりつつある」という、別の意味になってしまいます。
この(6)のように言う方言は、西日本全域の、近畿中心部を除いた、富山県・岐阜県・長野県南部・静岡県西部までの広い地域に広がっています。これらの地域では、「財布が落ちている」に相当する「財布が落ちとる」などの言い方とは異なる表現(多くは(6)のような「降りよる」のような言い方)が存在し、英語のような使い分けがあるのです。
このようなことから、私たちが学ぶことは何でしょうか。
それは、決して、英語や日本語の共通語の表現法だけが「正しく」、また、「豊かな」表現であるわけではないということです。
しかし、国語教育でも、また、日本人の中にも、方言は表現力に乏しく、そのため、正しくないことばであると思っている人が多くいて、残念に思います。これは、これまでの国語教育の誤謬そのものです。
平成29年改訂の『中学校学習指導要領 国語編』では、方言尊重に新たな方向性が示されました。これはチャンスです。このような表現の違いを日本各地の方言を用いる地域で教えることは、共通語よりも豊かな表現方法を方言の方がもつことを教えてくれる可能性があるのです。経済的に豊かな東京を含む「首都圏」の言語が、日本語の中で、決して、言語的にもっとも豊かな方言であるわけではないことを教えてくれます。
少し話はずれますが、この「首都圏」ということばも、格差を表す表現であり、私は好きになれません。NHKも、「みなさまのNHK」などと標榜しながら、ネットでは相変わらず「地方」のニュースは見られず、「首都圏」ニュースだけを流します。まるで、「首都圏」以外の住民は、「みなさま」ではないような気もします。
民放も、「首都圏」のグルメ情報なんて、地方に住む人にとってなにが必要なのかと思うほどに放送し続けています。
こういう情報の一地方による占有が、地域性豊かな日本を壊しているのだと、「首都圏」の人は気づかないのでしょうか。
中には、方言を笑いものにするとまではいかなくとも、マイクロアグレッション(Microaggression:日常生活に隠された無意識の差別)が繰り返される番組もあります。このような現状は、このような「首都圏」ということばに如実に表れているのだろうと、地方にいるものは感じます。
しかし、「首都圏」と使う人たちよりも、「非首都圏」の住民の捉え方こそ重要です。このように切り分けられた地域に住んでいるからこそ、地方からもっともっと発信していかなければなりないと積極的になるべきです。
地域限定のことばには、独特な文法があります。それこそ、東京にはない、地方ならではの発想の源泉です。
次は、動詞の語形変化という形態論から考えてみましょう。
さきほどは、NHKに対する批判めいたことを述べましたが、もちろん、どこでも様々なスタンスに立つ人がいます。方言の価値を正しく描こうとする人もいます。
一方で、NHKの大河ドラマや連続テレビ小説など、方言を多用することで地域性を出そうとする番組も多く作られています。方言を大切に思っているとは、正直言い切れない「田舎者」を特徴付ける「役割語」として用いているにすぎないとも感じますが、それでも、悪い気はしません。たとえば、私の郷里である岐阜県を舞台とした「半分、青い。」で永野芽郁さんや佐藤健さんらが「東濃弁(らしきもの)」を話しているのは、正直嬉しく感じました。
ついでに、この「半分、青い。」の方言を分析した論文もしたためましたので、よかったらご覧ください(https://repository.lib.gifu-u.ac.jp/handle/20.500.12099/77991)。
このように、ドラマの中での方言は、それがたとえ実態とはずれていても、地域の言語を考えるきっかけとなります。NHK大河ドラマ「青天を衝け」で出てきた北関東の動詞の活用を考えてみましょう。主人公である吉沢亮さん演じる渋沢栄一の父役の小林薫さんが、「来ない」のことを「きない」と言っていました。
「来る」は、カ行変格活用と言われますが、関東地方の一部(群馬県、茨城県、埼玉県、千葉県)の方言では違います。未然形の「こない」は「きない」あるいは「きねえ」になります。「来れば」はどうでしょうか。群馬県や埼玉県では、共通語の「くれば」や、「くりゃ」のように言われますが、茨城県北部と千葉県の一部では「きれば」のような言い方も見られます。
もちろん、若い人はこのように言わないでしょうが、少し年配の方に聞いてみることで、カ行変格活用が、実は上一段活用になっていることがわかります。使いようによっては、ドラマが国語の文法を考えるための教材ともなることの一例でもあります。
「する」についても、中部地方から関東地方の一部、そして福島県では、同じように上一段活用、あるいは下一段活用になっているところもありますので、国立国語研究所の「方言文法全国地図」(https://www.ninjal.ac.jp/publication/catalogue/gaj_map/)を参照に、活用とは何かを考えてみるのもよいでしょう。
活用については、「見る」のような一段動詞の否定形(未然形+ない)が、「見らん」のようになる地域もあります。九州全域と沖縄県、および、東海地方の一部から近畿南部にかけて、そして、山陰地方に、このような語形が見られます(西日本なので、全般に「ない」の代わりに「ん」や「ぬ」が用いられます)。
これは、一段動詞のラ行五段化という現象で、mi-ruと切るべきところを、mir-uと解釈して活用したものです。
(8)
一段動詞 ラ行五段動詞
否定形(未然形+ない・ん) 見ない・見ん 見らん マス形(連用形+ます) 見ます 見ります テ形・タ形(連用形+て・た) 見て・見た 見りた 終止形 連体形 見る 見る 仮定形 見れば・見りゃ 見れば・見りゃ 命令形 見ろ・見よ 見れ
このような活用が見られる地域では、「方言文法全国地図」を参考に、高齢層の話者に調査してみるとよいでしょう。
実は、学校で教えられている活用というのは、日本語の1バリエーションにすぎません。日本語の良さは、多様な表現方法を地域ごとにもつことだったのですが、東京一極集中が日本語を浅薄なものにしているのは残念なことです。
しかし、逆に言えば、どれだけ「首都」と言いつつも、言語のバリエーションをもたない言語では、思考の広がりをもつことが逆に困難になる可能性もあります。その点では、地方にこそ軍配が上がります。地方は、自らの母方言を共通語という鏡に照らし合わせて考えながら対照言語学を実践していくことができますが、共通語との方言差がない地域ではそれができないか、あるいは困難であるからです。
それこそ、地方の国語教育が地方だからこそできる教育上のメリットです。国語教育にとっても、今までのような文法を暗記する分野としてないがしろにしてきたことを見直し、文法こそ地域の言語の発想そのものとして捉え直してはいかがでしょうか。自分たちの言語の特徴を考え自ら発見するよいきっかけになると期待されます。
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- 2021年06月01日 『ここが変だよ! 国語の文法 9.岐阜方言にも文法がある 山田敏弘(岐阜大学)』
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9.岐阜方言にも文法がある
前回は、私自身の方言研究との出会いから、富山での異文化体験から得た方言文法への関心までをお話ししました。今回は、岐阜に戻ってから取り組んだ母方言の文法研究についてお話ししましょう。
「方言とは、日本語の崩れたもので、文法はない。」
こう思い込んでいる学生がたまにいます。しかし、文法とは、語をつなげて文にする規則。この規則がなくては、相手に伝わることばは話せません。
方言にも、れっきとした文法があります。それどころか、私の母語である岐阜方言にも、共通語にはない、独自のルールがあります。それを岐阜方言を例にお話ししましょう。
方言を見ることで、日本語の不思議さに気付くこともできます。
「こっちへおいで」と呼ばれたら、どう答えますか。
(1) すぐ行くよ。
(2) すぐ来るよ。
共通語では、(1)のように、答える人に視点を置いて答えますが、飛騨方言では(2)のように言います。これは、「こっちへおいで」と言った人の側に視点を置いた表現です。
実は、(2)は、そのまま英語の発想でもあります。
(3) I’m coming.
「行く」と「来る」。同じ「移動」という動作を、出発地点と到着地点のどちらに視点を置くかで、表現は変わります。
しかも、このように比べてみると、共通語だけが違っていて、飛騨方言(実際には、富山方言など、(2)のように言うところはほかにもあります)と英語に共通点があることにも気がつきます。
言語の「正解」など、相対的なものでしかありません。
飛騨方言には、まだまだ、英語との共通点があります。日本語では、次のように「〜ている」という補助動詞を用います。
(4) 雨が降っている。
(5) 窓が開いている。
この「〜ている」は、異なる意味をもっていますが、日本語話者はあまり気付いていません。
その差は、英語にしてみれば、一目瞭然。(4)は、‘It is raining.’と ‘~ing’を用いますが、(5)を、‘The window is opening.’とは言いません。 ‘The door is open.’と、形容詞のopenを用います。
つまり、意味が違うのにもかかわらず、日本語の共通語では、英語とは異なる出来事の捉え方をしているのです。
一方で、岐阜県でも、東の方の東濃地方や北の方の飛騨地方では、これらを言い分けます。
(6) 雨が降りよる(降りょーる)。
(7) 窓が開いとる。
(6)のような進行に「よる」を使うのは、なにも岐阜県だけでなく、西日本で広く行われます。ただし、近畿地方では、多くの地域で進行の「よる」が、軽卑的な意味をもつように変化しています。(7)のような結果状態を表す「とる」は、近畿地方を含む西日本で広く行われています。
このように、日本語を共通語だけで捉えていると見えてこない特徴にも、方言を考えることで気がつくことができます。
さて、日本語の共通語では、なぜ(4)と(5)を同じ形式で表すのでしょうか。
それは、「状態性」という共通する特徴があるからと考えられます。混同しないのであれば、共通する性質をひとつの形式で表した方が経済的です。日本語の共通語は、このような経済性を選択したということでしょう。
さて、この「〜よる」があることによって、次のような表現が可能になります。岐阜県の東濃方言から例を挙げてみます。
(8) 先生が、さっき、駅に行きょーらした。
(9) 昔は今より、寒かりょーった。
(8)は、共通語では、「駅にいらっしゃりつつあった」などと、ふつうは使わない表現でしか言い表せません。しかし、東濃地方では、(8)のような表現がふつうに行われます。便利なのです。
(9)は、特に、過去の習慣的な状況を表すために、形容詞に「〜よる」を付けて表したものです。形容詞は、そもそも状態性の述語ですから、それをあえて「よる」を付けて状態性を著すとはどういうことなのでしょうか。
それは、共通語の「〜ている」にある、進行と結果状態の用法以外を考えてみるとわかります。「毎日、散歩をしている。」のような習慣的な動作にも「〜ている」が用いられることが分かりますね。
「寒かりょーった」は、この習慣的という性質を「よる」で表したもので、過去の習慣的状態を表しているのです。
この「寒かりょーった」を共通語に訳そうとしても、やはり、共通語では、「寒くあっていた」とも、「寒くありつつあった」とも言いません(言えません)。
共通語では、いずれも不自然な表現となります。
つまり、方言の方が、共通語よりも表現力豊かに表せる形式をもっているということです。これだけでも、日本語は、共通語だけが豊かな表現を表す言語でないことがわかります。
もう少し、岐阜県方言の文法的表現を見ておきましょう。
岐阜県の中部にある郡上市は、郡上おどりで全国からファンを惹きつけますが、この方言には、全国でもここしかない表現があります。それは、方言の謙譲語形式です。岐阜県立郡上高等学校で昭和27年に刊行された『郡上方言 第一集・語彙編』から引用してみましょう。
(10) まんだ、よー かりて行かずにおる。(まだ、伺えずにいる)
(11) かりてねる。(やすませていただく)
(12) かりてあそぶ。(遊ばせていただく)
「かりて〜」の語源は、お察しの通り、「時間や空間を借りる」こと。このほか、私の調査では、「かりてみる」(拝見する)のような言い方が得られました。
ただ、実際には、現代、廃れつつあり、ほぼ、上に挙げた4つの動詞の他は、聞かれなくなりました。「一般的な形式」と言っても、語源からの制限がありますので、もともと汎用性はそれほど広くありませんでした。
そして、戦後、ますます廃れて、今や、80代以上のかたが細々と使うのみの形式となっています。
さて、方言の謙譲語というのは、それほど珍しいのでしょうか。
方言にも、豊かな敬語形式が存在しますが、それはほとんどが尊敬語の形式です。動作をする人を尊敬することは、その人物が主語に置かれて目立つことから、世界の他の言語でも使われやすい手法です。
しかし、謙譲語は、「いただく」のような特別な動詞はあっても、共通語の「お〜する」のような一般的な形式はありません。世界の言語にも、謙譲語の生産的な形式があるのは、チベット語など少数です。
それが郡上方言にはあるのです。その価値がお分かりいただけますでしょうか。
こうやって消えつつある独特な表現は、まだあります。
郡上方言には、古典の時間に習った「こそ〜あれ」という係り結びの残存とも言える「〜こされ」という接続助詞があります。
(13) 腹が減るで喰うでこされ、味はまったくせんな。(郡上高等学校『郡上方言』より)
「こそ〜あれ」が一体化し、「こされ」となり、さらに、逆接の接続助詞となっている。それだけでも、何百年もの歴史を感じます。
しかし、この表現も、もう10年以上前に小学校で調査した際には、小学生の祖父母世代でわずかに使われるだけの形式となっていました。この表現も、もうすぐ消失してしまうでしょう。
方言の中には、日本にここしかない、そして、古典語の特徴を今に伝える表現が、あります。まるで、日本語の博物館です。しかし、この博物館は、閉館間近です。
生物の学会は、「レッドデータブック」で、貴重な生物を守ろうとします。また、無形文化財のような、地域の伝統は守られようとしています。しかし、ことばはどうでしょうか。どれだけこれらの表現が貴重だからといって、国語教育で教えられることはあるでしょうか。
あ〜、もったいない。
わずかな聞き覚えがその表現を伝えていくのに、国語教育は、方言を撲滅しようとする。まさに「ここが変だよ! 国語の文法」なのです。
「共通語こそが正しい言語である」などという薄っぺらな正義感を振りかざし、地方の個性を破壊し、古くから伝わる、大切な、大切な、ことばの宝箱の蓋に釘を打っていく。
これが国語教育が目指すことばの浄化だとしたら、なんて浅薄な教育なのでしょう。
私自身は、共通語が必要でないと言っているつもりはありません。共通語と方言のバイリンガル状態が好ましいと言っているだけです。
こういうと、共通語と方言のバイリンガルなんて聞いたことがないと言う人もいます。
しかし、ヨーロッパの言語など、所詮、姉妹言語で、差は方言ほどしかないということは、前にも述べました。それが「国」という枠があるために、他国の言語と対等の地位を占めている。国という鎧がなくとも、今こそ、地方は、精神的に独立し、その守ってきた言語を含む文化を大切にする教育をおこなうべきです。
実際、地方文化を大切にする教育は行われ始めています。地方の歴史を学び、固有の動植物を守ろうとすることは始まっています。
なぜ、ことばだけが置き去りにされるのか。私にはそれが解せません。
次回は、その方言を守る国語教育について考えてみたいと思います。
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- 2021年05月25日 『ここが変だよ! 国語の文法 8.日本語方言の多様性 山田敏弘(岐阜大学)』
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8.日本語方言の多様性
前回お話ししたように、私は、日本語教師としてイタリアで教えた後に、自分の勉強不足を認識して、もういちど大阪大学大学院で勉強しようと思いました。
忘れもしない1992年春のこと。名古屋大学での恩師である土岐哲(とき・さとし)先生が、海外の日本語教師研修のためにローマまで来てくださり、将来どうしたいのかと尋ねてくださいました。私が勉強不足を痛感したことを申し上げると、勉強したいならばと、仁田義雄先生をご紹介くださったことがご縁でした。
イタリアでの任期を1年更新し、半年の浪人生活を送ったのちの1994年春、大阪大学大学院で、本格的に文法の研究を始めたのですが、幸運なことに、同じ建物の別の講座に、方言研究の第一人者のおひとりである真田信治先生がいらっしゃり、その授業も受講させていただくことができました。
多様な「ことば」への関心、アルプスの谷の小言語への憧憬の念が、地元岐阜県の谷の言語に結びついていったのは、こんな偶然から生じたものでした。
阪大での授業の終わりぎわ、真田先生から、「山田君は、岐阜の出身ですね。岐阜の方言について、どんな特徴を知っていますか?」と問われ、「関西系の表現を使うことは知っていますが、それほど面白みはないですね」と答えてしまいました。
今でも、知らないということは恥ずかしいなと思い返す瞬間です。
しかし、日本の方言の多様性について学ばせていただくうち、アルプスの谷まで行かなくても、こんな近くで研究すべき言語があるということに気がついていきました。それからは、日本語文法を積極的に学びながらも、方言研究に対する関心も昂じていくことになりました。
実は、大阪大学大学院を出て(当時の制度では、単位をすべて取得して3年以内に博士論文を提出することになっていたため、この時点では修了はしていません)、最初に勤めたのは、富山県の小さな私立大学でした。牧舎と見まがうほど自然豊かでのどかな山あいに立つ大学に、4年、素直な、それでいてどことなく自信の無さそうな学生を教えました。大雪で、何度か、車を掘り起こして帰宅したこともありましたが、楽しい、そして苦しい富山での4年間でした。
富山県は、私の出身地である岐阜県の隣県とは言え、風土的にも言語的にもたいへんな違いがある。そんなことを知っていたことが、この大学の教員募集に応募したきっかけでした。
しかし、この違いは、私にとって大ごとでした。毎日が大発見の連続だったからです。
もちろん、語彙の違いもたくさん経験しました。人口100万人の県に地元テレビ局が3局もあり、各局が競って方言を自虐する番組を作っていました。そこで多くを学ばせていただきました。
なにより、NHK「ためしてガッテン」の司会者としても高名な立川志の輔師匠が、富山方言で落語をやったりするのが衝撃的でした。学問的に上手くいかず落ち込むばかりの富山生活から救ってくれたのも、この富山方言での笑いだったかもしれません。
しかし、富山方言の本当のおもしろさは、単に1つ1つの語句の特異さだけではありませんでした。文法を考えることこそ、考えるべきことと気付いたのです。
そんな気付いたことを少し紹介してみましょう。
富山県では、文末に、「が」をよく使います。いわゆる「のだ」文に当たるのは、「が(や)」文。これだけでも、たいへん興味深く感じました。
「それは、私のです」や「もっと安いのはないの?」は、次のように言います。
(1) そりゃ、おらのがやちゃ。
(2) もっと安いがは、ないがけ。
「の」のように、名詞の代わりに用いられる準体助詞は、主格を表す「が」とともに、おおよそ、室町時代ごろまでは、連体・連用の区別がはっきりしていませんでした。つまり、主語のような述語に係っていく連用用法であっても「が」も「の」も用いられ、名詞を修飾する連体用法においても「が」も「の」も用いられる状態がありました。
今でも、「雨の降る日」と言うときには、主語の「の」を用いていますし、「わが国」や「わが子」と言うのは、連体用法の「が」の残存です。これが、方言にはさまざまに残っています。
九州では、「雨の降りゆう」と言えば、「雨が降っている」という意味です。共通語では、「雨の降る日」のように、「の」は、名詞修飾節の主語を表すためにしか使えませんが、九州では名詞修飾節でなくても、主語として「の」を使うことができます。
日本語の歴史が、現代にも息づいているのです。
富山県では、反対に「の」の代わりに「が」を使います。もちろん、「日本の首都」を「日本が首都」とは言いません。もっぱら文末の「〜のだ」相当の場合に「が(や)」を使うのです。
実際に、住んでみると、郵便屋さんも学生も、みんなが毎日、先生となって私に「が」の使い方を教えてくれました。私は、富山方言に関しては素人として富山に行きましたから、毎日が富山方言講座でした。
(3) 救急車が来るがが遅かった。(救急車が来るのが遅かった。)
(4) 僕のがはこれやちゃ。(僕のはこれだよ。)
(5) 分からんがになった。(分からないようになった。)
(6) 家におらんかったらパチンコ行っとるが思うといてくれよ。
(家にいなかったら、パチンコに行っているものと思っていてください。)
(5)などは、息子といっしょに外で遊んでいたときに、郵便屋さんが発したことばです。こうやって見てみると、単に「の」が「が」になっているだけでなく、形式名詞の「よう」や「もの(と)」まで「が」で表現されていることが分かってきます。
その他にも、文末でも「いいがけ?」(いいの(か)?)のように「の」の代わりに「が」を用います。
さらに、命令の言い方に尊敬語の助動詞「れる・られる」を入れて、「食べられ」や「あっち行かれ」のようにいいます。なぜ、共通語では「食べなさい」のように尊敬の補助動詞「なさる」を組み合わせるのに、助動詞の「れる・られる」を使わないのでしょう。
また、「よこす」に由来する「いくす」を、「与える」のように用いる地域もあります。共通語の「よこす」は、必ず第三者から「私」に対しての物の移動を表しますが、富山方言では「これ、あんたにいくすて。」(これ、あなたにあげるよ。)のように、「私」から他者への物の移動をも表します。
方言で生活する中で、そこにルールを見つけて文法として整理していく。そんな楽しい4年間を過ごすことができました。
しかし、富山の学生たちは、この「が」が、どういう場合に使えて、どのような歴史をもつのかなど、知りませんでした。方言の文法など、考えたこともない。あ〜、もったいない。4年目などは、学生たちといっしょに、富山方言の教科書づくりにも勤しみ、富山への恩返しにと『文法を中心としたとやまことば入門』(私家版)を作成し図書館などに寄贈して、私は実家のある岐阜に戻りました。
さて、隣県ですら、これほど大きな違いがあるのですから、日本語にはどれほどのバリエーションがあるのであろうか。それは、ロマンス語の発想とどう違うのだろうか。こういうことに惹かれて、次第に方言研究にのめり込んでいったのは、まさにこの経験があったからでした。
それからは、日本のさまざまな方言の研究者と交流し、東北も沖縄も九州も、どんどん「好きな土地」になっていきました。しかし、所詮は、母語ではない言語です。その土地の話者に話を伺うことをおもしろいとは思いますが、私には、内省、すなわち、自分でそれが正しい言い方かどうか判断することができないもどかしさも感じます。
結局、岐阜に戻ったことをきっかけに、岐阜県内の、ある程度、内省も効き、聞いて分かる岐阜方言の研究に取り組み始めました。富山県で調査したときは、「なんておっしゃいましたか?」と聞き返すことがけっこうありましたが、岐阜県ではほぼ皆無。いやあ、母語っていいなぁと思います。
もちろん、方言研究者の中には、自分の母方言だけでなく、日本のさまざまな言語にチャレンジしている人もいますが、私は、目的が研究ではなく、その言語をどう教育するかに関心があります。単に言語を考えるだけでなく、その先にいる人が好きなのです。
研究者は、そんな「自分の好きなこと」を突き詰めているのではないでしょうか。
しかし、一方で、母語であっても分かっていないことはけっこうあったり、こんな言い方をするのかと驚いたりで、母語の研究も意外とおもしろいものです。
そうして、岐阜方言の研究にのめり込んでいったわけですが、その岐阜方言のしくみについては、次回、お話しします。
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- 2021年05月18日 『ここが変だよ! 国語の文法 7. イタリアで日本語を教えて 山田敏弘(岐阜大学)』
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7. イタリアで日本語を教えて
私は、1990年から1993年まで、イタリア、ローマにある国際交流基金の日本文化会館日本語講座で日本語を教えていました。今回は、その経験から、日本語を母語としない人に対する日本語教育の文法と、日本語を母語とする人に対する国語教育の文法とを比べてみたいと思います。
ローマの日本語講座では、初級コースから上級コースまで、すべてのレベルを担当し、日々教えることが学ぶことでもありました。というのも、この頃は、まだ日本語教育コースが大学にできはじめた頃で、私自身も勉強の足りないまま、大学院修士課程修了後、すぐ着任してしまったからです。
私が名古屋大学大学院に進学した1988年、増え続ける国内外の日本語学習者に対応するため、名古屋大学にも日本語教育講座ができました。
と言っても、初年度は、なにかと制度がややこしいもので、私はすでに文学研究科言語学講座への進学が決まっていたため、日本語教育講座のほうは、教育学の講座を中心に聴講させていただき、教育実習も特別に参加させてもらって、こう言ってはよくないかもしれませんが、付け焼き刃での海外赴任・実戦デビューでした。
その分、行ってからが毎日、勉強勉強でたいへんでした。参考書も今ほどはなく、しかも、教科書は、国際交流基金の教科書『日本語初歩』。まったく文法説明も書かれておらず例文だけが載る、いわゆる直接法による教科書でした。
イタリア語は、多少なりとも勉強していきましたが、教室では無用の長物。イタリア語や英語などの媒介言語は極力使わず、日本語のインプットをなるべく多くする方法で教えていたので、適切な例文だけが頼りの教育でした。
これがかえって難しかったのです。
生徒はイタリア人だけではなく、アフリカや中東からの移民の若者もいました。イタリアで職を見つけるために、観光客として多く来る日本人の相手ができる日本語を身につけたいと学びに来ている人もいました。
また、多くはローマ大学で日本語を学ぶ学生たちで、ダブルスクールのような形で文化会館の講座にも通っていましたが、中には年配の趣味で学ぶ人たちもいました。
多様な学生さんに、納得のいく授業ができたか。30年経った今でも、試験で落とした人たち(特に年配の方)の悔しそうな顔が浮かびます。
海外で日本語を教えると、2つのことを学ぶ必要に迫られます。1つは対照研究です。イタリア語と日本語の違いを考えなければ、よりよく教えることはできません。もうひとつは、日本語研究自体の深化です。
対照研究は、さまざまな言語で試みられていますが、中学校で英語を学び始めたとき、まさに、誰もがこのようなことを経験していると言っても過言ではありません。主語の次に動詞が来るというだけでも、日本語の文法と違います。
このような考え方は、残念ながら、学校教育で「日本語は特殊な言語」という偏見を植え付けてしまいます。
英語を勉強する際には有効に作用している、というより、否応なく、日本語を通じて英語を捉えているため、日本語にある文法的枠組みを十分に知って英語を捉えたりするのではなく、あくまで英語を学ぶために英語の文法的枠組みを覚えようとしてしまいます。
日本語は従たる位置づけなのです。
問題は、英語の先生も、英語の文法の方が論理的だと教えてしまったり、受けて立つ国語の先生も、理論武装できていないまま白旗を揚げてしまったりすることがあることです。
対照研究は、あくまで言語に優劣を付けないで、「水平に」おこなわれなければいけません。
少し脇道に逸れましたね。私の悪い癖です。
話を、イタリア語との対照研究に戻しましょう。
イタリア語は、日本語と、語族も違えば文化も違います。語族が違えば構造が異なり、文化が違えば発想も語彙も異なるということです。また、同じインド・ヨーロッパ語族の英語とも、語派が違うため、多くの違いがあります。文法にも、やはり違いが多々あります。
それでも、文法が異なれば、それだけ発見が多いものです。英語では、あれだけ厳しく言われた疑問文での語順の違いも、イタリア語にはありません。話しことばでは、文末のイントネーションだけで違うのです。日本語と同じです。これは、けっこう楽です。
教えるときに苦労したことも多々あります。印象に残っているのは「は」と「が」の違いです。どの言語にも、新情報と旧情報の捉え方の違いを言語化する手法はあります。英語の定冠詞と不定冠詞の違いもそうです。イタリア語にも定冠詞と不定冠詞の区別はありますが、定冠詞の用法がより広い上、イタリア語では語順の違いでも新情報か旧情報かが表されます。
しかし、完全には一致しないもので、イタリア人にとって、「は」と「が」の違いは難敵でした。
(1) 私は、山田です。あの人は、ラタナーさんです。
(2) 私が、山田です。
旧情報という考え方も、理論をイタリア語で説明できないので、「私」のときは、「私は」と言う。自己紹介などでは、(1)のように言うと教えます。「は」も「が」も主語と教えている国語教育では、このような違いは考えもしませんが、日本語教師がまず説明に窮するのは、こんな「あたりまえ」の説明です。
しかし、突然、(2)のような言い方も聞いたと、学習者の方から質問が出てきます。そうすると、違いを説明しなければなりません。このコラムを読んでくださる日本語教師のみなさんにはあたりまえの、「総記の『が』」も、国語教育で習ったことはないでしょう。「だれか、この中に山田さんがいる」という情報を持っていて、そこに「私が」と特定することが新情報として提示されるとき、この総記の「が」が用いられます。その説明は、国語教育でされた覚えがありません。
イタリア語との対照研究を少しかじると、実は、イタリア語でも、(1)と(2)の区別に似たものが、語順で表されることを知ります。もちろん、完全に一致するというわけではありませんが、イタリア語では、次のような違いがあります。
(3) (Io) faccio la guida. (私はガイドをしています。)
(4) Faccio io. (私がやりましょう。)
(3)のように、主語が「私は」のように、既知情報である場合、多くは示されませんので、faccioという動詞(「する」という意味のfareの一人称単数現在形)の後に、目的語を置けばよい。一方、「私がやっておくよ」という場合、(4)のように主語の ‘io’を動詞の後に置きます。
英語では、ここまで語順が自由ではありません。英語と同じ語族であっても、イタリア語のような語順の自由さをある程度もっている言語は、違った工夫があり、そのことを知っていると、「は」と「が」の違いを教える方法も変わってくるのです。
それに、「あの人がラタナーさんであることを、最近まで知らなかった」のような、従属節の中の主語は、「は」にならないというルールも、国語教育では学びません。こういうことも、外国語と対照することで学ぶことです。
それでも、このルールは、比較的平明な説明が可能ですが、「雨が降っています」に対して、「もう雨は降っていません」と否定文になるときに「は」を使う理由は、なかなかイタリア人には分かってもらえませんでした。結局、ローマにいたときには、納得してもらえる教え方をできなかったことは、悔しい想い出として残っています。
結局、勉強不足だったという思いで帰国しました。
この思いで、イタリアから帰った後、私は、大阪大学大学院で3年間、文法を中心に学ばせてもらうことになり、同じ思いの4人で、2000年『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』、2001年には『中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック』(いずれもスリーエーネットワーク刊)を書きました。
この本は、発刊から20年経った今でも、多くの人に使ってもらっています。
勉強不足は、学びの種。種はいずれ花を咲かす。そのためにこそ、学び続けています。
こんなこともありました。講座の授業が終わって帰ろうとする学生が、「先生、こんばんは」と言ったのです。
一見、単に言い間違えたのかなと思うこの誤用は、イタリア語を知っていると簡単なことです。イタリア語の ‘Buonasera’(こんばんは)は、出会ったときに言うあいさつであると日本では知られていますが、実は別れるときにも使われます。‘Buonasera’は、文字通り訳せば、「よい晩を」ですので、別れ際に言っても差し支えありません。
教えるときに気を付けるべきことが、ひとつ増えた瞬間です。
また、生徒にこんなことも言われました。
(5) 先生は、教えるのが上手ですね。
自慢するつもりはありません。このことばを言われたこと自体、私の教え方が十分でなかったことを物語っています。敬語の形を教えたことで、敬語学習が終わったと思っていた私は、「目上の人の専門的能力は褒めない」という待遇ルールを、十分に教えていなかったのです。
生徒の誤用は、その教師の教え方の不十分さの鏡です。
外国に住むと、その外国のことのみならず、自分自身や自分自身のことばについて、深く考えるようになります。こういう相対化した視点をもてることは、「考え続ける」という楽しみをもてるということでもあります。
一方、日本語母語話者ばかりの中で、「あたりまえ」に囲まれて教えていると、こういう気づきを見落としてしまいます。国語の文法に疑問が次々に浮かんでくるのは、外国語を通して見るからこそ。私自身は、この外国語での経験を通じて、国語教育を客観視して考え、そして教えています。
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- 2021年05月11日 『ここが変だよ! 国語の文法 6. 人口数万人の母語を守るアルプス谷の民 山田敏弘(岐阜大学)』
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6. 人口数万人の母語を守るアルプス谷の民
前回は、私が外国語を学ぶことから日本語を考え始め、その視点で日本語を考え続けていることをお話ししました。外国語と対照することで見えてくる日本語の視点は、国語教育でも有効であることを示しました。
その中で紹介しなかった話が1つあります。それは、高校3年生のときに出逢った、アルプスの谷で話されるレト・ロマンス語という言語の紹介文でした。
スイスのお札には4つの言語で「スイス国立銀行」とその価値が書いてあります。スイスはスイス・フランという単位を使っていますから、次のように書いてあります。10フラン紙幣で見てみましょう。
(1) Banque Nationale Suisse Dix Francs
(2) Banca Nazionale Svizzera Dieci Franchi
(3) Schwetzerische National Bank Zehn Franken
(4) Banca Naziunala Svizra Diesch Francs
順にフランス語、イタリア語、ドイツ語、そして最後がレト・ロマンス語(ロマンシュ語)です。スイスでは、この内の複数言語に加えて英語が話せる人が多くいます。もはや、国語という概念は、ここには存在しません。「母語」があるだけです。
このレト・ロマンス語は、人口わずか数万人の話者をもつだけの言語です。日本の小さな市ほどの人口の母語話者しかもちません。
しかも、見ての通り、フランス語やイタリア語と語順も同じですし、語形も似ています。それもそのはず、レト・ロマンス語は、フランス語やイタリア語と同じくラテン語から分かれたロマンス語の1言語なのです。「複数言語」が話せると言っても、関西方言話者が共通語を話す程度のことなのでしょう。
ここから2つの疑問が浮かんできます。フランス語もイタリア語も、国境によって隔てられたそれぞれの国家の言語であるから、別々の言語となっていますが、これだけ似ている上に、同じ言語を祖先としているのであれば、「方言」なのではないのかということです。そして、レト・ロマンス語も方言差のようなものでしかないのではないかということです。
さらに、なぜ、そのようなレト・ロマンス語を、スイスは、1言語としてお札に記しているのでしょうか。
私は高校3年生の時に、この疑問をもち、その疑問を解消しようと言語学科のある大学を目指しました。結局、そのような言語を直接、専門家から学べる大学へは、さまざまな理由で入ることができず、紆余曲折あって日本語学の道に進んだことはすでに述べたことですが、この視点は、後に、日本語の方言研究を私の関心に結びつけていくことになりました。
さて、大学時代はそれこそお金がありませんでしたから、スイスに調査に行けるわけもなく、なんとか文献だけを取り寄せて卒業論文を書き上げました。今で言うとデータ整理をして活用の違いを取り上げただけの稚拙なものでしたが、いつか行ってみたいという気持ちを心に秘めて、大学院では日本語学に打ち込むことになりました。
はじめてこの言語の話されるスイス東南部のグラウビュンデン州を訪れたのは、イタリアで日本語教師をやっていた1992年。短期間に空気を味わっただけになりましたが、この人口数万人の「言語」に、さらに多数の方言があることが分かりました。谷ごとにまったく違うのですから驚きです。たとえば、「家」ということばは、casa, chasa, chesa, tgasa, tgé(tgは「チェ」のような音)など、さまざまに変わります。少し谷を走ると、いろいろな家の表札に、これらの単語が書かれています。愉しいなあ、関心を持ち続けていてよかったなあと思ったものでした。
そして、再び心に秘めて大学院に入り直し、日本語文法で博士号をいただいてからさらに10年後の2011年。大学での海外研修を得てヴェネツィア大学に2ヶ月お世話になり、その間に、スイスのレト・ロマンス語(ロマンシュ語)の姉妹言語である、イタリアのフリウリ語とラディン語の調査をした後、1ヶ月グラウビュンデン州でスイスのレト・ロマンス語であるロマンシュ語の調査をさせてもらいました。
諦めずに学ぼうと思い続けてきてよかった。率直にそんな思いで、至福の時間を過ごしました。
では、私はこういう調査でいったい何語で話しているでしょうか。
実は、英語ではありません。中学時代から熱心に学んできた英語は、恥ずかしながら、結局、得意な言語にはなりませんでした。いやいや、それこそマウントを取るつもりはありませんが、今の共通テストに当たる共通一次試験では200点満点でしたから、苦手ではなかったと思いますが、それは当時、まだリスニングがなかったことが幸いだっただけでした。文法は得意でしたが、実際に通じる話しことばを身につけるには至らなかったのです。
とにもかくにも、英語と日本語とでは、発音が違いすぎます。英語の単語末に来る子音だけの音、これが私には聞こえないのです。
その点、イタリア語は、音節の作りが日本語に似ています。オペラの多くがイタリア語で書かれているのは、すべての音が母音によって響くため。日本語話者には聞き取りやすく発音もしやすいという特徴があります。
それにくわえて、イタリア語には、非人称構文のSiを見かけの主語にした構文があります。日本語では、よく主語を省略します。
(5) イタリアでは、たくさんの種類のパスタを食べる。
(6) In Italia si mangiano varie paste.
主語が省略されている場合に、何も考えずにsiを置けばよい。こんな文法も、日本人には楽に感じます。
日本語教師としてイタリアに3年住んだ後だったので、少しはイタリア語が話せるようになっていた、そのことが私の心の中の国境をなくしてくれたのです。イタリア語という言語を手に入れると、スペインでもフランスでもスイスでも自由に旅ができます。
さて、2011年の調査では、リア・ルマンチャ(Lia Rumantscha)という言語研究所、そしてこのグラウビュンデン州の小学校を訪ねました。
この小さな谷の言語には、経済的に優勢なドイツ語に分断され、州内に互いに離れた4つの方言があります。わずか数万人の話者人口にもかかわらず4つの方言差。このままでは1つ1つの方言が順番にドイツ語に飲み込まれていくだけです。
そこで、リア・ルマンチャは1982年共通語であるルマンチュ・グリシュン(rumantsch grischun)を提案しました。4つの方言で全部同じ語形を使っていれば問題ないのですが、3つの方言が同じで1つだけ違う場合には、その3つの方言の語形を共通語として採用し1つの方言では新しい語形を採用することになるというわけです。
当然、使い慣れた語形を奪われる方言話者は反発する。大同小異と言えば聞こえはいいですが、なかなか共通語を定めるのも一苦労。しかし、定めなければ衰退必至という状況で、話者たちは呻吟し、ようやく共通語ルマンチュ・グリシュンでの教育が始まりました。
さて、国語教育の話をしているのに、なぜこんなアルプスの小言語を取り上げたかというと、「母語」を考えるためです。私も、このように共通語の日本語で文章を書きますが、ふだんは岐阜方言を話します。私にとって「母語」は、岐阜方言のうちの岐阜市方言です。
しかし、岐阜市方言には、書きことばがありません。人口40万人の岐阜市のことばは、人口数万人のレト・ロマンス語ができていることができないのです。
一方、岐阜県の教員は、意外と岐阜方言で教えています。「そうやね〜」や「みんな、見とってね」とか、方言で教えています。そこには、固有の語彙もあり文法もあるのです。
このような方言で教えることを、いけないことと言う人もいるかもしれませんが、小中学校で子どもとの距離を縮めるために方言を使うことは悪いことではありません。この点については、また後日述べたいと思います。
さて、スイスに戻りましょう。
第二次世界大戦後最初の冬のオリンピック開催地としても知られる、スイス有数の観光地サン・モリッツ。最近では、ここを始発としてマッターホルン麓のツェルマット(Zermatt)まで走る氷河急行(Glacier Express)で訪れた人もいらっしゃるかもしれません。
しかし、この特急の起点から数キロと離れていないところで、こんな言語を巡る戦いがあるなんて、観光客のほとんどは知りません。知らなければ知らないだけですが、この谷の人々は、生活とプライドの狭間で言語の選択を迫られているのです。
その答えを求めて訪ねた小学校では、低学年では地元のロマンシュ語ですべての教科が教えられ、徐々に広域で生きていくためのドイツ語が教えられる、というよりも、ドイツ語で教科が教えられていくしくみになっています。
いずれ大人になれば主たる言語でなくなるかもしれない母語であるロマンシュ語を教わる子どもたちは、なぜこのことばを学んでいるのでしょうか。
尋ねた少女の答えは明快でした。「だって、私たちの言語だから」。
この谷の言語を、私たちの母方言に置き換えて考えてみたらどうでしょうか。私たちは、より好んで母方言を捨て去ろうとしてはいないでしょうか。そして、方言には、野卑なことばと崩れた文法しかないと思っていないでしょうか。
私たちは、日本語共通語を読み書きし、そして聞き話すようになっていく中で大切な母語を失おうとしています。その母語(母方言)の語彙も文法も、あらためて学ぶこともありません。もし、学ぶ機会を得たとしても、アルプスの小学校の少女と同じように「だって、私たちの言語だから」と言えるのでしょうか。
国語教育は、明治の富国強兵の時代からずっと統一の方向性をもってなされてきました。そして、かけがえない母方言という豊かさを抹殺しようとしてきたのです。その愚かさは、アルプスの谷で学んだ、大切ことのひとつでした。
私自身、岐阜市出身の母語は岐阜方言です。今でも、家族や気安い友だちと話すときは岐阜方言を話します。日本語の共通語と岐阜方言のバイリンガルという立場が、山田敏弘という個性を形作ってくれています。英語は苦手であっても、私には、それが自慢です。
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- 2021年05月04日 『ここが変だよ! 国語の文法 5. 外国語学習は日本語を意識するきっかけ 山田敏弘(岐阜大学)』
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5. 外国語学習は日本語を意識するきっかけ
国語の問題です。空欄に適当な接続詞を入れてください。
(1) 国語が苦手だった。 、国語の先生になった。
答えは、「しかし」でしょうか。しかし、「だから」でも、あるいは、「そして」でもかまいません。文法には答えが1つだけでなく、2つ以上あることもあります。
国語が苦手なことは、前にも述べました。私の場合、この四角に入ったのは、「だから」でした。
国語が苦手だったから、英語の勉強が好きになりました。英語の学習には、明確なルールがあり、単語は覚えれば点数も取れる(国語はそうじゃない)。そう思っていたのは事実ですし、外国語への憧憬の念は、やがて、英語をはじめとした西欧社会の源流とも言えるラテン文化へと繋がっていきました。
高校に入ると同時に、スペイン語、フランス語と、NHKの語学講座にはお世話になりました。家庭用ビデオデッキが普及し始めた時代のことです。毎週眠い目をこすり深夜の放送を見て聴いていたのですが、困ったのは修学旅行でした。ビデオデッキを買う余裕のなかったわが家では、録画することもできず、旅行中に先生に頼み込んで、先生の部屋でフランス語講座を見せてもらいました。
西欧のさまざまな言語を学ぶと、英語ばかりに傾倒していた頃とは異なり、英語が相対的に見えてきます。「な〜んだ、英語はフランス語起原の単語が多いなあ。そのフランス語も、スペイン語に比べると、ずいぶん訛ってるなあ。」なんて、俯瞰する目も出てきました。
言語を学ぶということがおもしろくなったのは、この高校生の頃です。
言語学を学ぼうと名古屋大学に入って、中国語や韓国語といったアジア系の言語を学ぶと、なおさら、日本語が見えてきました。
そして、大学3年生の頃、このまま外国語をかじっているだけでは就職に結びつかないと悩んでいたときに、恩師の土岐哲(とき・さとし)先生から「日本語教師」にならないかと誘いを受けたのです。
こうして、私にとって苦手だった「国語」が、客観的に外国人に教えるための「日本語」になりました。そのとき、退屈であった国語の文法が、教えるために知っておくべき勉強の対象となったのです。
細かいこともさることながら、いちばんショックだったのは、これまで分かっていることを覚えるべきと思い込んでいた日本語(国語)の文法が、まだ分からないことも多い未開の地であったことです。考え始めると、「日本語はおもしろい!」と思えるようになります。
日本語教師となるべく勉強していた頃の問題に、次のようなものがありました。
(2) 雨が降るから、 。
(3) 雨が降るので、 。
この違いを教えるというものです。このコラムを読んでくださる日本語教師の皆さんには当たり前のことですが、国語教師の皆さんはどうでしょうか。
現在、勤めている国語の教員養成の現場でこのような話をしても、違いを明確に話せる学生は、誰一人いません。日本語教師を目指し始めた頃の私も、そうでした。
日本語を母語とする者にとっては、考えることもない違いです。当然、国語教育で学んだこともありませんでした。
しかし、日本語を学ぶ外国語を母語とする人からは、この違いをよく問われます。
「雨が降るから」と「雨が降るので」の違いなどは、主観と客観の区別があって「雨が降るから」には、「傘を持って行きなさい」のような話者の考えが示されることが多く、「雨が降るので」は「水かさが増してくる」など、より客観的な事実が来ることが多い。そんなことも、20年日本人を生きてきた自分は知らなかったのだと思いましたが、ガッカリするどころか、むしろ燃えました。
国語の文法を長年学んできたにもかかわらず、日本語母語話者がいかに日本語のしくみを知らないかは、こんな「から」と「ので」の違いを尋ねるだけでもわかります。国語の文法教育では、これらに接続助詞とラベルを貼るだけで違いを習ってきていないのだからしかたがありません。こんな違いを考えることもなかったですし、さらに言えば、考えることも要求されなかったのです。違いを知らなくても、しかたがないことです。
しかし、日本に住む外国人が300万人に届こうとしている国際化の時代に、「しかたがない」では済まされません。さらに、このような国語教育が、日本語には文法がないという劣等感を日本語話者に植え付けているのだとしたら、残念なことです。
学校では、なんのために国語の文法を教えているのでしょうか。
前回も述べたように、物語文をしみじみ鑑賞し感想を偏重する。その上、理論を教えない国語教育の現場を、生徒として私は体験してきました。それが、どのような結果を生み出すでしょうか。古典の知識や小手先の教授法だけが重宝されて、論理的思考を鍛えることを怠っていきます。
その結果、国語教育は、経験を積んだ先生の「職人芸」あるいは「名人技」となっていきます。小中学校の授業を見ていても、どんな答えでも「いいで〜す」や「同じで〜す」とばかり流してしまい、何も解法は教えないから考えない。国語の研究授業を見せてもらい後の研究会に出ても、集団指導の方法は話し合われるが、解答の正しさも解法の適切さも棚上げ。
これじゃあ、国語がまっとうな教科になるわけもありません。そのことは、数学で同じことをやったらどうなるかを考えてみれば分かります。
「国語の授業で何を学びましたか」と問うて、生徒はどう答えるでしょうか。もちろん、想い出に残る教材があって、結果として人生には大きな意味があることかもしれません。それも人生において重要なことであることは否定しませんが、「何ができるようになりましたか」という答えにはなっていないはずです。
今こそ、国語の授業は変わるべきときなのです。
そのよい方法は、日本語を母語としない人に教えるつもりで日本語を見てみることです。外国語と相対的に日本語を見てみることから見えてくるものは、たくさんあります。私自身は、英語の他に、フランス語やスペイン語から始めて、中国語や韓国語も学んだからこそ気づく日本語の特徴がいくつもあります。
それはまたいずれかの機会にお話しするとして、最初の「から」と「ので」の違いに戻りましょう。
「から」と「ので」の違いを、客観・主観で覚えたとしても、そもそもそれをどう納得してもらう説明ができるでしょうか。
私自身は、「だろうから」のように推量という主観的なことばに、「から」は続くけれども「ので」は続かない。また、「こそ」のような話し手の主観を込める取り立て助詞(副助詞)は、「からこそ」と言うことはできても、「のでこそ」と言わない。このような具体的な例を挙げて、主観と客観の差を説明しようとしています。
さらに、次のような問題も持ち上がります。
(4) 雨が降るようですので、 。
(4)には、主観的な「傘をお持ちください」が続きます。「ので」に主観が続くとの反例が出てくる。文法の本当のおもしろさは、ルールが単純でなく複層的である点です。丁寧さというルールが優先されることで、「から」よりも丁寧な「ので」が使用される場面もあるのです。
世は、知識だけでなく思考力を問う時代。こういうことに気付かせる文法教育が、これから国語でも必要となってきます。
それだけでなく、生徒たちにとっても、このような日本語の具体的な類義語の違いを考えることは、けっこうよい勉強方法ですし、何より楽しいことでしょう。
私は、外国語を学ぶことから、日本語を相対的に観て、日本語の分からないことをたくさん発見しました。そして、だからこそ楽しいと思い、研究を続けてこられています。「分からない」は楽しい。だから、学び続けましょう。
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- 2021年04月27日 『ここが変だよ! 国語の文法 4.敬語だけでは役立たない 山田敏弘(岐阜大学)』
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4.敬語だけでは役立たない
学校で教える文法項目のひとつに、敬語があります。
この敬語が、なかなかくせ者で、知識を教えたいのか、使えるような運用方法を教えたいのか、それが分からないまま、小中学校で教えられているような気がします。
さらに、平成29年には、新しい学習指導要領で新しい敬語の枠組みが示されました。
今回は、この敬語について考えていきます。
平成19(2007)年、文化審議会が「敬語の指針」という答申を出しました。それまで、「話し手を低めて動作の相手を立てる」と考えられていた謙譲語が、2つに細分化されました。
1つは、「自分側から相手側又は第三者に向かう行為・ものごとなどについて、その向かう先の人物を立てて述べる」謙譲語であり、もう1つは、「自分側の行為・ものごとなどを、話や文章の相手に対して丁重に述べる」謙譲語II(丁重語)です。言い換えれば、「相手を立てる」部分と「話し手を低める」部分とが、分離されたわけです。
学校教育では、それまで教えられてきた教科内容を新たに定義し直すことが至難の業です。日本語学ではずいぶん前から正しいと考えられてきたことが、正しいと教えられるようになるまでに、20年もの歳月がかかることがあります。この謙譲語の再定義は、まさにこの一大事業でした。
謙譲語の古い定義は、一見して、冗長です。よくこの定義を図示して説明しますが、話し手のところに穴を掘れば、それだけで動作の相手は高められます。「話し手を低める」か、「動作の相手を立てる」か、それぞれに別の種類の敬語だったのです。
それに、謙譲語の基本形式「お〜する」は、自動詞にはつきません。次の文は、変ですね(文頭の「*」アスタリスクは、非文法的な表現であることを表します)。
(1) *私は、昨晩、ぐっすりお眠りしました。
(2) *〇〇先生の具合が悪いようなので、私が代わりにお走りします。
なぜ、謙譲語の一般形式である「お〜する」を用いて、「お眠りしました」や「お走りします」などと言えないのでしょうか。これまでの謙譲語の定義では、うまく説明ができませんでした。謙譲語には動作の相手が必要だったです。すなわち、謙譲語の定義は「相手を立てる」敬語となります。
「話し手を低める」の部分は、「参る」や「申す」のように、場に対してへりくだった表現までいっしょのグループに入れて考えようとするから、冗長な「話し手を低めて動作の相手を立てる」という定義が必要だったのです。この再定義により、「伺う」や「申し上げる」のような謙譲語と、「参る」と「申す」のような丁重語の区別が明確になりました。
まあ、このようなことは、すでにご承知のことかもしれません。しかし、ここで問題なのは、国語教育の反応の遅さです。
謙譲語が二分されること自体は、20世紀の内に日本語学の世界では、おおよそ知られていたことです。しかし、ようやく答申が出されたのは2007年。さらに、この区分が答申されれば教育現場に降りてくるのも時間の問題と思っていたのですが、学習指導要領の改訂がタイミング悪しく、平成29(2017)年まで遅れ、中学校教科書に反映されたのは、ようやく令和3(2021)年のことです。
学校教育がいかに保守的かが分かります。学問的に間違っていることは、速やかに改めるべきなのにです。昔、「過ちては改むるに憚ること勿れ」と習ったのは、紛れもなく、国語の時間でした。
過ぎたことをとやかく言ってもしかたがありません。また、学問とは、常に誤りを正して進化するものです。私自身も、誤ったことを書いたこともあります。
それでも、これから敬語を教える先生方は、この謙譲語に関する知識をアップデートして教える必要があります。余談ですが、こういう知識のアップデートのために、教員免許状更新講習はあります。自分自身で敬語をよく学んで、謙譲語と丁重語の区分をご存知である先生には、免許状更新講習は要らないでしょうが、そういう先生は一部であるということも付け加えておきます。
さて、今回の改訂でも直されなかった点があります。それは、「敬語」の改訂に留まったことです。このことを検証してみましょう。
ある日、高校生の娘が、母親にこう言いました。
(3) お母さん、お弁当、作った?
これは失礼ですよね。では、学校で習った尊敬語を使えばいいのでしょうか。
(4) お母樣、お弁当、お作りになりましたか?
よそよそしさが増しただけで、私のお弁当を作ってくれた感謝の気持ちは相変わらず示されていないと感じられます。
では、会社ではどうでしょうか。秘書が社長に尋ねます。
(5) 社長、決裁をなさいましたか。
こんなせき立てるように言う秘書は嫌ですよね。
尊敬語を使うことだけでは、相手を正しく待遇しているとは言えません。学校で教えている敬語だけでは、不十分なのです。
さらには、「お茶が入りましたよ」という言い方も、「勝手に入るわけがないのに」と文句を言う人さえいます。「結婚することになりました」と言えば、「自分で決めたんじゃないの?」とさえ言われます。
まったく日本語のしくみがよく理解されていません。悲しくなります。
それでも、学習指導要領には、相変わらず「敬語」だけが示されていて、恩恵表現や自動詞表現が聞き手や動作の相手を正しく処遇する表現であることを教えていないのです。
さらには、誰かが「暑いよね」と言ったら、窓側に座っている人が少しの労力でその不満を解消できる立場にあっても、「そうだね」と同意を示すだけで十分で、そこに「窓を開けてくれ」という要望を感じ取ることも教えていない。これは、発話内行為(illocutionary force)と呼ばれるれっきとした「表現された要求」であるにも関わらず、「そんなことが言われていない」とはねつける。
これが学校教育の目指す敬語教育であれば、不十分極まりないことは言うまでもありません。そういう教育を見過ごしておいて、「最近の若者は気が利かない」とか、「ことばを額面通り受け取る」とか言っても、「そりゃ学校で教えてこなかったんだからしかたないようね」としか言いようがありません。
学校の敬語教育は不十分なのです。
「お茶が入りましたよ」が、動作主をぼかして結果だけを示すことで丁寧さを表した表現であることは、尊敬語の助動詞「れる・られる」が本来、自発の意味から発したことと同じ原理です。「れる・られる」は、受身にも用いられるように、動作をする人を主語から外します。「入る」や「なる」のような自動詞は、受身と同じような機能をもっています。
こういうことを教えておくことも、国語の文法教育の役割ではないでしょうか。積極的に学校教育で教えてほしい事項です。
しかし、そこまで本質的なことを語れなくとも、少なくとも、「お母さん、お弁当、作ってくれた?」のような恩恵表現を、学校教育の「敬語」の延長線上に置くことは難しくありません。それは、謙譲語と丁重語の区別を新たに導入することよりも簡単なことです。
それとも、学校教育で教える「敬語」は、入試のための区別こそが教えるべき内容であり、実際の社会で役立つことは目指されていないのでしょうか。そんなことを考える教師はいません。いたら、それは「教師」ではないでしょう。
尊敬語、謙譲語、丁重語、丁寧語、美化語という敬語に加えて、恩恵表現などを入れた待遇表現を適切に用いてコミュニケーションをすること、それが、学校教育という場を離れた後、社会人に求められるスキルなのです。
大切なことは、誰のために待遇表現を使うのかということです。学校教育、特に中学校で敬語を取り上げると、尊敬されるべき存在は、教える教師側でしかありません。そうなると、よい言葉遣いをすること自体が、先生を敬えと言っている押しつけにしか生徒には聞こえません。こんなことを反抗期の生徒たちが学びたいと思うでしょうか。そんなことは、あり得ません。
敬語を含めた待遇表現を使いこなせること、それを、生徒自身のためになると分かってもらわなければ始まりません。
皆、大人になったらお化粧をするでしょう。男性であっても、髪の毛に気を遣ったり肌の手入れをしたり、若い人なら皆、ふつうにしています。強力な個性を発揮して野卑なことばだけで生きていける人もいるでしょうが、身だしなみを整えることで相手によく見せたいという気持ちがあれば、ことばの身だしなみ、すなわち待遇表現を身につけることは、自らが欲するものになるはずです。
敬語を含めた待遇表現は、生徒自身がよりよく生きるためのもの。このような精神で、子どもたち自身の役に立つ文法を教えるように考えるといいですね。
自らのよりよい人生のための言葉遣い。そのための敬語、そして待遇表現の教育であるために、感謝の気持ちを表す恩恵表現をぜひ学校教育に取り入れ、ある程度使えるようになって社会に出られるようにすることを目指していきましょう。
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- 2021年04月20日 『ここが変だよ! 国語の文法 3.文法で読解力を付ける! 山田敏弘(岐阜大学)』
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3.文法で読解力を付ける!
前回は、学校文法の矛盾をお話ししましたが、文法が国語教育の役に立たないわけではありません。今回は、そのことを、国語の読解教材を取り上げて説明したいと思います。
このコラムを読んでくださるような皆さんはご存じかもしれませんが、学校で教わる国語教材には、大きく分けて、物語文と説明文があります。どちらも、読解力が問われます。
しかし、読解力はどうやって付けたらよいのでしょうか。国語の先生は、どうやって「力」を付けてくれているのでしょうか。
まず、物語文から考えてみましょう。
物語文には定番教材があって、何十年も同じ教材が使われることもあります。研究授業でも頻繁に取り上げられる、まさに国語教育の花形です。
だからこそ、「伝統的な」教え方がいまだ行われてもいます。
「ここで、筆者はどう考えたか、話し合ってみましょう。」
中高生の頃、「ここで筆者はどう考えましたか」とか、「登場人物の心情を考えましょう」というような問いが繰り返されて、ひねくれた少年だった私は、「そんなの筆者(登場人物)に訊かなきゃわかんないよな」と思っていました。
どこかの作家も、自分で書いた文章をもとに「筆者の考え」を選ぶ問題が解けなかったとのことを書いていましたが、こういう問いは今でも教室で耳にします。
「どうしてそういう答えになるのですか」という問いに明快な答えを与えてくれた国語の先生は、残念ながら覚えていません。論理で答えを導けない国語で点を取ることは、最初から諦めたものでした。
先に述べたように、「考え」や「心情」を児童生徒に言わせるだけの授業は、残念ながら、今でもあります。読み取ったことを言わせること自体、何も問題はありません。しかし、いちばん残念なのは、根拠なく言わせて終わりであること。そして、国語はこれでよいのだとばかり、多様な意見を黒板に書き連ね、それでまとめもせずに授業が終わることもあります。
このコラムを読んでくださる方の授業は、きちんと、板書に分析を加え、考えの「根拠」を説明していらっしゃると信じますが、私が見る限り、説明責任は十分に果たされていない授業もあるのです。
このような授業が続けば、私のような国語嫌いの中高生はいなくならないでしょう。
一方で、説明文は、明快とまではいかなくとも、主張したいことは分かりやすく書かれています。分かりやすく書かなければ伝わらない悪文なのですから、教科書に載るほどであれば分かりやすいに決まっています。
教科書には、理科系の著者による、少し文章型として崩れていたり文法的にくどかったりする文章が載っていますが、それでも分析のしやすさは物語文より格段にましです。私には、物語文よりも説明文の方が性に合っています。
だからと言うわけではないですが、大学で国語教材を対象とした文法分析をし始めた当初、物語文の分析は避けてきました。ただ、国語を感覚ではなく論理的に説明できる学問にするためには、やはり物語文も説明文も、どちらにも語彙力と文法力が必要ですし、何と言っても、物語文こそ国語授業の花形教材なのですから避けては通れないと、ほどなく取り組むようになりました。
では、少し具体的な教材から、読解に文法が役立つことを示していきましょう。
説明文には、文章の型が分かりやすい形で存在しています。段落頭には、接続詞やそれに準ずる接続表現があって、段落末の重要な部分は、「〜のです」で要約されることが多くあります。
(1) 原爆ドームは、原子爆弾が人間や年にどんな惨害をもたらすかを私たちに無言で告げている。(中略)世界の人々に警告する記念碑なのである。
(光村小6 大牟田稔著「平和のとりでを築く」より)
「無言で告げている原爆ドーム」を「記念碑」と言い換えてまとめていることを表す装置として、「のである」が用いられています。
このような要点に着目して、「たとえば」で具体的に説明が加えられる部分は枝葉の部分であると、そぎ落としていけば、自ずと文章の幹が見えてきます。その幹の中に、対立する概念を見いだせば、おおよそ主張したいことは見えてきます。
こうやって説明すればはっきりするでしょうが、説明文は文法が分かりやすく使われています。文法は、説明文の読解には、役立っている!という実感を得やすい存在です。
実際、教員免許状更新講習で、接続表現についてはご存じでも、文末の「〜のだ(のです)」の機能を説明すると、「大学では学ばなかったこと」と、文法の新しい知見を、おおよそ好意的に受け止めてもらえます。
文法とは、所詮、人間の言語活動からルール化できるものを抽出しただけの存在です。それを使って我々は話し書き、そして聞き読んでいるのですから、文法のようなことばのしくみを知っていると、よりよい言語活動ができるのは当たり前のことなのです。
ここにこそ、国語で文法を学ぶ本当の意味があります。
こうやって書いてくると、学校で学んでいる文法は、大半が不必要なことを学んでいるように見えてきます。五段動詞か一段動詞かの区別、一段動詞を上一段と下一段に分けなければいけないのか、「書ける」は1語か2語か、などという知識も、実は、母語話者には、何のための知識か、分からないのではないでしょうか。
もちろん、これらの知識も、役に立つときには役に立ちます。これらは、むしろ日本語を母語としない人に対する日本語教育で有用なのですが、この話はまた後日致します。
さて、説明文では有用な文法という概念は、物語文でも役に立つのでしょうか。
答えはYESです。
ただ、学校で学んだような文法ではなく、新しい文法的知見を使わなければいけません。
過去・完了の助動詞「た」は、物語文の中で、ページをめくるように場面を切り替える際に使われます。小学校2年生で定番のアーノルド・ローベル著・三木卓訳の「お手紙」では、「かえるくん」の急ぐ様を「た」は見事に表していますし、工藤直子著の「ふきのとう」などは、ページ頭の場面が切り替わる箇所で、分かりやすく「た」が使われています。(詳しくは『国語を教える文法の底力』(くろしお出版)をご参照ください。)
「た」に着目して読むだけで、しくみ、すなわち文法が生き生きと踊り出すこと間違いなしです。ぜひ、実際の教材を、「た」という観点で読み直してみてください。
その動作に直接「た」が付く述部と対比される形で、持続を表す形式の「〜ている」を組み合わせた「〜ていた」が使われていれば、その動作や変化は持続的であることを表します。物語の中の時間の流れ方を味わうには、この文末に用いられる「た」を、単に「過去・完了の助動詞」というレッテルを貼るだけではなく、持続を表す補助動詞「〜ている(〜ていた)」と比較しながら、その機能を正しく理解し、登場人物や背景に流れる時間の解釈に応用する態度が求められるのです。
「た」については、日本人の日本語文法に対する誤解につながっていることもあります。
さきほど取り上げた「た」は、時に、「過去なのに『た』を使わないなんて、日本語は非論理的な言語だ」という、言いがかりも耳にします。
芥川龍之介の「羅生門」でも、光村図書の定番中学校物語文教材「大人になれなかった弟たちに…」(米倉斉加年著)でも、どんな小説でもよいので、過去を描写している場面を読んでみてください。「た」は、すべての過去の文に使われるわけではありません。
過去として描かれているのにもかかわらず、「た」が使われていない文が一定割合含まれている。これは、日本語の文法が不完全だからでしょうか。
いえ、そんなことはありません。より複雑なルールがあるだけです。
「た」が使われていないのは、状況を表す、多くは「です」で終わる文です。動作や変化を表す動詞の文では、「た」がきちんと使われていることが分かります。状況のような背景は、時間が進む書き方をしないために「た」を用いず、主筋となる動きの文が「た」で時間を進めていく。こういう文法に、日本語はなっているのです。
これを「時制の不一致」などと言うのは、こういう日本語の細かな文法を知らない人。日本語を英語など外国語の文法で考えようとする人です。
実際、英語を学んで初めて文法を知ったという人は多くいます。私もそうでした。それだけ、国語の文法は、知って価値あるものとは思われていないのでしょう。残念なことです。
しかし、文法とは、個別言語の体系の整理ですから、言語が違っても同じところもあれば、違うところもあります。いちばんやっていけないのは、英語の文法が正しくて日本語の運用が間違っていると考えること。国語の先生は、「日本語には日本語の文法がある」とはっきり言わなければいけません。
「ありがとうございました。」や「おめでとうございました」が間違っているなんて思っている国語の先生は、いませんよね!?
またまた少し脇道にそれてしまいましたが、物語文を読み解くには、文法が有効な証拠は、「た」以外にもまだまだあります。
小学校6年生の宮沢賢治著「やまなし」では、補助動詞で空間の広がりが掴めます。「〜ていく」は乖離、「〜てくる」は近接、そして忘れていけないのは、「〜ている」がそのどちらでもない動きとして捉えられます。近接は緊張につながり、乖離は緩和を表します。このような解釈は文学の領域ですが、文法は事態展開の整理方法に明確な指針を与えてくれます。
また、小学校1年生の読解教材ともなっている中川李枝子著「くじらぐも」では、子どもたちのがんばりに雲のくじらが応える場面があります。
子どもたちを主語にした文に続いて、「くじらぐも」が発することばで、くじらぐもが主体となった動作が行われたことが示されます。これがもう一度繰り返されたのち、最後は子どもたちの動作を受けて、「かぜが、みんなを空へふきとばしました」という文があります。
この1文に疑問を抱かないでしょうか。子どもたちが主語の文の後ならば、「みんなは、風に空へふきとばされました」と言ってもよいのでしょうが、なぜ、能動文を使っているのでしょうか。
書いてある通りに読んで、子どもたちに輪にならせて3回ジャンプさせているのもよいですが、ここで、能動文使用の謎を解き明かし、ホップ、ステップ、ジャンプという3段階の「子どもたち」と「くじらぐも」との呼応が完成すると考えなければ、きちんと解釈できたとは言えないでしょう。
このような解釈には、主語の交代と能動・受動というヴォイスという文法知識が必要です。単に「れる・られる」を受身・尊敬・自発・可能と覚えるよりも、どのようなときに受身を使うのか、また、使わないのかを考えると、物語文がよりいきいきと息づいてきます。
学校で自ら教えている文法が、説明文でも物語文でも、その分析に役立つことになっていない。このことが、国語教育における文法の最大の問題点です。
ただ、言い換えれば、読解に文法をどう活かすかが、これからの国語教育でいちばん面白くなってくるところなのかもしれません。
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- 2021年04月13日 『ここが変だよ! 国語の文法 2.国語文法は疑問で満ちている 山田敏弘(岐阜大学)』
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2.国語文法は疑問で満ちている
小中学校の国語教育に携わっていると、答えに窮することを問われることも多々あります。今では、その大半に答えられるようになりましたが、日本語学を国語教育と結びつけずに考えていた頃には考えなくても済んでいた問いを考えるきっかけを、20年前、教育学部で教え始めた頃から、少しずつもらってきたように感じています。
たとえば、主語は、小学校2年生で「述語」ということばと一緒に教えますが、これを小学校2年生の児童に分かるように説明することは、並大抵ではありません。
多くの教科書には、「何は/誰はどんなだ」や「何が/誰がどうする」の「何は/誰は」や「何が/誰が」の部分が主語だと書いてあります。日本語学の精緻な定義よりも、小学校2年生の児童に対しては、この説明がよいだろうと考えますが、このように具体的な形式を挙げての説明は、いつの間にやら、「『は』や『が』が付くことばが主語である」という捉え方にもズレていきます。
こういう説明をした後で、絵を見ながら主語と述語の例文を子どもたちに言わせると、どんな答えが出てくるでしょうか。
(1) リンゴが好きです。
(2) 風船は、色が赤いです。
成人に対する日本語教育では、「リンゴが好きだ」の「リンゴが」が主語でないことは、比較的、理解されやすいでしょう。それは、感情の向かう対象であって、感情をもつ主体でないなどの説明でもできますし、外国語と比較して、 ‘I like apples’.の ‘apples’は目的語だからと説明しても、理解されやすいからです。しかし、ことばの仕組みをこれから学ぼうとしている小学校2年生には、「リンゴがなっている」と「リンゴが好きだ」の「リンゴが」が、主語と目的語と区別されることなど、説明できませんし、求められてもいません。
また、(2)のような文だと、主語が2つあると言うことにもなりかねません。言語学でよく知られた「象は鼻が長い」は、「長い」のは何かと言えば、「鼻が」と答えられることから、いちおう、「鼻が」が主語と答えていますが、形式だけを見れば、かつての「双主語」などという考え方もされかねません。
さらに、ここで、主語があるかないかを論ずることは、たとえ、その問いに学問的価値があったとしても、国語教育では不要なこと。学習指導要領に明示されている主語は、存在するものであることを前提に、それをどのように教えるかを考えることが、教科内容の研究として重要なのです。であれば、「何は(どんなだ)」や「何が(どうした)」と、形式から教えるしかないのです(ここは、現職の先生方から反論があるところかもしれません。どうぞ、反論をしてください。お待ちしております)。
そうは言っても、中学校になると、正しいかどうかも問われぬまま、長年の慣習で教えられてきていることもあります。前回例に挙げた「まで」が格助詞に入るか否かということは、現在、学校文法で教えられていることが明らかに間違っているにもかかわらず、いまだに直されない「誤り」の1つです。
(3) 宿題を忘れて弟にまでバカにされた。
(4) 宿題を忘れて家まで取りに帰った。
学校文法では、「まで」は副助詞として扱われています。その副助詞は、「弟にバカにされた」の「弟」を「バカにされたくないもっとも極端な例」として取り立てる場合の用法であり、(3)の場合にはその主観的な捉え方がはっきりしています。しかし、(4)もそうでしょうか。もちろん、「家にまで」と言えば、「遠いのに」など主観的な意味も出てくるでしょうが、単なる「家まで」には、極端さは表現されていません。むしろ、「家へ取りに帰った」と言えば、「へ」が格助詞ならば、「まで」も格助詞と言わなければ不思議です。
なぜ、このような「誤り」が質されないでいるか、これは、国語教育に関わる多くの人の怠慢であると、私自身は考えています。しかし、「責任者出てこい」と叫んでも意味のないこと。むしろ、これを考える国語教育のきっかけにしたらよいのではないでしょうか。そのまっとうに考える教育の成果として、「学校から家まで歩く」の「から」が格助詞ならば、「まで」も格助詞だよね、と導き出せる教育が行われればよいと思っています。
それよりも根深いのは、授業方法の問題です。「まで」を副助詞のまま置いているのは、何も知識としての「誤り」の訂正を怠っているからというよりも、考える教育をしていない多くの国語の授業に問題があると言わざるを得ません。知識習得ばかりに重点が置かれている教育がここにもあります。
学校文法には、このような、考えることを放棄された問いがたくさん転がっています。まるで、日本の方々に見られる耕作放棄地のようで、私は、こういう思考放棄問題こそ、現在の学校の文法教育の最大の問題点だと考えています。
「だ」も問題です。何も考えずに「断定の助動詞」というレッテルを貼っていないでしょうか。中学校で「本当に断定なのか」と問うているような学校は、ほんの特殊な少数でしょう。いくら、考える教育が必要だと言っても、こんな思考放棄問題をのほほんと提示しているのでは、困ります。
「だ」に関連して言えば、「だろう」を「断定の助動詞『だ』の未然形『だろ』に、推量の助動詞『う』が付いたもの」と説明して、説明した気になっていることもあります。この何が問題かにも気づけないでいるようでは、考える教育は、絵に描いた餅に終わります。
『広辞苑』によれば、「断定」とは「はっきり判断をくだすこと」であり、「推量」とは「おしはかること」とあります。この「おしはかること」も漢字で書けば「推し量る」なので、この説明自体はあまり意味をもちませんが、「おしはかる」も『広辞苑』には、「既知の事柄をもとにして、未知の事について見当をつける」とありますので、そちらの記述を参考にしましょう。文法専門の辞書でなくても、どちらも、判断をしていることが明確に書かれています。ということは、「だろう」を「断定+推量」とすることは、2つの判断を同時にしていることになります。これを、おかしいと考えないことが不思議です。
だったら「だろう」を、全体でひとつの助動詞として考えるようにしようと、なぜ言われないのか。単独で「う」を推量として使うのは、「たとえ、雨が降ろうと、私は行く。」というときの、「う」が近いものですが、このような構文で使われるとき以外は、必ず、現代語の共通語では、推量は「だろう」として使う。であれば、「だろう」を推量の助動詞として何がいけないのでしょうか。
答えは簡単です。語源的に、「む」に由来する「う」こそ推量であるからです。
同じ理屈で、「なら」が「断定の助動詞『だ』の仮定形」というのも、断定して仮定するという矛盾に気がつくでしょう。そもそも、「だ」に「断定」などという機能があるのかという疑問をもつ生徒が出てきて、はじめて、学力三要素の「まっとうな」思考力・判断力を育てる教育が行われていると言えるのではないでしょうか。
「国語文法は疑問で満ちている」のです。
しかし、この問いとて「考えよう」はいろいろあります。「断定」などというレッテルは所詮便宜的なものと言えばよいのかもしれません。実際に、そこに「断定」という機能を認めることこそおかしいのだと。しかし、それは詭弁です。形として区別されない終止形と連体形を機能として区別しておきながら、「断定」は機能ではないなどと言ったら、何を信じていいのか分からなくなります。
まだまだ、学校文法に対する不満はたくさんありますが、その疑問については、拙著『国語教師が知っておきたい日本語文法』(くろしお出版、2004年)に並べ立ててありますので、そちらをご覧いただければありがたく思います。今、ここで新たに主張しておきたいのは、このような矛盾だらけの学校文法で、生徒たちをいじめないでほしいということです。文法好きを装った国語の先生がいる私立高校や、その高校に合格するためだと言って奇問を載せる学習参考書も、同罪です。しかし、いちばん罪深いのは、それを看過して「研究」に専心している、我々研究者ではないでしょうか。
学校の規則は、本来、生徒が楽しく安全に学校生活を送るためのもの。それが、いつの間にやら無駄な疑問符だらけの校則だらけになっていたら、誰もその学校を愛せなくなってしまいます。学校文法も、楽しく日本語の世界で生きていけるような、まっとうな規則に改めていかなければなりません。
もちろん、中学校で習う現代語文法には、古典教育の導入という側面もあります。語源を重視するのにも理由があることです。終止形と連体形を区別するのは、古典文法では必須。今ある学校文法をすべてぶち壊して、新築の学校文法をうち立てようとしても、混乱をもたらすだけかもしれません。
それでも、未来にも使える国語の文法であるために、どこをリフォームしたら、より筋の通る文法になるのか、今こそチャンスです。生徒たちと一緒に考えていきましょう。
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- 2021年04月06日 『ここが変だよ! 国語の文法 1.国語教育の呪縛から解き放たれろ 山田敏弘(岐阜大学)』
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1.国語教育の呪縛から解き放たれろ
今回からエッセーを担当する山田と申します。岐阜大学教育学部で教えていますが、この教員養成の現場にいて小中学校の教育現場にも通っていると、どうしても学問を純粋に考えると言うよりも、学校教育への応用を考えてしまいます。このコラムを読んでくださる皆さんの中には、学問としての言語学を純粋に考えたいと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、私のエッセーでは、学校教育と言語学・日本語学を結びつけて考えていきたいと思います。その点は最初にお断りしておきます。
さて学校教育は、さまざまな呪文が飛び交う世界です。
(1) スイヘーリーベボクノフネ
(2) ナクヨウグイス、ヘイアンキョー
(3) ヒトヨヒトヨニヒトミゴロ
言わずとしれた、元素周期表に平安遷都、そして√2の覚え方です。
国語教育では、どんな呪文が唱えられているでしょうか。勤務している大学の学生が教えてくれました。塾で習ったという学生もいました。
(4) オニガトヨリデカラノヘヤ (鬼が戸より出、空の部屋)
(5) トカイノムササビ (都会のムササビ)
私が高校生をしていた40年前にはなかった新たな呪文です。
前者は、格助詞の「を、に、が、と、より、で、から、の、へ、や」の覚え方で、後者は、平安時代から鎌倉時代に書かれた代表的な日記文学である『土佐日記』『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『紫式部日記』『更級日記』『讃岐典侍日記』の頭文字なのだそうです(「の」と「び」はどこへ行ったのかな?)。
一昨日の晩ご飯に何を食べたのかは思い出せなくても、こういうことばは、覚えてから何十年経っていても、口をついて出るものですから驚きです。私なんぞも、高校時代に習った炎色反応の語呂合わせは、今も覚えています。
(6) リアカーなき、K村、動力借りようとするもくれない
(Li赤、Na黄、K紫、Cu緑、Ca橙、Sr紅)
Srはストロンチウムだそうですが、見たこともありません。しかし、この呪文を使って、いまだに子どもたちや妻に知識を自慢しながら花火鑑賞をしています。語呂合わせは、記憶の保持にたいへん役立ちます。
しかし、こういう自慢するような不純な動機がなければ、学生たちも、格助詞や中世の日記文学を忘れてしまっているようです。「何か聞いたけど覚えていない」。そんな一過性の記憶術でしかないというのでしょう。
これが、今、目指されている「国語の学力」なのでしょうか。
一方で、教育学部の教員である私は、着任した20年前こそ一生懸命、文法研究に打ち込んできましたが、次第に、単に研究成果を学生に還元するだけでは、学生のニーズに合っていないと感じるようになりました。最近では、そんな霞を食って生きていけるのは、文学部の先生だけだと諦め、いかに国語教育に役立つ研究をするか、そんなことばかり考えるようになりました。それは、昔の教育学部と大きく違う点でしょう。
もちろん、文学部での研究を悪く言うつもりはありません。しかし、私自身が思われているほど器用でもないので、教育学部では教育学部の研究をせざるをえないだけなのです。教育学部での研究は、それ自体が目的であるのではなく、学生に教える、さらにその先にその学生が子どもたちに教えるときにどのような効果を持つのかという視点をもっておこなわれなければならないのです。
国立大学が独立行政法人化された2004年には、そんなことは考えないという教員もいました。というよりも過半はそうでしたし、今でもそういう考えがまったくないというわけではありません。昇進時の業績審査のほとんどが研究業績で判断されている状況は、今でも変わりません。ただ、授業内容は大きく変わりました。一昔前までは、国語科教育法の授業として、俳句の授業が行われていたと聞きます。しかし、今は違います。徐々に、学校でどう教えるためにどのような知識が必要なのかを考える教員も増えてきました。そうなると、知らず知らずのうちに、大学での研究内容も、学校教育法や、それによって具現化される小中高校の学習指導要領を意識せざるをえなくなります。少なくとも私にとっては、そのような意識変革は、大きなものでした。
しかし、これは研究者にとっても好機なのかもしれません。単にどのような価値をもつかわからない「重箱の隅」を追求するだけでなく、どのように利用されるかという波及効果を考えながら研究をする志向性が問われることで、あらたな視野が広がったからです。念のために言っておきますが、学問の価値など、近視眼的に測れるものではありませんので、今、「重箱の隅」と揶揄した分野も、価値がないと言っているわけではありません。ただ、社会的に公金を用いるのであればその説明責任がより明確に求められている時代に、社会的価値を考えることで、別の角度から切り込むこともできるようになると、ポジティブに考えることも必要だというだけのことです。
さて、2007年に改正された学校教育法では、「基礎的な知識・技能」、「思考力・判断力・表現力等の能力」、「主体的に学習に取り組む態度」が、学力三要素として提示されましたが、その精神は、学校教育にどのように反映されているでしょうか。
さきの呪文の数々は、この三要素のうちの「基礎的な知識・技能」でしかありません。その点だけを問う問題はよくないのですが、未だに、格助詞を抜き出すだけの問題などは、特に、中学校や高校のドリル問題では散見されます。このような教育を受けているうちに、国語の学習の本質を取り違えて大学に入ってきてしまいます。
では、どのような教育を目指せばよいのでしょうか。まさに、ここがこの連続エッセーで考えていきたいことです。
私の専門は、痩せても枯れても、文法です。そう思いながら研究を続けてきました。だから、国語教育で、文法を中心に考えていきたいと、このエッセイでも思っています。先ほどあげた格助詞であれば、「オニガトヨリデカラノヘヤ」という呪文から、どうしたら思考力を養う問題として発展させられるか、すなわち、格助詞とは何かを問うような問いへ発展させることこそが必要だと感じ、その方法論を考えています。
格助詞とは、「文中の特定の名詞句に付いて、述語や他の名詞句とどのような関係にあるかを示す助詞」です。まず、「を、に、が、と、より、で、から、の、へ、や」という知識を、述語と結びつくものと、他の名詞句と結びつくものとに分けて考えてみるということが考えつきます。そうすると、「の」や「や」は、基本的に名詞と名詞を結びつける格助詞ですし、「と」も一部にそのような用法ももちます。こうして、格助詞を連用的な格助詞と連体的な格助詞に分けることができます。これだけでも、考えて判断するプロセスが得られます。知識があればこそ、それを考える土台としていけます。
さらに、このリストに無い格助詞はないかということを考えることもできます。「家から学校まで歩く」と言った場合に、「から」だけが格助詞とはだれも考えないでしょう。「まで」が格助詞かどうかを考えてみることも、考える国語の授業に資する材料となります。「まで」を格助詞に入れるのであれば、「家から学校へと歩く」の「へと」はどうかなど、まだまだ、ほかにも考えることに結びつけることができる要素が見いだせるでしょう。
考える土台としての知識であることを意識して、単に、花火を鑑賞するときにひけらかすためだけの知識を越えて、より考えることの土台としていく。そうしていくことが、楽しい国語の勉強なのだと分かってもらうために、私は、きょうも大学で文法を教え、考え続けています。
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- 2021年04月02日 『『ここが変だよ!国語の文法』』
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山田敏弘先生による『ここが変だよ! 国語の文法』の連載が始まります。山田先生は岐阜大学教育学部国語教育講座教授ですが同大学の基盤教育センター長としてもコロナ禍での全学共通教育に当たってこられました。新学期に向けてご苦労が多いなかでの3か月にわたる連載となります。初回は4月6日です。どうぞよろしくお願いいたします。