近世料理書の言葉(kotoba news)
kotobaに関する気になるトピックを短期連載で紹介していきます。
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- 2021年09月29日 『近世料理書の言葉 5.「いためる」について 余田弘実(龍谷大学)』
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1 現代における「いためる」
今回は「いためる」を取り上げます。大学の授業で、学生が「よく知っている」「よく使う」加熱調理操作語彙の一つとして挙げるのが「いためる」です。私自身、冷蔵庫の残り物の野菜や肉をササッと炒めて、手を抜いたおかずを作ることがよくあります。あるい は、きんぴらのように、材料を「いため」てから煮るような料理もあります。「いためる」は、現在では最もよく使う加熱調理操作語彙の一つと言ってもよいでしょう。
「いためる」とは、どのような加熱調理操作語かを確認しておきましょう。伊藤幸一(1979)は「いる」と比較して「一般には『いる』方法は『いためる』方法とほぼ同じで、ただ『いためる』方法とは油を使用しない点で異なる」と述べています。*1 柴田武(1983)は「いためる」を基本的な加熱調理操作語彙「あげる」の派生的なものと位置付けています。*2 前回まで参照してきた国広哲弥(1970) は「いためる」は取り上げていません。*3 そう言えば、1980 年代の後半、私は大学院の演習で「いためる」を取り上げました。先生や先輩(先生も先輩も男性です)に「『いためる』ってあんまり使わないよね。ちょっと上等な料理しか『いためる』は使わないよ」と言われて困ってしまったことがありました。この「上等な料理」が何を指しているのかまでは聞けませんでしたが、上等の牛肉などだったのでしょうか。もしかしたら、当時の男性はあまり料理をしなかったこともあるかもしれません。いずれにしても、今よりも「いためる」調理を行う機会が少なかったかったのだと思います。考えてみると、私達が日常生活で「いためる」調理をする料理は、先の牛肉ではありませんが、伝統的な日本料理では、あまりないような気がします。
2 近世料理書の「いためる」
前回、近世料理書の「いる」を取り上げた時、『茶之湯献立指南』の
みそ煮(ニ)南蛮料理(ナンバンリヤウリ)のしかけなりなんばん料理の時は油(アフラ)にて熬(イル)なり(『茶湯献立 指南』巻四)*4
の例を挙げました。この「油(アフラ)にて熬(イル)」は現代では「いためる」に当たると考えられます。1章で引用した伊藤幸一(1979)の「いためる」の説明そのもののような例です。私が調査した範囲では17世紀の料理書では、現代の「いためる」に当たる加熱調理操作は、「油にている」で表されていました。もっとも近世料理書では現在の「いためる」という調理法を使う料理自体が少ないのですが。現在の日本料理を思い浮かべてみると納得できると思います。もう一度上で挙げた用例を見てみると、油で「いる」のは「南蛮料理」だと記しています。「南蛮料理」は『日本国語大辞典第二版』では「香味にネギ、トウガラシなどを使ったものや、材料を油で揚げるなど、わが国固有の料理法以外の新しい手法を用いた料理。」とあり『料理物語』の例を挙げています。*5「南蛮料理」が伝統的な日本料理の調理法ではないという点が注目されます。
では「いためる」という加熱調理操作を表す語が使われるようになったのはいつ頃からで、どのような料理ででしょうか。私が調べた範囲*6では、1772 年刊行の『普茶料理抄』の
鯛丸煮油にて少しいためてもよし 又酒しほにて味付る うしを煮の心持 汁 生醤油 大み酢せうが(鯛の水煮)
が初出例です。『普茶料理抄』の序文の次の凡例には「卓子は中華の饗膳我朝長崎に其形をうつし雅人の翫ひとなる事久し〈中略〉卓子は酒肉ともに用ゆ 精進の卓子を普茶といふ」あります。「卓子」とはテーブルのことですが、ここでは長崎に入った中華料理のことを指しています。当時の日本の日常ではテーブルを囲んで食事をする習慣はありませんでした。そして、酒や肉を用いない「卓子」を「普茶」と言いました。もっとも『普茶料理抄』の中には「卓子料理」も記してあり、先の用例は卓子料理の中にあります。ここで注目したいのは、普茶料理が中華料理という外国料理を起源としている料理だということです。その中に収録されている料理で「いためる」が使われているのです。
この用例以降、しばらく「いためる」の例は見られませんが、19世紀になると「いためる」の例が散見するようになります。
吹腸(ふきわた)〈中略〉胡麻油にていため。野菜取合せ。煮染によし。(『鯨肉調味方』)
生栗 やきめをして油にていため(『料理通四編』)
獅子煮(ししに) ずいぶん大きなる章魚(たこ)を〈中略〉一寸五分位(ぐらゐ)に切それを立(たて)にほそびきみりんと水(みづ)にて能(よく)煮(に)あがりし処(ところ)へ油(あぶら)すこし入ていため〈略〉(『料理通四編』)
豚(ぶた)味噌(みそ)転(ころば)し写(うつし) 豆腐を布袋にてしぼりいりとうふの如く油にていため(『料理通四編』)
銀杏椎茸干瓢きくらげ各々千にうち油にていため(『料理通四編』)
こんにやく〈中略〉又むしりて油にていため汁にいるゝをたのき汁といふ(『年中番菜録』)
あかゑ〈中略〉又むしりて油にていためても又そのまゝにてもねぎ取合せすつぽんもどきにすべし(『年中番菜録』)
『鯨肉調味方』は、長崎生月島の捕鯨について書かれた『勇魚取絵詞』の付録として出版されたものです。『料理通四編』は江戸で 有名な料理屋八百善の主人の著。八百善の主人は卓子料理・普茶料理を学び、『料理通四編』の内容は全編、普茶料理と卓袱料理です。ここまでの用例を見る限り「いためる」は、外国料理や、当時外国文化の受容の窓口であった長崎と緊密な関係がありそうです。
けれども、ここで最も注目したいのは『年中番菜録』です。『年中番菜録』は、初めての女性向け料理書で書名の「番菜」というところからもわかるように家庭料理を指します。家庭料理を書いた料理書の中で「いためる」が使われるようになったのです。一般の家庭に「いためる」が入り込んで来たのです。『年中番菜録』に「いためる」が用いられたことで、この頃には「いためる」の使用が広がっていたと見てよいと思われます。もっとも、この時代は『茶之湯献立指南』で使われていたような「油にている」の例も見られます。
たけのこかはとりゆにしてよきほどに切ごまのあぶらにていりきしやうゆかけ(『精進献立集二篇』七番)
豚和(ぶたあへ) 大蚫(おほあわび)の貝のまゝざつと湯(ゆ)かき〈中略〉豚肉(ぶたにく)のことく角(かく)どり刻(きざ)みて油(あふら)にて煎(いり)(『料理通四編』)
玉粲(きよくさん) 糯米(うるこめ)の粉をむして〈中略〉油(あふら)にて煎(いり)(『料理通四編』)
『料理通四編』にも「油にている」が見られ、この時期は、「いためる」と「油にている」が両方使われていたと考えられます。
3 まとめ
近世料理書における「いためる」の用例の最初は18世紀の終わりでした。しかし、それは1例だけで、まとまって見られるようになったのは19世紀になってからでした。「いためる」の近世料理書の用例を見てみると、「いためる」が使われ始めたのは、卓子料理・普茶料理の外国に起源を持つ料理で、外国文化の受容の窓口であった長崎と関係がありそうにも思われます。19世紀中頃の初の女性向け料理書で家庭料理を記した『年中番菜録』に「いためる」という例が見られることで、ある程度「いためる」が広がったと言ってもよいと思われます。しかし、この時代は、まだ「油にている」も使われており、現代のように「いる」と「いためる」が別の加熱調理操作を指すようになるのは、近代になり、西洋料理や中華料理が一般的になる過程を経てからのことだと考えられます。
ところで、近世料理書における「いためる」には、もう一つ問題が残っています。『日本国語大辞典二版』で「いためる」を引いてみると「野菜、魚肉などの食品を、少量の油などで、こげつかないように火を通して料理する。」とあり、最初に『料理物語』の次の例を挙げています。『時代別国語大辞典室町時代篇』には「食品を油や酢などで炒(い)りつけて調理する」とあり、やはり『料理物 語』の例を挙げています。
鳥鱠(とりなます) 何もつくり鳥ばかりすにていため候てその後(のち)鯛(たい)其外も入あへ候て出し吉 わさびくはへよし(第十 鱠之部)
この酢で「いためる」のと現在一般的な油で「いためる」とは、どのような関係があるのでしょうか。また、酢で「いためる」はどのような調理法なのでしょうか。加熱調理操作語彙なのでしょうか。これらの点については、今後の課題としたいと思います。*7
最後になりますが、前回は休載してしまい申し訳ありませんでした。この連載では、まだ解明できていない点も率直に書きました。私自身、沢山の課題に気付いたとともに、今後の研究の展開も見えた1ヶ月半でした。ここで学んだことを糧に今後も、加熱調理操作語彙はもちろん、料理書や料理語彙の研究を続けるつもりです。今まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
*1 伊藤幸一(1979)「現代日本語における基礎加熱料理語彙の構造的意味分析試論」(『國學院大學紀要』17)
*2 柴田武(1983)「言語から見た食」(『食のことば』ドメス出版 後に『語彙論の方法』に収録)。
*3 国広哲弥(1970)『意味の諸相』(三省堂)
*4 以下、近世料理書から引用では、振り仮名は( )に入れて記す。
*5 松下幸子(1996)『図説 江戸料理事典』(柏書房)の 125 ページ「くじいと」参照。
*6 『翻刻江戸時代料理本集成』(臨川書店)
*7 *5 には、「あたためなます あたためて供するなますで冬の料理。〈以下略〉」(99 ページ)があり、その例が挙げられているが、『料理物語』の例は「あたためなます」の例としては挙げられていない。現在、ネット上のレシピを検索すると、「温めなます」「炒めなます」という料理も散見される。
参考文献
余田弘実(2008)『言語からみた近世料理書の研究』(神戸女子大学 平成十九年度博士学位論文)
使用文献
『翻刻江戸時代料理本集成』(臨川書店)を使用。 用例を挙げた順に刊行年を記す。
『茶湯献立指南』1696年 『普茶料理抄』1772年 『鯨肉調味方』1832年 『料理通四編』1835年 『年中番菜録』1849年 『精進献立集二篇』1824年 『料理物語』1643年
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- 2021年09月23日 『お知らせ』
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今週の掲載は投稿者の都合により休載いたします。楽しみにしていた方には残念なお知らせとなり申し訳ございません。
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- 2021年09月14日 『近世料理書の言葉 4. 「いる」について 余田弘実(龍谷大学)』
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1 現代における「いる」
今回は「いる」について見てみましょう。漢字では「煎る」とも「炒る」とも書きます。「煎る」は『常用漢字表』掲載されていますが、「炒る」は載せられていません。「炒」は『常用漢字表』には載せられていませんが、「炒(いた)める」で見かけることは多いのではないでしょうか。
前回の「あぶる」と同様に、柴田武(1983)、国広哲弥(1970)で「いる」の説明を見てみます。まず柴田武(1983)は、「いる」は基本的な加熱調理操作語彙「やく」の派生的なものとして位置付けています。前回の「あぶる」は「いる」のさらに派生的なものとしています。*1 国広哲弥(1970)は、「いる」の加熱調理操作の対象として「豆、ごま、糠、卵、煮干、(茶の葉)」を挙げて、「『やく』が比較的大きな断片を扱うのに対して、『いる』は多数のバラバラの小片を扱う」、「『卵』は『やく』『いる』の両方の目的語として現れているが、両者ではその形が異なる。卵焼きでは一つの大きな塊であるのに対して、いり卵はバラバラの小粒からなり立っている」「『いる』には、更に、対象物をかきまぜながら熱するという動作上の特徴がある」と述べています。*2 私の知っている「いる」は、対象となる食物が、国広哲也(1983)の挙げている豆、ごま、卵に銀杏です。子供の頃、秋になると、拾ってきた銀杏を「いっ」ておやつにしたこともありました。加熱調理操作はかきまぜて熱するのですが、卵以外では油類を使いません。「いっ」た卵も、最後はポロポロになり油気が抜けます。私にとっては、前回の「あぶる」よりもずっと身近な加熱調理操作語彙です。しかし、いつの間にか、豆もごまも家庭で「いる」ことがなくなり、私自身も卵以外では使わない加熱調理操作を表す語になりました。
授業で学生に「いる」について尋ねてみると、学生が「あぶる」よりも「いる」の方を知らないと答える学生の方が多数です。柴田武(1983)は国語辞典を調査した結果であり、「いる」を知っているかどうかと同列に述べてはならないと思いますが、現在の二十歳くらいの世代にとっては、「いる」よりも「あぶる」の方が身近な語のようです。ただ、若い世代も「いる」を全く使わないわけではありません。ある学生は、家でお節料理の田作りを作る時に、ごまめを「いる」と述べていました。別の学生はポップコーンを作る時に、乾燥させたトウモロコシを「いる」と呼ぶと言っていました。ゴーヤチャンプルを作る加熱調理操作を「いる」と呼ぶ学生もいました。ただし、ポップコーンもゴーヤチャンプルも、最初に油脂を入れるために、何度か聞いているうちに「いる」と呼ぶのか「いためる」と呼ぶのかわからなくなってきたと言っていました。いずれにしても、お節料理の田作りはともかく、ポップコーンやゴーヤチャンプルのような、新しく入ってきた料理(?)に「いる」を使うのは、前回取りあげた「あぶる」と同様に興味深い点だと思います。
2 近世料理書の「いる」
近世料理書の「いる」はどのように使われていたのでしょうか。用例を見てみましょう。『料理物語』から引用します。*3
銀杏(ぎんあん) にもの くはしによし いりかわをさる(『料理物語』第七)
鯛(たい)のかきいりは 塩(しほ)をいり(こ)(『料理物語』第九)
づりん酒 くろまめ一升(せう)いりさましよき一升(せう)五合(がう)いれつけ置候(『料理物語』第十五)
奈良茶(ならちや) まづちやを少(すこし)いりてふくろに入てあづきと茶(ちや)ばかりせんじ候(『料理物語』第十九)
右の例では、国広哲也(1970)が述べた「いる」のように、細かな対象を容器の中でかき混ぜながら加熱していると考えられます。『料理物語』には、次のような「いる」の例もありました。
松茸(まつだけ) 古酒(こしゆ)にてさわさわといりさかけなき時白水をさしだしたまりくはへふかせ候てすいあはせ出し候(『料理物語』第十四)
ここでは、古酒で味付けをしています。次は『茶湯献立指南』の例ですが、やはり酒で「いっ」ています。
和交牛房(アヘマセコホウ)はほそくたちて酒(サケ)にて煎べし(『茶湯献立指南』巻六)
現在の「いる」が、味付けを目的としない加熱調理操作を表す語だとすると、右で挙げた例は現代語とは異なっていると言えます。さらに、『料理物語』には、
かわいりは 雁(がん)にても鴨(かも)にても皮(かわ)をいりだしを入ほねをせんじなまだれ少さしてみを入しほかげんすい合出し候(『料理物語』九)
いり鳥 鴨(かも)をつくりまづかわをいりて後(のち)身(み)をいれいりだしたまりかげんしてに申候〈以下略〉(『料理物語』第十二)
のような例もありました。右の2例とも、まず鳥の皮を「いっ」て脂を取り出しています。その操作は、現代なら「いためる」と呼ぶと思われます。現代の「いためる」と異なる点は、油類を別に用意するのではなく、対象とする食物そのものから取り出している点でしょう。
では、現代の「いためる」に当たる料理法がないのかと言えば、そうではありません。先ほど、用例を挙げた『茶湯献立指南』には、
みそ煮(ニ)南蛮料理(ナンバンリヤウリ)のしかけなりなんばん料理の時は油(アフラ)にて熬(イル)なり(『茶湯献立指南』巻四)
とあり、現代の「いためる」と同じ加熱調理操作と考えられます。*4 管見では「いためる」が近世料理書に定着するのは1800年代に入ってからです。
2章で挙げたように、近世料理書の「いる」は、現代語における「いる」よりも広い範囲で使われていたように思われます。
3 まとめ
近世料理書の「いる」は、現代の「いる」よりも対象とする食物の種類が多く、現代では「いためる」と呼ぶものにも使われていました。現代の「いる」と「いためる」の違いは油類を事前に用意するかどうかの違いのように、私には思われます。前章で挙げた『茶湯献立指南』は、1章で述べたポップコーンやゴーヤチャンプルが「いる」なのか「いためる」なのか、考えているうちにわからなくなるということと通じているのではないでしょうか。もちろん、近世料理書では「いる」なのですが。
次回は、近世料理書の中で「いためる」の定着した過程について述べます。
*1 柴田武(1983)「言語から見た食」(『食のことば』ドメス出版 後に『語彙論の方法』に収録)。国広哲弥(1970)『意味の諸相』(三省堂)
*2 国広哲弥(1970)『意味の諸相』(三省堂) 114~115ページ。国広は「やく」「いる」の意義素について「やく:《直接に、あるいは容器の中で水分を用いず強い熱に当てる》、いる:《多量の小片をなした食物を容器に入れて、かきまぜながら比較的強い熱に当てる》」としている。意義素については、ここでは触れない。
*3 引用資料には、吉井始子編『翻刻江戸時代料理本集成』(臨川書店)を使用。用例は可能な限り原文のまま引用するが文字の大きさを変えたり、補助符号を変えたりした箇所は、特に示さない。振り仮名は( )に入れて記す。
*4 余田弘実(1989)「近世料理書における『いる』と『いためる』」(『国語語彙史の研究』10 和泉書院)
参考文献
余田弘実(2008)『言語からみた近世料理書の研究』(神戸女子大学 平成十九年度博士学位論文)
使用文献
『翻刻江戸時代料理本集成』(臨川書店)を使用。『料理物語』1643年 『茶湯献立指南』1696年
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- 2021年09月07日 『近世料理書の言葉 3. 「あぶる」について 余田弘実(龍谷大学)』
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1 現代における「あぶる」
今回は「あぶる」について取りあげます。漢字で書くと「炙る」「焙る」ですが、両方とも『常用漢字表』には取りあげられていません。日常生活では見ない漢字ではないのですが、それだけ一般的ではないと判断されているのでしょうか。
第一回目で、柴田武(1983)では、「あぶる」について、「やく」の派生的なものとして「いる」、さらに派生的なものとして「あぶる」としていることを述べました。*1 「やく」が基本的です。では、「あぶる」はどのような加熱調理操作語彙でしょうか。柴田武よりも先に刊行されている、国広哲弥(1970)は、「あぶる」がどのような食物を対象にするかについて「するめ、のり、干物(ひもの)」を挙げ、「『やく』はこげめができる程度に強く熱するのに対して『あぶる』はこげない程度に弱く熱することであることが分かる。このことは『手をあぶる』を考え合わせれば一層明瞭となる」*2と述べています。四、五才頃の私は、「あぶる」は加熱調理操作の際に使う語ではなくて、ストーブで「手をあぶる」のように使いました。大人が、のりや鰯の味醂干しを「あぶっ」ている記憶があり、「あぶる」がどのような加熱調理操作なのかは理解していました。私の「あぶる」の認識は、ずっと国広哲也(1970)、柴田武(1983)とほぼ同じでした。
ところが、授業で学生に「あぶる」について尋ねてみると、対象となる食物や加熱の方法が違う「あぶる」を、数年前くらい時々利くようになりました。一つは、キャンプやバーベーキューの際に、長く細い棒にマシュマロなどを指して、火で直接焼く場合です。もう一つは、回転寿司のお店で、サーモンなどをバーナーで「あぶる」加熱調理操作です。そのような学生は身近な加熱調理操作語彙として、「やく」よりも「あぶる」の方を挙げます。私は「あぶる」という加熱調理操作語彙は、忘れ去られてゆく語だと思っていましたが、そうではないようです。
2 近世料理書の「あぶる」
近世料理書の「あぶる」の例を見てみましょう。*3
焼干鱈身どころを長さ壱寸あまりに切はゝ六七分にして塩を出(ダ)し水気(ミズケ)をほし遠火(トヲヒ)にあぶり少色の付ほどに〈以下略〉(『茶湯献立指南』巻四)
つきたての?(もち)を花(はな)びらの如くいかにも薄(うす)くのばして少し炙(あぶ)り田楽の秦椒味曾(さんしやうみそ)のつけやきにしたる右の?(もち)にてくるりとつゝむり(『豆腐百珍』六十 繭(まゆ)でんがく)
てりかは〈中略〉遠火(とをび)にてあぶり〈以下略〉(『料理早指南』三編 干物魚類調理之部)
『茶湯献立指南』では、干鱈を遠火で少し色が付くほどに「あぶっ」ています。『豆腐百珍』も、餅を花びらのように薄くして色が付くほど「あぶっ」ています。『料理早指南』でも魚の皮を遠火で「あぶっ」ています。これらの例に共通するのは、「あぶる」の対象は、厚みが薄い食材です。「やく」と火が通り過ぎて焦げてしまいます。「遠火」であぶることで焦げ目を付ける程度に加熱していることがわかります。このことは、次の「あぶりもの」という例からもわかるでしょう。
焼物之部 焼ハ火を強(つよ)くすへし 魚なまならす 炙ものハとをく寛くやくを云也(『料理網目調味抄』巻二)
この例からは、「あぶる」は「やく」の一種だとも解釈できます。柴田(1983)が、現代語では「やく」が基本的で「あぶる」は派生的と述べたこととも一致すると考えられます。近世料理書の「あぶる」は、国広(1970)、柴田(1983)の指摘とは変わらないと言ってもよいでしょう。
ところで、近世料理書には、この「あぶる」とほぼ同じような加熱調理操作語彙として、「ひどる」という語が使われていました。
青のりひどり(『和漢精進料理抄』巻之下)
板(いた)に付(つけ)板(いた)の裏(うら)より遠火(とをび)にて。そろそろやき。次(つぎ)に廻(ぐる)りをこげぬやうに火取りて。また蒸(むす)なり。(『鯛百珍料理秘密箱』紅かまぼこの仕方)
銅網(あぶりこ)のうへに竹串(くし)をならべて、すこし。火とり候て。〈以下略〉(『万宝料理秘密箱二篇』巻之一 あはび煎餅の仕方)
右の例を見た限り、「あぶる」との違いは、近世料理書ではほとんど見いだせないようです。現在、一般では「ひどる」という語が使われていないことも考慮して、「あぶる」と「ひどる」の違いを明らかにすることは、今後の課題としたいと思います。
3 まとめ
近世料理書の「あぶる」は、国広(1970)、柴田(1983)が指摘し、私もそのように考えていた加熱調子操作とは変わりがないと言えますが、近世料理書では、「あぶる」とほぼ同じ意味・用法で「ひどる」という語が使われていたことは注目に値します。
さて、1章の繰り返しになりますが、現代の、バーベキューをしたり回転寿司に頻繁に行く人々は、そうではない人々よりも、「あぶる」が身近な加熱調理操作語彙としてすぐに出てきます。ところが、バーベキューはせず回転寿司にも行かない場合は、「あぶる」は身近な語ではないようです。そのような点で「あぶる」は、使われる範囲が限られている位相的な語と言えるでしょう。また、「あぶる」が加熱調理操作の対象とする食材は、マシュマロ、サーモン等、新しい物であることも注目される点です。そして、その操作は、マシュマロは、直接火を当てると言う点では、以前からの「あぶる」とは変わりません。一方、回転寿司の方はバーナーという新しい道具を使ってにぎり寿司のネタに軽く焦げ目を付ける点が、従来からの「あぶる」とは異なっています。家庭でバーナーを使って料理することはほとんどないでしょうから、回転寿司の「あぶる」は、多くの人が知っていても、自分が実際には使わないという点で興味深い加熱調理操作語彙と言えるでしょう。
次回は「いる」を取りあげます。
*1 柴田武(1983)「言語から見た食」(『食のことば』ドメス出版 後に『語彙論の方法』に収録)
*2 国広哲弥(1970)『意味の諸相』(三省堂) 114~115ページ なお、国広は「やく」「あぶる」の意義素について「やく:《直接に、あるいは容器の中で水分を用いず強い熱に当てる》、あぶる《直接に弱い熱に当てる》」としている。意義素については、ここでは触れない。なお、原文に付されている振り仮名は( )の中に入れて記す。
*3 引用資料には、吉井始子編『翻刻江戸時代料理本集成』(臨川書店)を使用。用例は可能な限り原文のまま引用するが文字の大きさを変えたり、補助符号を変えたりした箇所は、特に示さない。振り仮名は( )に入れて記す。
参考文献
余田弘実(2008)『言語からみた近世料理書の研究』(神戸女子大学 平成十九年度博士学位論文)
使用文献
すべて『翻刻江戸時代料理本集成』(臨川書店)を使用。用例を挙げた順に刊行年を記す。
『茶湯献立指南』1696年 『豆腐百珍』1782年 『料理早指南』三編1802年 『料理網目調味抄』1730年
『和漢精進料理抄』1597年 『鯛百珍料理秘密箱』1785年 『万宝料理秘密箱二篇』1800年
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- 2021年08月31日 『近世料理書の言葉 2. 「煎じる」について 余田弘実(龍谷大学)』
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1 現代における「煎じる」
薬を煎じる。
お茶を煎じる。
の「煎(せん)じる」*1について、授業で大学生に尋ねてみると、知らない、使わないという解答が少なくありません。一人「夏になったら家で麦茶を煎じている」と答えた学生がいました。「このお家では、麦茶をペットボトルで買って来るのではなくて、今も麦茶を作っているんだな」と思いました。飲食のあり方が自分の使う語彙に直接影響している例だと思います。この学生の回答が示しているように、「煎じる」は容器に水などを入れた中に、食材を入れてグツグツと加熱して、食材の成分を湯の中に抽出することを言います。加熱の目的は、成分の抽出した液体です。現在だったら「煮出す」という人が多いのではないでしょうか。
実は、私も大学生の頃まで、「煎じる」は時代劇などで聞いたことがあるだけでした。しかも、薬の材料となる植物をすりつぶすことだと勘違いしていました。前期の授業で大学生に尋ねた時に「聞いたことがある」という回答は、私と同じような勘違いがほとんどでした。「爪の垢を煎じて飲む」は知っている学生が多いのですが、いったい爪の垢をどのようにするのかがわかりません。「煎じる」は現代では、忘れ去られつつある語だと言えるでしょう。また、正しく「煎じる」を知っていても、「煎じる」ものは「薬」や「茶」ですから、現代では、加熱調理とは意識しない語でもあると言えると思います。
ところが、近世の料理書*2を見てみると、「煎じる」の例をしばしば見かけます。現代と同じく、茶や薬でも使われていますが、それ以外のものも「煎じ」ています。今回は、近世料理書の「煎じる」を考察することにします。
2 近世料理書の「煎じる」
刊行された最初の料理書『料理物語』(寛永二○年 1643)*3を資料にして「煎じる」を見てみましょう。
『料理物語』は第一から第二十に部が分かれていて、目録を見ると「第一 海の魚の部」から「第七 青物之部」までは食材を挙げて、どのような料理に使われるかを記しています。「第八 なまだれ だし いりざけの部」*4から「第二十 萬聞書之部」までは、食材の調理法が書かれています。食材とその調理法の本です。食材の最初には「海の魚の部」が置かれ、その一番最初には鯛が挙げられています。鯛が一番最初に来るのは、魚の中で最も格のある魚と意識されているからでしょう。鯛の次には鱸(すずき)が挙げられています。鱸も古来から格のある魚です。つまり、食材は「海の魚の部」の鯛から始まっているのですから、調理法も最初は一番重要なものが来るのではないでしょうか。そのように考えると、調理法の最初が「なまだれ だし いりざけの部」というのは重要だと思われます。現在でも、和食で大切なのは出汁(だし)だということを、よく耳にしますが、『料理物語』でも調理の基本は「なまだれ だし いりざけ」だと考えていたのでしょう。
では「なまだれ」「だし」「いりざけ」とはどのようなものでしょうか。第八の最初は「なまだれ」が配置されています。*5
生垂(なまだれ)は 味噌一升に水三升入れもみたてふくろにてたれ申候也
「なまだれ」の後には、
垂味噌(たれみそ) みそ一升に水三升五合入せんじ三升ほどになりたる時ふくろに入たれ申候也。
煮貫(にぬき) なまだれにかつほを入れせんじこしたるもの也
だしは かつほのよきところをかきて一升あらば水一升五合入せんじあぢをすひ見候てあまみよきほどにあけてよし過候てもあしく候
二番もせんじつかひ候
煎酒(いりさけ)は かつほ一升に梅干十五廿入古酒二升水ちとたまり*6少入一升にせんじこしさましてよし又酒二升水一升入二升にせんじつかふ人もあり
「なまだれ」は加熱していませんが、「垂味噌」「煮貫」「だし」「煎酒」は加熱しています。「垂味噌」では、味噌一升に水三升五合を入れて「せんじ」て三升にしています。味噌一升を入れた水三升五合が三升になっているのですから、加熱して沸騰させて煮詰めているのでしょう。そして、必要なものは液体です。「煎酒」も、かつお一升に梅干しと古酒二升、水、たまりを入れて一升に「せんじ」ています。「又酒二升水一升入二升にせんじつかふ人もあり」ともあり、「煎酒」も液体の分量が減っているところから、「煎じる」という操作は、加熱して沸騰させて必要な液体を得る操作だということがわかるでしょう。これらの例から、出来上がりの分量が書かれていない「煮貫」や「だし」も加熱して沸騰させていると考えられます。
右で挙げた例から、「煎じる」という加熱操作がどのようなものであったのかわかると思います。「煎じる」の例としては『料理物語』には、
……さてよきころに丸めゆにをして*7ごまの油にてあげ申候 その後さたうをせんじそのなかへいれに申すて出し候(第十八 菓子之部 「午房餅」)
のように、砂糖を「煎じ」ている例があります。この例では、擦った午房と米に砂糖を加えて団子状にしたものを、胡麻油で揚げて、その後、加熱して液状になった砂糖の中へ入れて煮ています。砂糖を加熱して液状にすることも「煎じる」なのです。現在なら、砂糖を加熱して溶かす、くらいの表現になるでしょうか。この例では、液体に食材を入れて成分を抽出しているのではなく、食材自体が加熱されて溶けて液体となっています。「煎じる」という加熱操作が、加熱の結果の液体を目的にしていることをよく示している例だと思われます。
以上のように、『料理物語』には現代語では使わない「煎じる」の用法が見られます。
3 まとめ
現代では、「薬を煎じる」「お茶を煎じる」くらいしか使われない「煎じる」という語ですが、『料理物語』では出汁で代表されるような、和食の基本の調理の説明で使われていました。『料理物語』で見られたような「煎じる」の用例は、近世料理書ではしばしば見かけます。現代語では「煎じる」のは「薬」「茶」くらいで、「加熱調理操作語彙」とは意識されないでしょう。しかし、私は、料理の基本となる出汁の作り方で「煎じ」ていることから、近世料理書では「煎じる」を「加熱調理操作語彙」に含めてもよいと考えています。
ただし、近世の一般的な文学作品では、「煎じる」は、もっぱら「薬を煎じる」「お茶を煎じる」の例が多く、『料理物語』のような「煎じる」の例は、管見の範囲では見つかっていません。そのような点では位相的とも言えるかもしれません。なぜ、近世料理書の中で「煎じる」が出汁などを作る説明に使われるのかについては、考えなければならないと思っています。
さて、次回は、第一回めに、少し話題にした「あぶる」を取りあげる予定です。私は「あぶる」と言えば、餅などを直火で焼いて焦がす操作を思い浮かべ、私自身はあまり行わない加熱調理操作語彙でした。ところが、授業で学生に尋ねると、回転ずしのお店でバーナーで魚の表面を焦がすことを思い浮かべ、人によっては「やく」や「にる」などよりも、親しみやすい語だとのことです。家庭での日常的な料理としてはバーナーで「あぶる」ことは、まずないでしょう。近世料理書の「煎じる」のように、現代語の加熱調理操作語彙として「あぶる」は位相的な語だと考えられます。
*1 以下、振り仮名は( )の中に入れて記す。
*2 資料としては、吉井始子編『翻刻江戸時代料理本集成』(臨川書店)を使用。
*3 『料理物語』については、江原恵(一九九一)『料理物語−江戸の味今昔−』(三一書房)が詳しい。
*4 本文では「第八 なまだれだしの部」となっている。
*5 引用にあたっては、適宜振り仮名を略す。文は原文通りに引用しているので、漢字や送り仮名等が現代語と異なることがある。
*6 味噌からしたたる液汁。当時は現在の醤油のように使用した。
*7 「ゆにをして」は漢字を当てると「湯煮をして」となる。近世の料理書ではしばしば見える。
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- 2021年08月24日 『近世料理書の言葉 1. 料理書の研究を始めたきっかけ 余田弘実(龍谷大学)』
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1 きっかけ
大学2年生の頃のことです。私は漠然と日本語と文化を学びたいと思っていました。2年生の夏休み、日本語学(当時は国語学)の中で学びたい分野が「語彙」だということに、ようやく気付きました。というのも、私が在学していた学部には、日本語学の先生はいらしても「日本語学概論」という科目がありませんでした。日本語を勉強したかったら、ともかく日本語学に進めばなんとなかなるだろう、と思っていたのでした。日本語学の教室に出入りするようになってからは、しばしば先生に、語彙を勉強したいこと、語彙と文化の関係を研究したいことを、未熟ながらも話していました。
大学3年の夏休み前、先生から、江戸時代の料理本を卒論に取りあげてみないか、と言われました。先生が、なぜ江戸時代の料理本を挙げたのかは、今も聞かされてはいません。が、その夏、先生が調査に行く大学に、沢山の料理本がありました。
当時、日本語学の分野で料理本を資料にした論考は、既に、島田勇雄のものがありましたが*1、ド素人の私には、ほとんど理解できませんでした。わかったことは、島田勇雄の研究とは、江戸時代の料理本は資料の時代や性質が異なること、同じ手法を取るのは無理だということだけでした。
研究資料を決めたものの、どこから手を付けたら良いのか全くわかりません。3ヶ月ほど考えても何も思い浮かびません。先生に叱られて、もう一度、なぜ語彙と文化を考えたいのか、その理由を考え直してみると、私は、自分が日常生活で使っていることばの歴史が知りたいのだ、ということに思い至りました。
私が日常生活で一番よく使う、料理のことばは何だろうか?と考えてみると「にる」「やく」「いためる」「あげる」「ゆでる」など、加熱調理操作を表す語彙だと気づきました。そして、「にる」「ゆでる」「ゆがく」や「やく」「いためる」は何が同じで何が違うのだろうか? そのようなことを考え出しました。幸いなことに、國廣哲彌*2、柴田武*3 伊藤幸一*4らに現代語における加熱調理操作を表す語彙の体系について分析した論考がありました。では、江戸時代の加熱調理操作の語彙体系は今と同じなのだろうか? 江戸時代の料理本は加熱調理操作を表す語彙の宝庫です。文学作品では、このような日常生活そのものの語彙はなかなか見出せませんが、江戸時代の料理本を資料にしたら分析できるだろうと考えました。
2 はじめに
江戸時代の料理本の加熱調理操作を表す語彙を見る前に、現代語ではどのような語が使われているかを確かめておきたいと思います。たとえば、柴田武(1983)は「にる」「やく」「むす」「あげる」「ゆでる」「いる」「たく」「いためる」「ゆがく」「あぶる」の10語を挙げ、体系図を示しています。*5 体系図をここで挙げることはいたしませんが、「あげる」「むす」「やく」「にる」が基本的なもので、「あげる」の派生的なものとして「いためる」、「むす」の派生的なものとして「たく」*6、「やく」の派生的なものとして「いる」、さらに派生的なものとして「あぶる」、「にる」の派生的なものとして「ゆでる」とさらに派生的なものに「ゆがく」を挙げています。私は1980年代の最初に大学生活を送りました。自分で凝った料理をすることはあまりありませんでしたが、この10語くらいは知っていました。もしかしたら、下宿生活を送っていたことと、両親、特に亡父が料理好きで、料理は家族の話題の中心だったことの影響があるかもしれません。ともかく、この10語は私には日常生活のことばでしたし、柴田武の体系図にも違和感を抱きませんでした。
江戸時代の料理書で加熱調理を表す語を調べてみたところ、この10語のうちで使われていないのは「いためる」だけでした。*7
柴田武の加熱調理操作語彙の体系図が発表されてから、もう40年近くたちました。私の感覚では、今も柴田武の体系が十分通用するのですが、現在二十歳前後の大学生達は、少しは違っているかもしれないと思い、2021年度前期の授業で、柴田武の加熱調理の体系を紹介して、受講者にこれらの語彙を知っているか、使うか、を答えてもらい、コメントを自由に書いてもらったことがありました。正式のアンケートではありませんが、私には衝撃的な結果でした。加熱調理操作を表す語彙を使う(つまり、料理をする)学生が最も普通に使うと答えたのが「いためる」で、次が「ゆでる」です。そして、3番目は電子レンジの使用でした。現代の家庭での食生活のあり方の反映でしょう。その一方で、柴田武が「やく」の派生的なものとして挙げた「あぶる」を知っている学生は少なくありませんでした。ですが、「あぶる」の加熱方法を聞いてみると、回転寿司のお店で見かける魚にバーナーの火を吹き付ける方法で、かつての「あぶる」ではありませんでした。
このように考えてみると、昔も今も使われている加熱調理操作を表す語でも、材料や目的、方法が異なっているのかもしれません。私は、余田弘実(二○○二)で江戸時代の料理本の体系を分析して、現在とはあまり異ならないことを述べましたが、食生活や社会環境が異なる江戸時代と現在では、同じように体系を考えていては本質を見失うことがあるかもしれません。そのようなことを念頭に置き、次回は、江戸時代の料理書における「煎じる」を取りあげてみたいと思います。現在、この語は加熱調理操作語彙としては意識されていないと思います。
3 本連載で使う用語
本連載では、「江戸時代」は「近世」、「料理本」は「料理書」と記します。「近世」としたのは、通例の日本語史の分類に沿ったものです。「料理本」を「料理書」としたのは、たとえば「洒落本」「滑稽本」と言った場合、文学のジャンルだけではなく、書籍に一定の型があります。ところが近世の料理書はさまざまな大きさ、形、表紙をしています。ですので「料理本」とはしませんでした。「加熱調理操作を表す語彙」は「加熱調理操作語彙」とします。また、近世の料理書は国文学研究資料館の「江戸料理レシピデータセット」で閲覧できることができるので(もちろん、各地の図書館で公開しているものもあります)、御覧下されば幸いです。
*1 島田勇雄(1977)「伝授物の語彙-その前提作業のために-」(『国語と国文学』55-5)、(1982)「位相論」(『講座日本語の語彙1 語彙原論』明治書院)など。
*2 國廣哲彌(1970)『意味論の諸相』(三省堂)、『意味論の方法』(大修館書店)
*3 柴田武(1983)「言語から見た食」(『食のことば』ドメス出版 後に『語彙論の方法』に収録)
*4 伊藤幸一(1979)「現代日本語における基礎加熱料理語彙の構造的意味分析試論」(『國學院大學紀要』17)
*5 *3に同じ。なお、体系図については*3の文献を参照のこと。
*6「ご飯をたく」の「たく」であり、西日本で使われる「味噌汁をたく」の「たく」ではない。
*7 余田弘実(二○○二)「江戸時代の料理書における加熱調理操作語彙の体系について」(近代語研究会編『日本近代語研究』3 ひつじ書房)
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- 2021年08月17日 『新連載のお知らせ』
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7月から6回にわたり、あたらしい漢字指導について論じてくださった庵功雄先生(一橋大学)、早川杏子先生(一橋大学)、本多由美子先生(国立国語研究所)、ありがとうございました。多文化共生社会に向け、非漢字圏出身者への漢字指導の重要性を強く感じました。
さて来週8月24日からの6回は、余田弘実(よでん くみ)先生(龍谷大学)による新連載「近世料理書の言葉」が始まります。余田先生は、近世の料理書に見られる調理の言葉、料理の名前、魚や野菜などの、当時の呼び方や方言、また、現代語との違いを研究なさっています。言葉と料理の世界、楽しみですね。(金城)