《第50問》
1769年9月にシェイクスピアの故郷とされるストラットフォード・アポン・エイヴォンで開催された祭典(Stratford Shakespearean Festival)で、主催者の任務を委嘱されたのは誰か?
正解
不正解
- サミュエル・ジョンソン
- デイヴィッド・ギャリック
- エリザベス・バーナード(旧姓エリザベス・ホール)
- サミュエル・ジョンソン
- デイヴィッド・ギャリック
- エリザベス・バーナード(旧姓エリザベス・ホール)
- 解説
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ストラットフォードの自治体が考案したこの祭典に主催者として招かれ、執行役を委嘱されたのは、当時、ロンドン演劇界の第一人者であったデイヴィッド・ギャリックである。1769年9月6日から8日まで続いた三日間の祭典は、連日の雨にもかかわらず盛り上がりを見せた。初日に大砲が打ち鳴らされ、その後、パレード、仮面ダンス、そして、花火といった催しが連日賑やかに行われた。
より詳しい解説を読む当初ストラットフォード側が打ち出した計画では、新設した町役場にシェイクスピアの像を設置する簡素な式典のみを行う予定であったようだが、それが、演出家ギャリックの手にかかると、華麗な大イベントとなった。町を流れるエイヴォン川の辺に、1000人の観客を一度に収容することができ、100人が一度に上がれる大舞台を備えた特設のパビリオンが設置された。そして、その会場を埋め尽くすほど大勢の来客の前でギャリックは、「シェイクスピアに建物と像を捧げるにあたっての頌歌」(Ode upon Dedicating a Building, and Erecting a Statue, to Shakespeare と題する自作の詩を、ドゥルーリー・レーン劇場のオーケストラとコーラス隊全員による伴奏を付けて朗誦した。シェイクスピア劇の人物に扮した役者たちが町を行進する大がかりなパレードも予定されたが、その催しは雨で中止された。
それまではストラットフォードに観光客がまったく訪れなかったわけではないが、この祭典を契機として、この町はシェイクスピアの故郷として広く知られるようになった。ギャリックの派手なやり方には批判の声も多く寄せられたが、この式典は様々な意味において、シェイクスピア受容の歴史における大きな出来事であった。