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すべての問題にチャレンジ!(43/80) | ロミオとジュリエット | リベラルアーツ英語検定クイズ

リベラルアーツ英語検定クイズロミオとジュリエット > すべての問題にチャレンジ!(43/80)

《第43問》
次の人物のうちで、王政復古後にロンドンの商業劇場で最初に『ロミオとジュリエット』を舞台にかけたのは誰か?

正解

不正解

解説

選択肢に挙げた三人は、いずれも王政復古期から十八世紀にかけてシェイクスピアの舞台上演に係った重要な人物であるが、そのうちで『ロミオとジュリエット』の上演を最初に手がけたのはウィリアム・ダヴェナント(William Davenant, 1608-68)である。

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内乱が勃発する以前、彼は、ベン・ジョン(Ben Jonson)の後継者として桂冠詩人に任ぜられ、1639年には劇場建設の勅許も得ていたが、内乱によって阻まれた。内乱後に名優トマス・ベタートン(Thomas Betterton, ?1635-1710)を擁して、ヨーク公爵(後のジェイムズ二世)をパトロンとする公爵一座(Duke's Men, 1660-82)を結成した。同じ頃、チャールズ二世をパトロンとする国王一座(King's Men)が、王の勅許を受けたトマス・キリグリュー(Thomas Killigrew, 1612-83)によってすでに「再結成」され、内乱前の演目を上演し始めていたので、公爵一座はいわば二番煎じとなった。キリグリューが内乱勃発前の伝統を固守しようとしたのに対し、ダヴェナンㇳは翻案や改作を行うなど革新的な上演を行うことでこれに対抗した。ダヴェナントの死後、公爵一座の座頭はベタートンによって引き継がれ、しばらくはドーセット・ガーデン劇場を拠点としていたが、1682年には国王一座と合併してドゥルーリー・レーン劇場に拠点を移した。
 公爵一座が結成された1660年、宮内大臣の勅許により、シェイクスピアのいくつかの芝居が一座のレパートリーとして認められ、その中に『ロミオとジュリエット』も含まれていた。これを受け、1662年3月1日、一座は王政復古後最初となる『ロミオとジュリエット』の公演を行った。しかし、この公演を観たピープス(Samuel Pepys)は、その日の日記にこのような辛辣なコメントを記している。

「それからオペラ座へ行き、『ロミオとジュリエット』を観た。この芝居が上演されるのはこれが最初であった。しかし、この芝居は、その内容じたい、私がこれまで見た芝居の中で最悪であったばかりではなく、これまでに観たこの一座の芝居の中でも最悪であった。」(拙訳)

同じ頃、ダヴェナントの一座は、ジェイムズ・ハワード(James Howard)という劇作家によって喜劇仕立てに書き換えられた『ロミオとジュリエット』も上演したが、これも客受けは良くなかったと見え、その後の上演記録はない(問題42解説を参照)。

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