《第48問》
デイヴィッド・ギャリックの死後、その流儀を受け継ぎ、ドゥルーリー・レーン劇場とコヴェント・ガーデン劇場を主な活動拠点として数々のシェイクスピア劇を上演し、十九世紀におけるシェイクスピア演劇の礎を築いた人物は誰か?
正解
不正解
- チャールズ・キーン
- ウィリアム・ケンプ
- ジョン・フィリップ・ケンブル
- チャールズ・キーン
- ウィリアム・ケンプ
- ジョン・フィリップ・ケンブル
- 解説
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ジョン・フィリップ・ケンブル(John Philip Kemble, 1757-1823)は、この時代を代表する数々のシェイクピア俳優が出た名家(The Kemble Family)出身の俳優で、デイヴィッド・ギャリックがこの世を去った後その後継者となった人物である。彼は、ドゥルーリー・レーン劇場と、そして、その後はコヴェント・ガーデン劇場の支配人となり、この二大劇場を拠点として数々のシェイクスピア演劇の上演を手がけた。
より詳しい解説を読むケンブルの『ロミオとジュリエット』は、基本的にはギャリック版に倣ったものであったが、十九世紀に入った頃から、世相を反映して少しずつだが改変が加えられた。特記すべき点としては、1811年以降の版では、シェイクスピアの原作においてマキューシオや乳母の人物像を特徴付けている性的なニュアンスを帯びた卑猥で下品な表現の多くが削除、もしくは書き換えられたことが挙げられる。この改変は、当時広く普及していたトマス・バウドラー(Thomas Bowdler, 1754-1825)によるシェイクスピア作品集『家庭のシェイクスピア』(The Family Shakespeare, 1818年完結)の影響による。バウドラーは、シェイクスピアの作品にしばしば見受けられる不穏当な部分を純化すれば、作品をさらに「改良」することができ、家庭で教養を高めるための読み物として相応しい形になるという信念に従って、このシリーズを編んだ。バウドラーの提示した上品な新しいシェイクスピアは、社会に受け入れられ、人々の嗜好を変化させていった。ケンブルや当時の劇場人達はこの新しいトレンドを必ずしも是とはしなかったが、まったく意識しないわけにもいかなかった。ケンブル以降の上演では、二十世紀まで、マキューシオや乳母の猥雑な言葉は劇場では聴かれなくなった。
ケンブルの時代は、『ロミオとジュリエット』の人気は他の作品に比べても明らかに下落傾向にあった。その傾向は、チャールズ・マクリーディ(William Charles Macready, 1793-1873)という彼の後継者の時代まで続いた。