《第42問》
『日の名残り』のスティーブンスは語り手でもあるが、スティーブンスのような語り手は一般に文学研究者の間で何と呼ばれているか。
正解
不正解
- 共感できない語り手
- 理解できない語り手
- 信頼できない語り手
- 共感できない語り手
- 理解できない語り手
- 信頼できない語り手
- 解説
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文学研究者の間では一般に「信頼できない語り手」と呼ばれている。1 スティーブンスは自らの発言や行動について執拗に弁解するため、読者はしだいに語り手の意図や態度に疑いを持ち始める。ディビッド・ロッジは『小説の技巧』において信頼できない語り手の典型としてスティーブンスを挙げ、スティーブンスの大仰な語り方と彼の語る内容との落差が語り手の信頼度を下げていると述べている。2 もっとも、語り手としてのスティーブンスの信頼度は一定ではないという見方もある。語りが進むにつれて、語り手が自らの感情を直截に語り始めることから、語りの後半でスティーブンスはむしろ信頼できる語り手へと変貌しているとみる向きもある。3 とはいえ、物語の結末で、温かい人間関係の構築には軽口(bantering)が鍵となる、と結論づけるスティーブンスは語り手として到底信用できないと判断する研究者もいる。 4 他方、スティーブンズの語りを読み解くうえで、「信頼」とは別に「共感」という概念を持ち込む研究者もいる。軽口こそ人間関係の鍵となるというスティーブンスの認識は、たしかに信頼度を下げる働きをしているが、感情を押し殺すことを義とする職業倫理を掲げていたスティーブンスにとって、この認識は十分な「進歩」とも考えられるため、読者の語り手に対する「共感度」はむしろ上がる、という解釈である。 5 むろん、信頼できる・できない、共感できる・できない、といった判断は大いに主観によるので、各々の読者が異なる反応を示すことは十分にありうる。あなたの目にスティーブンスはどのような語り手として映っただろうか。
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1 「信頼できない語り手」(The unreliable narrator)を最初に提唱したのはWayne C. Boothである(The Rhetoric of Fiction)。The unreliable narratorは「信用できない語り手」と訳されることもあるが(ディヴィッド・ロッジ『小説の技巧』柴田元幸・斎藤兆史訳 白水社、1997年)、ここでは、BoothのThe Rhetoric of Fictionの訳書『フィクションの修辞学』(米本弘一・服部典之・渡辺克昭訳 白馬書房、1991年)に従って「信頼できない語り手」で統一した。
2 『小説の技巧』p.212
3 特に次の2編の論文を参照のこと。Kathleen Wall, “The Remains of the Day and Its Challenges to Theories of Unreliable Narration.” Journal of Narrative Technique 24.1 (1994): 37;
James Phelan and Mary Patricia Martin. “The Lessons of ‘Weymouth’: Homodiegesis, Unreliability, Ethics, and The Remains of the Day.” Ed. David Herman. Narratologies: New Perspectives on Narrative Analysis. Columbus: Ohio State University Press, 1999. 98.
4 Brian W. Shaffer. Understanding Kazuo Ishiguro. Columbia: the U of South Carolina P, 1998. 87;
Adam Parkes. Kazuo Ishiguro’s The Remains of the Day: A Reader’s Guide. New York: Continuum, 2001. 39-40.
5 James Phelan. “Estranging Unreliability, Bonding Unreliability, and the Ethics of Lolita.” Narrative 15.2 (2007): 222-38.