リベラルアーツ英語検定クイズロミオとジュリエット > 2015年03月05日更新分(1/3)

《第22問》
シェイクスピア別人説における候補者達の中で、1987年に米国最高裁判所において審理の対象となった人物は誰か?

正解

不正解

解説

1987年9月25、「真のシェイクスピア」はストラットフォードのシェイクスピアだったのか、それとも第十七代オクスフォード伯爵エドワード・ド・ヴィア(Edward De Vere, 1550-1640)であったのかを審理する裁判が、米国最高裁判所にて執り行われた。ド・ヴィア説の発端となったのは、イギリス・ゲイツヘッドの英語教師ジョン・トマス・ロウニー(John Thomas Looney)という人物の書いた『「シェイクスピア」の正体』(“Shakespeare” Identified, 1920)なる(表題からして胡散臭い)本である。

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ジークムント・フロイトや、ヘンリー・ジェイムズ、マーク・トウェイン、チャールズ・チャップリンといった著名人達がこの説を支持した(といってもどこまで本気で支持したのかは不明)という事実をマスメディアが取り沙汰したことで、戦後、特に米国において、議論が一時的に白熱し、1957年には米国シェイクスピア・オクスフォード協会(Shakespeare Oxford Society of America)という団体まで設立される程になった。1940年代後期には、連邦通信委員会(Federal Communications Commission)の管轄によって報道における公正原則が法制化されたため、メディアが報じようとする内容について対立する見解が存在する場合にはその両者を公平に報じることが義務づけられ、それがオクスフォード協会にとっての追い風となった(James Shapiro, Contested Will, Simon & Schuster, 2010, 204-5)。しかし、サミュエル・シェーンボームの『シェイクスピアの生涯』(Samuel Schoenbaum, A William Shakespeare: A Documentary Life, 1975)が刊行された1970年代中頃には、ロウニーの説はすでにメディアからも見放されつつあった。これに強く抵抗したのが、当時オクスフォード協会の会長であったチャールトン・オグバーン(Charlton Ogburn)という行動力のある人物である。オグバーンは、『謎に包まれたシェイクスピア』(The Mysterious Shakespeare, 1984)という900ページにも及ぶ本を書いてシェーンボームら「正統派」を論駁しようとしたが、オクスフォード協会の勢力を増強させる結果にはつながらなかった。そこでオグバーンの考えた最後の一手が、法の裁きに訴えるという手段であった。彼の起こした裁判は、最初からほとんど勝ち目はなかったものの、ゴシップ好きな米国メディアがこれを話題として取り上げた結果、裁判当日には、ワシントンの最高裁判所前に傍聴券を求める人々が千人も集まった。
 クリストファー・マーロー説やフランシス・ベーコン説を主張する人々の中には、オグバーンのような行動にでた者はいなかった。

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