《第76問》
『ロミオとジュリエット』の出版権利を所有し、1622年にジャガード親子を発起人とするファースト・フォリオの出版結社(the Folio Syndicate)の一員となった人物は誰か。
正解
不正解
- アンドリュー・ワイズ
- ジョン・ダンター
- ジョン・スメジック
- アンドリュー・ワイズ
- ジョン・ダンター
- ジョン・スメジック
- 解説
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『ロミオとジュリエット』を最初に出版(Q1, 1597)したのはジョン・ダンターである(問題6の解説を参照)。しかし、ダンターは、それまでに幾度も不法出版に関与したことで、『ロミオとジュリエット』の出版後間もなく(1597年3月)書籍商組合から書房取り潰しの制裁を受けた。これによって『ロミオとジュリエット』の出版権利はカスバート・バービー(Cuthbert Burby)という人物の手に渡り、この人物はトマス・クリード(Thomas Creed)という印刷業者を雇ってQ2(1599)を出版した。その後(1607年)、バービーの引退に伴って出版権利はニコラス・リング(Nicolas Ling)の手に渡ったが、リングはすぐにそれをジョン・スメジック(John Smethwick)という人物に譲渡している。したがって、1607年以降に出版された版―Q3(1609)、Q4(1622?)、Q5(1637)―は、スメジックの名で出版されている。
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フォリオ製作の構想が浮かんだとき、ウィリアム・ジャガードは、まず、最初に、マシュー・ロー(Mathew Law)という人物から『リチャード二世』、『リチャード三世』、『ヘンリー四世第一部』の出版許諾を受ける交渉を行ったが、難航した(W. W. Greg, The Shakespeare First Folio: Its Bibliographical and Textual History, Clarendon, 1955, pp. 443-44)。シェイクスピア作品にはすでにそれだけの市場価値がついていたのである。その苦い経験から、ウィリアムは、他にシェイクスピア作品の出版権利を有する同業者達には同様のやり方で交渉することはせず、上述の「結社」を設立して彼らを雇い込むというやり口で許諾をせまった。結果、『ヘンリー四世第二部』、『から騒ぎ』等の人気作品の権利を有するウィリアム・アスプリー(William Aspley)らとともに、スメジックも結社の一員となることを許諾した。
よく誤解されるが、この時点で『ロミオとジュリエット』の出版権利がスメジックからジャガード親子に譲渡されたと考えるのは間違いである。現に、上述したようにフォリオの出版が企画されていた頃(1622年)にも、また、その後(1637年)にも、『ロミオとジュリエット』がスメジックの名を冠して出版されている。