《第64問》
ティボルトの剣に落ち退場してゆく(その退場は彼の死を意味する)場面でのマキューシオの台詞に "Ask for me tomorrow, and you shall find me a grave man"(3.1.89-90)というくだりがあるが、この部分は、松岡氏の翻訳では「明日、俺に会いにきてみろ、はかなく墓に納まってるよ」という日本語になっている。”you shall find me a grave man”がなぜ「はかなく墓に納まってるよ」に訳されているのか、その説明文として正しいものはどれか?
正解
不正解
- 原文にみえる巧妙な駄洒落を訳文に汲み取ろうとしている
- 単純未来を表す助動詞 shall のニュアンスを訳出しようとしている
- me が動詞の倫理与格(ethical dative)であることを訳文で強調しようとしている
- 原文にみえる巧妙な駄洒落を訳文に汲み取ろうとしている
- 単純未来を表す助動詞 shall のニュアンスを訳出しようとしている
- me が動詞の倫理与格(ethical dative)であることを訳文で強調しようとしている
- 解説
-
(b、cは正しい説明とはいえない。)
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この一文をうまく解釈するには、'grave' という言葉に二重の意味がかけられていることに気付かなければならない。もちろん、一つの意味は「墓」である。つまり、この一文は、「明日俺を訪ねてくれば、墓に入っているよ」という意味であることは明白である。もう一つの意味は、'serious(真面目な)' である。つまり、この一文は、「明日俺を訪ねてくれば、おれは不真面目な人間ではなくなっているよ」とも解釈できるのである。芝居を通じて、マキューシオは、カーニヴァルの転覆的な時空におけるアルレッキーノを思わせる無秩序の先導者として観客の目に映り、「真面目」の対極にあるように見える人物である。そのマキューシオが「真面目」になるということは、芝居の前半で彼の存在が象徴していたカーニヴァル的時空が「はかなく」も終焉をむかえることを暗示する。マキューシオのこの台詞は、以上のような意味深長な駄洒落を含んでいるので、松岡氏は「はかなく墓に納まっているよ」と訳したと推察できる。熟練した翻訳家のなせる業である。ちなみに、駄洒落を得意とする小田島雄志(白水社Uブックス)は、この一文を「ためしに明日、おれを訪ねてみろ、はからずも墓に眠る変わりはてたおれの姿をみとめるだろう」と訳している。『ロミオとジュリエット』が初演された頃、マキューシオのこの台詞を聴いた観客の中には、ヨブ記」第7章第21節(「今や、わたしは横たわって塵に返る。/あなたが捜し求めても/わたしはもういないでしょう」)を連想した人もいたであろう。J. G.マックマナウェイ(J. G. McManaway)は当時流布していた『英語訳聖書』(Bishop’s Bible )には、その一節が次のような英語で綴られていたことを指摘している (N&Q , ns 3 [1956], 57)。
Behold, nowe must I sleepe in the dust, and if thou sekest me to morowe in the morning, I shal not be.
もし「ヨブ記」のこの一節が観客の脳裏に想起されていたならば、その原文にはない 'grave' を用いたマキューシオの駄洒落は、より強い印象を与えたであろう。