《第52問》
1750年以降、ギャリック版『ロミオとジュリエット』で捨象されたのは次のうちどれか?
正解
不正解
- ベンヴォーリオの存在
- ロミオのロザラインへの恋
- バルコニー・シーン
- ベンヴォーリオの存在
- ロミオのロザラインへの恋
- バルコニー・シーン
- 解説
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「ロザラインへの恋」は、ギャリック版の初版(1748年)には残っているが、1750年版では捨象された。この版の宣伝文によると、ロミオに恋人がいたという情報は、当時は多くの人が彼の「人格の汚点」('Blemish in his Character')と考えていたという。そうした世間の評価に対し、ギャリックは対応を余儀なくされたのである。ともすれば純愛劇の主人公ロミオの不可解な性格を照射しかねないこの情報は、「三一致の法則」を遵守する当時の人々の嗜好に合わなかったと考えられる。オットウェイの『ケイウス・マリウス』でもすでにこの情報は削除されていた。
より詳しい解説を読む「ロザラインへの恋」の削除は、その後、ギャリックからケンブルの時代を経て十九世紀中頃まで継承されていた。ギャリックの時代に改変されたその他の箇所 ― 例えば、ロミオとジュリエットが最後に言葉を交わすという箇所など ― も、同じく、十九世紀中頃まで継承されていた。このような傾向に対して深い違和感を覚え、原テクストへ回帰する必要性を最初に強く訴えたのは、1845年にイギリスで公演を行っていたシャーロット・クッシュマン(Charlotte S. Cushman, 1816-76)という米国人の女性俳優であった。クッシュマンの『ロミオとジュリエット』は、その後、イギリス人の記憶に深く刻まれ、新たな時代を切り拓いてゆくことになる。
しかし、ギャリック版『ロミオとジュリエット』の人気も暫く続き、ジョン・ケンブルの姪で名優チャールズ・ケンブル(Charles Kemble, 1775-1854)の娘である、当時の花形女性俳優であったファニー・ケンブル(Fanny [Frances] Anne Kemble, 1809-93)などは、1879年頃までギャリック版を好んで使用していた。ファニーは、「私は両方で演じてみたし、父も両方で演じたのだけれど、だからこそどっちが上演に最も適しているか分かるのよ」と述べたと伝えられている。