リベラルアーツ英語検定クイズロミオとジュリエット > 2015年05月14日更新分(3/3)

《第36問》
 『ロミオとジュリエット』は中世からルネサンスにかけて流行したある特徴的な様式に倣って書かれた悲劇であるが、そうした悲劇を何と呼ぶか?

正解

不正解

解説

中世における悲劇のコンセプトは、ギリシャやローマの古典劇のそれとは大きく違っていた。アリストテレスが『詩学』で説き、新古典主義時代の劇作家や批評家が規範としたのは、「三一致の法則」や「人物造形の一貫性」を重んじる古典演劇(regular tragedy)の原則であったが、中世からルネッサンスにかけては、その原則は、それほど拘束力を持つものではなかった。当時は、「運命悲劇」(de casibus tragedy)という悲劇形式が流行していた。

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その起源は、ボッカチオの物語集 De Casibus Virorum Illustrium(On the Fates of Famous Menという意味)に溯ることができる。中世には、人間の運命は気まぐれな女神によって操られた歯車に喩えられ、その輪は、女神の悪戯によって回転させられるという信仰があった。ボッカチオは、幸運の絶頂にある者がこの歯車の回転によって、奈落へと落ちて行く顛末を描いている。この物語形式は、ジェフリー・チョーサーやジョン・リドゲートの影響によりイギリスにおいても流行した。ルネッサンス時代には、ボールドウィン(William Baldwin, c. 1518-1563)らが、運命によって操られた偉人の悲劇的生涯を取材した物語集『為政者の鏡』(Mirror for Magistrates, 1559)を編纂し、この書物は何度も再版が出され、当時の文学に影響を与えた。クリストファー・マーローの『エドワード二世』や、それを意識して書かれたシェイクスピアの『リチャード二世』には、『為政者の鏡』の影響が色濃く窺える。
 シェイクスピア時代の悲劇を regular tragedy の規範に照らして測ろうとするのは、十八世紀以降の新古典主義時代の考え方であり、十七世紀にはあまり意識されていなかった、というのがシェイクスピア学者の一致した見解である。ちなみに、『ロミオとジュリエット』の第三幕第一場で、ロミオが「ああ、俺は運命の慰みものだ」(原文: ‘O, I am fortune’s fool’)といっているが、この台詞をもう少し本来の意味を汲み取って詳しく訳すなら、「ああ、俺は気まぐれな運命の女神に翻弄された道化だ」という意味であり、観客に、彼の生涯が de casibus tragedy の典型的パターンに該当することを想起させる一文となっている。
 一方、「性格悲劇」(tragedy of character)という言葉もよく耳にするが、これはもっぱら、1599年以降のシェイクスピアの芝居を称する場合に使われることが多く(もっとも代表的なものは『ハムレット』である)、1590年代中葉に書かれた『ロミオとジュリエット』は含まない。悲劇が起こる要因が運命の気まぐれというよりは、むしろ、主人公の性格にあると考えることができる場合、その芝居を tragedy of character と呼ぶ。

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