リベラルアーツ英語検定クイズロミオとジュリエット > 2016年09月22日更新分(3/3)

《第72問》
十八世紀前半にシェイクスピアの作品集を編纂した次の人物のうち、後に「私達の詩人のテクストの二大改悪者の一人」と呼ばれた人物は誰か。

正解

不正解

解説

1790年に『シェイクスピア全集』を編んだエドモンド・マローン(Edmond Malone, 1741-1812)が、アレグザンダー・ポープ(Alexander Pope, 1688-1744)をそう呼んだ(同全集、vol 1, p. xix 及び vol 5, p. 568 を参照)。

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ポープの版は1725年に六巻本として、そしてその増補版が1728年に七巻本として出版された。それはニコラス・ロウ(Nicholas Rowe, 1674-1718)の手になる『シェイクスピア作品集』(1709年、1714年)に続く史上第二番目の校訂版シェイクスピア作品集であった。マローンがポープを「改悪者」と呼んだのは、ポープが詩人としての自分の感覚を頼りに本文に多くの改変を加え、それが後の編纂者に継承されてきたからである。マローンのいうもう一人の「改悪者」とは、『ファースト・フォリオ』(1623)の増刷版である『第二フォリオ』(1632年刊)を印刷した植字工達のことである。その植字工達もポープと同様、自分たちの解釈や感性に従って『ファースト・フォリオ』の本文を改変し、その結果、改変された本文が次なる版の底本として使用されることになった。十七世紀から十八世紀初期の感覚では最新の版が最良のものとされ、それが次なる編纂者の底本となっていたのである。
 シェイクスピア作品集編纂の任を与ったとき、ポープはその親友である詩人トマス・パーネル(Thomas Parnell, 1679-1718)の遺稿(Poems on Several Occasions , 1722年刊)の編集作業に従事していた。そのせいか、『一八世紀のシェイクスピア』の著者デイヴィッド・ニコル・スミス(David Nichol Smith)が指摘するように、「遺作編者の精神で」シェイクスピアの本文校訂の仕事に臨み、作者本人が「気付いていたら間違いなく消していたであろう小さな間違いを、永劫残す」のを回避することを編集方針とし、自らの感性と言語感覚を頼りに本文に改変を加えた(野口忠昭・五十嵐博久訳『一八世紀のシェイクスピア』、大阪教育図書、2003年、p. 37)。例えば、『ジュリアス・シーザー』の第三幕第二場にみえる 'This was the most unkindest cut of all' というエリザベス朝時代の英語にはよくありがちな最上級の二重使用を含む一文を誤りと考え、'This, this was the unkindest cut of all' などとし、'most' を削除してさらに 'this' を補うことによって 'most' の削除によって失われた音節を補うなどという改変が、ポープの常套手段である。今でいうところの modernization であるが、原典(それが何を指すのかはともかく)への回帰を旗印とするマローンの時代には、こうした改変は「改悪」と見なされるようになっていた。
 「改悪者」と呼ばれる一方、ポープがシェイクスピア編纂史に遺した功績も少なくはない。スミスも指摘しているように、シェイクスピアの生前に四折本の形で出版されていた芝居については、その本文も参照する形で折衷版を作ろうと試みた編纂者は彼が最初であった(上掲書、p. 39)。ポープの1728年版の第七巻には、彼が収集し参照したという四折本の一覧がみえるが、そのうちの多くはポープによって初めてその存在が確認されたものである。例えば、『ロミオとジュリエット』についていえば、1597年版の第一四折本(Q1)が参照されており、その読みが所々で本文に組み込まれている。一例を挙げると、第一幕第四場のベンヴォーリオの台詞にみえるこのくだりなどは、第二四折版(1599)にもファースト・フォリオ以降の版にも存在しないものである。

  Nor no without-book prologue, faintly spoke
  After the prompter, for our entrance (1.4.7-8)

 訳)
  俺たちの登場のためにプロンプターをつけ
  丸暗記でへどもど口上を言わせるのもなし。

この一節は、もしポープの功績がなければ、現在まで『ロミオとジュリエット』の本文に組み込まれることはなかったかもしれない。
 次なるシェイクスピア編纂者ルイス・シボルド(Lewis Theobald, 1688-1744)は、ポープが発見しなかったいくつもの四折本を発見し、さらにはポープの「いい加減な」編集方法について『シェイクスピアを復元する―ポープ氏の間違いとポープ氏が直さなかった間違い』(1733)と題する彼の著書の中で痛烈に批判してみせたものの、結局はポープ版を底本として使用し、ポープの施した多くの改変をそのまま後の世に継承する形となった。

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