リベラルアーツ子ども検定クイズ占領期米国教育使節団 > 2018年03月22日更新分(1/1)

《第96問》
1950年に来日した第二次教育使節団の団長は誰か。

正解

不正解

解説

第二次教育使節団の団員5名は全員、第一次教育使節団員であった。ギブンス団長は、来日前の約15年間、全米教育協会事務局長であった。それ以前には、明治初頭に東京師範学校に近代教授法を紹介したM・M・スコットがいたハワイのマッキンレー・ハイスクールの校長を務めたこともある。実は第二次の団長も、第一次の団長であったジョージ・D・ストッダード博士が務めることが本人も受諾し決まっていたが、ストッダードがイリノイ大学総長として大学の重要な問題に対処する必要が生じたため来日が不可能となり、陸軍省に新団長の選任を求めたという経緯があった。
 ちなみに、第一次使節団報告書は原文総数62頁であったが、第二次使節団報告書は同17頁であり、字数も、後者は前者の半分よりはるかに少ない。これは文部省が第二次使節団に1950年8月に提出した報告書『日本における教育改革の進展』の三分の一にも満たない。これには理由がある。ギブンス団長は団員を代表してマッカーサー元帥にあてた手紙のなかで、「昭和二十一年三月三十日貴官あてに提出された報告書の補足として、ここに日本に関する報告書を提出します」と述べている。また、報告書の「はしがき」で、第二次使節団は「昭和二十一年に提出した勧告事項の進行と成果とを研究」するために来日し、「教育問題のうち、さらに考究する必要があると信ぜられるもののみ」について扱っていると述べている。第一次と第二次では、質問98でみられるような顕著な違いがあるが、基本は同じである。

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