《第95問》
「われわれは、征服者の精神を持って来朝したのではなく、すべての人間には、自由を求めさらに個人的ならびに社会的発展を求める測り知れない力がひそんでいることを確信する教育経験者として、来朝したのである」(序論)ではじまる第一次教育使節団報告書は、日本の教育関係者に、概してどのように受け取られたか。
正解
不正解
- 内政干渉として否定的に受け取られた
- 肯定的に受け取られた
- 改革のバイブルとして無条件に歓迎された
- 内政干渉として否定的に受け取られた
- 肯定的に受け取られた
- 改革のバイブルとして無条件に歓迎された
- 解説
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日本での反響を調べたものに、文部省文書課調査掛編「アメリカ教育使節団報告書ニ対スル反響調(附之ニ対スル文部省ノ関係事項)」(昭和21年10月28日)がある。占領下の民主化・非軍事化がすすむなか、学校制度、教育行政、教育内容等を盛り込んだ使節団報告書は教育改革の青写真ととらえられ、概ね肯定的、積極的に受け取られた。『アメリカ教育使節団報告書要解』(国民図書刊行会、1950年10月)の編者、周郷博・宮原誠一・宗像誠也は、序で「われわれがアメリカ教育使節団報告書をとくに重視するのは、それが連合国軍総司令部によつて承認され、日本の教育制度の改革の基本方針をしめすものとしてわれわれにあたえられた文書だからという理由だけからではない。われわれはこの歴史的なアメリカ教育使節団報告書を、これまで教育について書かれた世界中の文書のなかで最高位の段階におかれてよいものの一つであると考える。これは二十世紀前半までに発達した民主主義的教育思想のみごとな結実の見本である。そして、ここにはなかんずくアメリカ民主主義の正当な伝統の最もよきものが白光をはなつている。われわれはこのような貴重な文書が日本の教育のために作成され、日本のよき未来のために供与された幸福に思いを致さずにはいられない」(1~2頁)と高く評価している。戦前の超国家主義、軍国主義の教育の反省からであろう。このように報告書は概して肯定的に受け取られたが、賛否両極端の見方も絶無ではなかった。一方では報告書を拳々服膺する人がいたし、また、報告書をカギ括弧つきの「占領目的に反しない限りは」、「アメリカ民主主義の範囲内では」ととらえた人もいた。
教育使節団報告書が戦後教育政策の最重要文献であることは、その報告書の訳が、第一次のみ、第二次のみ、第一次と第二次を合わせたものを合計すれは、優に20点を超えることからもわかる。具体的なタイトルは、『教育改革資料10 米国対日教育使節団に関する総合的研究』(国立教育研究所、1991年、7-9頁)を参照されたい。その後、1995年に米国対日教育使節団第一次・第二次報告書に米国対ドイツ教育使節団報告書を合わせた『戦後教育の原像―日本・ドイツに対するアメリカ教育使節団報告書』(鳳書房)、2000年に責任編集・寺崎昌男『米国教育使節団報告書(付・英文)第一次 第二次』(日本図書センター)が刊行されている。
なお、教育使節団には少数意見書が存在していることなどから、報告書は団員の妥協の産物であったことが判明している。ストッダード団長は、「使節団にもいくらかの意見の相違がありましたが、全員署名しました。意見の違いは、実質的な勧告内容というより実施の速度と方法にありました」(拙著『国字ローマ字化の研究改訂版』110頁)と述べている。最終的には使節団全体で採択されているが、その過程で、「報告書に署名するようなことはできないと言い始めた」(同上、112頁)団員がいたり、帰国後「今振り返ると報告書に署名すべきではありませんでした」(同上、114頁)と述べる団員もあった。