《第55問》
昭和天皇の「人間宣言」といわれるのはどれか
正解
不正解
- 1945年9月27日に天皇がマッカーサー元帥と米国大使公邸で会見した際の発言
- 1946年元旦に天皇が発した「新日本建設ニ関スル詔書」
- 1946年6月20日の第90回帝国議会開院式で天皇が読んだ勅語
- 1945年9月27日に天皇がマッカーサー元帥と米国大使公邸で会見した際の発言
- 1946年元旦に天皇が発した「新日本建設ニ関スル詔書」
- 1946年6月20日の第90回帝国議会開院式で天皇が読んだ勅語
- 解説
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本詔書は「茲ニ新年ヲ迎フ」にはじまり、まず「五箇条ノ御誓文」の全文を引用する。そして「朕ト爾等國民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」と述べ、続いて「天皇ヲ以テ現御神ト」するような「架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」としている。1945年8月15日の終戦の詔書では「爾臣民」と呼びかけていたのが4ヶ月半後に「爾等國民」となり、君臣の関係が一変した。本詔書は、濁点と句読点がはじめて一緒に用いられ、文体はカタカナ交じり文語体だが用語・用字が易しくなるなど、詔勅文創始以来80年の歴史と慣習を打破するものであった。詔書のことばが国民に近づいたといえよう。昭和天皇は、前々から詔勅(詔書や勅語)は難解ではないかと案じておられたようである。1931年6月19日の東京朝日新聞に掲載された「詔勅は難しく思はぬか 聖上陛下から御下問 保科氏から國字問題を御進講」という記事にそれがうかがえる。なお天皇は、この年頭詔書を出した1946年の2月19日以降、全国各地を巡幸して国民に感動を与えた。