《第88問》
九州地方には江戸時代末期につくられためがね橋がいくつも現存する。『肥後の石工』(今西祐行/作 岩波少年文庫ほか)は、それをつくった石工たちを描く物語。橋をつくるため薩摩の国に呼ばれた岩永三五郎をはじめとする石工たちは、工事が終わったあと、薩摩の殿様がさしむけた刺客のさむらいに命を狙われた。敵が攻めてきた時に橋を崩すしかけの秘密を外にもらさぬためだった。その中で刺客が三五郎だけを見逃し、殺さなかったのはなぜか。
正解
不正解
- 昔の知り合いだったから
- いのちごいをしなかったから
- 持っていた刀が折れたから
- 昔の知り合いだったから
- いのちごいをしなかったから
- 持っていた刀が折れたから
- 解説
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この刺客ははじめから、うつくしい橋をつくった石工たちを殺せという命令に疑問をもっていた。仲間が殺されたことを知って「わたしもきってくだされ。」と言う三五郎の人となりに感じいり、身がわりに無関係なこじきを殺して首を持ち帰る。ただひとり生きて故郷に戻った三五郎は、自分も死ぬべきだったと思い苦しむ。しかしその橋づくりの技術は、今度は戦のための橋ではなく、百姓たちの生活のための橋づくりに必要とされた。1923年生まれの作者は戦時中に海軍に入隊したが、仲間たちが危険な前線に向かう中、盗難にあったことからひとり日本に残り、生き延びる。その経験を作中の三五郎に重ねていたという。