《第16問》
1946年3月に教育使節団が来日したときの文部大臣は誰か?
正解
不正解
- 安倍能成
- 前田多門
- 田中耕太郎
- 安倍能成
- 前田多門
- 田中耕太郎
- 解説
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安倍は第一高等学校校長を務めていた哲学者である。名は「よししげ」と読む。敗戦時の文部大臣は太田耕造(在任1945年4月7日~8月17日)であった。戦後最初の東久邇内閣の組閣は昭和20年8月17日であり、文相は厚生大臣兼任であった松村謙三が17日から18日まで務めている。前田多門の就任は18日である(在任1945年8月18日~46年1月13日)。したがって、戦後初代の文相は松村ということになる。これは、文相に予定されていた前田が軽井沢にいた等で就任が遅れたためである。前任の前田の推薦・懇請により就任したのが安倍文相(在任46年1月13日~同年5月22日)、そして田中文相(46年5月22日~47年1月31日)と続いた。田中は前田文相が1945年10月15日に学校教育局長につれてきた人物(当時、東京帝大教授)で、前田の遠縁にあたる。