言葉と文化のハロハロ、フィリピンを味わう(ことば文化特設サイト)
ことば文化に関する気になるトピックを短期連載で紹介していきます。
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- 2025年04月22日 『4. 言葉と文化のハロハロ、フィリピンを味わう:タガログ語とイロカノ語の調査方法 林真衣(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)』
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図1 タガログ語のコーパスの画面
図2 店頭に並ぶエンパナーダ
図3 SNS で使われている sana all
図4 本場フィリピンのハロハロ
図5 イロカノ語が話されているイロコス地方のクリスマス
図6 広場で民族舞踊に目が釘付け
フィリピンの言語の調査方法
ときどき「言語ってどうやって調査してるんですか?」「言語のデータってどうやって手に入れるんですか?」と聞かれることがあります。前回までにいくつかの研究の概要を読んでくださった方も疑問に思われるのではないでしょうか。
1つには、フィールドワークという方法があります。フィールドワークは基本的に、言語が話されている地域でその言語の話者の方の協力のもとデータを収集します。私自身もフィリピンに滞在して調査をすることがあります。
こちらのサイトの「autumn 秋の書評祭り」という企画で、大角翠先生の『言語学者のニューカレドニア: メラネシア先住民と暮らして』という書籍に対する書評を書かせていただきました。こちらの書籍および私の書評を読んでいただくと、フィールドワークの雰囲気を感じられると思います。http://www.la-kentei.com/kotoba_special/?id=519
他には、インターネット上のデータを用いる方法があります。実際に使用された書きことばや話しことばであるデータに、どこからでもアクセスしたりダウンロードしたりして利用することができます。感染症の流行によって移動が制限された時期を経て、この方法の重要性はより高まってきました。今回はこちらの方法に注目します。
実際に、私の研究でも、インターネット上で公開されているデータを利用しています。どのような研究で具体的にどのようなデータを利用したのか、3つ示していきたいと思います。
1つ目が、前回紹介した形容詞と名詞の語順についてのタガログ語の研究です。どのような研究だったかというと、形容詞・名詞の語順と名詞・形容詞の語順のどちらも可能な場合に、名詞の意味的な特徴が2つの語順の選択に影響していることを示したものです。
この研究で使ったのは、100以上の言語のコーパスを提供しているスケッチエンジン (Kilgarriff et al. 2004) というサービスのタガログ語のコーパスです。度々出てくる「コーパス」というのは何かというと、書きことばや話しことばを集めたデータベースのことです。私が使ったタガログ語のコーパスは、ブログやニュースサイトから収集された2億語ほどから成る大規模なものです。スケッチエンジンでは、フィリピンの言語としてはタガログ語と次いで大きな言語であるセブアノ語のコーパスが公開されています。今のところイロカノ語の扱いはなかったりと難点はありますが、単語ごとに形容詞や名詞などの品詞の情報が付与されていたりして使い勝手はいいです (図1)。
イロカノ語の形容詞が担う役割
2つ目が、イロカノ語の形容詞についての研究です。連載2回目の最後のポイントとして、フィリピンの言語では名詞や動詞などの品詞の区別が難しいという特徴を説明しました。この特徴と関連して、文献一覧でこの研究に触れていました。
どのような研究なのかを紹介するにあたって、以下のイロカノ語の例文を見てください。エンパナーダとは肉、野菜、卵を生地で包んで揚げた食べ物で、イロカノ語が話されているイロコス地方の名物です (図2)。
(1) 叙述
Dakkel ti empanada =mi.
大きい 冠詞 エンパナーダ 私たち
「私たちのエンパナーダは大きい。」
(2) 修飾
Kukuami ti dakkel a empanada.
私たちの 冠詞 大きい リンカー エンパナーダ
「大きなエンパナーダは私たちのだ。」
(3) 指示
Kaykayat =mi ti dakkel.
好きだ 私たち 冠詞 大きい
「(エンパナーダについて) 私たちは大きなのが好きだ。」
どの例文にも dakkel「大きい」という単語が登場します。しかし、それぞれの例文での dakkel「大きい」の役割は異なっています。(1) では、empanada=mi「私たちのエンパナーダ」がどのような属性を持つかを述べています (以下、この役割を叙述と言います)。(2) では、名詞 empanada「エンパナーダ」を修飾しています。(3) では (2) とは違って、dakkel「大きい」だけで「大きなエンパナーダ」を指し示しています (以下、この役割を指示と言います)。このように dakkel「大きい」などの属性を表す単語は、叙述、修飾、指示の3つの役割を担うことができます。
この現象に関して、世界の言語で、属性を表す単語は叙述と指示よりも修飾の役割を担うことが多いという主張があります (Croft 2022)。この主張をイロカノ語で実証したのが、私の研究です。なぜあえてフィリピンの言語で検証する必要があるのかという点が、フィリピンの言語で品詞の区別が難しいという特徴や、連載3回目のテーマである「リンカー」に関係してくる面白いところなのです。が、続きは私の論文をご覧ください。
この研究に使ったのが、250以上の言語のコーパスを提供しているライプツィヒコーパスコレクションの中のイロカノ語のコーパスです。私が使ったイロカノ語のコーパスは、イロカノ語版ウィキペディアから収集された60万語が収録されています。ライプツィヒコーパスコレクションでは、ぱっと数えた限り、タガログ語とイロカノ語を含めた8つ以上のフィリピンの言語のコーパスが公開されています。このように、フィリピンだけでも比較的多くの言語を取り扱っていて大変便利です。
タガログ語の流行語 sana all「いいな〜」
3つ目が、タガログ語の流行語である sana all という表現についての共同研究です。この sana all は、タガログ語で願望を表す sana と英語の all「全て」から成る複合語です。字義通りには「全ての人 (や物事) が ... であってほしい」と願うかのような表現ですが、実際には、好ましい事柄が自分には当てはまらないので羨ましいという意味を表します (長屋ほか 2021)。(4) (5) のように使われます (図3)。
(4) Sana all.
願望 全て
「いいな〜。」
(5) Sana all may jowa.
願望 全て いる 恋人
「私に恋人がいたらいいのに。」
この流行語については SNS、具体的には、Twitter のデータを用いて調査しました。流行語は Twitter のような SNS で盛んに使用されるからです。この調査を通じて明らかにしたこととしては、以下のようなポイントがあります。
sana all は返信ツイートまたは引用ツイートで用いられることが多いです。例えば、カップルの写真がツイートされているのに反応して (5) とツイートするということです。このことから sana all は SNS 上の独り言ではなく、コミュニケーションの一部として働いていると言えます。
sana all には単独で「いいな〜」「羨ましいな〜」という感情を表す (4) のような用法 (以下、独立用法) や、羨む事柄の前に置かれて「私もそうだったらいいのに」という感情を表す (5) のような用法 (以下、前置用法) を含めて、いくつかの用法に分類することができます。
sana all は細々と使われ始め、一時期から急激に使用が拡大しました。当初は独立用法が中心でしたが、使用の拡大とともに前置用法を含む幅広い用法が誕生し、なかでも前置用法の使用が増加していきました。
使用の拡大とともに、sana all の綴り方にもバリエーションが生じました。例えば、all「全て」から発音の似ている oil「油」に変化し sana oil と綴られるようになったり、おそらく sana oil の oil「油」からの連想で sana all の代わりに china oil (中国の油?!) が使われたりもしました。
このように SNS のデータを使うことで、流行語の誕生から定着するまでの変遷を観察することができます。返信や引用といった SNS ならではの特徴も分析に反映することができます。SNS という誰にとっても身近なツールが、実は言語の調査に役立てられているのです。
3つの研究を通してお伝えしたかったことは、フィリピンの言語のデータは身近な方法で手に入れることができる、その上、思いのほか豊富に揃っている、ということです。
フィリピンの言語を味わおう
とはいえ、研究 (や学習) を目的にフィリピンの言語に接するということはなかなかないと思います。ですがせっかくなので、全4回で紹介してきたタガログ語とイロカノ語の特徴を思い起こしながら、各言語の字面や音色だけでも味わってもらえたらと思います。
上記のコーパスにも利用されていたウィキペディアは、タガログ語とイロカノ語をはじめとする8つ以上のフィリピンの言語のバージョンが公開されています。タガログ語とイロカノ語で同じ項目を比較してみるのも面白いのではないでしょうか。
タガログ語とイロカノ語による音楽やポッドキャストも、音楽配信サービスで多数聴くことができます。フィリピン人のアーティストによって制作され奏でられるポピュラー音楽は OPM と呼ばれ (山本 2022: 20)、人気を博しています。
私自身も OPM を好んでよく聴いています。ここで一曲、Up Dharma Down というバンドの tadhana「運命」というタガログ語の曲を紹介します。2012年に公開されたようで、私は留学していた2019年に知ってから好きで定期的に聴いていた OPM の1つでした。連載の中で OPM を一曲は何か紹介したいなと思っており、音楽配信サービスで直近のフィリピンのチャートを見ていたところ、今もなおチャートにランクインしており運命を感じました。この曲はまさに「ゆったりしたテンポ、美しいメロディ、そして感傷的な歌詞」(山本 2022: 20) を兼ね備えた OPM だと思っています。1番のサビに日本語訳を付けてみたので、タガログ語の歌詞を味わいながら、ぜひ聴いてみてください。
Ba’t ’di papatulan
どうして気に掛けてくれないの
Ang pagsuyong nagkulang
満たされない愛情を
Tayong umaasang
私たちは期待している
Hilaga’t kanluran
北へ西へ
Ikaw ang hantungan
あなたが私の行きつく先
At bilang kanlungan mo
あなたが安らげる場所として
Ako ang sasagip sa’yo
私があなたを救ってあげる
おわりに: 言葉と文化のハロハロ、フィリピン
これまでこの連載のタイトルに込めた意図に触れていませんでした。連載も最終回ということで、それをまとめてこの連載を締めくくりたいと思います。
ハロハロというのは何かご存知でしょうか?日本のコンビニエンスストアで販売されているデザートとしてお馴染みなので、それは知ってるという方が多いかもしれません。ハロハロはフィリピンの代表的なデザートで、ミルク味のかき氷に果物、ゼリー、豆、そして、紫色の芋味のアイスクリームなどのトッピングがのっています (図4)。ハロハロはタガログ語で halohalo「混ぜこぜ」を意味します。その名の通り、ハロハロを食べる際には、たくさんのトッピングとかき氷を全て「混ぜこぜ」にするのが一般的です。
デザートのハロハロのように、フィリピンは言語的にも文化的にもさまざまものが混在している国です。この連載では、フィリピンで1番目と3番目に大きなタガログ語とイロカノ語のみに注目してきましたが、フィリピンでは他にも大小数多くの言語が話されています。フィリピンには182もの言語があり、そのうち19の言語は話者が1,000人よりも少ない小さな言語です (Lewis et al. 2015: 8)。
フィリピンでは、英語とフィリピンの言語を混ぜて話すことが一般的です。今回紹介した sana all も、タガログ語と英語をもとに構成されている表現の一例です。実際に私の友人が使っていた以下の文を見てください。
(6) Sino po umattend ng leadership training nung feb 28 to march 1?
誰 丁寧 参加した 冠詞 リーダーシップトレーニング 時 2月28日 に 3月1日
「誰が2月28日から3月1日にリーダーシップトレーニングに参加しましたか?」
(6) の umattend「参加した」も、英語の attend「参加する」にタガログ語の -um- が挿入されている表現です。それ以外は sino, po, ng, nung はタガログ語で、leadership training, feb 28 to march 1 は英語です。このようにタガログ語と英語を混ぜる話し方は「タグリッシュ」と呼ばれています。
フィリピンの言語の語彙には、歴史的に関係の深いさまざまな言語の語彙が入り込んでいます。例えば、タガログ語でもイロカノ語でも使われる libro「本」や karne「肉」は、スペイン統治の結果としてスペイン語に由来します。日本語に由来している単語もあり、例えば katol「蚊取り線香」やブラウスの一種である kimona はタガログ語で使われます。さらに、中国語に由来している kuya「お兄さん」と ate「お姉さん」という親族名詞もタガログ語で使われます。フィリピンには中国からの移民の方は多いです。
宗教については、キリスト教の特にカトリックを信仰している方が多いです。9月に入ると早くもクリスマスの装飾が施され (図5)、それほどフィリピンの方にとってクリスマスは一大イベントなのです。その一方で、フィリピンにはイスラム教徒の方も一定数います。フィリピンの民族舞踊には、十字を切る振付があったりとキリスト教的な踊りもあれば、イスラム教徒に伝わるストーリーを題材にした踊りもあり (図6)、文化的な豊かさを感じられるはずです。ぜひ動画共有サイトで検索して観てみてください。
このように言語的にも文化的にもさまざまものが混在しているフィリピンに、タガログ語とイロカノ語を入り口として興味を持っていただけたら嬉しい限りです。
ということで、この4回にわたる連載も以上となります。フィリピンの特にタガログ語とイロカノ語の魅力を発信する機会をいただけたこと、そして、この連載を読んでくださった方がいたとしたらそのことに、心より感謝いたします。Salamat po! Agyamanak!!
参照文献
長屋尚典・林真衣・細羽洸希 (2021)「ウェブデータから言語変化を捉える: タガログ語の sana all の分析」『日本言語学会第162回大会予稿集』269–275.
山本恭裕 (2022)「フィリピン音楽の変遷」山口裕一・橋本雄一 (編)『地球の音楽』727–749. 東京: 東京外国語大学出版会.
(↑ イロカノ語やタガログ語がご専門の山本先生が、言語学的な側面に焦点を当ててフィリピンの音楽を解説されています)
Croft, William. 2022. Morphosyntax: Constructions of the World’s Languages. Cambridge: Cambridge University Press.
Kilgarriff, Adam, Vít Baisa, Jan Bušta, Miloš Jakubíček, Vojtěch Kovář, Jan Michelfeit, Pavel Rychlý & Vít Suchomel. 2014. The Sketch Engine: Ten years on. Lexicography 1. 7–36.
Leipzig Corpora Collection. 2021. Iloko. https://corpora.wortschatz-leipzig.de?corpusId=ilo_wikipedia_2021. (18 April, 2025.)
Lewis, M Paul, Gary F. Simons, & Charles D. Fennig. 2015. Ethnologue: Languages of Philippine s. 18th edn. Dallas: SIL International.
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- 2025年04月08日 『3. 言葉と文化のハロハロ、フィリピンを味わう:タガログ語とイロカノ語の「リンカー」 林真衣(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)』
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図1 フライドチキンはご飯のおかず?! フィリピンでファストフード店といえばジョリビー
図2 イロカノ語が話されているイロコス地方の名物料理、野菜たっぷりのピナクベット
図3 道端で美味しそうな果物が売られている様子
図4 フィリピン大学内を走るジプニー、大学内もジプニーで移動します
図5 ぎゅうぎゅう詰めのジプニーの車内
図6 オンライン発表用のポスター (2024年フィールド言語学分野修士論文合同発表会)
つなぎのリンカー
今回紹介する文法現象の主人公は、リンカー (linker) と呼ばれる要素です。リンカーとはその名の通り、単語などをつなぐ要素です。タガログ語のリンカーとしては ng または na、イロカノ語のリンカーとしては nga または a が用いられます。
どちらの言語のリンカーにも使われている ng は、 第1回で紹介した軟口蓋鼻音と呼ばれる子音です。タガログ語の ng は「ン」、イロカノ語の nga は鼻に空気を通しながら「ガ」と発音します。
リンカーはとても便利で、さまざまな単語をつなぐことができます。リンカー nga を使ったイロカノ語の例文を見てください (図1)。
(1) 形容詞と名詞
Adda ti daan nga balay didiay.
ある 冠詞 古い リンカー 家 あそこに
「あそこに古い家がある。」
(2) 動詞と形容詞
Binasa nga napaspas ni Joy ti libro.
読んだ リンカー 素早い 冠詞 ジョイ 冠詞 本
「ジョイは本を素早く読んだ。」
(3) 助動詞と動詞
Kayat (nga) lukatan ni Ethan ti bintana.
したい リンカー 開ける 冠詞 イーサン 冠詞 窓
「イーサンは窓を開けたがっている。」
(4) 動詞と動詞
In =na (nga) mangan idiay Jolibee.
行く 彼(女) リンカー 食べる に ジョリビー
「彼 (女) はジョリビーに食べに行く。」
(1) でリンカーがつないでいるのは形容詞 daan「古い」と名詞 balay「家」です。(2) では動詞 binasa「読んだ」と形容詞 napaspas「素早い」、(3) では助動詞 kayat「〜たい」と動詞 lukatan「開ける」、(4) では動詞 in「行く」と同じく動詞 mangan「食べる」です。
リンカーは単語同士だけでなく、単語と文を繋ぐこともできます。以下のイロカノ語の例文でも、リンカー nga が使われています (図2)。
(5) Kinnan =ko ti pinakbet nga linuto ni Maria.
食べた 私 冠詞 ピナクベット リンカー 料理した 冠詞 マリア
「マリアが作ったピナクベットを私は食べた。」
(6) Nakita =k nga agungunget ni Pedro.
見えた 私 リンカー 怒っている 冠詞 ペドロ
「ペドロが怒っているのを私は見た。」
(5) でリンカーがつないでいるのは、名詞 pinakbet「ピナクベット」と linuto ni Maria「マリアが作った」という文です。(6) では、動詞 nakita「見えた」と agungunget ni Pedro「ペドロが怒っている」という文がつながれています。英語学習で例えるなら、リンカー nga は (5) では関係代名詞の that、(6) は接続詞の that にあたります。
(1) から (6) は全てイロカノ語の例文でしたが、タガログ語でもおおむね同じように単語や文をつなぐことができます。ただし、タガログ語では (4) のように動詞と動詞をつなぐことはできません。
日本語で考えてみると、上記の (1) から (6) の組み合わせをつなぐのに特別な要素が必要な場合とそうでない場合があると思います。さらに、つなぎが必要な場合でも全て同じ要素でつなぐことができるというわけではありません。このことからも、フィリピンの言語のリンカーがいかに万能な要素であるかが分かるのではないでしょうか。
私がフィリピンの言語で研究しているのは、リンカーが単語同士をつなぐ大きく2つの現象です。1つ目が (1) のように形容詞と名詞がつながれている現象で、こちらはタガログ語で研究しています。2つ目が (2) (3) (4) のように動詞ともう一方の単語がつながれている現象で、イロカノ語で全てを包括的に研究しています。ここではリンカーとは何かという話をしたので、ここからは私が研究している2つの現象を深掘りしていきたいと思います。
タガログ語における形容詞と名詞の語順
タガログ語でも、形容詞が名詞を修飾する場合、それらの間には必ずリンカーが挿入されます。違いに注目して (7) (8) を見てください。
(7) 形容詞・名詞
masarap na mangga
美味しい リンカー マンゴー
「美味しいマンゴー」
(8) 名詞・形容詞
mangga =ng masarap
マンゴー リンカー 美味しい
「美味しいマンゴー」
(7) (8) はどちらも、形容詞 masarap「美味しい」が名詞 mangga「マンゴー」を修飾しており、2つの単語の間にはリンカーがあり、どちらの日本語訳も「美味しいマンゴー」になります (図3)。
ここで重要なのは、タガログ語の形容詞と名詞の語順にはバリエーションがあるということです。まず (7) のように、形容詞が名詞を前から修飾して、形容詞・名詞の語順で言うことができます。さらには (8) のように、形容詞が名詞を後ろから修飾して、名詞・形容詞の語順で言うこともできるのです。
実際には、形容詞・名詞の語順のほうが圧倒的に選択されやすいことが指摘されています (Shih & Zuraw 2017)。それでは、名詞・形容詞の語順はどういう場合に選ばれるのでしょうか? 先行研究では、形容詞と名詞にどのような子音と母音が使われているかや単語の長さといった特徴が語順の選択に影響していると主張されています (Shih & Zuraw 2017)。この、形容詞と名詞にどのような子音と母音が使われているかや単語の長さというのは、言語学の中の特に音韻論という分野で扱われます。ですので、ここからは音韻的な特徴と呼びます。
こうした背景を踏まえて、私は以下の問いを立てました。それは「音韻的な特徴以外にも、2つの語順の選択に影響している特徴はないか」ということです。この問いに対する現時点での結論は、「名詞の意味的な特徴も語順の選択に影響している」というものです。
私が語順の選択への影響を調査したのは、名詞の意味的な特徴のうち有生性と呼ばれるものです。有生性というのは、名詞の表している対象が人間か動物か物かといった意味的な区別のことです。例えば、「女性」「娘」「研究者」という名詞があれば、人間と判断することができます。有生性はさまざまな文法現象に反映されていることが知られており、語順も例外ではありません。
具体的には、名詞の表している対象が人間の場合に名詞・形容詞の語順が選択されやすいということが明らかになりました (林 2022)。これには、人間の持つ話題性が反映されていると考えられます。どういうことかというと、自らの意志で行動することのできる人間は、動物や物に比べて知覚的に際立った動作の主体になりやすく、文の中で注目される話題的な要素になる傾向があるのです (古賀 2015: 227)。そうした人間を表す名詞を先んじて言いたいという潜在的な動機があるのかもしれません。
長々紹介してきましたが、私がこの現象で興味深いと思っていることは、まず、リンカーを挟んで2つの単語を入れ換えることができ、語順にバリエーションがあることです。さらにこの現象を研究することで、語順の選択には音韻的な特徴や意味的な特徴の複合的な影響を想定することが重要であるという示唆を得ることができます。
余談ですが、私がこの現象を研究している頃、寝ている間にリンカーを軸に単語が行ったり来たりする夢をぼんやりと見るくらいに、頭の中は語順のことでいっぱいです。
ジプニーに乗ってタガログ語を使おう
フィリピンならではの乗り物といえば、ジプニーです。ジプニーは車高の低いバスや乗合タクシーといったイメージです (図4)。最大の特徴としては、ジプニーごとに走るルートは決まっていますが停留所はないので、ルート上の好きな地点で乗り降りできることです。ジプニーはその派手な見た目も特徴の1つで、側面を見るとそのジプニーの走るルートが書いてあります。
ジプニーに乗る際に皆さんが使っている、代表的なタガログ語が2つあります。(9) (10) を読んでみてください。
(9) Bayad po!
支払い 丁寧
「払います!」
(10) Para po!
停車 丁寧
「止めてください!」
日本語訳から分かるように、料金の支払いと降車のときに使います。料金は乗車距離によって異なります。私がジプニーに乗るときに支払う額は、大体10ペソから20ペソ (25円から50円) です。ジプニーに乗り込んで座った位置が運転手さんに近ければ直接支払いますし、遠ければ他のお客さん伝いに支払います (図5)。
ジプニーを降りたいときは、口頭で Para po!「止めてください!」と伝えることもできますし、日本のバスでいう降車ボタンのように紐を引くと音が鳴る仕掛けがあるのでそれで伝えることもできます。(11) はジプニーの車内でよく見かける標語です。
(11) Hila mo hinto ko sa tama =ng babaan.
引き あなた 停止 私 に 正しい リンカー 降り場所
「あなたが引いて私が適当な降り場所で止まる。」
この標語でも形容詞による名詞の修飾があり、リンカーが登場しています。フィリピンを訪れる際には、ぜひジプニーを体験していただきたいです (ただし難易度はやや高め)。
イロカノ語のリンカー複雑述語
ここからは私のもう1つの研究対象、イロカノ語でリンカーが動詞ともう一方の単語をつないでいる構造について紹介していきます。私はこの構造を「リンカー複雑述語」と呼んでいます。複雑述語とは言語学の用語で、1つの文の中で動詞や形容詞が組み合わさって一連の出来事を表現する構造のことです。(12) (13) のリンカー複雑述語の例文を見てください。
(12) Kinnan nga naata ni Bongbong ti karne.
食べた リンカー 生だ 冠詞 ボンボン 冠詞 肉
「ボンボンは肉を生で食べた。」
(13) Nagtugaw nga agdadait ni Leni idiay salas.
座った リンカー 縫っている 冠詞 レニ に リビング
「レニはリビングで座って縫い物をしていた。」
(12) では、動詞 kinnan「食べた」と形容詞 naata「生だ」 がリンカーでつながれて、「生で食べた」という出来事を表しています。(13) も同様に、2つの動詞 nagtugaw「座った」と agdadait「縫っている」の間にリンカーがあり、「座った体勢で縫い物をした」という1つの出来事を表しています。
ここで重要なのが、リンカー複雑述語の中にリンカーが必須なものとそうでないものがあるということです。(12) (13) および (2) ではリンカーは必須です。一方で (3) (4) ではリンカーはあってもなくてもいいのです。
リンカーの必須な複雑述語だけが持つ、構造的な特徴があります。第1に、動詞ともう一方の単語を離して言うことができます。同じ意味を表すリンカー複雑述語の例文 (12) と (14) を比較してください。
(14) Kinnan ni Bongbong ti karne nga naata.
食べた 冠詞 ボンボン 冠詞 肉 リンカー 生だ
「ボンボンは肉を生で食べた。」
(12) では、形容詞 naata「生だ」 がリンカーを挟んで動詞 kinnan「食べた」の直後に現れていました。一方 (14) では、形容詞 naata「生だ」 と動詞 kinnan「食べた」の間にはリンカーだけでなくさまざまな要素が置かれています。
第2に、動詞ともう一方の単語を入れ換えることができます。今度は (12) と (15) を比較してみてください。
(15) Naata nga kinnan ni Bongbong ti karne.
生だ リンカー 食べた 冠詞 ボンボン 冠詞 肉
「ボンボンは肉を生で食べた。」
(12) に反して (15) では、形容詞 naata「生だ」がリンカーを挟んで動詞 kinnan「食べた」の直前に現れています。このように、リンカーの必須な複雑述語では構造が比較的自由であると言えます。
リンカーがあってもなくてもいい複雑述語ではどうかというと、基本的に構造は固定化しています。動詞ともう一方の単語を離して言うことができなかったり、入れ換えることができなかったりします。
ポイントをまとめると、一口にリンカーを使う複雑述語といってもその中にはバリエーションがあります。それが例えば、リンカーが必須かどうかということや、構造が自由なのか固定化しているかということです。ここで紹介しきれなかった点として、リンカー複雑述語には意味的なバリエーションもあります。こうしたバリエーションを、統一的な「リンカー複雑述語」という名のもとで、包括的に記述しているのが私の研究ということになります (図6)。
全体のまとめとしては、タガログ語における形容詞と名詞の語順とイロカノ語のリンカー複雑述語という現象を通して、リンカーでつながなければならない組み合わせは語順が自由なことが多いということが言えそうです。ある単語と単語がリンカーでつながれている場合に、そのことが示す単語同士の関係はどういうものなのか、そういうことを今後も探究していきたいと思っています。
ということで今回は、私の研究テーマに深く関わるタガログ語とイロカノ語のリンカーについて語らせていただきました。少しでも面白そうかもと思っていただけていたら嬉しいです。次回がこの連載の最終回となります。多少一体感が無くなったとしても (?!) 残っているお伝えしたいことを全て詰め込む予定ですので、2週間後をお楽しみに。
参照文献
Shih, Stephanie S. & Kie Zuraw. 2017. Phonological conditions on variable adjective and noun word order in Tagalog. Language 93(4). e317–e352.
古賀裕章 (2015)「有生性」斎藤純男・田口善久・西村義樹 (編)『明解言語学辞典』: 226–227. 東京: 三省堂.
林真衣 (2022)「タガログ語において名詞の意味が語順にもたらす影響」『日本言語学会第164回大会予稿集』10–16.
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- 2025年03月25日 『2. 言葉と文化のハロハロ、フィリピンを味わう:タガログ語とイロカノ語の文法的特徴4選 林真衣(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)』
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図1 左がシニガン、右がビコール・エクスプレス
図2 フィリピンの地図
図3 イロコス・ノルテ州の観光名所
図4 世界文化遺産のビガン歴史地区
図5 ドライマンゴーの品揃えがすごい
図6 遊んでいる子どもたち (撮影はルソン島パンパンガ州)
語順: まずは何をしたかを述べましょう
タガログ語とイロカノ語の語順は「〜する、〜が、〜を」の順です。以下の例文を参照するにあたり、ビコール・エクスプレスはココナッツミルクの煮込み料理、シニガンはタマリンドという果実を使った酸味のあるスープです (図1)。
(1) タガログ語
Niluto ni Pedro ang bicol express kahapon.
作った が ペドロ を ビコール・エクスプレス 昨日
「昨日ビコール・エクスプレスをペドロが作った。」
(2) イロカノ語
Linuto ni Maria ti sinigang idi kalman.
作った が マリア を シニガン 昨日
「昨日シニガンをマリアが作った。」
(1) (2) のように、タガログ語とイロカノ語で動詞は文の先頭に現れます。各単語に付いている日本語を後ろから順に読んでみてください。すると、それぞれの文に対応する日本語訳の文になりませんか? 日本語では動詞を最後に言うので、その点では語順は反対です。
世界の言語の語順については、日本語のような「〜が、〜を、〜する」言語とついで英語のような「〜が、〜する、〜を」言語が合計80%以上を占めています。一方で、タガログ語やイロカノ語のような「〜する、〜が、〜を」言語は10%以下と少数派です。タガログ語とイロカノ語では動詞が文の先頭に現れることを、ぜひ覚えておいてください。
イロカノ語が話されている地域
文法から話は脱線しますが、ここではイロカノ語が話されている地域の情報を付け加えたいと思います。イロカノ語は言語名を初めて聴いたという方が多いと思いますし、前回ルソン島北部で話されているとお伝えしましたが、どのような場所かを想像するのはなかなか難しかったのではないでしょうか。
イロカノ語はルソン島北部でも特にイロコス地方のイロコス・ノルテ州、イロコス・スル州、ラ・ウニオン州を中心に話されています (図2)。さらに、イロコス地方のパンガシナン州などでも話されており、私の共同研究者でもある調査協力者はパンガシナン州出身の方です。
海に面しているイロコス地方には、自然豊かな観光名所が多いです (図3)。それだけでなく、世界文化遺産に登録されているスペイン統治時代に作られた教会や街並みも有名です。イロコス地方屈指の観光都市ビガンまでは、マニラ首都圏から長距離バスで8時間前後で着きます (図4)。イロカノ語が話されているイロコス地方、フィリピン国内の旅行先としてぜひおすすめしたいです。
ほんの少しでもイロカノ語が話されている地域のイメージが膨らんだでしょうか? せっかく言語のことを知っていただけたら、その言語が話されている地域についてもより多く知っていただきたいと思っています。この連載だけでは魅力を伝えるのに限界があるので、旅行計画を立てる気分で観光地、名物などいろいろ検索してみてください。
動詞の形: 何を強調しよう?
タガログ語とイロカノ語の文法に話を戻すと、文のどの要素を強調するかによって動詞の形を変える必要があります。例えば「マリアがペドロに手紙を書く」という文で、イロカノ語の動詞 surat「書く」は、動作の主体である「マリア」を強調する場合は agsurat となり、動作の対象である「手紙」なら suraten、動作の恩恵を受ける「ペドロ」なら suratan となります。それぞれ動詞 surat「書く」に ag-, -en, -an という異なる要素が付くことが分かります (表1)。
表1 「マリアがペドロに手紙を書く」
強調 動詞の形 マリア ag-surat 手紙 surat-en ペドロ surat-an
このルールが特に重要となるのが疑問文です。何についての疑問文を言いたいかによって、適切な動詞の形に変えなくてはいけません。「マリアがペドロに手紙を書く」という文をもとに、タガログ語で3通りの疑問文を作ると (3) (4) (5) のようになります。
(3) Sino ang sumulat ng liham kay Pedro?
誰 冠詞 書いた 冠詞 手紙 に ペドロ
「誰が手紙をペドロに書いたの?」
(4) Ano ang isinulat ni Maria kay Pedro?
何 冠詞 書いた冠詞 マリア に ペドロ
「何をマリアはペドロに書いたの?」
(5) Sino ang sinulatan ni Maria ng liham?
誰 冠詞 書いた 冠詞 マリア 冠詞 手紙
「誰にマリアは手紙を書いたの?」
タガログ語の動詞 sulat「書く」の中に何かが割り込んでいたり、前か後ろに何かが付いていたりと、それぞれ異なる形で現れていることが見てとれるでしょうか。このように何を強調するかによって動詞の形を変えるというのが、フィリピンの言語において代表的な特徴です。
割り込みと囲い込み
タガログ語の例文 (3) で、動詞 sulat「書く」に割り込んでいる要素として -um- がありました。これらは専門用語で接中辞と呼びます。接中辞を含めた単語に加えられる要素の総称は接辞といい、そのなかには (4) の i- のように単語の前に付くもの (接頭辞)、(5) の -an のように後ろに付くもの (接尾辞)、さらに、単語を囲い込むもの (接周辞) もあります。接周辞としては、例えばイロカノ語で mangga「マンゴー」から kamanggaan「マンゴー畑」に使われる ka- -an のような例があります (図5)。
表2 タガログ語とイロカノ語の接辞
接辞 タガログ語の例 イロカノ語の例 接頭辞 i- (4) ag- (表1) 接尾辞 -an (5) -an (表1) 接中辞 -um- (3) -in- (2) 接周辞 ka- -an ka- -an
表2に示した通り、タガログ語とイロカノ語ではいずれの種類の接辞も持っています。世界の言語から見ると接中辞と接周辞は比較的珍しく、それらを持つことはフィリピンの言語の特徴の1つと言えます。
品詞: 名詞なの?動詞なの?
最後に挙げる特徴として、フィリピンの言語では名詞と動詞の区別が難しいとされていることです (Himmelmann 2005)。日本語や英語から考えると、どういうことだろうと思われるのではないでしょうか。相違点に着目して、以下のタガログ語の例文を読んでみてください (図6)。
(6) May bata =ng sumisigaw doon.
いる 子ども =リンカー 叫んでいる あそこに
「あそこに叫んでいる子どもがいる。」
(7) May sumisigaw doon.
いる 叫んでいる あそこに
「あそこに叫んでいる人がいる。」
(6) では、動詞 sumisigaw「叫んでいる」が名詞 bata「子ども」を修飾して「叫んでいる子ども」を表現しています。一方 (7) では、動詞 sumisigaw「叫んでいる」だけで名詞なしで「叫んでいる人」という意味を表しています。動詞がそのままであたかも名詞のように機能しているのです。このような現象からも、実際に名詞と動詞の区別がはっきりしないことが分かると思います。
ということで今回は、タガログ語とイロカノ語の文法的な特徴をまさにいいとこどりしました。次回も両言語の文法に注目してお届けしますが、特に私自身の研究テーマの面白いポイントをお伝えできればと思っています。キーワードは、(6) で静かに登場した「リンカー」です。また2週間後をお楽しみに。
参考文献
① Himmelmann, Nikolaus P. 2005. The Austronesian languages of Asia and Madagascar: typological characteristics. In Alexander K. Adelaar & Nikolaus Himmelmann (eds.), The Austronesian Languages of Asia and Madagascar, 110–181. London: Routledge.
② 長屋尚典. 2014. タガログ語の措定文と指定文. 東京外国語大学論集 88, 117–143.
③ 林真衣. 2024. イロカノ語における属性語の情報提⽰法. 東京大学言語学論集 46, 47–58.
② では、タガログ語の名詞と動詞の区別に関しても日本語で専門的に言及されています。
③ では、イロカノ語の品詞 (特に形容詞) について量的調査に基づいて議論しました。
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- 2025年03月11日 『1. 言葉と文化のハロハロ、フィリピンを味わう:タガログ語とイロカノ語の概略 林真衣(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)』
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図1 マニラのレストランで民族舞踊
図2 世界三大夕日?!マニラ湾
図3 有名な私立学校デ・ラ・サール大学
図4 バイバインの子音字
図5 フィリピン大学内の自転車レーン
図6 「ごはん食べた?」のモニュメント
私は言語学、特にタガログ語とイロカノ語の文法を専門とする大学院生です。タガログ語との関わりは大学院生としては長いほうで、大学1年生から専攻として勉強しはじめ、大学3年生の夏からフィリピンの大学に留学しました。そこでもタガログ語を学び、1年間の留学後から本格的に研究を始めました。
一方、イロカノ語との関わりは比較的最近からで、大学2年生でイロカノ語に関する授業を受講してはいたのですが、それから4年が経ったころ大学院の授業でイロカノ語と再会を果たし、それをきっかけに研究を始めました。
フィリピンの文化にも思い入れがあり、大学生のころフィリピンの民族舞踊を部活動としてやっていました。今でもフィリピン滞在中に民族舞踊を観られないかといつも機会をうかがっています (図1)。フィリピンの民族舞踊といえば、ティニクリンという竹の間を飛ぶダンスが有名です。日本のテレビ番組でもたびたび取り上げられているので、目にしたことがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
言語に話を戻すと、私はこれまで論文や学会を通して研究者に対してフィリピンの言語に関する発表をしてきました。それはもちろん大学院生の研究者として大変重要なことです。しかしそれと同時に、普段言語と関わりのない方にこそフィリピンの言語の魅力、ひいては言語学の面白さを知っていただきたいということもつねづね思っていました。ありがたいことに今回連載を任せていただいたので、言語学の専門知識を問わず興味深く読んでいただけるような連載にしたいと思っています。フィリピンの言語とついでにフィリピンの文化についての情報もいいとこどりをしながら詰め込んでいきたいと思いますので、最後までお付き合いください。
タガログ語とイロカノ語の概略
今回の連載で紹介するのは、フィリピンのタガログ語とイロカノ語という言語です。どちらもフィリピン北部に位置するルソン島で特に話されている言語です。
タガログ語を母語とする人はマニラ首都圏を含むルソン島南部に集中しており (図2)、その話者は約1,700万人とされています (Himmelmann 2005)。タガログ語は英語とともにフィリピンの公用語に指定されています (政治的な背景から他の呼び名もあるのですが、今回の連載ではタガログ語と呼んでいくことにします)。
一方イロカノ語は主にルソン島北部で話されており、約900万人の話者がいます (Rubino 2005)。数多くの現地語が話されているルソン島北部で、イロカノ語は地方共通語として用いられています。
フィリピンは多言語国家で、180以上もの言語が存在しています。多くのフィリピン人は公用語の英語とタガログ語、加えて人によっては、イロカノ語のような地方共通語、現地語も含めて複数の言語を使用します。英語は20世紀のアメリカ統治以降に広まった言語なので、タガログ語とイロカノ語はフィリピンに元々ある言語の中で1番目と3番目に大きな言語と言えます (2番目はセブ島などを含むフィリピン南部で広く話されているセブアノ語です)。
タガログ語とイロカノ語の発音
タガログ語とイロカノ語の子音と母音はローマ字のように読めば大体問題なく、日本語が母語の人にも発音しやすい言語です。
まず子音については、タガログ語が p, t, k, b, d, g, (ʔ), m, n, ng, f, s, h, ts, l, r, y, w の18個 (Schachter & Otanes 1972) で、イロカノ語が p, t, k, b, d, g, (ʔ), m, n, ng, s, h, ts, l, r, y, w の17個 (Rubino 1997) です。2つの言語間で唯一異なっているタガログ語の f は、基本的に他の言語からの借用語に用いられます。
日本語や英語にない子音としては、タガログ語とイロカノ語には ʔ という子音があります。専門用語では声門閉鎖音と呼ばれる子音です。どちらの言語でも ʔ は表記されないのが一般的であるため、他の子音と区別するために上では括弧書きにしました。 ʔ は、日本語で「あっ!」と言うときのように喉の奥のほうを閉じ、その閉鎖を解放することで発せられる音です。例えばタガログ語の hindi(ʔ)「ない」、イロカノ語の ha(ʔ)an「ない」のように、実は ʔ が潜んでいる単語は多くあります。
ng と ts は2文字で表されていますが、それぞれ1つの子音です。ng は軟口蓋鼻音と呼ばれる子音で、鼻に空気を通しながら発する「ガ、ギ、グ」のような音です。一方 ts は無声後部歯茎破擦音と呼ばれる子音で、おおむね「チャ、チ、チュ」の音と対応しています。例えば、イロカノ語の nangan「食べた」、タガログ語の tsinelas「スリッパ」のように使われています。
タガログ語では r の発音に関しては、社会方言差が指摘されています。タガログ語の r は、伝統的にはいわゆる巻き舌と呼ばれるような音で発音されます。すなわち、歯茎に舌を1回または複数回接触させます。しかし実際には、英語の r のように舌を接触させず接近させるのみの発音も観察されます。この後者の発音は、私立学校で教育を受けた人々の間で用いられる社会方言の特徴とされています (cf. Umbal & Nagy 2021)。一般的にフィリピンで私立学校に通う学生は英語に接する機会が多いことが理由として考えられます (図3)。
次に母音については、タガログ語も a, i, u, e, o の5個 (Schachter & Otanes 1972)、イロカノ語も a, i, u, e, o の5個 (Rubino 1997) です。いずれも「ア、イ、ウ、エ、オ」と読んで問題ありませんが、どちらの言語の u, o も日本語よりも唇を丸めることを意識します。
イロカノ語の母音の発音の違いは、方言の分類にとって重要な特徴です。イロカノ語の地域による方言は、北部方言と南部方言に大きく分けられます (Rubino 2005, 1997)。南部方言では、e がイロカノ語に固有の単語では曖昧な「ア」、他の言語からの借用語では「エ」と発音されます。前者の発音は、専門用語ではシュワーと呼ばれる音です。北部方言では e はどの単語でも「エ」と発音されます (表1)。こうした母音の発音の違いは、イロカノ語の地域方言の分類に役立ちます (Hayashi 2023)。
表1 イロカノ語の e の発音
固有語 借用語 北部方言 「エ」 「エ」 南部方言 曖昧な「ア」 「エ」
タガログ語とイロカノ語の発音については、どのような母音と子音が使われているかに加えて、タガログ語の子音 r の発音の社会方言差とイロカノ語の母音 e の発音の地域方言差を紹介しました。1つの言語内である音の発音にバリエーションがあることは言語学的に研究しがいのあるポイントです。
タガログ語とイロカノ語の表記方法
タガログ語もイロカノ語も、かつてはインド系の文字が用いられていました。タガログ語に用いられるインド系の文字は特にバイバインと呼ばれています。文字体系としては、母音字とデフォルトで a 行音を表す子音字から成ります。子音字で a 行音以外を表したい場合や、子音のみを表したい場合は子音字に記号を加えます (図4)。現在ではバイバインだけでタガログ語を読ませることはありませんが、お店の看板でラテン文字に書き添えたり、文化的なシンボルとして施設のロゴマーク、イラストや雑貨のデザインに採用されたりしています (図5)。
16世紀からのスペイン統治以降は、どちらの言語も現在のラテン文字を用いた表記がなされるようになりました。
挨拶代わりの「ご飯食べた?」
今回はタガログ語とイロカノ語の便利なフレーズを紹介して終わりにしたいと思います。どちらの言語にも「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」のような時間帯に即した挨拶はありますが、フィリピンでは時間帯に関係なく会った人に「ごはん食べた?」と聞いてコミュニケーションをとることがあります (図6)。
(1) タガログ語
a. Kumain ka na (ba)? (クマイン カ ナ (バ))
食べた あなた もう 疑問
「もうごはん食べた?」
b. Hindi pa! (ヒンディ パ)
ない まだ
「まだ!」
(2) イロカノ語
a. Nangan ka =n? (ナガン カン)
食べた あなた もう
「もうごはん食べた?」
b. Haan pay! (ハアン パイ)
ない まだ
「まだ!」
(1) がタガログ語で、(2) がイロカノ語です。外で待ち合わせをしていてこの質問に「まだ!」と答えたなら、とりあえず一緒にごはんを食べることになるでしょう。もし誰かの家に遊びに行ってこの質問に「まだ!」と答えたなら、「食べな!」と言って食べきれないほどのごはんを出してくれることでしょう。それだけフィリピンでは、食べること自体や、人とごはんをともにすること、相手のお腹を空かせないことが大事なのです。
ということで今回は、主にタガログ語とイロカノ語の概略と発音について (現在滞在中のフィリピンから) お伝えしました。次回以降の3回は、両言語の文法に注目してお届けします。2週間後をお楽しみに。
参照文献
① Hayashi Mai. 2023. Phonetics of Pangasinan Ilokano. Tokyo University Linguistic Papers 45. 1–9.
② Himmelmann, Nikolaus P. 2005. Tagalog. In Alexander K. Adelaar & Nikolaus P. Himmelmann (eds.), The Austronesian Languages of Asia and Madagascar, 350–376. London: Routledge.
③ Rubino, Carl Ralph Galvez. 1997. A reference grammar of Ilocano. Santa Barbara, CA: University of California dissertation.
④ Rubino, Carl. 2005. Iloko. In Alexander K. Adelaar & Nikolaus P. Himmelmann (eds.), The Austronesian Languages of Asia and Madagascar, 326–349. London: Routledge.
⑤ Schachter, Paul & Fe T. Otanes. 1972. Tagalog Reference Grammar. Berkeley, CA: University of California Press.
⑥ Umbal, Pocholo and Naomi Nagy. 2021. Heritage Tagalog phonology and a variationist framework of language contact. Languages 6(4): 201.
③と⑤はそれぞれ、イロカノ語とタガログ語について網羅的に記述されている文法書です。
②と④は、同じ書籍からのタガログ語とイロカノ語の概説の章で、各言語の全体像を20~30ページで把握することができます。
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- 2025年03月04日 『3月からの新連載のお知らせ』
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さて、3月11日からの4回の連載は林真衣さん(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)による「言葉と文化のハロハロ、フィリピンを味わう」です。林さんは現在、博士課程に在籍され、フィリピンで1番目と3番目に大きなタガログ語とイロカノ語の文法を主に研究されています。本連載では、そのタガログ語とイロカノ語について、言語学好きにとって魅力的な特徴を選りすぐって紹介されます。言語学的解説はシンプルさを心掛けながら、写真とともにフィリピンの文化紹介も盛り込むことで、言語学の専門知識を問わず読んで面白い連載を目指すとのことですので、ご期待ください。