リベラルアーツ英語検定クイズロミオとジュリエット > 2014年11月27日更新分(2/3)

《第8問》
芝居はモンタギュー一族とキャピュレット一族の喧嘩のシーンで幕開けとなるが、両家の確執の発端について、テクストはどのような言葉で言及しているか?

正解

不正解

解説

芝居の前口上(プロローグ)で、序詞役が次のように言う。「いずれ劣らぬふたつの名家/花の都のヴェローナに/新たに噴き出すいにしえの遺恨/人々の手を血で汚(けが)す。」

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本文で両家の争いの発端について言及されているのはこの下線部分のみで、両家の確執が生じた理由はじつはよく分からない。また、ファースト・フォリオ (1623)には、(これは印刷上の都合で省略された可能性もあるのだが)前口上がない。つまり、フォリオに従って『ロミオとジュリエット』を上演すれ ば、両家の争いの原因について何も言及がなされないまま、いきなり路上での喧嘩で幕開けとなる。

ここで覚えておきたいことは、シェイクスピアの 芝居では、物事の因果関係が明かされないことが多いという事実だ。例えば、ハムレットが経験している憂鬱(melancholy)がそうである。シェイク スピアは、憂鬱が生じた理由について説明することは省略し、その憂鬱が、特殊な環境に置かれた人物の中でどう展開してゆくかのみ描いてみせる。『オセ ロー』のイアーゴーの場合は、憎悪に支配された人物として描かれるが、その憎しみの感情にも明確な理由は与えられていないし、『ヴェニスの商人』の幕開け でアントーニオがどうして憂鬱に沈んでいるのか、その理由も説明されていない。モンダギューとキャピュレットの両家を支配する憎悪も、これらとよく似てい て、それがなぜ生じたのかは語られず、その展開のプロセスのみが描かれている。

憂鬱や憎悪といった万人のうちに内在しうる感情は、しばしばシェ イクスピアの登場人物を支配するが、そのことは、その登場人物が、万人を照射する鏡であることの証しであって、その人物個人(individual)では ないことを意味するのか。その一方で、シェイクスピアは、感情の因果についてのエヴィデンシャルな解釈――近代人の読み方と呼んでもいいだろう――を観客 /読者に要求してくることがある。

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