リベラルアーツ子ども検定クイズ占領期米国教育使節団 > 2017年12月21日更新分(1/1)

《第83問》
第一次教育使節団報告書は、「序論」のなかで、「しかし、われわれの最大の希望は子供にある」「子供の持つ測り知れない資質は、自由主義という日光の下においてのみ豊かな実を結ぶものである。この自由主義の光を与えることが教師の仕事なのであって、その反対のものを与えることではない」と述べ、子どもに重きをおいた。「日本の教育の目的および内容」のなかでは、古い型の天降り式、官憲主義の教育を批判した上で、「新しい型では、出発点は個人(付記:児童)でなければならない」と述べている。この考えのもと、「児童の研究は教師養成の準備教育中、特に重要な部分でなくてはならぬ」と述べている。このように報告書は「新しい教育は児童から出発する」といっているが、その意味の取り方として間違っているのはどれか。

正解

不正解

解説

a) について。報告書は「個人」という言葉は少年と少女、男性と女性に平等にあてはまるという児童観に立っている。その上で、能力と適性に応じて教育の機会を与えるべきであるというのである。平等と画一は異なる。b) について。これは、児童の興味、環境などの個人差を尊重するという意味である。報告書は「特定の環境に立つ生徒を出発点としなければならない」と述べている。カリキュラムの礎石は児童と社会にあり、個人のニーズ、社会のニーズに基づいて編成されなければならないとの考え方である。c)は誤りで、使節団が求めたのは、児童の自発性、能動性、創造性の尊重であった。報告書は、絶対的権威としての教師に児童が服従する関係のもとで、教師が注入した知識を児童がただ暗記する型の教育を否定し、「民主主義的な態度は民主主義的な行動の経験を通じて学ばれなくてはならぬ。形式ばらぬ生徒対教師の関係はそれに役立つのである」と述べている。児童の発達・成長段階の心理からすれば、教育の方法においては「児童から」出発すべきとの考えがあった。ただし報告書は、児童の発達段階のある時点で「必要以上に多くの自由が許される場合」や「学校の計画案のある部分」では、直接的な教授の方法や、教師による状況の管理が求められると述べている。

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